「贄の鼓動」 つぷり、と皮膚が裂ける音がした。
未だかつてこんなにも気分が高揚したことがあっただろうか。
敵を叩きのめした時、上等な食事にありつけた時、ヒースクリフから賞賛を受けた時、どれも言葉にし難い喜びを伴い、今後の糧になったが〝今〟そのものを奮い立たせるものではなかった。
◇
ヒースクリフ・ブランシェットがヴァンパイアであることは城一番の特秘事項である。
ヒースクリフがどうしてヴァンパイアになってしまったかはオレも知らない。誰かに襲われたのか、自ら命を絶ったのか……、猫に死体を跨られるとなるって噂もある。とは言っても、目は赤く変色していないので、まだ完全体ではないのかもしれない。なんにせよ、楽しい話ではないだろう。
同じ年頃のヴァンパイアだからと、この城に連れてこられてから数十年。出会った当時から、お互いに見た目は全く変わらない。頑なに血を摂らず、代替サプリで過ごすヒースクリフの髪や肌はいつもかさついていた。
「ヒース、いつまでそうやってるつもりだ! こんなのただの食事だろ」
「人の血を飲むなんて……っ、そんな化物みたいなことできないよ! 父様も母様も、領のみんなも食物じゃない! 大事な家族だ……!」
「……。ヒースクリフ、最近鏡を見たか? 酷い顔してる」
「鏡なんて怖くて見れないよ。ははっ、俺たち今何歳だっけ?」
はあ、とヒースクリフに聞こえるようにため息を吐き、引き出しからナイフを取り出し、深く自身の手首を切り開いた。
「飲め」
ヒースクリフの体を引き倒し、真っ赤に染まった手首を口に押し付ける。
それでもなお、暴れて抵抗するので、血色の悪い顔の上にぼとぼと赤が散った。
しばらく押し問答が続いたが、滴る赤がヒースクリフの青白い唇をじわと色付けた途端、ぴたりと動きが止まった。
「……」
「ヒース?」
先程までの焦りが色濃く出た様子とは打って変わり、どこか虚ろな目をしたヒースクリフはひどく妖艶だった。
血濡れの手を優しく掬い上げる光景に見蕩れる。無駄のない動作で傷口を撫で、そのままゆっくり押し倒し返すと右肩をペロリとひと舐めしてから、ひどく恭しい所作でオレを食んだ。
「ゔゔ……、」
シノ、と呼ばれた気がした。
右肩にかぶりついて、上手く動脈に牙を差し込んだヒースクリフはこれからオレの全身を巡ろうとしていた鮮血を絶え間なく吸い奪っている。
どこか横暴で支配的な吸血と相反して、慈しむように、または宥めるように骨ばった肩をチロチロと舐められる。
これまで大切に集めてきた喜びが身の内で膨れ上がるように息巻き、おえ、とむせ返った。
じゅるじゅる、と吸い上げられるリズムで右肩がじくじく、と熱を持つ。
「ああ……オレの心臓はここにあったのか」
オレはこの為に生まれてきたのだと今、確信した。
目を伏せると目映い金色がチカチカと瞬いた。
このまま全てを啜り尽くしてくれたらいいのに。
薄れゆく意識の中で美しい光溜りから大きな滴が垂れるのを見た。とても綺麗な青だった。