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    aoitori5d

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    ローコラ

    正しさに意味はない 針は止まることなく動いている。過去を振り返ることなく、あるいは振り向くことさえ許されず、秒針はひたすら前に進む。人間の都合なんて知ったことじゃないとばかりに。誰もそれに抗うことなど許されないし、そもそも相手は姿も見えなきゃ本当にあるのかすらわからないときたもんだ。そんなものに人は振り回され、泣き、笑い、怒り……憎悪する。

    「この国が亡ぶことは決まっていたんだ。珀鉛が発見された瞬間から」
     焼け焦げた土を踏む。ジャリ、と軽い音と共に土塊は崩れ、風によって雑草がぽつぽつと生えた道を流れていく。草木も生えないと思うほど徹底的に焼き尽くされ破壊された街も、なんてことはない。誰かが住んでいた廃墟のなかに、毎朝汲んでいた井戸の脇に、学友と一緒に学んだ教会の瓦礫のなかに生い茂り、風に揺れている。初夏を前にしてカエルはゲコゲコと鳴いているし、それを狙って上空では鳥が旋回している。なにも変わらない。草木の白いことも、吹き渡る風の心地好いことも。雪のように白く、冬の朝のように美しい街は廃墟となり、ここに生きていてた人々の誰も、すでにこの世に存在しないことを除けば。
    「……それでも、方法はあった。採掘を止めるだとか、身体に蓄積されていくことが分かった段階で摘出方法を模索するべきだった。それを怠り……あまつさえ情報を封鎖し口封じを図った。滅びは運命づけられていたわけじゃない」
     ──神を気取った人間の仕業だ。そうだろう?

     焼け落ち、崩れた教会の瓦礫に腰かけた男は絞り出すような……憤りと息苦しさとを孕んだ声で吐き捨てた。……優しい人だ。かつてこの国を襲った戦火は、彼の二つの出自と色濃く関係している。彼自身がこの国の滅亡に関与せずとも、けして無関係を気取ってはいられないのだろう。気に病む必要もないのに。
    「ああ、そうだな。だが、そうはならなかった。つまりこれが運命だ」
     珀鉛採掘で賑わい、豊かになり、大勢の人々が住まい、生き、そして恐怖と絶望と怒りのなかで殺される。そう定められていた。父と母は撃ち殺され、妹はクロゼットの中で焼け死に、救いの手は差し伸べられるのだと“神”を信じていた女は涙の海で地面を掻きむしって死んだ。それが事実で、変えようのない現実だった。
    「生き延びたと、生き延びてしまったと気づいたときは恨んだよ。憎みもした。あんただってそれはよく知っているだろう」
    「……ああ」
     起きてしまった現実は変えようがない。自分の死の定めも変わらない。よくて三年。それが過ぎれば白が全身を覆いつくし死ぬ。無慈悲に、無感情にただ回り続ける輪を誰も止めることはできず、それに抗うことを決めた己は悪に手を染めることを厭わなかった。それがどうしたことか、生きて再び故郷の地に立っている。
    「この国が亡びることは決まっていた……いまでも時々思うことがある。おれが生き延び、あんたに救われ、そしていまここに立っていること……これもすでに定まっていた運命なのかと」
     猛禽の視線に気づいたのか、カエルはどこかに消えていた。瓦礫の上で男はカチカチとライターを無意味に鳴らし、口に咥えた煙草に火を灯そうと躍起になっている。
    「貸せ。いま着てるのが最後の一枚だって、燃やすなってペンギンにきつく言われてただろ」
     銀のジッポをするりと男の大きくて分厚い手から取りあげ、親指の腹でフリントウィールを回転させれば、すぐにシュッという音と共に青白い炎が上がる。自分にしてみれば使い慣れた万年筆の蓋を外すように簡単なことを、この人は三回に一回は悲惨な事故に変える。燃え上がる炎、火事だと叫ぶベポ、消火用のバケツを振り投げるシャチ、ずぶ濡れの彼。そして「ワリーワリー! やっちまった!」と笑いながら足を一歩踏み出す男と止めるクルー。結末は? 盛大に足を滑らせ周囲のものをなぎ倒しながらすっ転び、おれの足元に滑り落ちてくる。罪を宿した石榴がおれを見上げ、決まりがつかないように唇を尖らせ誤魔化すように笑う。それにおれは肩をすくめてみせるのだ。クルーの手前、表立って甘やかすこともできないし(誰も気にしてませんよ、と長年連れ添った男は言うけれど)、かといって叱りつけて治るもんでもない。そんな簡単なものだったらとっくの昔にあのファンキーアフロジジイがこの人の危なっかしいドジなんて矯正しているだろう。
    「……おまえに火を貰う日がくるとはな」
     火の点いた煙草を吸い込み、じりじりと灰に変える。ふうっと吐きだされた白煙は空に立ち上り、やがて青に溶けて消えていく。
    「いつ辞めてくれたっていいんだぜ。あんたの肺、見せてやろうか。真っ黒だぜ」
    「いいよ、身体に悪いことなんて知ってて吸ってんだ」
    「知ってるんならなおさら辞めてほしいんだがな」
     煙草なんて一時の快楽と引き換えに健やかな臓器を永遠に失う、益のない取引だ。医者は患者にそう言って聞かすが、果たしてどれほどの患者がしおらしくその言葉を聞き、そして聞き入れるだろう? この人もそうだ。わかってるよ、と口では言うものの、その手の中の筒を手放そうとしない。もう何十回繰り返したかわからない問答を諦め、彼の視線をなぞるように地面に向ける。焼け焦げた土の上を、蟻が一列になって歩いていた。一心不乱に、ただ前だけを見て歩く。その先に天を衝く大男が待ち構えていることも、灰の雨が降り注ぐことも知らず。だが彼らがそれを知って後退することはないだろうし、道を変えることもない。彼らの観測範囲におれたちの姿は見えず、待ち受ける艱難辛苦が避けられ得るものだとも知らない。
    「運命とは残酷なものだ……ってのァ、手垢のついた言葉だが」
     先頭をいく蟻が彼の革靴の先に行きついた。途端にさっきまでの整然とした列を乱し始める蟻たちに、おっと、と申し訳なさそうな声と共に彼は足を上げた。自分の体躯と勢いを想定しない動きに、次の瞬間にはひっくり返るだろうことを予期して背を支える。案の定頭から転げ落ちかけた彼が、「悪ィ! 助かったぜ、ロー!」と逆さまになりかけながらピースサインを向ける。
    「いいから自分で座ってくれ」
     重たいんだよ、あんた。そう言いながら背を押し元に戻すと、短くなった煙草を指の股から取り上げる。彼はそれに気づいた様子もなく、散り散りになっていた蟻たちが再び集結し歩み始めるのを眺めている。
    「変えられるものでもある。問いかけ続けている。変えるべきものはなにか? 払うべき犠牲はなにか。手にした燭光はか細く、頼りないものだとしても」
     ──夢をみることを諦めるな。明日の朝陽の美しいことを、夜の帳に浮かぶ星々の美しいことを、地を海を吹き渡る風の心地好いことを、花々の咲き誇る蜜の甘いことを。
    「おまえは変えたんだ。自分の力で、自分の死の運命を変えた。それが誇らしい」
     人には人の誇りがある。夢のない安寧などありえない。
    「……いいや。おれが何かをしたというのなら、それはあんただ」
     コラさん。おれはあんたがくれた命と心で生きている。そう言えば、彼はキュッと眉根を寄せて頬を掻いた。この問答の結末は知っている。いいか、まず彼は瞼を伏せ口を開く。
    「いいか、ロー。何度も言ってるが、おれは何もしてない。ただあの時できることをしただけで……」
     ──ほら。何度も聞いた台詞だ。そしてそれに返すおれの言葉も変わることはない。
    「そう思ってんならそれでいいさ。だから聞いてくれ」
     ぐい、と喉に手をやり手前に引く。浮き出る喉仏がぐぐ、と動き、その動きがひどく艶めかしく見えた。ぐえ、と苦しげな悲鳴をあげる男を見下ろす。間抜けに見開かれた赤にフッと笑みが漏れると、不服そうに眉が顰められる。ばらけた柔らかな金の前髪をあやすように梳きながら、耳元に唇を寄せる。
    「零れた水は戻らない。折れた枝は大樹に戻れない。あんたと出会う前のおれに戻ることはなく、この国が亡ぶことも止めることはできない。おれの命はコラさんと共にあり、死ぬ時も一緒だ……今度こそ」
     それでいいだろ? 首から手を放し、鬼哭を抱えて廃墟に背を向ける。吹き渡る風の向こうから騒がしい連中の自分たちを探す声が流れてきていた。
    「……ああ。今度こそ、な」
    「フフ。もう嘘はなしだぜ」
    「わかってるって」
     降参とばかりに立ち上がりガシガシと頭を乱暴に掻き撫ぜる人と並んで歩きだす。数歩進んだところで、靴の先に何かがカチャリと当たって音を立てた。
    「…… ……」
     煤けた金のロザリオ。誰か、ここへ逃げ込んだ信者のものだろう。持ち主はきっと、殺され、郊外に掘られた穴に投げ込まれ燃やし尽くされた。神は彼に、あるいは彼女に救いの手を差し伸べなかった。おれは生き残り、誰もいなくなった故郷に立つ。世界はそうやって進んでいく。針を戻すことはできず、誰もが往く先のわからない海原を航海し続けている。その道を誰と歩むのか。ひとりでもいいし、連れ合いがいたっていい。
    「ロー?」
    「……なんでもないよ、コラさん」
     ロザリオをそのままに、再び歩き出す。
     
     この心臓は、心は、ともに道行くひととある。
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