『題名未定』一、常と異なりたるもの
人身を模して形作られる付喪神たる刀剣男士は、通常は男性体のみの発現となる。しかし稀に第二性を持つ男士が顕現し、その扱いは政府による慎重な監督・指示のもとに各本丸に委ねられる。というのも、第二性の男士には生殖機能は備わってはいないが、第二性の人間と同じく発情期が存在し、また固定の番を得られなければ不安定な存在となり、戦闘活動に支障をきたす。その為、己の半身たる番を得るか、もしくは本刀の希望により刀壊もしくは習合等の措置が取られることとなる。
”村雲江”はこの本丸の打刀である村雲よりも、ずっと幼く華奢な肢体を持つ第二性雌個体の男士であった。顕現されたときは今より小さく、短刀のような見目であり力もたいそう弱かった。これまで起きなかった異常顕現であったため、蕃神者は原因の究明を政府に求めたが、刀種に満たない姿で顕現される男士の前例はこれまでにもあり、大抵は時が経てば本来の刀種に成長するという。
幸いにも、この本丸には先んじて打刀として顕現していた五月雨と村雲が番となっており、小さな村雲江を養育することとなった。
「やだ。行くんなら雲ひとりで行ってきて」
現在、村雲江は短刀から脇差の中間ほどの体格にまで育ってきている。見目よりも中身が幼いのは、この本丸で長らく末っ子として甘やかされてきたせいだ。今は打刀の村雲に手を引かれて、廊下でむくれている。今より小さい見目の頃は村雲を兄と慕ってよく懐いていたが、ここ最近は反抗期なのか呼び捨てをしている。対して村雲は小さな村雲江のことを「ちび」だの「ちぃ雲」だのと呼び、ますますむくれる彼をからかうのが常であった。
「なぁに。ちびの“雨さん”に会いにいくのに、嬉しくないの?」
「あのひとじゃなくて、五月雨兄さまが俺の“雨さん”だったらよかったのに」
「何言ってるの」
行くよ、ともう一度手をひかれ、渋々といった様子で小さな村雲江は歩き出した。
この本丸には五か月ほど前に新たな五月雨江が顕現していた。彼もまた第二性男士で雄個体、大きさは脇差程であったが、言葉を話すことができなかった。知性も膂力も通常体とほぼ変わりはないが、当初、意思の疎通が難しいとされた。異常顕現として処分も検討されたが、先に小さな体で顕現していた村雲江が成長を見せていたことを踏まえ、処分は保留された。顕現当初は、犬のような習性を見せていた彼は今やすっかり落ち着き、脇差の体躯ながらも戦闘への参加も可能となっている。情緒の面でも五月雨江という刀にふさわしく育ち、書のほうもなかなか堪能といったところである。
短刀の大きさから小さな脇差位の体躯へと成長した小さな村雲江が雌個体であることから、彼等が成長したら番となればちょうど良い、などと蕃神者も周囲の刀達もこの二振を暖かく見守っていた。しかし、実際のところ、この二振の邂逅はお互いにとってあまり感動的なものではなく、―とくに小さな村雲江にとっては至極―悪印象であり、目下打刀の村雲は頭を悩ませていた。
二、彷徨のとき(村雲江)
にいさまの“あめさん”は意地悪だ。俺が小さい、短刀の姿だった時はよく抱っこをしれくれたのに、あの日から部屋で一緒に本すら読んでくれなくなった。
五月雨にいさまには番がいる。俺と同じ“村雲”の打刀。俺のほうが先に顕現していたら、俺と番になってくれたのか聞いてみたら、真顔で否定された。にいさまも雲も俺を子供扱いして。あまつさえ、“あの五月雨江”とつがえ、と言ってくる。
あの日、あの五月雨江も未成長の姿で顕現された。もう一振の“あめさん”の顕現が嬉しくて、鍛刀部屋に見に行ったら、痩せっぽちの五月雨江は爪と犬歯を伸ばして俺に飛び掛かってきたのだ。あの時は殺されるんじゃないかと思うほど怖かった。唸り声をあげながら俺に覆いかぶさってる姿を見て、雲は慌てて止めに入ってくれて。それからあの五月雨江とは誰かが同席のもとではないとあうことを禁じられたのだ。
俺は身体が小さくとも“村雲江”だから“五月雨江”と一緒にいたいと思うはずなのに。
あの人はいつも、会うたびに五月雨にいさまみたいに優しくて甘い言葉をかけてくれることなく、胸がざわつくような目でこちらをただ見てくるだけなのだ。
今だって、雲が無理に連れてくるから一緒に手習いをしに来ているけれど、気がつくとこちらをじっと見つめている。この目線は苦手だ。自分が自分でなくなるような感じがしてくる。この五月雨江は声を出さないだけで、中身はにいさまとほとんど変わらないと聞く。書も歌も、俺のほうが先に習っていたのに、俺より何でも上手にすらすらとこなす。力だって強い。話をしてみれば、何か印象が変わるのかもしれないけれど、言葉を話すことはできない。そして、どうにもこの目で見られると、首の後ろがちりちりとして、落ち着かなくなる。
小さく顕現したのだって、俺自身が決めたわけじゃなくて。今は背も伸びてきたし、力もついてきたから、出陣だってできる。脇差たちは俺と似たような大きさでもう一人立ちしているというのに、俺は今でも雲と一緒の部屋で眠るよういわれる。
あの日、あの五月雨江が来るまでは、五月雨にいさまも雲と一緒に俺と同じ部屋で寝てくれた。今よりもっと小さかった時は、何をするにも、それこそ寝るのも、遠乗りも内番もお風呂も一緒だったのに。俺の番が現れたのだから、もう同席はしないと。雲の優しい甘い匂いも好きだけれど、五月雨にいさまの深く、胸がしんとするような香りが大好きだった。
俺自身で選んだわけではないのに、何故、自分の半身を周囲に勝手に決められてしまうんだろう。雲はいつも「大人になればわかる」しか言わないし。どうせ番を持たなければいけないのなら、優しい五月雨にいさまがよかった。
懐かしい優しい、にいさまの香りを思い出していたら、隣の五月雨江が低く唸った。まるで余所見をするなと叱られてるみたいだった。
三、
第二性には様々な分類があるが、主だった特徴として雌個体が成熟すると発情期が訪れ、その気―香りであったり気配であったり―に触れることで雄個体も発情を誘発され交配に及ぶ。逆に、雄の発情の気に雌が誘発される事例や雄による強制的な愛咬によって発情を促す個体もあることが報告されている。番というものは当人の意思で決まるものではない。生れ落ちて、己の半身ともいうべき存在に出会った瞬間、判然とするものである。第二性の雌雄両体は、雄個体が雌個体の項を噛み、愛咬することによって番となり、その関係性は生涯に渡って続く。雌のうなじの咬痕は俗に、番の刻印もしくは符号とされ、番以外の雄との交配は雌の心理的負担が多いいため、近代以降は禁止されていた。
第二性顕現の男士においても、人と同様の経緯を辿ることが常とされている。通常は生殖可能な状態となると精通が起こり、発情期を迎える。発情期を迎えた雌個体の放つ気によって雄個体も発情し、番となる。まれに例外個体があり、それがこの本丸に顕現した二振目の五月雨江なのである。
四、彷徨のとき(五月雨江)
はじめて見た時、夢の内にいるかのような。桜の花弁が大量に自分に降ってきたのかと思った。記憶されている姿よりも、いっとう幼い瞳に吸い込まれそうで、遮二無二どうにもならない感覚に襲われ、気がついたらそのやわい肌を嚙み切ってしまうところだった。
あの時、丸い瞳を更に大きく見開いたまま、声もあげられなかった幼子は、今や成長し、落ち着かぬ様子で真横に在る。
無体を働く気をなかった、と思うけれども、物音に驚いて駆けつけた打刀の”村雲”に蹴り上げられて引き離された後、小さな獲物はそれ以来単独で此方に近づいてくることはなかった。
今日も村雲に伴われた小さな村雲江は、目があっても不貞腐れたように背け、居心地悪げにもじもじとしている。
自身は脇差くらいの大きさで顕現したが、どうしたことか言葉を発することができなかった。まるで本物の犬のように、唸ったり吠えたりするだけ。言われていることは理解できる。ただ、応えられない。最初は戸惑っていた周囲の刀たちだったが、異常顕現は起こり得る現象であること。そして私より以前に顕現した”村雲江”も短刀程の体躯で顕現していたが、徐々に成長を見せているとのこと。彼の成長から察するに、個体差はあるがいつかは私も本来の姿へと成長するだろう、と見込まれてこうしてこの本丸に在ることを許されている。
その意味においては、この小さな村雲江は命の恩人でもあるのだ。勿論、私自身が”五月雨江”であるため、近しい逸話を持つ彼に対して親近感を覚えるのは当然である。しかし、それだけではない、この血の滾るような何か。こちらを見ようともしない、桜色の刀に向かう感情のかたまりは、変わらず言葉を発せない私の口から唸り声をあげさせることしかできなかった。
どこもかしこも甘くて柔らかそうだった頬が最近ではすっきりと削げたようになり、頼りなげだった手足はしなやかに伸びていった。現在、大き目の短刀ほどの大きさにまで成長した村雲江は幼い時の無邪気さから脱却して、どこか不均衡なあやうさを感じさせる姿へと変貌している。濃い桃色だった瞳は少し色が薄くなって、鼻筋も通り、果実のような唇だけは幼い時のままで。遠くを見るような瞳がきらきらとして、一体何を思っているのか。
「…俺、帰るね。」
村雲江は、私の無遠慮な目線に耐え兼ねたのか、ぼそぼそと告げると、部屋から走り去ってしまった。
今日も怖がらせてしまったか。未練がましく、小さな背中が去った後を見つめていると、打刀の村雲が頭を撫でてくれた。小さな村雲江に似通った容姿と匂いに切なくってくぅん、と鳴いたら「こら」と笑ってくれる。いつか、あの小さな刀が”私の雲さん”になってくれる日が来るのだろうか。そうしたら、こんな風に微笑みかけてくれるのだろうか。
五、十五夜のおとない
村雲江の小さな手が隣で寝ている村雲の肩を揺さぶる。
「起きて、雲、起きて」
「…なぁに?ちび」
小声で囁くと、村雲は目を擦りながら起き上がった。
「誰か蔵の前にいる」
「うん…」
聞き耳をたててから、村雲はそっと隣で怯えた目をしている村雲江の肩を抱き寄せる。
「大丈夫。ここから出なければ」
「?」
「ここには入ってこれないからね」
俺もいるから大丈夫、と笑うと、村雲は小さな村雲江を膝の上に抱き上げてから頭を撫でてやる。自分のものよりやわくて細い桜色の髪を手櫛ですくと、くすぐったそうに目が細まる。だいぶ気がそれたようなので、そのまま一緒の布団で向かい合って休むことにした。
しばらくは落ち着かなげにしていた村雲江だったが、人肌に安心したのか、村雲の胸元に顔をうずめて眠ってしまった。普段は生意気盛りと言わんばかりに、自分に悪態をつくけれども、こうして眠ってしまえば、まだまだ子供であって、保護の対象なのだ。
月夜に伴侶を求めて佇む気配は、朝方まで残っていた。
本能とは酷なもので、五月雨江は月が明るい夜になると、眠ることもできずにふらふらと己の番を求めて彷徨っている。未だ童身の村雲江に無体を働かせまいと、打刀の五月雨は自身の雄の気を強く纏わせた番の村雲と村雲江とを土蔵に隠した。動物の縄張りと同様に、同位体の雄の場合、より練度が高い雄が優位に立つ。言葉の発せない五月雨江は、悲しげに喉を鳴らしながら、明け方まで侵入を許されない土蔵の前でしょんぼりと座っている。
打刀の村雲もそれを気の毒には思う。しかし、自身の腕の中で眠っている小さな村雲江は背丈こそ大きくなったものの、未だ精通も迎えていない。最近、ようやく五月雨江の発する気に誘因されているのか、落ち着かな気な様子を見せるようになった。それはまるで自分たちが発情を迎えた時のようだと思い、微笑む。打刀として通常通りに顕現した自分と五月雨は、共に本丸で暮らす内に恋に落ち、発情期を迎え番となった。しかし、当初はこの本丸では第二性男士の顕現は他になく、突然叩き込まれる本能の渦の中で、五月雨と二振で散々な目にあったのだ。昂る本能をどのように解消すればよいかわからず、互いの身体に爪で酷い裂傷を与えたり、唐突な性交で怪我をしたり。
小さな姿の時から世話をしている村雲江に関しては、過保護な気もしないでもないが、どうにか穏やかにその時を迎えて欲しいものだ、と村雲も五月雨も願っていた。
六、明月に惑ふ
はじめて顕現した日、五月雨江はまだ幼い姿の村雲江を見かけるやいなや、うなじに歯をたてかけていたと聞いた。五月雨江の顕現を聞き、喜んで鍛刀部屋へ走り出してしまった村雲江を追って打刀の村雲が到着した時、小さな体は引き倒され、後ろから唸り声をあげながら覆いかぶさられていた。とっさのことで、村雲は五月雨江の腹を蹴り上げて引きはがした。唸り声をあげながら腹を押さえて丸くなっている五月雨江をよそ目に、急いで小さい村雲江のうなじを確認したところ、幸い咬痕はなかったという。
通常であれば、第二性の雌個体の発情の気によって誘発されるべき雄個体の発情が、顕現時から発現されてしまった異常例ともいえる。恐らくは、この五月雨江もまた本来の刀種とは違う姿での顕現であり、その瞬間に雌個体である村雲江が飛び込んできたことも原因の一つであるとされた。
何にせよ、この本丸でこれまで番となった第二性男士たちのように、互いに成熟した状態での発情誘発ではなかった事から、蕃神者の指示で二振りはしばらく引き離された。
村雲江の幼い性が損なわれること、五月雨江が異常顕現刀であることを考慮し、調査期間は打刀の五月雨にその身柄が預けられることとなった。調査の結果、五月雨江には刀種に及ばない体躯と第二性だけではなく、言語分野においての異常が確認された。処分や刀解も検討されたが、発声不能というだけで、声帯に異常はないという。意思の疎通という課題点はその後、五月雨の教育もあって可能となった。
打刀の五月雨は、彼を保護した後に様々にその情緒の状態を確認し、危険はない旨を報告した。ただ、村雲にしたたかに腹を蹴り上げられながらも、小さな村雲江が村雲に抱き上げられて部屋から立ち去ろうとした時には、追いすがる様子を見せたらしい。情緒以前に本能が勝ることは、今後の二振りの関係性(五月雨の中では自身と村雲のように小さな村雲江をこの五月雨江に娶わせることを考えていた)上、慎重にならなければいけない旨を滔々と説教をした。本刀はいたく反省をしている様子ではあるが、言葉を話すことができない。充分に意図が伝わったのか、当初は随分と気をもんだものだが、以後、五月雨江は村雲江に単独で近づくことはなく、また、節度あるふるまいを見せている。
ただ、月が煌々と照りわたる夜は、寂しげに庭をあっちに行ったりこっちに行ったり。何かを探している素振りをしている様子である。彼からしてみれば、異常顕現の覚醒直後に自身のつがいを見つけたのだ。従来であれば、顕現してしばらく人の身に慣れた状態で迎える筈の第二性の覚醒を、強制的に迎えさせられたようなものである。さぞや戸惑い、理性と本能の間で混乱をしたことだろう、と覚醒時にその狂乱に振り回された自身とそのつがいとに思いをいたし、五月雨は気の毒に思っていた。
七、
月のない深夜。仮宿である蔵から自室に戻った村雲は、押し殺した泣き声に目を覚ました。隣の様子を伺うと、今夜も自分と共に眠っているはずの小さな村雲江がいない。
慌てて起き上がると、村雲江は布団の足元のほうに小さくなって泣いていた。
「…どうしたの。怖い夢でも見た?」
「…っれ、え…」
「うん?」
体躯こそ大きくなったものの、未だ幼い様子を見せる村雲江であったが、ここ最近はこんなに泣いたりぐずったりすることはなくなっていたのだ。不審に思い、村雲が床に起き直ると、ようやく村雲江はこちらを向いた。
「どこか痛いの?撫でてあげるから、こっちおいで」
「…お、おれ」
「うん」
「おれ、おれ、どっかおかしくなっちゃ…」
「村雲江?」
しゃくりあげながらも何かを伝えようとするも要領を得ない。首を傾げると村雲は立ち上がって村雲江の隣に座った。
「落ち着いて話して」
「…俺、夢をみてて」
「うん」
「内容は覚えてないんだけど、起きたら凄く、身体が熱くなってて、息が苦しくなって」
頭を撫でてやりながら先を促すと、つっかえつっかえながら、村雲江は話し出した。
「それで、目が覚めて怖くなったから、雲のこと起こそうと思ったんだけど…」
そこで一旦、息をつめ、俯いてしまう。村雲にはそろそろ見当がついていたため、ここは本刀に言わせるべきが自分から言うか少し逡巡していた。
「おもらし、してた」
うん、それは違うね。感覚的にわかるけど、等と心の内で呟きながら、羞恥だとか不安感だとかで震えている村雲江の肩をそっと抱いてやった。
「…えっとね。それはね」
とうとうこういう日が来たか、と感慨にふけりながら、怖がる子どもにその手ほどきをした。
翌朝から、顔を赤くした村雲江から恥ずかしまぎれに避けられ、村雲は苦笑するほかなかった。
八、含羞のあさ
「やだ。聞きたくない。」
「反抗期かな?」
「……」
自室に正座をさせられて、打刀の村雲が小さな村雲江に番に関する心得を説こうとしても、彼はきまり悪そうにおとなしくしていない。
「ほらあの、ね。順序とかね?色々知っておかないと」
「…別にあの人と俺、番じゃないもん」
「いやだから説明した通り、多分もうそろそろ」
「やだ」
恥ずかしまぎれだというのは重々承知しているが、ここは自然の摂理に任せるか、それともやはりある程度の知識は、等と村雲がうんうん唸っていると、すらりと障子があいた。
「…五月雨にいさま」
「雲さんを困らせてはいけませんよ。村雲江」
「だって、俺まだあのひとと番になるなんて決めてない。子供だもん」
「私たち付喪神は見目幼くとも子供ではありません」
「でも、夜だってまだ雲と一緒に寝てるしみんなも子供扱いしてる!」
「雲さんにも“にいさま”をつけなさい。昔はあんなに懐いていたのに…。雲にいさまとあなたは美しい姉妹のようで、それこそ季」
「雨さん、話それちゃうから」
打刀の村雲に軌道修正され、五月雨は小さな村雲江に向かって姿勢を改めた。
「これからあなたは五月雨江と同室となります。頭にも許可を頂きました」
「なんで?!」
五月雨は小首を傾げた。
「何故って…新枕の「待って雨さん、極論すぎる」
「ああ。ええ、そうでした」
こほん、と咳払いをすると五月雨は至極真面目な顔で言い放った。
「あなたも無事に精通を迎えましたので、次の満月に向けて交尾の準備をするのですよ」
無言で頭を抱える村雲と、顔を赤くした後に青くする小さな村雲江に向かって、五月雨は再び首を傾げた。
八、月みつる
その後、何とか折り合いをつけて、小さな村雲江は五月雨江が不在の時に限って、彼の居室を訪れることにしていた。保護者代わりの打刀曰く、番となる彼の「気」に慣れておいたほうがいいとのこと。番の気にあてられて酩酊状態で交わると、怪我を負うことも少なくない。親心というものだが、村雲江はその話題をふられると未だにきまり悪げに落ち着かない様子となる。打刀の村雲のとりなしもあって、今はまだ五月雨江と同室ではなく、“通い妻”最中である。
今日も長期の遠征中の五月雨江の部屋の襖をそっと開けて、中を覗きこむ。きちんと整頓された部屋には生活感はないが、薄っすらと五月雨江の香りのようなものを感じる。澄んだ水のような、凛とした香り。村雲江は鼻をすん、と鳴らした。
いつのまにか打刀の五月雨の懐かしい香りよりも、こちらの香りのほうが身に馴染むようになっていた。不在の際は自由に過ごして欲しいとの本刀からの希望があり、村雲江は明り取りの障子の近くに置いてある文机の前に座った。
あのひとの机。あのひとは大体、ここで静かに墨を擦って反故紙やら短冊に何事か書き付けている。五月雨にいさまも同じように書きものが好きだけど、あのひとは何か、こう、急かされるように筆を走らせている。きっと頭に浮かんだ言葉を忘れないうちに急いで書き留めたいんだ。俺もそうだから。
文机を撫で、横に目をやると硯箱がきちんと机と角を揃えて置いてある。好奇心に任せて蓋をそっと開けてみると、たくさんの五月雨江の文字がそこには溢れていた。流麗な文字で書かれたそれらを手にとる。あのひとは春が好きなのか、春の情景や花の歌や句ばかり。留守の時に書いたものを勝手に見るなんてあまり褒められたことではないのだけれど。あの五月雨江が何を見て、どう感じているのか。接するだけではわからない事を知れる気がして、小さな村雲江は胸をどきどきとさせた。俺はあのひとと番なんだから等とこんな時ばかりの言い訳を浮かべながら、文字を辿っていく。
以前はこちらを睨みつけるような強いまなざしでこちらを見ていた彼が、ここ最近、一緒に過ごすうちに柔らかくなってきた。五月雨江が綴る文字を村雲江がじっと見つめていると、そっと隠すような素振りを見せる。一体どんな歌や句を綴っているのか、村雲江の何も塗られていない爪がさらさらと硯箱をかき混ぜる。
打刀の五月雨の詠む歌は、おおどかで優しい、万物に対する愛情にあふれていて、それでいて飄々としている。こちらの五月雨江の歌は、直截的で情景描写にはっとさせられるようなものが多かった。きっと、まだこの世の全てが物珍しいのかもしれない。庭の草木はもう見尽くしただろうが、遠くの、遠乗りをしなければいけないあの山の端の薄や荒れ野の紫草などはまだ見ていないのだろうか。見たらきっと、あにひとは春以外も好きになる。夏の若葉のきらきらした青さ、秋の枯野の荒涼として胸にしみる寂しさ、冬の雪景色を部屋から眺めた時の妙にくすぐったい優越感。村雲江は、途端にわくわくとした気持ちになっていた。
今はまだ近寄りがたいけれど、もしかしたら一緒に季語を探しに行ってみたら、彼が何を好み、何に喜ぶのかもっとわかるかもしれない。同じものを見て、感じることでこの、彼に対してのほんの少し構えてしまう心がほどけるかもしれない。
思いつきが、何だかとても素晴らしいことのように思えて、村雲江は心が弾んでくるのを覚えた。例え言葉が喋れなくても、自分たちには犬の逸話がある。自分が彼のことをもっと知れば、犬の言語もきっとわかるようになるはずだ。彼と自分だけの秘密の会話。なかなかいいのでは?と口元をにんまりとさせる。五月雨江はあと数日帰らないと聞く。本当はこのはやる気持ちを共有したいけれど、まずは。
もっと彼の書いたものが見たい。硯箱の中の短冊や折紙をあれこれと選るうちに、一枚の薄様に気がついた。優しい淡い朱鷺色の美しい紙、震えるような筆先のその文字に目をとめると、村雲江は頬を上気させた。
それまでの季節や花などの情景・事物とは異なる、切ない感情に揺れる、恋歌がそこには在った。
哀切で一途なその歌が、心の奥底に沈んで、沁みて。
村雲江はその夜、発情期を迎えた。
九、はつこひ
はじめて迎えた発情期に耐えかねて、小さな村雲江は何度も不在の五月雨江の居室の前をうろうろとする。微かに残っている彼の匂い、気配に包まれたくて、でもどうしたらいいかわからなくて。居室の前でうずくまった。第二性の雌個体は“巣ごもり”をするという。番の匂いをかき集めて、その中でじっと待つものだそうだ。村雲江も何度か五月雨江の居室の前で障子を開けかけては、ためらっていた。
寂しい、つらい、しんどい。
身体の奥底が疼いて、精通を迎えたあとに教えてもらった自慰では発散できない何か。子を為すことはできないけれど、己の胎内の足りない部分を埋めて欲しい。下腹部をぎゅう、と押さえる。身体的な渇望よりも耐えがたい精神的な乖離。
思えば真の孤独なんて感じたことがなかった。
いつだって、この本丸の末っ子として皆に可愛がられていたし、五月雨も村雲も兄弟のように側にいてくれる。たったひとりで耐えなければいけないことなんてほとんどなかった。心の中にぽっかりと穴が空いたようで、胸が痛い。
あのひと、あの五月雨江はこんな寂しさをいつも抱えていたのだろうか。月夜の蔵の中で何度も聞いた足音と哀しげな吐息。自分はまだこれを知らなかったから、ただ怯えていたけれど、五月雨江はこれに耐えながら、じっと待っていたのか。
俺がおとなになる日を。
見目がいやなわけではない、もし仮にみんなが好きじゃないという容姿であったとしても俺は村雲江だから五月雨江のつくりそのものを好きになるはずだ。振り向くとずっと俺のことを見てくれている彼も、にいさまとそっくりだけど、ちょっとひょろひょろしている所も、書き物に夢中になると顎に手をあてて考える癖も。優しい言葉はかけてくれなくても、彼は、あのひとはいつも俺だけを見つめていた。このどうしようもない熱と寂しさを抱えながら。
膝を抱えながら考えていたら、涙がぽろぽろと零れてきた。発情期の時はこころが不安定になるという。これが、そうなのか。それとも。
「…はやく帰ってきて」
ごめんなさい。あなたはずっとひとりで寂しかったのに。
気付いてあげられなくてごめんなさい。
不安なのは自分だけではなく、異常顕現をした五月雨江だってきっとずっと不安だったはずだ。心の内にあんなに沢山の思いをあふれさせていたのに言葉が話せないなんて。誰かに不安を訴えることもできないで、じっと我慢をしていた自身の半身。
彼自身だって自分でも制御できない何かに狂わされて、あの不幸な邂逅は起きてしまったけれど、それは彼が自ら望んだことじゃなくて。
自分自身が小さく顕現したことや、番を決定づけられた事と同じ。同じ事で俺たち悩んでたし怖かったのに。
自分が“彼”にふさわしい番なのかどうか、村雲江ははじめての恋を涙で濡らした。
十、むすひの宵
長期の遠征から帰還した途端、いやに機嫌のよい蕃神者や他の刀たちにやたらと祝福の言葉をかけられたのはこれだったのか。
報告と湯浴みを済ませて自室に入った途端、部屋中に立ち込める好ましい、愛おしい香りに五月雨江は眩暈ににたものを感じた。薄暗い部屋の中には既に床が延べられ、その前に村雲江が夜着姿でちょこん、と座っていた。五月雨江が障子を開けた気配にはっとこちらを見上げたその顔は、今までに見たことがないような表情を浮かべていた。
「えっと、あの。俺も発情期がきたんだ」
薄っすらと頬を染めながら、“村雲江”は私に声をかけた。彼が誰かを介さずに言葉をかけてくれるなんて、初めてのことではないだろうか。その少し恥らいを含んだような物言いに、声に、どきどきとしながら、思わず彼を凝視していた。湯上りのためか、上気したような耳たぶに、耳飾りの穴があけられている。自分と彼が契ったその後に、互いに耳飾りをつけ合うよう、五月雨に言われていたのを思い出した。
これから、自分と、彼は。
ごくり、と喉が思ったより大きい音で鳴ってしまった。村雲江はそれに少し驚いたような顔をしたが、意を決したようにこちらに手を伸ばした。
「…よしよし。」
「くぅん…」
頭と、顎の下を撫でられた。犬扱いをされたことにちょっと落胆したら、鼻声が出てしまった。
改めて彼の前に座りなおすと、もじもじとしながら村雲江がまた口を開く。
「あのね、俺、ちゃんと調べたんだ」
何をですか?の意を込めてすんすん、と鼻を鳴らすと、村雲江は得意気に胸をはった。
「交尾の仕方」
「…わぅ…」
「あっ、でもね」
その言い方だとまるで、犬そのものでは…という私の心の声はしっかりと届いたようで、赤面した彼は顔の前でぱたぱたと手を振った。
「仕組みは犬のと一緒だけど、俺たち、人間の身体だから違いはちゃんと知ってるよ」
耳まで真っ赤に染めた彼のうなじからは、湯上りの石鹸の匂いだけではなく、私にだけ感じる芳香が立ち上りはじめた。あの日、自分が今より幼い彼に無体を仕掛けた時に感じた、あの狂おしい香り。早く、早くそこに噛みつきたい。この、疼く歯を柔らかなそこへ埋めて、私だけのものだという証を刻み込みたい。
気がつくと、口の中で疼いていた犬歯が少しく尖り、爪も微妙に根元からじわじわと変化を遂げていっていた。まるで、あの日、初めて“村雲江”を見た時のように、己の意思ではもうどうにもできない位の衝動だった。
「打刀同士で、更に体躯は少し雲さんのほうが大きい。それでも私達も最初の時はそれはそれは苦労したのですよ」と、五月雨にたしなめられていたのを思い出して、全身の力を込めて衝動をやり過ごそうとする。
脂汗までしたたりそうな程、奥歯を食い締めている私のほうに、村雲江は身体を乗り出した。
「どうしたの?」
心配そうにこちらの様子を伺ってくる、少し下がった目の際が少し潤んでいる。吐息がかかるほど、顔が近い。ああもう、このままでは以前のように。
近づかないで。
警戒させようと、喉の奥で唸ると、村雲江はふにゃり、と笑った。
「…大丈夫だよ」
ひたり、と頬に桜色の爪紅をした指先がふれる。私の鼓動は更に早くなる。村雲江の小さな両の手が私の頬を挟んだ。甘い色の瞳がうるうるとしている。
「にいさま達はね、はじめての時たいへんだったんだって」
内緒話をするように小さな声で話す唇が近い。
「俺、ちゃんとやり方とか教えてもらったから」
蕩けるような甘い匂いに包まれて、身体全体がぐんにゃりとしてしまいそうだ。
「だから、今日からはあなたが俺の“雨さん”になってね」
愛おしいつがいからの可愛らしい口づけに、頭が真っ白となり。
「…わん…」
「うん…。わんわん」
十一、
「ん…。お布団いこ」
唇が軽く触れあうだけの口づけを交わすと、村雲江は私に囁いた。既に延べられている臥床にころんと転がって仰向けになると、まるで子供が寝入る時のようなあどけなさでこちらをじっと見ている。何となく、気恥ずかしさや、彼をまた怖がらせてしまうのでは、という気持ちから躊躇してしまう。
「こっち来て」
甘い声でねだられて、恐る恐る覆いかぶさるように、顔の横に手をついた。どこもかしこも桜色の彼は、まるで作り物の人形のようにも見えるが、柔らかい掌が私の頬にそっと触れる。
ああ、彼は今、甘やかされたいし、甘やかしたいと思ってくれている。
今日まで言葉を交わすことはなかったが、私の目を悪戯っぽく見ているこの表情は、新しいことに興味を示して胸を躍らせているときのものだ。
怖がられていないことに安堵して、額に瞼に口づけを送ると、村雲江はくすぐったそうに肩をすくめた。柔らかな頬に唇を押し当てると、私の頬を両の掌でぐっと押す。ねだられるまま唇に接吻すると、途端にぱたぱたと動いていた足がおとなしくなった。
「ん、んっ」
触れるだけのものから唇をついばむようにすると、彼も私を真似て懸命に返してくれる。柔らかな唇同士が触れる、えもいわれぬ感触に互いに陶然となって、自然と抱擁も深くなる。自分より小さな身体に負担をかけないよう、加減をしていたつもりだったが、気付くと体重をかけるように抱きすくめていた。
「っんぁ」
ぷは、と口を離すと、興奮で上気した村雲江が涙目でまたこちらをじっと見つめている。次は何をどうするのか、視線で問われているかのようで、こちらの頬も赤くなってしまう。ゆるやかに結んでいる濃い桃色のしごきと顔を交互に見て、その先を想像しただけで、また喉が鳴った。
「いいよ、見て」
彼は今までほとんど会話らしい会話がなかった私の胸の内が何もかもわかっているようだった。打刀の村雲と同じく桜色の爪紅に彩られた指先がしごきにかかって、ゆっくりと解かれる。枕行灯の灯りにも照るような白い肌が覗いて、またごくり、と喉が鳴る。恐る恐る手を伸ばすと、瞼をそっと閉じて私に身を任せてくれた。
「くすぐったい。けど、ぜんぶ気持ちいい」
指先で、掌で、触れた。白い肌はどこもかしこも柔らかかった。大きな人形を愛でるように、くまなく全身を見て、触れて、到達した足の小指の爪は桜貝のようで、見入ってしまう。
「んぅっ」
思わずぱくり、と口に入れるとつるつるとした爪の表面、身体の中でも体温が低いのか、ひんやりとしてぎゅっと肉がつまったような感触。ねっとりと舌を絡ませる。作り物めいた美しさの造形なのに、じんわりと口内に感じる人肌の柔らかさ、ぬくみが心地良かった。小指、薬指、中指と順番にしゃぶると、雲さんは小さく声をあげながら身体をよじった。
「そ、そんなとこ舐めちゃ、や」
足の親指と人差指の間に舌を入れてひと舐めしてから親指を口にいれる。唇で扱くようにしたら、びくびくと足も震え出した。
足の指、くるぶし、ふくらはぎの筋を通って膝の裏も舐め上げて、青白い太ももの内側を唇だけで食む。雲さんの口から漏れるのは困ったような声から、吐息に変化して、下腹部をちらりと見やるとそこは反応を示していた。
「あっ」
彼は焦ったように急いで身体を起こすと、私の帯に手をかけた。
「?」
「えっと…脱いで!」
ごそごそと前結びのしごきをほどくと、私の下肢を覗き込んで明らかにほっとした顔をした。
「よ、良かったぁ」
一体何をしたかったのか、不思議で喉をくるる、と鳴らすと、彼はそこを覗きこんだまま呟いた。
「犬のと同じだったらどうしようって思って」
「…ぅ」
「あの、ほらっ!にいさまが交尾の画像見せてくれたんだけど、なんか結構エグくって…」
性教育に動物の画像は使わないで頂きたい。
絶句していると、彼は何を思ったのか、私の足の間に座りなおして、そこをするりと撫でた。
「あなたの、俺のと同じだから気持ちいいとことかわかるよ。多分」
さわってあげるね、と小さな両の掌に包み込まれる。きゅっと握りこみながら裏の筋を強めに扱かれて、腰がびくびくと跳ねてしまう。はっはっ、と息を乱しはじめる私を見て、村雲江は嬉しそうに笑った。
「えへへ。俺もここ好き」
幼げな容姿の彼に、手で自身のものを擦られる光景に眩暈がしそうな程、興奮した。
「ね、ぎゅってして」
もうあと少し掌を往復されていたら危ないところだったが、村雲江は私の首筋に抱き着くと、可愛い我儘を口にした。素肌同士で身体を触れ合わせるのは心地良くて、互いに溜息がもれる。
「俺で興奮してるの?嬉しい…」
密着させた身体のせいで、お互いの下肢が反応してこすれ合う。村雲江はうっとりと呟くと、腰を小さくゆすりだした。互いの性器がこすれ合って、気持ちがよくて仕方がない。疑似的な性交を行うように、腰を振りたてると、先走りで触れあっている部分が濡れているのがわかった。
ますます濃くなってくる甘い匂いに頭がくらくらとして、吸い寄せられるように耳の後ろから首筋、うなじに向かって鼻をこすりつける。もう、早く、早くここを噛んで、このひとを私だけの雌にしたい。
「あ…っ、待って…」
ふーっふーっと獣じみた呼吸を繰り返す私に、村雲江は焦ったように声をあげた。
「あの、こっち…先にしたほうがいいって…」
離しがたい欲望を押さえて上体を起こすと、村雲江は枕に手を伸ばすとそれを抱きかかえた。
「滅茶苦茶恥ずかしいんだけど、ここ」
横になったまま、右手が伸びて、双丘のあわいに触れる。
「…っ」
桜色の指先がそこに沈んだ。びくり、と反応する身体を呆然と眺めていると、涙目の彼がこちらを見上げてくる。
そっと手を伸ばして触れると、そこは既に濡れていた。窪みのふちを撫でて、中指を押しこむと、小さな身体が跳ねる。痛みを感じていないか、心配で顔を覗き込むと、頬を染めてふぅふぅと息を吐いている。目の端から涙が滲んでいるのが可哀想で、舐めとると、ふちがきゅっと動いた。
「た、多分だいじょうぶ」
第一関節がようやく入った位だが、随分となかは狭い。ここに、本当に自分のものが入れられるだろうか。一瞬、悩んだ末、腰を掴んで持ち上げると、彼は焦ったようにこちらを振り返る。怖がらせないように下腹部を抱きしめて撫でると、村雲江は吐息をもらした。ここに、私を受け入れたいと思ってくれているのが信じられなくて。先ほど見つけた自分と対の位置にあるほくろのあたりを何度も撫でると、村雲江は安心したように強張らせていた肩の力を抜いてくれた。そのまま、腰をつかんで膝立ちをさせる。
「あ、あっ…」
身体をぴったりと沿わせて、うなじに口づける。背骨にそって唇を這わせると、白い背がくねくねと捩られる。そのまま双丘を割って後腔を広げると、泣きそうな声があがった。
「なに…?」
ゆっくりとふちにそって舌を一周させてから、唾液をまとわせて何度か舐めあげると、村雲江の太ももが震えだした。
「や…っ、や、そこ、恥ずかし…っ」
いやいやをするように身体をよじるのを抑えて、濡れてほどけたきたそこに舌を差し込む。彼の体内は熱くて、入口のところは狭いが、中ほどは柔らかい。舌をぬいて、中指で中を探ると、締め付けるように中がきゅ、と蠢いた。
「んっ、あ、」
一度、奥まで指を入れるとあとはゆるゆると潤んでいく。指はそのままに、背後から覆いかぶさるようにすると、村雲江はこちらを涙目で振り返った。肩に口づけて、うなじを舐めると熱い吐息が漏れる。
たまらず腰を掴み、両の手で押すようにすると段々と腰が上がってくる。本能によるものか、まるで発情期の猫が喘ぐように昂りに後腔を押し当てるような仕草をする。
「きゃぅっ」
眼前のうなじに歯をたてると、子犬の鳴き声のような悲鳴があがった。初めてなのだから優しくせねばと思いながらも、衝動が抑えきれずにじんわりと薄い皮膚に咬痕を刻む。それでも食いちぎらないように、甘く咬みついては舐め上げると、ぴくぴくと背中が動いた。
私を受け入れてくれる半身。何よりも愛おしいあなた。
私だけの“雲さん”
その先は一息に貫いた。雲さんは声もなく背を限界まで反らす。彼の胎内は、じっとりと濡れて奥へ奥へと引き込もうとする動きをみせた。先ほどの、指だけで痛がっていた様子と違ううねるような動きに、快感で背骨がぞくぞくと震える。
「あッ…!あ、あぁッ!」
中に押し込む度に苦しそうな声が漏れる。それでももう止めようがなく、何度か抜差を繰り返していると、一段と奥に入り込めるようになった。根元までみっしりとあたたかな肉に包まれて、快感に呻いていると、自身の身体にも徐々に変化が現れはじめた。限界まで埋め込んだと思ったそれの根元がじわじわと膨らみ、瘤状に隆起している。
「うっうそ…」
膨らみだした瘤状の部分に刺激されたのか、雲さんの中がひくひくと動く。中の感触に驚いて振り返った顔は若干青ざめていた。
「や…っ!こわ…い…」
今にも泣きだしそうな顔を見て、早まったかと思うも盛りのついた身体を止められず、そのまま腰を大きく揺さぶった。
「ぁっ…ッこわれ、ちゃうっ」
「ゔっぅ…ッ!」
愛おしいつがいのなかにゆっくり時間をかけて吐き出して。力なく伏せられた背が細かに震えていて、腰を動かすたびに押し殺したような泣き声が漏れる。
「あ…やだ…も、苦し…」
ひくつく内部の感触に意識を持っていかれそうになるのをぐっと堪えて、腰をつかんでいた手を離す。精が断続的に噴き出す度に、ぴくぴくと体内も背中も震えている。
覗きこむと、くったりと力なく敷布の頬をつけ、雲さんは大粒の涙を零して泣いていた。舌で涙をぬぐうと、怯えたように桜色の瞳がこちらを見る。もうこれ以上はしません、という意をこめてこめかみを鼻先でつつくとふるふると首がふられた。
「…だいじょうぶ」
うつ伏せの姿勢から力の入っていない腕で上体を支えながら、雲さんがこちらを振り向く。
「あんなにいっぱいでるなんて知らなかった」
やっぱり犬のおちんちんと一緒じゃん、と涙声で言われて、様々な感情と昂りそうな自身を必死で押さえつけた。
十一、後朝
すやすやと眠りながらもがっちりと自分を包囲している腕の感触に、村雲江は顔をげんなりとさせた。昨夜はそれはそれは大変な体の負担を強いられたのだ。睡眠くらい自由な体勢で取らせて欲しい。何とか右手を五月雨江と自分の密着している体の隙間から出すと、健やかな寝顔をつついた。
「起きて。手、はなして。」
額や鼻先、口元をつっつきまわすも、腕の力は弱まることなく心なしか寝顔も緩んできている。そんなに構われるのが嬉しいのかと呆れながら、じっくりと紫の睫毛を見つめてみた。
「…”あめさん”」
このひとが、俺の”雨さん”。
初対面の時から怖い思いばかりだったし、昨夜も怖いというか、捕食されてしまうのではないかと思うほど、全身を性急に暴かれた。それでも、自分が”彼”とつがいになったのは紛れようもない事実ではあった。
「”彼”はまだ春を得ていませんから。」
意思疎通のできない”彼”ではなく、優しくて包み込んでくれる大人の”五月雨”を求めると、困ったような顔で諭された。あなたという”春”を得れば、”彼”はあなたに相応しい”雨”になると。
自分がどんなに泣いて縋ろうとしても、笑顔で拒絶をされる。番は打刀である”村雲にいさま”だけだという。”村雲江”にはもう番がいるのだから、と抱き上げることすらしてくれなくなった。俺は”にいさま”に捨てられたようで寂しかったのだ。
そして、とうとう憧れていたにいさまではない”彼”と契ってしまった。
これまで”五月雨にいさま”から感じていた安心感や切ない気持ちとは別の、身体の奥深いところからひたひたと押し寄せる波のような、熱い焔のような、その感覚を思い出して、村雲江はぞくり、と背筋を震わせた。あれは”飢え”だ。一目見た瞬間、自分を求めて獣としの本能を剥き出しにした”彼”に対して抱いていたのは”飢え”だった。唸り声をあげながらも、強く歯を立てないように震えていた唇、身体の奥底に感じるみっしりとした肉の感触。その見た目は本物の犬ほど醜悪ではなかったが、猛々しく自分を求める雄にあてられたのか、どうしようもない程、あの瞬間は満たされた。
「やだなぁ…。」
俺、もうちょっとこういう事って抒情的でうっとりするようなものだと思ってた。
でも、どうしようもなく満たされた。あまり変わらない背丈や体格、顔の作りも打刀よりも少しだけ幼い。自分のひょろりとしたそれと似たりよったりな腕の、情熱的な力強さを思い起こして村雲江は頬を染めた。
「雨さん」
健やかな寝顔にもう一度呼びかけると村雲江は五月雨江の腕の中に潜り込んだ。
俺の雨さんは、にいさまみたいにうたを詠みかけてくれるのだろうか。後朝だというのに、うたのひとつでももらえなければその時は。
自分がうたを詠んでみようか。
気怠いような、むずむずするようなまどろみの中で、五月雨江のきっと浮かべるだろう表情を考えて、村雲江は小さく笑った。