【未完】『すこしだけはやくして』(ヤマ千ヤマの同棲ネタ続き)4.幸せの機械
「あれはモモが悪いと思う」
きっぱりした口調が似合わない。大和が笑いを漏らすと、千はさらにほおに力を込めた。普段三〇%くらいしか使っていない頬の筋力を、五〇%は使っていそうだ。白目を剥いて笑えば七〇%。大和に抱かれているときは、一〇〇%いくかもしれない。
「楽しそうだね」
「そりゃあ、千さんが百さんとうまくいってんのは、後輩にとっては嬉しいです」
「うまくいってないよ」
「揉めてるくらいがいいんじゃないですか? あんたらは」
「モモは仲良くしたいらしいよ。それなのに僕の言うことを聞かない。矛盾してる」
「あんたが矛盾しなさすぎなんだろ……」
「まあ、そういうわけで、行きずりの美少女にたしなめられて、僕らは仲良くツーショットを撮りました。……はい、僕の一週間はこれで終わり」
画面の向こうの千が話し終え、手に何かの液体を出した。髪に揉み込んでいるところを見ると、ヘアケアの類だろう。なんとなく、大和は手元のお猪口を画角の外にずらした。
あれから、万理にことのあらましを報告した。千さんとちゃんと付き合うことになりました。千さんのことを俺も……。
万理は痛ましそうな視線を大和に向けてから、本気で無理なときは事務的に接したらいいよ、俺が口出すことじゃないけど、恋人だと思って接するとしんどくなっちゃうかもしれないから、と助言してくれた。
そのアドバイスは的を射ていて、千とは何度も破局の危機を迎えた。
大和くんは僕を好きなんだろ。俺用の車買えとは言ってねえよ返してこい。
志津雄さんと戸籍の話してきたんだけど。勝手に進めんな、いつあいつに言っていいなんて言った。
大和くんって色んなおじさんと仲良いよね、僕のいないところで悪いことされてない。されるかボケ。
かわいい頃の大和くんに会いたい、ランドセル買ってきたんだけど。……。
恋人の大義名分を得た千は過剰に心配性で、大和をものにしたがり、大和を守りたがり、大和に何か与えたがった。
くすぐったくて嬉しい。いっぽうで、理解が浅く、わずらわしい。千に対して苛立ちを抱いては千をセックスで黙らせて喧嘩になる。快楽で簡単に揺らせる千が、昔憧れた千のイメージと離れていて、くやしくなったり、優越感が湧いたりする。
大和の心は相変わらず乱れていた。
そこで、お互いのことをもっと知るために、週に一度、ビデオ通話で定例会議を開くことになった。セックスになだれ込むことのない、単なる通話だけの、お互いの浅いところをさわりあう会話……。
こういうの、ふつう付き合う前にやるもんだと思うけどな。
自嘲しても、既に関係は始まったのだから、いまさらちゃんとしようとしても巻き返せない。大和はお猪口を手にして、唇へ運んだ。
「僕の戸籍に入ってくれる話、どうなったんだっけ」
「言ってねえよ。百さんを戸籍に入れたいんでしょ」
「それは、まあ……相方に逃げられるのはもうね……」
「百さんが入るまでは俺も入るつもりないんで」
「ええ……。ちなみに僕が君の兄弟になるプランも考えたよ」
「うちのややこしい姻戚関係をさらにややこしくすんな。本気でやったら絶交しますからね」
「絶交は嫌だな」
「嫌でしょ」
「うん」
「ふ」
短く笑う。
大和は、千が欲しがるものを与えないのが好きだった。素直で無垢な千を、征服して操っているような気分になる。甘えて、許されている気分にも。
「まあ、うちのことは何でもいいんですけど。ともかく、うちの事務所でも、一人暮らし云々の話はたまに出るんで」
「ああ、出るんだ。一織くんとか、繊細そうだよね」
「あそこは兄貴もいるし、リクの体調管理しやすくて、寮生活納得してんじゃねえかな。不満のある奴がいるっていうより……」
一瞬だけ。ほんの僅かに、ためらった。
千にこう告げれば、千は切なく思うだろう。
そんなふうに千を乱して気持ちを操ることは、大和にとっては、気持ちがいいけれど。
どちらかだけが、気持ちが良ければいいだけの関係では、千はもう満足しないだろう。あんなに分からなかった千の気持ちが、今はわかる。大和がそうなら、千もそうだ。千は簡単で、信じやすくて、同調しやすい。千の愛する相手にとっては。好きな相手と気持ちを重ねる心地よさを、千は心から愛していた。
そんな千だから、大和も、気持ちが重なるのかもしれない。
奥を突いて震える体以外から、千の声から、言葉から、千の生み出すものから、千の心から、大和は、大和を愛してほしかった。
置いていかないでと、その体が真実っぽく縋ったとき、大和は千から真実を得たかったのだと気付いてしまった。
関係に名前をつけて、保証して、その名前の範囲だけでも、千と、愛情のようなものを交わしたい。
セックスの了解のためのキスではない、心でつながり合うキスを、何度も──。
「……誰も」
逡巡して、やっと口にした声は掠れていた。咳払いして、もう一度言い直す。
「誰も寮出てかないなら、俺もそれがいいかなって思ってるんで。あんたと借りた家には、まあ、今まで通り、たまに」
「そう」
「寂しいですか?」
「うん」
「……ふ」
千の反応は素直で、思い通りの返事に、思わず頬が緩む。だめだとわかっているのに、酔いかけた頭は、すでに理性をどこかへ手放したがっている。
千が目を細めた。
「やっぱり、機嫌いいな。今から来ない? 抱いてあげる」
「は? 誘い方最悪かよ。もう飲んだんで行きません」
「いいじゃない、タクシー代出すから。君のところの子供たちには聞かせられないこと、してあげるよ」
「たとえば?」
聞き返しながら、既に口角は上がっている。千の言う通りだった。
機嫌のよい大和の微笑を繰り返すように、千も微笑む。
「口で?」
頬杖をついた千が、小指で唇を捲る。赤い粘膜がのぞくのを、大和は食い入るように見た。
「……明日、仕事早いでしょ」
たしなめる振りを、千は流し目で黙殺し、頬杖のまま大和を見つめた。おもしろそうにスマホの画面を見下ろして。大和の答えを待っている。
大和も千と同じ気持ちだと、たしかめようとしている。
大和が照れくさそうに、三〇分、と所要時間を告げて、千が、待ってる、と答えるまで、そう時間はかからなかった。
通話を切り、誰も見ていないのにぶっきらぼうに薄手のコートに袖を通す。窓の外は暗く、明日降る雨をはらんだ雲が厚く夜空を覆っていた。
部屋を出ると、ライラックの瞳と視線がかちあった。
「大和さん。どこか出かけられるんですか?」
「ああ、うん。野暮用。……多分明日の朝、帰るんだけど。朝飯は俺の分、とっといてって、ミツに……」
「よそで食ってきていいんだぜ?」
「や、結局ウチの飯が一番落ち着くっていうか……7人で食べられる日に、俺だけいないのも変じゃん」
「変?」
「いや、っていうなら取っといてやるよ。なあ、壮五。こんな時間にいそいそ出かけて、オレらになんも言わないんだもんなあ」
「……俺だけ仲間はずれなの嫌だから! 朝には戻ってきます」
「はいよ。ナギ聞いたか?」
「イエス! ヤマトの帰りを、腕を長くして待っていますよ」
「首だろー? ロケットパンチじゃねんだから……」
「Oh、首を長くして。ヤマト、幸せですか?」
「……そうだよ! もう……また帰る前ラビチャするけど、寝てたらみなくていいからな」
「はいはい」
にやついてハイタッチを交わした三月とナギに視線を向けられ、壮五が戸惑いながら、苦笑を返す。
「……大和さんがお相手の方と居たくなったら、無理には……」
「壮五、そうじゃねえだろ」
「……朝には、帰ってきてください。環くんたちも僕も、待っていますから」
「……ん。行ってきます」
「出がけに、メンバーに捕まって……」
「捕まるって、こう?」
「いや、三人で囲い込んで。流石に手錠は持ってないんで」
「三人って……環くんとナギくんと陸くんかな」
「そのトリオに囲まれてたらここには来れてないっすね……ナギは正解。あとは、ミツとソウでした」
「へえ。かわいいね」
「誰に囲まれても可愛いですけどね。あいつら、可愛いってだけじゃなくて、譲るってことを知らないんで……」
「朝には帰る。……から」
「うん。シャワーは浴びる?」
「あ……じゃあ。……千さんは」
「待ってる間に、色々と準備はしたけど。……君を抱きたくて呼んだんだよね」
「その……髪。俺にかかるの、嫌ですか」
「え?」
「触られんの、いやなのかなとか」
「なんで?」
「……大事なもん、でしょ。どっかで言ってましたよ、誰か」
「あいまいだな」
「あんたの、他の誰かとの関係まで、踏み込むつもりないんで」
「踏み荒らしそうになってたら、言ってください」
「……君が何を言ってるのかわからないんだけど」
「……百さんだか万理さんだかのために伸ばしてんだろって言ってんだよ。その髪、俺に触られたくねえなら結ぶなりしてどけとけよ」