幻覚の恋人 7月下旬。むし暑い都会から運ばれたのは、俺でも聞いたことのある有名な避暑地だった。
車はやや渋滞しながら坂を上へ上へ。渋滞もあまり苦じゃない。左右を森に囲まれた木漏れ日の中、深緑のカーテンを眺める。BGMは知らないクラシックだけど落ち着いて好ましい。
渋滞していた大通りから一本曲がる。私有地の看板が見えた。ぽつりぽつり別荘がある。車はさらに真っ直ぐ進む。しばらく別荘が途切れて森が続いたあと、行き止まりに目的地があった。
「これなら一人で帰れますね」
「帰りたいのなら送っていく……」
牽制のつもりで冗談めかして言ったのに、誠実さの塊みたいな顔をする。悪い冗談みたいなことをしているのはそっちだってのに。
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