から騒ぎ「あ、また間違えた」
　びゅうっと風が強く吹いたので、反射で顔を下へ背けると自身が着ているブレザーの襟にある赤いラインがヒースクリフの目に入った。
　連動して呼び覚まされるのは、シノが入学前に制服を仕立てる際の記憶。せっかく全身を丁寧に採寸してジャストサイズが判明したにも関わらず、すぐ追いついて追い越すと言い、少し大きめであるヒースクリフと同じものを選んだ幼馴染を思い出してふふ、と笑みを零す。
　腕を鼻元に擦り付けて、クンと一吸いするとお日様の匂いが鼻腔をくすぐった。
　野生児のようでいて、思いのほか無臭である彼は、その分周りの匂いを付着させることが多かった。
　先ほど一緒にダンスの練習を始める前は、きっと中庭の芝生の上でぬくぬくと昼寝をしていたのだろう。
　今頃シノも制服を取り違えたことに気付いただろうか。いや、きっとまだだ。気が付くのはいつもヒースクリフの方が先だった。
　そんなこんなを考えているのであれば、さっさとスマートフォンでチャットを一つ入れてやれば済む話だが、いかんせんヒースクリフとシノはケンカの真っ最中である。
　今度こそ本当に解散だ！、と啖呵をきった以上、ヒースクリフから連絡をするのは憚られる。しかも、つい一時間ほど前の出来事なのでさすがにバツが悪い。
　
　ブレザーを掴んでダンス練習をしていた講堂を飛び出してからは、外のベンチに腰掛け、風にそよがれていた。とっくに怒りの熱はどこかへ吹き飛んでおり、変わりに冷静さを得た頭で、先ほどの自分の取り乱し様を思い出して反省し、わからず屋のシノをどう説得しようかと思索を巡らせている。
　今日は色々と調子が悪かったのだ。風は強いし、手足は冷えるし、シノは迫るハロウィンライブに向けて勝手にあれこれ決めているし……。
　ここ一体の空気だけ異様にどんより重く停滞しているように感ぜられ、はあ、とため息を一つ吐き出す。
　ずっとこうしているわけにもいかないし、さて、どうしようかと姿勢を正したところで、淀んだ空気を吹き荒らしてくれそうな聞き慣れた声がやって来た。
　
「ヒース！　間違えてる！」
　ヒースクリフの上着に包まれたシノが風にサラサラの髪を遊ばれながらかけて来る。
「シノ……！　……今日は気付くの早かったね」
「ああ、転校生にヒースの匂いがするって言われて気が付いた」
「えぇっ！」
　再開頭の思いがけない報告に、鎮火したはずの熱が違う方向性で再熱し、斬撃を受けたかのようにヒースクリフの顔に朱が差した。
　自分はそんなに匂いが濃いのかとか、それに気付かないシノの慣れようとか、なにより嬉しいと感じている自分を瞬時に認識してしまったことが堪らなかった。
　きっとブレザーを脱いでも、しばらくはヒースクリフの痕跡がシノから薫るだろう。だけれどもう少し、もう少し染み込ませておきたくてブレザーを脱ごうとするシノを制し、時間稼ぎのようにゆっくりとシノの乱れた髪を梳き直してやった。今日の暴れん坊な風に再び攫われてしまわないように、髪の毛一筋一筋にまで自分の指が触れるよう頗る丁寧に。
　その行為を静かに受け入れながら、赤の瞳でじっと見上げてくる彼に「何？」とぶっきらぼうに声を掛けると「今日のヒースもきれいだな」と返ってきた。
　ぼっ、と面白いくらい素直に体温を上げた自身に、まるで自分の方がシノに侵食されているようだと頭を抱えずにはいられなかった。
　頬を撫ぜる風が心地よいと同時に、この熱を逃したくない、とも願ってしまった。
「ヒースどうした？　顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないか？」
　そう言って、シノはヒースクリフの額を右手で覆い、優しく撫でた。
「ううん、なんでもない」
　ザアッと風がまた一騒ぎしたので思わず目を伏せる。自身が纏う首元の赤いラインが再び目に映えた。