軍師映画感想軍師感想
冒頭に追記足していく
1/3
しんべヱのパパが練り物送ってくるのはドクタケが練り物買わなくなった(天鬼が練り物禁止令を出した?)から大口顧客がいきなり飛んでダブついたっていう考察ツイート回ってて、な…なるほど〜!!てなったんだけど
それだと天鬼が居なくなったドクタケ城下で炊事のおばちゃんが練るとこからかまぼこ作ってるのも仕入れをしてないんだっていうのが伝わってくるしやっと練り物食べられる〜て感じで納得なんだよね、映像の整合性が高すぎる…
練り物イヤ!してたり天鬼はドクタケ内で結構やりたいようにやってたんだろうか?少なくとも胃痛は乱きりしんに会うまでは無さそうだったね
一年は組の担任中は慢性胃痛に悩まされてるので、「若い人の段」で5年前に忍術学園へ教師として来たことが描かれてたから一年は組が初担任なんじゃないかな〜と思った。素性の知れない男ではあった訳で、人となりや知識腕前、信頼に足る人物かを数年かけて評価されてたんだろうと思うし
推測だけど桜木先輩方が六年生の一つ上(豪華版パンフレット小説より)だから、山田先生が桜木先輩達の担任をしていて先輩方の卒業と共に新たに一年は組の担任を任されるに際して土井先生と担任を組んだんじゃないかな〜
山田先生が連れて来たから、何かあった場合は山田先生が責任を取ることになっているんじゃないかと…子どもたちに何かあった場合・あるいは土井先生の謀反の場合は山田先生が全て責任を取った上で腹を召すとかだったら…どうすれば〜!?てなっちゃうね。忍者が切腹が責任として成り立つのか知りませんけど
初めて受け持った担任だからこそ、この子たちに何かあったらいけないと思えばこそ土井先生は日々胃痛に悩んでるのかと思うと愛しみが増してしまう…
ドクタケ忍者には「私はお前の先生ではないよ」してたり、は組のよい子たちを大切に思えばこそ日々せっせと色んな忍術を教えてるんだろうけど教えたはずだ〜!!になるのはまあ胃が痛いでしょうね。
というか、一を見て十を知る人であることは↑のシーンでもわかるので本人の理解力や分析力が高すぎる故に『一度書物を読んで教えも受けてるのになぜこの子たちはこんなに覚えられないのだろう?』という分からないものの気持ちが分からない部分も多分にありそう。全員出動の段でも乱きりしんに「宿題が出来ない子の気持ちがわかってない」と泣かれてたし。
生存者バイアスというか、類稀な頭脳があればこそ生き延びてきた過去があるからこそ、こんなにこの子たちは物覚えが悪くて(化物の術でドクタケの出城に潜入して実践で使える応用力のあるは組のよい子たちは決してそんなことはない)大丈夫なんだろうか…と思っていそう。傲慢でかわいいね。
山田先生がなぜ〈土井半助〉を助けたかを考えると、山田先生の奥さんも抜け忍だったりしません?という妄想も広がる〜凄腕のくのいちなのに氷ノ山の山奥でひっそり暮らしてるのも人目を避けてるのかなと…公式では語られてない分言ったもん勝ちのとこ
山田先生が過去の奥さんと同じ境遇の〈土井半助〉を助けることで過去の奥さんを救うみたいな面があっても美味しいよね。
映画の最後で天鬼から戻った土井先生が間違ったら正すところを見せなくては的な趣旨のことを言っていたの、論語の過ちては改むるに憚ること勿れを実践してるのかな〜と思いそういうところに造詣の深さを感じるし、貧民に食糧を配給するところ、これはスピ的な話題になるけど現在の自分の行いが過去の自分を助けるみたいな…
きり丸の過去の孤児時代のカットは映画で二回出て来たけど、ラスト二回目のカットで雪景色の中で遠くに勇気100%がかかるところは過去の〈土井半助〉を(きり丸と土井先生は同じような幼少期を過ごしており、過去のきり丸の姿は土井先生の過去の姿でもあるという見方)自力救済することによって幼少期の〈土井半助〉にも勇気100%の未来があるっていう示唆じゃないかと私は受け取りました。
この下特典第二弾バレ↓
天鬼ときり丸のイラスト、天鬼の表情のまま微笑んできり丸と一緒にいるの何事…!?てなったけどわらじを結び直したきり丸がは組には会わずドクタケに向かって天鬼の記憶が戻らないままドクタケで一緒に過ごしてるifってことでいいですかね???
きり丸は〈土井先生〉の好き嫌いを良く知ってるから記憶が無くても彼が望むような行動をわかってるし、天鬼も自分を唯一の家族だと言ってくる孤児を愛しく思ってしまうのは仕方ないですからね。
忍たまとはいえ抜け忍になったきり丸と記憶が無いとはいえ完全な抜け忍の天鬼がそれでも微笑みあってるの、あまりにも儚い幸せすぎない???闇のオタクになっちまうよ……そういうのが好きだから……
下から初見感想とか
泣いちゃった!!ヮ…ァ…
原作を発売当時に読んで情緒がおかしくなっていた過去があり、映画発表からこちら一年の5/6を(精神に対する過重負荷への)予期不安からくる体調精神不良で過ごしていたんですけど もう不安と期待を裏切らない・上回る出来で映画みてからほんとにずっと泣いてる妖怪夜泣き婆になっちゃった…。
冒頭から曼珠沙華・案山子による隠喩良すぎない????天才映画くん(天才テレビくん)??これは教育テレビのアニメの映画化ですよということをうますぎ描写で理解らせられる…それでも家は焼かれ、人々は殺され、子どもは手を赤に染めて震える…
ドブ掃除しに長屋へ帰らないと!といつものやりとり、愛しい日常、変わらぬ日々…愛…てなりながらも土井半助のデカケツアングルに視線が奪われて本当に申し訳ない、本当に申し訳が立たなかった。
果たし合いの土井先生が手練れ過ぎて尊奈門くんが手も足も出ないの、アニメでも見てきたけど映画爆裂クオリティで音もなく忍び寄り消えては攻撃してくるの怖すぎる。忍者じゃねーか!!(事実 現実 実在)入水のゆとりある綺麗なフォームまでマジでめちゃめちゃ興奮した。
鳥の巣を守って着地を見誤るあたりまで土井先生すぎて…油断大敵火がボーボーですよ。
雑渡さんの授業、殺気バチバチでは組がヘロヘロになってるの良さがすごいし安藤先生が怒りに来てるのさすが忍術学園の教師でよかった。「若い人の段」でも子供に殺気を出すんじゃない!してたけど学園の先生方もみんな殺気を完全にコントロールしてらっしゃるんですね??
いつものおとぼけ学園長先生でない大川平次渦正、食えない老練の忍者でうまみがすごい。あなたが火影か?
山田先生以外の先生方の出番はほとんど無かったけど山本シナ先生がサッと隠れたりコンニャロ…て顔したりしてるの良かったな。尊くんほんとに幼すぎる、赤ちゃん?まあ忍たまは忍者のたまごなので尊くんぐらいでやっと赤ちゃんなのかも…
タソガレドキ忍軍に居るから組頭付きでやってるけど先生も結構向いてるのかもしれない。子供に教えながら学ぶぐらいが似合ってるよ。嫌だろうけど。
聞き込みをしてる六年、良〜てなってたまでは良かったけど聞き耳頭巾が青ざめていってから練り物鍋のところでもう涙腺決壊しちゃってェ…そこからほぼずっとすすり泣きしてた 映画館に住んでる妖怪夜泣き婆?
悪夢を見てうなされる以外はほとんど感情を出さずに静かに無口になって殻に閉じこもってるきりちゃん辛すぎる 泣いたり怯えたりすることも出来ない、そんなことをしても居なくなった人が戻ることは無いと知っている子供の必死の防衛反応…土井先生はもう返ってこないかもしれないなんて思ってしまったら本当になってしまうかもしれない恐ろしさと戦っているから、心の中の荒波に反比例するように表情が抜け落ちてる。
天鬼になった土井半助と土井半助を失うかもしれない恐怖で心が凍るきり丸、二人とも同じ表情になってるのが皮肉だなあ…
土井半助と出会ったあとのきり丸はたとえ兵法に熟達してから記憶を失っても天鬼にはならないけど(もう忍術学園のみんなと出会った後だから)、土井半助は天鬼になっちゃうんだよね…記憶が抜け忍になる直前ぐらいなんだろうけど、本当に山田家に拾われなかったらああだっただろうというifを見せつけられるのやばすぎる。
きり丸の様子がおかしいのに真っ先に気がつく乱しん、心の友だね。きり丸が「は組の良い子たち」であることは土井先生のところで居候しているのと同じぐらい彼にとって意味のあることだと思い知らされる…
というか、誰にも喋っちゃダメと言われて我慢しててもは組のみんなが力になる!て言ったら喋っちゃうの、本当にみんなを信頼してるんだよね。しんべヱを筆頭に真っ当な家業のお宅の子が多い中で、戦災孤児で身一つで入学金と学費を払ってるきり丸が腐らずにあれだけ心を開いて一年は組をアイデンティティとしているの本当に愛しい。(きり丸のかくかくしかじか可愛くて嬉しすぎる)
インタビュー記事で田中さんが最初の頃の台本に「お前らには俺の気持ちなんかわかんないよ」みたいな台詞があったけどカットされた〜と仰っていて、
https://www.animatetimes.com/news/details.phpid=1734576624&utm_source=twitter&utm_medium=social
もしかしたら小説版の独りぼっちで土井先生を探していたきり丸はそう言ったかもしれない、だけど映画のきり丸には一年は組のみんなが居て、そんな言葉をもう言わなくてもいいんだと思ったらそれだけでもまた泣けて泣けて…。
映画で一はの活躍が大幅に追加されたの、本当に良改変だった〜!!
一はが活躍してこそこれぞ忍たま映画って感じだし、足を引っ張る役回りになりがちなしんべヱのファインプレーで天鬼のところまで辿りつけたのも、天鬼から土井先生の記憶を呼び起こすきっかけになったのが乱しんなのも最高だった…きり丸が独りじゃないんだよ、すごいことだ…。小説は小説でエモ爆発で最高なんですけど最最最高の映画化すぎたな。
というか一は、土井先生を助けに行こう!はわかるけど出城のところとか六はに救出されても絶対に乱きりしんのところに行く!ってしてたり、たまたまが重なったりはしてるものの捨てがまりの覚悟がありすぎないか?覚悟完了しすぎた目をしててちょっともう怖いくらいだったよ。薩摩武士だって10歳で捨てがまる覚悟は無いだろうし武士じゃなくて忍者のたまごだっつーの。三十年も忍たまをやってるとこんなに腹を括るものか…
忍たまたち、六年生もうまみがありすぎてやばすぎる。
聞き込みのあたりからそれぞれの個性が出てるのがいいし(伊作がばあちゃんに按摩してるの可愛すぎる)、もしかして土井先生はもう…最悪の場合を考えて…て時に言ってる自分が一番狼狽えてる文次郎・冷たい言葉で補足する仙蔵のい組のいは意地悪のいで憎まれ役を買ってでる六いコンビ、意外なほどにブチギレ長次と意外なほどに冷静になる小平太の六ろコンビ、いつも通り血の気の多い留三郎といつもほどは止め役に回らないもののオロオロ伺う伊作の六はコンビで今回組別の良さをすごく感じてうまみがすごい。
天鬼が土井半助とわかったときの、戸惑いながらもなんだも〜!びっくりしたな〜!ととたんに安堵で気が緩んじゃうところまだ忍たまって感じであまりにも可愛かった…「若い人の段」で一年時の六年生がわちゃわちゃしてたけど、あれから六年間この子たちは〈土井先生〉と一緒にいて心から尊敬して信頼してるのが感じられてさあ…
でも天鬼は〈土井半助〉という人間のことを知らないから完全に他人なの辛いね…
一年は組が土井先生を信頼してるのはもちろんだけど、この子は担任じゃなくても六年間の積み重ねがあるんだなと感じた。あの仙蔵がすぐに口布とったのもいいし、まっさきに違和感から臨戦態勢に入るのが仙蔵なのもまたいい…。
天鬼vs六年生、戦闘経験値の差が圧倒的すぎるのを見せつけられてめちゃくちゃに興奮してしまった。伊作の不運が発動してる!!で結構笑っちゃったのはともかくみんな流血の負傷してるし髪は切れるし、文次郎なんかは竹で胸を突かれて死んでてもおかしくなかったくらい危うい戦闘だったの、映画とはいえここまでやるんだ…になった。きりちゃんが「生きてる…」てただそれだけでいっぱいになってたので目頭アツアツだったし長次がきりちゃんを抱きとめてたのも良かったな。
天鬼のことは誰にも言わないように…て説き伏せられてトボトボ去るきり丸を長次が心配そうに見送ってたり、長次からのきり丸への温かい眼差しに今回ほんとしみじみしちゃった。
18期「戦国南蛮コレクションの段」できり丸の学費免除のために奮闘してくれてたり、土井先生とは違って無口で朴訥としてるけど年上からのいたわりを与える者としての長次、今回の映画は土井先生ときり丸の絆がメインにあるけど、二者関係だけじゃない、一年は組、図書委員会のつながりがきり丸にはあるんだって感じられて良かったな。
仙蔵が顔に物を言わせてお嬢さんに聞き込みしてたときにポッ…てされてたのスゲーーーあがりました。自分の顔がいいことを完全に活かしている。
天鬼が顔に物を言わせておばちゃんたちにキャーキャーされてたのもスゲーーーーあがりました。なんでそんなにサービス精神旺盛なの?映画だからか…thank you…
土井半助、普段は物腰穏やかで感情表現が豊かな好青年という印象の方が強いから、感情を失った平坦な表情の方が美形が強調されることを理解らせられるの嬉しすぎる。
というか、忍者学園が悪だと信じこまされてるから敵対的な態度を見せてるけど、味方であると信じこんでいるドクタケのおばちゃんたちには生来の気質できっと物腰穏やかに接してるだろうからモテるのはそれはそうなんだな。
戦を前に気が立ってる男どもに迷惑をかけられてたおばちゃんたちを助けてモテモテしていたかもしれない。ドクタケ城内の天鬼エピソードもっとなんか吸う機会ありませんかね?
文次郎が現地調達の枝で袋槍を急造してるとこうわーーーー!!!!ゼロイチニーゼロ・ニンジャニンジャ!!!てなってめちゃくちゃテンションあがった。これを映像で見られるの映画の醍醐味すぎる。
今回伊作の見どころ多かったのも嬉しい、先生方に善法寺からも…(保健委員として六年生を諌めてくれ)て言われてかすり傷です!一晩寝たらいけます!!て前のめりだったとこ、普段はみんなを止める側の伊作が絶対に土井先生を助ける!てなってるの本当にいいシーンだった。
今回、雑渡さんが天鬼を始末しようとしたり利吉さんたちがボコされたりかなりスレスレのところがあったけどそれでも伊作のおかげでタソガレドキと敵対しないで済んでるの、功労者すぎますね????
六はコンビの息ぴったり感もすごく良かった、文次郎vs留三郎は犬猿の仲だけど六ははお互いに労りあってて〜の組み合わせごとのうまみがすごい。
留三郎のドクタケ軍のフリしてるとこも珍しい感じで良かった…
小平太が冷静に分析してるとことか普段のいけドンムーブじゃないところ良さ…良さ…いい…になったし、それぞれのいつもの良さ・普段どおりじゃない良さがたくさんあったな。
五年生も、六年生が武闘派ギンギン前線忍者してるのに対して諜報・偵察・策を講じて情報を奪うスタンダード忍者活動してて対比が良かった!
最後に天鬼のままのフリした土井先生の解散!宣言のとき横に居た八方斎、感想見て回ってて知ったけど鉢屋だったんだね!?次見る時はもっとちゃんと見ておきたい。さすがの鉢屋。
利吉さんとオリジナル卒業生のとこも最初何何?になったけど、なにわ男子さんがゲスト出演て聞いてたからあーアニオリゲストはい…てなってたとこを本当にキャラにあった演技で全然違和感なく見られたから偏見もって挑んでどうもすいませんだったな。
アニオリゲストを映画だから入れますっていうのは良くあるけど、利吉さんと組んで〜ってとこがいい演出だなーだった。いつもは強いプロ忍としての利吉さんが、今回は卒業したての子たちと雑渡さんに叶わない…てとこで実力の差を見せつけられてたのもうまみでした。
今回は「お兄ちゃん」が全てだからね!!!!嘘雑渡さんの毒手裏剣止めたとこも最高!!!!あんなの来年のスパコミ利土井が覇権とっちゃう!!!!!エ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!!!くやしいけど理解らせられちゃう〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!
永遠にきり土井が魂の核〈コア〉であることに代わりは無いけど、今回は利土井、わかるよ。お兄ちゃんはズルだよ。
でもさ…「土井先生、一緒に帰ろう」だからさ。
戦で全てを失った子どもとかつての子どもが、時間を超えて出会った物語だからさ。これは。
一貫して「土井半助になる前の少年」の姿は描かれ無かったけど、忍術学園に入る前の、寺の濡れ縁の下で筵を被って座りこんだ小さなきり丸の姿は、戦で全てを焼かれた少年の姿の隠喩でもあったと思うんだよね。あれだけ何回も繰り返し描写されてたし。
関さんのインタビューで、
「きり丸は土井先生にとって弟であり、変かもしれませんが息子であり、もしかしたら自分自身でもある。」
という一節があって
https://www.animatetimes.com/news/details.phpid=1734574223&utm_source=twitter&utm_medium=social
そこを映画の前に読んでたから「あれはきり丸の過去であり、土井半助になる少年の過去である」っていう解釈ですとんと納得できたんだよね。
私は前々から土井先生はきり丸に教えることで自分を育て直しているという解釈の強硬派だったんだけど、
土井半助はきり丸を迎え入れることで過去の自分自身にも助力をし、〈忍術学園に入学して良い仲間たちや先生たちと共に忍術を学ぶ自分〉を追体験し、その全ての記憶を失っても、助けたその子に失った〈土井半助〉を再び与えてもらったんですよね。
山田先生にもらった名前を再びきり丸にもらって、天鬼から土井半助に生まれ直したんだ〜てなって爆爆爆泣きしました。
豪華版パンフレットのネタバレになってしまうけど、キャラデザ新山さんのコメントで幼いきり丸の回想シーンの監督オーダー「このきり丸は5歳くらい、半分あの世に行ってしまっているような表情をしている」の文言で夜中に声出して爆泣きしてしまったんだけど、土井半助になる少年もまたそうだったんだ…と頭痛がするほど泣いてた…
なんか…全て救われて良かったな。あの表情からの雪景色に重なって勇気100%が聞こえるのも爆裂泣けた。エンディングもいい曲〜!!
クライマックスは大盛り上がりではなく淡々としている方だったけど、ずっと見せることのなかったきり丸の涙、土井半助の涙、乱太郎たちみんなの涙で溺れて窒息死するかと思ったね。
戦のために集めた物資は分配!のラストで、自分自身のあやまちから生まれたもので人々とともに過去の自分自身や過去のきり丸もまた救っているっていうのすごく良かった…本当にいい演出…。
今回ワルワルのドクタケだったけど、ドクタケミュージカルも良かったし、ふぶ鬼の父ちゃん!!!!てあそこもめちゃ泣けたね…。
風鬼ではなく「ふぶ鬼の父ちゃん」として乱太郎たちが本当に斬られてしまうんではないかと心配してたし、泣いてたし、ほっとしてたし、息子の友達を心から案じてて泣けた…もしも天鬼が乱きりしんを斬り捨てた世界線があって天鬼が誰より優れた軍師であっても、風鬼は天鬼を信頼しなかっただろうな…
山田先生が〈土井先生〉に対して深い信頼を寄せていることも、〈土井半助〉を心配していることも、全て見守りながら受け入れていることもあまりにも父・山田伝蔵で良過ぎた…
今回の映画本当に、父性であったり先輩から後輩への見守り・いたわりであったりと、男性同士のいたわりの愛が色んな形で描かれていて本当に良かった。
冒頭の曼珠沙華・案山子から始まってタソガレドキ授業のハイパーアングルとか戦闘シーンのハイクオリティアクション、ギャグとシリアス、悲しみと喜び、プロ忍者と忍たまの力量差、人と人の繋がりや営み、時代背景の描写の細かさとかとにかく本当に見どころが多すぎて一回じゃ見切れなさすぎる…円盤はもちろん買うけど何回見に行けば満足できるかわからないな…
本当に素晴らしい映画でした!!本当に映画見てからずっと泣きすぎて頭痛がしています!!
ありがとう 心から…
12/26追記
2回目見てきて、初回見たときから色々妄想してたりしたんだけど闇の利土井が脳内で捗ってしまい…。
原作小説だと乱きりしん三人の命が危ない!がメインで、映画は山田先生もそうだけど雑渡さんの毒手裏剣がほぼ投げられる寸前だったから天鬼の命もかなり危なかったな…というのにしみじみしていた。
八方斎の目論み通り天鬼が乱きりしんを斬り捨てていた場合天鬼も非常に危険だった訳で、でも映画の利吉さんはそれこそ命懸けで土井半助の命を救うために動いたんだろうなと思うと情緒が乱れる……
つどい設定で土井先生の父上が亡くなる前に「誰も恨むな」と遺言を遺したっていうのがあるけど、ifできり丸が天鬼に斬り捨てられたとしてもきり丸は土井先生を恨むことはしないと思うんだよね。本人の意思ではないし…
なので「土井先生のことを恨んだりしないよ、生きて合(『土井先生』がやったことではないので)」みたいな言葉を残されたら『天鬼』として恨むことも大切な子に恨まれることも出来ず死ぬことも出来ずに鬼として生きていかなきゃいけないの地獄が過ぎるな…になり…
記憶の戻った天鬼が、利吉さんが雑渡さんの攻撃から守ったことを知った場合「どうしてあの時死なせてくれなかったのか」となじられるルート、あります。
このルートの天鬼、「私やきり丸のような子どもがこれ以上増えない世の中にすることが私の願いだった。だがそれももはや過去の話。この世を修羅の巷とし、きり丸よりも哀れな亡者ばかりにすればあの子は『可哀想』ではなくなるだろう?」みたいなこと言うプレステ時代のラスボスみたいな天鬼の見たさもあってェ…この場合、死こそ救済なので利土井地獄落ちなのですが…
私は光のオタクだから書かないしそもそもきり土井だから書かないけど、闇のもう一人のボクが語りかけてくるから映画本当に凄かったなあ。