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    aoitori5d

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    aoitori5d

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    LC百物語によせて書いたローコラですが終始モブ視点で進みます。ホラーとかではないです。

    #ローコラ
    low-collar

    Find Out 下校のチャイムが鳴っている。リンゴン、リンゴンという重たい鐘の音は、どうして早く帰らなくては、という気にさせるのだろう。無性に気が焦り、心臓の鼓動が早くなる。いつもはこんな風に急かされるのが嫌ですぐに支度を整えて帰るのに、日直の当番ノートを書いていたら随分時間が経ってしまっていたようだった。慌ただしく荷物をランドセルに詰め肩に担ぐ。自分以外はもう帰ってしまっただろうが、その時は何故か、自分の他に教室に誰も残っていないだろうかと入り口の前、引き戸に手を掛けながら室内をぐるりと見渡した。そこで、教室の一番後ろ、窓際の席に金色の丸い頭があることに気が付いた。
    「……あれ? ──くん? ぼくもう帰るけど、きみは?」
     驚きに声が少し上擦りながらもそう尋ねると、──くんは手元の分厚い本に落としていた視線を上げて薄く微笑んだ。彼の目元を隠す長い前髪が、その動きに合わせてふわりと揺れる。──くんはとても物静かな人で、ほかの男子のようにきゃあきゃあ騒いで遊んだり、あるいは積極的に授業で発言したりだとかすることはなかった。彼と僕は幼稚園も一緒だったのだけれど、その頃から彼は物静かというよりも臆病で引っ込み思案といった方が正しいような子供だった。年相応の落ち着きのなさで、なんてことのない些細な出来事に怯えたり驚いたりしてよく泣いていた。そうすると彼の二歳年上の兄がすっ飛んできて、彼を泣かせた奴はどいつだと怒鳴り散らすものだから僕らは随分辟易したものだった。さすがに小学校に上がってからはその兄の過保護も控えめになったけれど、なにかとあれば弟の──くんを自分のそばに置きたがるのは変わっていなかった。だから、この時も彼のこの言葉で僕はすぐに納得した。
    「だいじょうぶ。迎えがくるのを待ってるんだ」
    「そうなんだ。それじゃあぼく帰るね、また明日!」
     なんだ、彼は兄を待っているんだ。それならもうすぐ先生が見廻りに来るけれど心配ないな。そう思い、僕は手を振った。するとロシナンテくんも、色白の手を振り返してくれた。頭一つ分僕より(というよりも彼はクラスの誰よりも、言ってしまえば二つ三つ上の学年と同じくらい)背が高い──くんの、ほっそりとした長い指が揺れていたのが今でも目に焼き付いている。それからぼくは教務室に向かい、当番ノートを担任の先生に渡して帰宅した。
    夕暮れの太陽が住宅地の窓ガラスに反射してキラキラと輝き、薄暮の空にはカラスがカアカアと鳴きながら棲み処へ帰ろうとしていた。普段は下校の子供たちや見守りのボランティアの人たちがいるのだけれど、この日は下校のラッシュ時から少し遅れてしまったせいか僕以外の人間は誰もいなかった。そんな誰もいない通学路をしばらく道なりにまっすぐ歩いていると、道をスーッと走っていく黄色い車とすれ違った。ぼくはこの頃から結構な車好きで、すれ違った黄色い車が普段あんまり見ないレトロなものだったからびっくり仰天して、一体どんな人が乗っているのかしらと高揚しながら振り向いて車の行方を追った。黄色い丸みを帯びた車体はゆっくりと滑らかに道路を進み、さっき僕が出てきた校門の前で減速しハザードをたいて止まった。誰かのお迎えかしら。そう思いながらしばらく車を見つめていると、ガチャリと運転席側のドアが開いて中から男の人が現れた。若い男の人だったと思う。親戚のお兄さんと同じくらいだと思ったから、たぶん大学生とか、そのぐらいの年齢に見えた。遠目だったし、目深に帽子を被っていたから顔立ちはよくわからなかったけれど、その人はスタイルがよかったように思う。 僕の父親よりよほど足が長くて、黒いシャツに黒ぶちのあるパンツを穿いていた。かっこいい車に乗っている人はやっぱりかっこいいんだなあ、なんて僕がぼんやり考えていると、男の人が僕の視線に気づいたのか一瞬こっちを見た。赤い夕陽が逆光となって、その人の顔は黒く塗り潰されていた。ただ猫のような……いや、猫よりももっと大きくて凶暴な肉食獣のような金の瞳が煌々と輝き僕を真っすぐに見据えていた。
    「……っ」
     その視線は別に、不躾に眺めていたことへの怒りだとか疎ましさだとかがあったわけではなかった。ただ見られていたから見返しただけ、そんな風な視線だったけれど、その金の瞳を真っすぐに見てしまった僕はなんだか恐ろしくなってパッと身を翻して駆けだした。五十メートル走の順位では万年クラスの真ん中に位置する僕だったけれど、この時ばかりは一位になるだろう、そんなスピードが出ていたと思う。そうして一目散に家に帰りついて玄関に飛び込んで扉を閉めてやっと、自分が呼吸もままならないほどに息を詰めていたことに気が付いた。ゼエハアと荒く息をつきながら帰ってきた僕に母は驚いた様子だったが、ただ僕はうまく説明できなくて、その時はただ「走って帰ってきたら思いのほか疲れてしまった」としか言えなかった。そうして僕は台所の方から漂ってくる唐揚げとカレーの匂いにすっかり気を取られてしまって、黄色い車とそこから降りてきた男の人についてはすっかり頭の中から飛んでしまった。
     
    その日の晩のことだった。夕食を食べ、宿題を終わらせてお風呂から上がった僕の耳に、深刻そうに潜められた母の声が届いたのは。
    「ええ、はい。うちはちょっと……あっ〇〇! ちょうどよかった。ねえ、──くんとは最後にいつ会った?」
     受話器の口を押えながら、母が声をわざとらしく明るく変え僕に尋ねる。なぜ彼の名前がここに? 何となく不思議に思いながら、僕は素直に今日の帰り際のことを包み隠さず話した。──教室に僕と彼が最後まで残っていて、彼は「迎えを待っている」と言ったので一人で帰った、と。母は僕の言葉を聞いて途端に表情を曇らせた。そうして、電話口の相手に声を潜めて話す。
    「……ええ。〇〇が最後に見たらしいです。はい、はい……ねえ、それだけ? 誰を待ってるかとか、聞いてない?」
    「ううん。てっきりお兄さんを待ってるのかと思ったから。……違うの? ねえ、──くん、お家に帰ってないの?」
     お風呂上がりのポカポカとした身体が、急激に芯から冷えていくような心地がした。背筋がぞくぞくと粟立ち、母とその隣に立つ父の顔を交互に見つめる。二人はぎこちない、今まで見たことのないような笑みを顔に張りつけると、ううん、何も気にしないでいい、と明らかに嘘だとわかる声で言った。
    「明日、同じことを話してもらうことになるかもしれないんだけど」
     母の言葉に、意味も解らず肯いた。それから母は電話口の相手と何かを話し続け、父は懐中電灯を手に外に出かけていった。父と同じような人が外にはたくさん集まっていて、二階の自室の窓から外を眺めると懐中電灯を持った人たちだろう灯りがぽつぽつと夜の住宅街の闇の中にまるで一筋の川のように浮かび上がっていた。
     この時の僕はまだ知らなかった。つい数時間前手を振り合って別れた──くんが、最後に見た彼の姿になってしまったということを。控えめに口元を微笑ませた穏やかな彼を、もう見ることができなくなってしまったということを。

     翌日、休日の普段とは様子の違う学校で、僕は校長先生や担任の先生といった先生たちと僕の両親、そして──くんの両親と警察官の人たち……数にして十数人を前にして、昨日母に話したことを繰り返した。
    「十七時を少し過ぎたくらいでした。日直ノートを書き終わって、ああみんな帰っちゃったな、と思っていたら──くんがいて、帰らないの、と聞いたら“迎えを待ってる”って言ったんです。てっきり彼のお兄さんのことだと思って、それじゃあまた明日ね、って言って別れました」
     僕の言葉に、担任の先生が頷いた。
    「たしかにその時刻、ノートを受けとりました。彼は非常に几帳面で、ノートを書く時間がほかの生徒よりも長くかかっていたのも事実です」
    「その後、十七時十五分には見廻りの職員が各教室を見てまわりました。その時点で、教室に──くんの姿は見当たりませんでした」
     校長先生がハンカチで顔を拭きつつ続けた。晩夏のこの日は秋も近い涼しさで、汗をかくほど暑くはないはずだったけれど、校長先生の顔を流れる汗は止まることなく流れ続けていた。目の前に座る──くんのお母さんは手が白くなるほど強く、祈るように組んでいた。血の気の失せた真っ白い顔で、時折震える唇を噛み締めている。
    そんな。お兄ちゃんはそんな約束していないと言っていました。友達と公園に遊びに行くから、──は一人で先に帰るようにと逆に言い含めていたそうです。それはお友達の▽▲くんたちも聞いていて、──は頷いていたと。──くんのお母さんの肩を抱くようにして座るお父さんも、青い顔で頷いている。
    「〇〇くんは帰るときに誰ともすれ違わなかったかい? 学校に向かう人だとか、追い越していく人だとか。どんな些細なことでもいいんだけれど」
     そんな二人を優しい声の、穏やかな顔をした警察のおじさんが僕に尋ねた。僕はうーんと首を捻り、昨日のことを頭の中で一から順に並べていく。そうしてやっと帰り際に見かけた男の人のシルエットを、ピカッと電灯がつくみたいに思い出した。
    「アッ」
     その声に、それまで穏やかな顔をしていたおじさんの目がキラリと光った。ずい、と身を乗り出し、「何か思い出した?」と尋ねる。
    「うん。昨日の帰り道、校門を出てしばらく歩いたところで」
     僕がそう話していると、おじさんの隣にいたすこし若い男性の警察官が鞄から地図を取り出し机の上に広げた。町内の住宅地図で、学校がここ、と指をさすから僕もその通りに地図の上の道をなぞる。
    「ここをこう歩いて、ああそう、このコンビニの看板が見えた頃だったから、多分この辺りで黄色い車を見かけました」
     古い車で、あんまり見かけないから珍しいと思って追いかけたんです。僕の言葉におじさんが父母の方を見やった。父は乾いた喉を潤すように一度喉を鳴らして唾を飲み込んだあと、小さな声で「この子は車が好きで、ミニカーのコレクションを集めているんです。この辺じゃ見ない、というのなら、多分本当だと」と何度かつっかえながら答えた。
    「それで見ていたら校門の前で停まって、中から若い男の人が出てきました」
     僕がそう言うと、室内はシン……と静まり返った。──くんのお母さんはもう色白を通り越して蒼白で、いまにも倒れそうに見えた。警察のおじさんは横の若い男の人に何かを矢継ぎ早に指示し、男の人はスマホでどこかに電話をかけながら部屋から飛び出していく。ポカンとその様子を見ていると、おじさんが殊更優しく、そして静かに尋ねた。
    「その男の人って、どんな顔をしていたか思い出せるかな」

     僕は正直に答えた。遠目だったから顔立ちはわからなかったけれど、すらりとした長身の、若い……今年新任でやってきた×〇先生より若そうに見えたこと、服装のこと、金色の目をしていたこと……すべてを話し終え、僕たち家族が家に帰りついたのはもうじき日も暮れそうな時間だった。母はぐったりと肩を落とし、力のない声で「今日のお夕飯、お惣菜でもいいかしら」と呟いた。父もそうしよう、と頷き、駅前の商店街でそれぞれ食べたいものを買って帰り、そのまま夕食にした。何となくつけていたテレビから、お笑い番組の笑い声が何だか空虚にリビングに響き渡る。
    「ねえ。──くん、見つかるかな」
     僕の呟きに、両親の手がピタリと止まった。美味しそうな油淋鶏から視線を上に上げれば、強張った二人の姿があった。
    「み、見つかるわよ! きっと、ねえ!」
     不自然に明るい母の声に、父もぎこちなく頷く。
    「ああ。きっと帰ってこれるさ。いつ帰ってきてもいいように、〇〇もいつも通り過ごそう」
     ぎこちない沈黙が落ちる。ワハハハ、と笑うテレビを母が無言で変えた。
    「すぐに見つかるわよ、心配しないでいいわ」
     母は苦しそうな顔のままそう自分に言い聞かせるように呟いた。僕も父もその言葉に無言で頷き、それからはいつもの通りに食事をして、風呂に入り、そうして眠った。
     そんな日々が昨日と一昨日とそのまた前の日と同じように続いた。──くんの行方はちっともわからないまま。しばらく経ってから──くんのニュースが流れた。

     ──さん十歳が、放課後の学校から帰宅途中に行方不明になっています。警察は同じ学校に通う──さんの同級生の証言から、校舎付近で目撃された男が何らかの事情を知っているとみて捜索を続けています……。
     ──くんはすっかりあの街から消えてしまった。残されていたのは彼の机の上に置かれていた本……最後に見た彼が読んでいた『はてしない物語』と、椅子の上になぜか落ちていた小石だけだった。
     目撃証言の少なさと、防犯カメラにも映っていないことから──くんは誘拐とも失踪とも判断できず、次第に子供たちの間でオカルトチックに囁かれるようになった。ちょうど彼がいなくなった時刻、校務員のおじさんがヴンと唸るような小さな音と、一瞬視界が青白く明滅したことを証言してからその噂は尾ひれがつき、今では母校の七怪談の一つに数えられているらしい。


    「……ってことが小学生の頃にあってさ。ニュースになったらどこから嗅ぎつけてくるのか、週刊誌やらテレビ番組の取材が押し寄せて随分困ったよ。なんだか居心地も悪くて、大学は地元でもよかったんだけど遠いこっちにしたんだ」
     ずいぶん長いこと話していたから喉がすっかり乾いてしまった。泡の消えたビールをゴクゴクと飲み干し喉を潤す。するとそれまで黙って話を聞いていた面々が途端に声を上げ始めた。
    「〇〇、おまえの話重すぎんだよ!」
    「え、てかマジの話? ……そうだわ、調べたら出てきた。十年前の──くん誘拐事件」
    「でも怖いよね、なにか違ってたら〇〇くんが攫われてたかもしれないんでしょ?」
     居酒屋の一室が賑やかになる中、空のジョッキやグラスを下げ追加の注文を取りに来た店員へ生四つ、ハイボールを二つに梅酒のロックを一つ頼む。今夜は他大学との合同サークルの飲み会で、親睦を深めるために一人一つの話を持ち寄ることが決められていた。なにを隠そう、このサークルは落研……落語研究会なので。みんなそれぞれ自分が経験した話を面白おかしく話していたが、僕の話はちょっと選択を間違えてしまったようだった。
    「でも興味深かったよ。いまでもその……男の顔って覚えてるもんなの?」
     先輩からやんややんやと小言を言われていた僕に助け舟を出すように、梅干しのおにぎりを〆の時間でもないのに頬張っている男の人がそう尋ねた。癖の強い金髪の、少々目つきの悪い彼は他大学の学生だ。最初の自己紹介を思い出すと僕と同い年のはずで、ロシナンテと名乗っていた。
    「ううん……そもそも顔なんてはっきり見えてないんだ。ちゃんと覚えているのは車だけで」
     あの日僕が一緒に帰ろうと彼の手を引っ張っていたら。あの黄色い車の行方を、そうでなくてもナンバーだけでも覚えていたら。今でも無意識のうちに黄色い車を目で追ってるんだ。あれじゃない、これでもない。僕が見たあの車は。そういうのに少し疲れて、あれだけ好きだった車とはまったく関係ない趣味を大学で見つけたんだ。
    「ふうん。それは災難だったし、大変だなあ」
     他人事のような軽さで(実際他人事なのだけれど)、ロシナンテくんはだし巻き卵を割って口の中に放り込む。途端に噎せて胸をドンドン叩きながらズデンッと後ろにひっくり返った。驚く僕たちと、慣れた様子の彼の仲間たち。先輩がちらりと向こうの部長を見やれば、「いつものドジだから気にしないで」と笑われた。その光景がなんだか懐かしかった。
    「そうそう。──くんもすごいドジな子でさ。転ぶなんて日常茶飯事、給食で牛乳を噴きださなかった日なんて拍手が起きるくらいだったんだよ」
     いつもすり傷が絶えなくてさ、ロシナンテくんみたいにそうやって腕や膝に絆創膏が貼ってあったな。きみを見ていたらどうしてか──くんを思い出して、こんな話をしてしまったのかも。そんな風に言えば、ロシナンテくんはキョトンと目を瞬かせると一拍おいてニカッと笑った。
    「そんなにドジだったんなら、そいつ、生まれる場所もドジって間違えちまったのかも知れねえよな」
    「……えっ?」
     あっ、梅酒こっちでーす! 店員から酒を受け取ろうとするロシナンテくんを制し、友人が代わりに受け取り彼の前に置く。悪ィ悪ィ、と言う姿は甘え慣れた者の仕草だった。
    「ほら、〇〇。お前のナマ」
    「あ、うん……ありがとう」
     それぞれが新しいお酒を手にしたところで次の語り部に移る。僕の向かいに座っていたロシナンテくんが、次の番のようだった。彼はちびりと梅酒を舐めると、えーっと、と髪をガシガシと掻き撫ぜながら口を開いた。
    「ネットで見かけた話なんだけど」

     ──そいつは大人しい子供だった。大人しいっていうより、ただ単にすべてのものに怯えていたと言った方が正しいかもしれない。周囲の人間すべてが恐ろしくてたまらなかったんだそうだ。それは彼の両親や兄弟であっても。むしろ近しいからこそ、彼は家族が恐ろしかった。父母を、兄を名乗る他人がにこやかに笑って自分を見ている。そんな風に思えて仕方がなかったんだと。家族はそんな風に思われているとも知らず、大人しく気弱な子供を庇護し愛した。善性に満ち溢れた家族だった。ただ、当の本人だけには伝わっていなかったどころか、その庇護がより一層彼を怯えさせていたのだけれど。よくある話だけれど、現実に怯えていた彼は仮想現実の世界に救いを求めた。夜な夜な夢に見る、ファンタジーの世界。そこでの自分は強い大人の男で、銃を片手に敵地に潜入しスマートにミッションをクリアするスパイだった。ノートに日々見た夢を忘れないように書きなぐっていたんだけれど、小学校に上がってから与えられたスマホが彼の世界を変えた。夢の話を綴る場所はノートからSNSに変わり、プロフィールも夢の自分にした。呟く内容も夢の出来事だ。夢の世界は荒唐無稽がまかり通るそんな世界で、生身の人間が軍艦を殴り壊したり、あるいは身体が糸になって空を飛んだり金色の大仏になったり。そんな話をずーっと離し続けてるアブナイやつ、まともな人間は相手にしない。だが彼はそれでよかった。夢の世界が構築されていくごとに、夢の中の自分が現実の自分を覆い強くしてくれる、そんな気がしていった。ある日、そんな彼のもとに一通のメールが届いた。そこには、『もっと話を聞かせてほしい。自分もあなたと同じ夢をみている』といったような内容が書かれていた。彼はまさかそんなメッセージが届くなんて思ってもみず、数日間そのメールを放って置いた。するとまた届いた。『あなたを探している。ずっとずっと探している。自分の名前は……だ。この名に覚えがあるのなら返信してほしい』と。書かれていた名を目にした瞬間、彼はすぐにその相手に返信した。
     ──思い出した、思い出した……! 会いたい、すぐに会いたい! 夢の中で彼は一人の少年と旅をしていた。その少年は病気がちで、二人で数々の追手を退けながら名医を求めて病院を渡り歩いていた。少年のことを夢の自分はひどく大切にしていた。愛していたのだ。命さえも惜しくないほどに。その事実を思い出し、震える指でメッセージを送信した。
     返事はすぐにきた。自分も会いたい。どこへでもいつでも会いに行けると。彼は正直に自分が小学生であること、お小遣いで行ける範疇は何処までであるかなどすべてを話した。するとメッセージの相手はただ一言『迎えに行く』と言った。
    「日時と場所が指定された。それは彼にとっても都合がよく、二つ返事で頷いた。ネットで知り合った相手と会っちゃいけません、なんて当時でも口酸っぱく親や教師から言われていたし、普段の彼なら見知らぬ他人と会うなんて恐ろしいことはできないはずだったが、この時の彼の頭からそんなことはすっかりさっぱりきれいに抜け落ちていた」
     そこまで話し、ロシナンテくんは一口餃子をパクッと食べた。隣で女の子が二の腕を擦りながら恐る恐る問いかける。
    「会っちゃったの? それで、その子……へんなメール送ってきた相手に」
    「ああ。会っちゃった。若い男で、その辺のファッション誌から抜け出してきたみたいにきれいな顔をしていた。そんな世間で持て囃されるような美男が、自分を見るなり膝をつき、目に涙を浮かべて抱き締めてきた。男に会うまでの彼は、夢の中と現実をまだ辛うじて分けられていた。だがもう、それきり彼はすっぱり現実の方を捨ててしまった」
     ──彼は男の手を取ってしまった。愛した子供が泣いているんだ。再び出逢えたことこそが奇跡みたいなものなんだ。どうしてそれを手放せる? 
    「それきり彼は消えてしまった。連絡をしてきた男共々、まるで神隠しにでもあったみたいにきれいさっぱり、消えちまったんだと。いまでも探せば彼のSNSは存在してるらしいぜ? そんで、未だにDMで“この世界のことを自分も覚えている”っつうメッセージが定期的に届くらしい。おれが聞いた話はこれで終わり」
     そもそも、スマホ諸共消えちまった子供についての話にしちゃ細部が込み入りすぎてるから、思い切り作り話なんだけどさ。そう言って、ロシナンテくんはゴクゴクッと梅酒を飲み干した。……途中で気管支に入ったのか盛大に噎せて服の前部分をビチョビチョに濡らしながら。
    「はー、まあ教訓として生まれた話かもしれねえな。やっぱさ、突然会いたいなんて連絡してくる奴にろくな人間はいねェのよ」
     おれも中学の、当時からあんまり話したことのねェ同級生から連絡あってさ、不思議だなあと思ったよ? 思ったけど、そいつも一人暮らしとかで寂しいのかなあなんて思って、この前帰省したとき会ってみたのよ。そうしたら嫌な予感が大当たり、宗教の勧誘だったわけ! もう三時間もファミレスに閉じ込められてさ、その宗教の仲間だとかいうオバちゃんたちまでやってきて、泣く泣くオヤジを呼んだよ。
     先輩が腕を組みつつハアと深いため息を吐く。ロシナンテくんはアチャーと苦笑しながら「そういうこともあるよなー」と相槌を打つ。女の子たちもそれぞれ心当たりがあるのか、スパムアカウントからの無差別DMやモデルになりませんかという釣りに引っかかった友人の話などで盛り上がっている。僕はこの時代珍しく(?)SNSの類をやっていないので話にうまく乗れなかったけれど、長く連絡を取っていなかった友人から会いたいと連絡が来ても慎重にしよう、という知見は得られた。それから話は順に進んでいき、全員が一巡したところでちょうどいい時間になっていた。女の子たちは同じ方面の部長たちが送ることになり、会費をそれぞれ集めたところで解散になった。新たにできた学外の友人たちとはまだ話し足らず、このままカラオケとか行く? なんて話しながら入り口に向かって歩いていると、ロシナンテくんが玄関脇の看板に立ってスマホを弄っていた。
    「ロシナンテくんはもう帰るの? 僕たちこれからカラオケ行くけど」
     スニーカーの踵を履き潰したロシナンテくんは、僕の言葉に申し訳なさそうに顔の正面で手を合わせた。
    「悪ィ、おれ迎えが来るからさ」
     その言葉に、彼の友人がああ、と声を出す。
    「こいつ、恋人と同棲してるんだよ。もうずっとラブラブで、こっちは毎日惚気聞かされっぱなし」
    「ええ? 羨ましいな。今度はおれたちにも聞かせてくれよ!」
     程よく酒が入り声も気も大きくなった友人たちに気を悪くするでもなく、ロシナンテくんは「嫌って言っても聞かせるから安心しろ!」と言って笑っていた。
    「そうなんだ。じゃあまた今度だね。気をつけて」
     大して飲んでもいないのに千鳥足の友人の肩を支えながら、慌ただしくロシナンテくんに手を振る。
    「ああ。また、今度」
     薄く微笑みながら、ロシナンテくんはひらひらと手を振り返した。僕らより頭一つ、いや二つ半ほど大きな彼の、これまたすらりと長い色白の指が夜のネオンに照らされて白々と輝いていた。

    「ああもう、しっかり歩いてよう」
     機嫌よくたったかと歩く友人がふらりふらりと左右に揺れる。時折車道に飛び出そうになる身体を引っ張りながら歩き始めてふと、僕は背後を振り返った。

     ──居酒屋の看板に凭れるようにして立っていたロシナンテくんが、スマホに落としていた視線をパッと車道に向けた。嬉しそうに顔を綻ばせると、道に停車した車に駆け寄り助手席のドアを開けするりとその長躯を滑り込ませた。パタンとドアが閉まってから数秒後、車は静かに走り出し、そのまま僕らの横を通り過ぎていく。
    「……えっ……」
     黄色い車が、僕の真横を通っていく。少し丸みを帯びた、クラシックなフォルム。助手席のロシナンテくんの向こう、ハンドルを握る、三十代くらいの男性の横顔を目に映した瞬間、十年前のあの日の出来事がまるで走馬灯のように駆け巡った。
     
     帽子から出ていた髪は鴉の羽のような黒色をしていたこと。すらりと背が高くて、校舎を見上げる鼻梁のスッと高く通っていたこと。指や腕に黒々とした刺青があったこと。そして忘れもしない。忘れることなどできない。あの輝くような金灰の……
    「……──、くん……?」
     通り過ぎざま、運転席の男が僕を見た。……見た気がする。時間にしてコンマ0.数秒のことだから、僕の気のせいかもしれない。恐らくはそうだろう。けれど、あの日見た獣の眼が確かに僕を見つめ、そして嗤った。そうだ、あの日も彼は笑っていた。校舎を見上げ、心底から嬉しそうに笑っていた。それはきっと、手中に愛おしいものを収めることができる歓喜からのもので……そうして、真実彼は手に入れたのだ。
    「……そうか……」
     ロシナンテくんとはもう会えないかもしれないな。この時僕はそう思った。その予感は外れず、数ヵ月後にまた行われた合同サークルの飲み会で、ロシナンテくんが国外に留学したということを聞かされた。
    「同棲してる相手は?」
    「その人が海外転勤になったらしい。それについてくんだと」
    「そう、寂しくなるね」

     それきり、僕はもう二度と──くんともロシナンテくんとも会うことはなかった。そして僕は黄色い車を探すことをやめた。
     大学を卒業すると、地元には帰らず就職した。それなりにホワイトな企業で働き、数年後には同期の女性と結婚して子供が生まれた。通勤時間はすこし長くなるけれど、郊外のベッドタウンに三十五年ローンで家を建てた。僕は、去年から小学校に通い始めた子供へ口を酸っぱくしてこう言い含めている。
    「いいかい。知らない人について行っちゃいけないよ。誰かに会いたいって言われても、会っちゃだめだからね」
     
     あの日、時刻は夕暮れだった。袖すり合う相手にさえ誰そ彼と問うような時間帯。
    「はあい。もうパパ、そんなに言わなくてもわかってるよ!」
     まんまるとふくふくした頬を膨らませる娘にごめんね、と謝りながらゴミステーション前の曲がり角まで一緒に歩く。バイバイ、と手を振る娘に手を振り返しながら、僕はあの日の──くんのことを思いだしていた。あの日、夕暮れの射す逢魔が時。きっと彼の心には魔が入り込んだのだ。そしてあの男の人の心にも。家族を捨て、名を捨て。すべてを置いて彼らは彼らの楽土へ旅立った。それを止めることはきっとどうしたってできなかったんだろう。今でも母からは──くんの家族の活動が業務連絡のように送られてくる。この間は全国放送でも彼らのことが特集となって組まれていた。きれいな黒髪がすっかり真白くなり、ずいぶん老け込んだおばさんが十歳の──くんの写真を持って涙を拭っていた。僕は彼の家族にも、自分の両親にもロシナンテくんのことは話していない。本当にロシナンテくんが──くんなのかもう知る術もないからということと……あの日のロシナンテくんが、本当に幸福そうに微笑んで車に乗り込んだ姿を見てしまったから。

     ──生まれる場所も間違えちまったのかも、な。

     そう零した彼の言葉が思い出される。いまは正しい場所にいて、幸せでいるのかしら。そうだといいな。いや、きっとそうであるに違いない。僕はゴミステーションに家庭ごみの袋を置き、駅へと向かって歩き始めた。腕時計を見るとちょっとぼんやりしていたようで、乗らなければならない電車が迫っていた。慌てて鞄を脇に挟んで駆け出した僕は、すぐ横を通り過ぎていった黄色い車に気が付かなかった。





    「なあ、ロー。今度おれの三十六歳の誕生日会があるんだってさ」
     スマホを弄りながら、金髪の大柄な男がフッと小さく鼻で笑った。ハンドルを握る男は助手席に座る男へちらりと視線を向け、すぐに正面に戻す。
    「あの可愛かったコラさんが三十六か、年月の流れってのは残酷なもんだ」
     ふう、と吐かれた溜め息に、金髪の“コラさん”と呼ばれた男は唇をむいと突き上げる。
    「おいおい。そっちこそおれの可愛いローくんが四十九のオッサンになっちまったことを嘆いたっていいんだぜ」
     チリッと空気が固くなり、すぐに弛緩した。クックッ、とどちらからともなく笑いが漏れ、あーあ、と声を上げながら“コラさん”は背もたれに身体を預けた。
    「連れ出したんだから、責任もって最期まで面倒見れよな」
     年取ったからって返品不可だぜ。煙草を口に咥え、シガーソケットで火を点ける。吐き出される白煙で車内が一瞬白み、そして外気へ排出されていく。“ロー”はそんな男の横顔を見やり、唇の端を持ち上げるとフッと息を吐いた。
    「あんたこそ、逃げられねぇから覚悟しとけよな」
    「は、それこそ今更だろ」
     挑発するような赤い目が“ロー”を見上げ、そして二人で顔を見合わせくふふと笑い合った。
     黄色い車は、真っ直ぐに走り続けている。
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