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    ituka_doko

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    ituka_doko

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    こちらの続編を帳6にて展示致します。
    xに投稿していたものです。
    モブ(いいやつ)が喋ります。
    細かい設定は脳内補完で…

    W教師IFで付き合ってないのに別れ話になる五夏 ※付き合います「なに難しい顔してんの。夏油」
     休憩中の職員室で声をかけられ、スマホの画面から顔を上げる。声の主は硝子だった。
    「はい、これ学生たちの健康診断結果」と差し出された茶封筒の束を受け取る。学生たちそれぞれの氏名が封筒に書かれているのを確認してから、引き出しにしまった。
    「私、そんなに難しい顔してたかい」
    「面倒な案件? それとも五条が海外出張中で寂しい?」
    「はは。確かに喧嘩の相手がいないと物足りないね。でも寂しいわけでも面倒な案件でもないよ。賃貸物件見てだけ」
    「へえ、やっと引っ越すのか」
    「やっとって?」
    「特級なんだから稼いでるだろ。あのボロくて狭い寮に何年住むつもりだと思ってた」
    「便利だからね。通勤時間ゼロだし」
    「フーン。理由それだけ?」
    「え、なんで。高専の寮に住むのに他にメリットある?」
     狭いしぼろいし上からはいいように使われるし、と付け加えれば「へぇー、まあ、いいけど」と、妙に含みのある言い方をされた……と感じるのは、硝子に嘘をついているという心の疚しさからだろうか。
     なんとなく、硝子と目を合わせづらく、私はそっと視線を外した。実のところ、私にとっては他にメリットがある。親友以上の感情を向けてしまい、もうとっくにただの友人としての接し方すら分からなくなって約十年。そんな親友が、自ら入り浸ってくれるというメリットが。
     高専の学生として学生寮で暮らしていたころも、高専の教師になって職員寮で暮らし始めてからも、当然のように生活に悟が入り込んで来る。なので、一人暮らしという実感はあまりない。学生の頃はよかった。悟とは隣同士の部屋だったから、壁一枚向こうに悟がいる。お互いの生活拠点は壁一枚隔てただけだ。何をするにも、お互いの部屋を行き来するだけ。それが教師になってからはそうもいかなかった。悟が、高専の外にマンションを買ったとかで、高専の寮を出て行ったからだ。その時に、何が何でもこの職員寮を出ないと決めた。
     呪術師と教師を兼任しているのだから忙しいのは当然で、自宅に帰るのが面倒だからとか、明日の集合時間が早いからとかで、悟が私の部屋に泊っていくのは日常茶飯事。そういった理由がなくても、鍋パーティーとかたこ焼きパーティーとか、ゲームとか映画とか、要するに学生時代のノリそのままで入り浸っている。狙い通り、悟は私の部屋をまるで別宅のように扱い、常日頃から出入りするせいで、半同居状態。もちろん合鍵も渡している。だがその結果、すぐ隣に部屋があった学生の頃とは違い、悟の私物が私の部屋に年々増えて行っている。着替えや日用品はもちろん、マンガやゲーム、出張先のお土産といって買って来るよくわからない置物、上の奴らには隠しておきたい呪具。そういうものが増えすぎてさすがに狭い。ただでさえ男二人が過ごすには狭い高専の寮。年々増える悟の私物。いつの間にか部屋の片隅には悟専用の棚が作られていたりもするし、そもそも悟がデカいので狭いことこの上ない。
     なので、意を決して引っ越しを考え始めたところだった。第一条件は高専に近いこと。でなければ、悟にとって入り浸るメリットが無い。それに、今更物理的にも心理的にも距離を置いた接し方がわからない。
     それはさておき、術式を使えば一瞬で移動できるとはいえ、非術師に目撃されると面倒なので、自宅からの普段の移動は自家用車(当然のごとく高級外車)の悟の為に、駐車スペース、それも屋根とシャッターのあるガレージでなければならない。庶民出身なもので、高級外車を青空駐車で済ませられるほどワイルドにはなれない。できれば自分の車の分も合わせて最低でも二台分。悟の個室も確保できて、収納がたくさんあって、せっかく引っ越すのなら新築かせめて築浅。浴室乾燥機付きで……と調べ始めたものの、これといった物件が見当たらない。集合住宅だと(主に悟が)うるさくすると迷惑だろうし、無理矢理静かにさせるのもかわいそうだから、戸建ての賃貸も視野に入れてみた。が、そもそも山奥の高専に近い物件という時点でほぼ無いに等しい。
    「いい物件があればと思ったんだけど、なかなか……」
    「条件は」
    「ここから車で五分以内で、あとは」
    「無茶言うな。周りを見ろ。山だ」
     硝子の意見は、確かにこちらを途中で遮りたくなるほどの重要事項だが、せっかくなら最後まで聞いて欲しい。悟のために考えた、ベストな暮らしを。
    「まあ聞いてよ。間取りは2LDK以上。庭付き一戸建て。防音対策とかの条件によっては集合住宅でも可。できれば新築、せめて築浅。収納多め。駐車スペースは二台分。うん、最低でもこんなとこかな」
    「聞かなきゃよかった。もう家建てろ」
     言外に、馬鹿かお前と言われている気もした。呆れ果て、諦めさせるために言ったであろうその言葉は、しかし逆に天啓だった。全てを解決するアイデア。盲点だった。家を建ててしまえば全ての条件を揃えられる。
    「なるほど……それもありかも」
    「それもありって、本気で家建てるつもりか」
    「全ての条件をクリアできるならその方がいい」
    「まじか。そこまでする?」
     硝子は驚いているというより、なぜだかドン引きしている。何に対してなのか分かりかねるが「まあ、夏油がいいならいいけど」と言い残してあっさり去っていったので、恐らく大した意味などないのだろう。


    「もうこのパソコン寿命だなあ」
     職員室の片隅で、補助監督の茂部田君が画面をのぞき込むノートパソコンは、画面に長い時間読み込み中の青いクルクルマークが表示されたままだ。もう終業時間は過ぎているので、買い替えの稟議書作成は明日でいいんじゃないかと声をかけるが、逆に夏油術師ももう帰宅されてはどうですかと気遣われてしまった。それに苦笑いしつつ、曖昧な返答をして作業に戻る。
     一応授業の準備をしているのだが、特に急いでやる必要のあるものではない。実のところ、一人暮らしなんだなと実感する寮の部屋に帰るのが、どうにも憂鬱でしかたない。それに、帰宅といっても、すぐ目と鼻の先にある高専敷地内の寮なわけだし、帰ってもここ最近寝る前の恒例となったハウスメーカーのホームページ巡りと注文住宅建設ブログをチェックするくらいしかやることがない。しかしどんなにハウスメーカーのホームページで家づくりのこだわりとやらを熟読しても、数々の家づくりブログを読み漁っても、今一つこれだというものがない。なにかしっくりこなかった。だから早く帰宅したところで他にやることもなく、悟も海外出張中なので、一人暮らしの侘しさを味わうだけなのだ。
     今回の悟の海外出張は、半月の予定だ。普段なら三日と空けず会って顔を見て話したり、そうでなくともメッセージアプリでやりとりするのだが、どうやら今回はスマホも使えないような辺境の地、もしくはそういう帳の中らしい。呪術師なのだから年に数回はそういうこともある。ただ頭で理解していても、感情はそんなのお構いなしに寂しいと訴えてくる。
     こういう仕事をしているのだから、もし恋人がいたら寂しい思いをさせるのだろう。自分と仕事とどっちが大事なんだとか、使い古された不平不満で責められたりするのだろうか。悟にそういう相手がいるのかは知らないが、少なくとも私には、そういう相手がいたことはない。
     学生の頃、授業が終わってだらだらと教室で過ごしている時に、誰から言い出したのか恋愛についての話題になったことがある。確か七海や灰原、他にも数人いた気がする。あの頃の年代にはありがちな、ふざけ半分、完全なる興味本位と見せかけて、その実、心の奥では切実に寄る辺を求めるような、そんな空気があったように思う。あのとき既に、私は悟のことが好きだった。好きな人がいるかと聞かれて「いるよ」とだけ答えた。好きな人の目の前で嘘をつくのが、なんとなく嫌だった。あの頃は、そういう無駄な潔癖さを捨てきれていなかった。
     詳細についてはノーコメントということにしたのに、それでも妙に盛り上がった後輩から「どんな人ですか」「いつから好きなんですか」と質問攻めにされた記憶がある。それを遮ったのは悟だった。「俺そういう話興味ねえ」と、怒ったような拗ねたような言い方で言い捨てると、その場を去っていった。
     五条家の当主になるのだから、いずれ家の決めた相手と番わなければならない悟には不適切な話題だったかと、その後、悟に恋愛系の話をふらないのが周囲では暗黙の了解になった。なので、悟がどんな恋愛遍歴をたどっているのかは全く知らない。唯一、そういう系統の話として知っているのは、誰が言いだしたのか、女の子に会いに行くときはサングラスをしている。というものくらいである。本人に確認したわけではないので、真実なのかはわからないけれど。
     ちなみに自分に関しては、これまで数々の誘い、見合い話等々あったものの、好きな人がいるからと断り続けている。きっと呪術高専内では、夏油傑には、一途に思い続ける人がいると知られているはずだ。ここ数年は、その手の話も来なくなり、非常に快適である。
    「あ、そういえば、夏油術師、家を建てるんですか」
    「もしかして硝子から聞いたのかい」
    「ええ、実は最近俺も家を買ったんで、家入さんとそういう話になりまして」
    「そうなんだ。私の方はまだ何も具体的には決まってないんだけど。アドバイスもらいたいなあ」
    「そんな、俺ごときが夏油術師にアドバイスなんて。あ、でも……もしかして、ええと、どなたかと一緒に住むんですか」
     わざわざ家を建てる、となるとそう考えるのが妥当だろう。説明するのも面倒で「まあ、そんな感じ」と答える。
    「その方のご意見は?」
    「特に聞いてないけど、聞いてみてもいいかもね」
    「聞いてみてもいいかも? いや、絶対聞いた方がいいです」
     余程大事になったのだろう、妻に相談なく間取りの一部について決めてしまった部分があり大げんかになった、と切々と茂部田君は語った。気がついたら彼の身の上相談のようになっていて恐縮されたが、一人きりで寮で過ごす時間が減ったのでこちらとしては都合がよかった。
     部屋に帰ると、当然真っ暗で何の気配も無い。扉を開けると同時に、無意識に部屋に残る悟の呪力や残穢を探る。もう癖みたいなものだ。さすがに二週間以上部屋に悟は来ていないから、何も残っていない。冷蔵庫を開けても『俺の』とマジックで蓋に書いてあるプリンは入っていない。飲み干したジュースの缶を術式で潰した残穢くらいあればいいのに。
     缶ビールを一本取り出して、部屋の電気は付けずにベランダに出た。干しっぱなしだった洗濯物をベッドの上に放り投げる。その中に、悟のものは一枚も無い。でも、何もないこの状態こそが普通なのだ。悟は親友ではあるが、妻でも夫でも恋人でもない。引っ越す。家を建てる。どちらにしろ、勝手に入り浸ってるだけの男の意見など聞く必要があるとは思えない。なのに、それでも悟の要望も聞かねばと考えてしまうのは、それくらい惚れているということだろう。
     一気に半分ほどビールを空ける。そのとき尻のポケットに入れたスマホから通知音が鳴った。
     ――明日の夕方には帰る。お土産期待してろよ。
     こんななんの変哲もないメッセージに、どれだけ心を動かされているか、これを送って来る男が知ることはこの先ないんだろう。
    『寂しいよ。早く会いたい』
     と返信できるくらい素直なら、もっと楽に生きられるのかな。なんて思いながら、
     ――仕事溜まってるよ。せめて学長にはまともなお土産渡してあげな
     なんて可愛くない返信をした。

     授業が終わり空が夕焼けに染まる頃、ようやく帰国し空港から高専に向かっているであろう悟から
     ――今日オマエんとこ泊るね
     とスマホにメッセージが届いた。家主である私の意向などお構いなしに、泊る前提でこういうメッセージを送ってくるのはいつものことだ。まだ事前告知があるだけましで、帰宅したら悟におかえりと出迎えられることだって普通にある。
    『早く会いたい。待ってるよ』
     などという甘ったるい言葉を送れるはずもなく、
     ――了解
     と無味乾燥な返信をする。
     それから数時間。すっかり夜も更け、悟もとっくに高専に帰って来ている時間のはずだが、待てど暮らせどやって来ない。どうせ学長になにかしら説教くらっているか、上層部に呼び出されでもしているのだろう。合鍵を持っているのだから、そのうち勝手入ってきて勝手にソファで寝るはず。先に寝るか、と考えていたときだった。意識せずとも、体が自然と悟の呪力を探知する。
     ようやく帰ってきた。おかえり悟。待ってたよ。とこちらからドアを開けて、迎え入れる自分を思い浮かべるのは容易い。しかし実行に移したことは一度も無い。そんないかにも待ちかねていましたと言わんばかりの行動をして、恋心に気づかれたくない。あくまでも、君が強引で図々しいから、仕方なく止めてやっているだけなんだという顔をしなければ。
     緩んでしまいそうな頬を引き締めて、扉が開くのを待つ。つもりだったのに、そんな必要は無かった。乱暴に鍵の開く音がしたと思ったら、壊れそうな勢いで扉が開かれ、思わず眉を顰める。
    「傑。起きてるか」
    「もう少し静かにできないのかい。ドアが壊れそうなんだけど」
     壁が揺れるほど強い力で扉が閉められ、そのままの勢いで鍵が閉められる。冗談抜きに壊されそうだ。
    「んなのどうでもいいだろ」
     乱暴な動きで部屋に入ってきた割に、声は静かだった。そこに、何か違和感を覚えた。いつもなら、腹立たしいことがあったらあったで、うるさくまくし立ててきそうなものなのに、妙に静かだ。違和感はそれだけではない。いつもなら、我が家のような顔をしてずかずか上がり込んでくる悟が、扉の内側に立ちすくんだまま動かない。靴も履いたままだ。
    「泊っていくんじゃないのかい」
     悟は「うん」とも「ううん」とも聞こえるような返事をしたけれど、まだその場を動こうとしない。どうかしたのかと立ち上がり、部屋の入り口まで行って悟の正面に立つ。玄関の段差のせいで、いつも少し上にある悟の目線が、ほとんど同じ高さだ。なのにわざとらしく視線をそらされた。心なしか唇を尖らせて、なにやら不貞腐れている。何があったのかは知らないが、まるで拗ねた子供みたいな態度に、はあと声に出して溜息をついてしまう。
    「泊っていってもいかなくてもどっちでもいいけど、ドアは壊さないでくれよ」
     学生寮で隣同士だったころは、しょっちゅう喧嘩して何かを壊していた。窓ガラスを割ったり壁に穴を開けたりするのは、対して珍しくもなかった。その全ての原因が、悟との喧嘩だった。未だに小さな喧嘩は絶えないが、何かを壊すほどの喧嘩をしたのは、いつが最後だったか思い出せない。一緒に過ごした年月に比例するように、喧嘩のたびに壊れるものの数も規模も減っていった。私たちは、ずいぶん長く一緒にいる。そんな思考は悟の「いややっぱドアなんかどうでもいいだろ」という声に搔き消された。
    「だって傑、引っ越すんだろ。別にドアくらい壊れても困らねえだろ」
     悟はもはや不機嫌を隠そうともしていなかった。大方、誰かから引っ越しのことを聞いて、自分に一番に報告が無かったのが気に食わないとかで不機嫌になっているのだろう。そんなことくらいで、こんなにへそを曲げるのかよ。かわいいやつめ。
    「君も困った奴だねえ悟。私が引っ越しを考えてるのを知らなかったくらいで、そんなに拗ねるなよ」
     なんて口では言っているものの、内心、拗ねたくなるほど一番に知りたかったというのなら、そう悪い気もしない。ふと昨日の茂部田君との会話を思い出す。間取りの一部を妻に相談なく決めてしまって揉めたという話だった。しかし、悟は妻でも夫でも、まして同居人と言うわけでもない。
    「まだ引っ越し先は未定だよ。だから今ドアが壊れたら困る――」
    「ホントに、結婚するんだな」
     こちらの言葉を強く遮った割に、悟は柔らかく笑っていた。しかしどこか、作られた笑みにも見えた。当然、その笑みの意味を考えるよりも、断然、
     唐突に現れた『結婚』の二文字に戸惑う。さっきまで、引っ越すとかドアを壊すなよとか、そういう話をしていたのに。結婚? 誰が? と頭の中ではてなマークが次々生まれる。
    「好きな奴いるって言ってたもんな」
     だから誰がだよ、と問う前に、悟は「てっきりオマエの片思いなのかと思ってた」と続けた。
     オマエって私? 私の片思い? 相手は君だけど?
     だなんて言えるはずがない。いったいなぜ、いつの間に自分の知らないところで、私が結婚するなんてことになっていたのか。
     ようやく自分のことを言われているのだと気付いたものの、これは、訂正の仕方によっては悟への恋心がばれてしまわないだろうか。不本意極まりない告白になってしまいかねない。慎重にならねば、と考えるほど、焦ってうまく言葉が出てこない。
    「は、え、いや……」
    「よかったな。ずっと好きだったんだろ」
     確かに私の周囲では、私には長年片思いの相手がいるのだというのが周知の事実ではあるが、その相手は今目の前にいる。
    「いつの間にそういうことになってんたんだよ。俺、全然気づかなかった」
     結婚するなんて誤解だよ。と言ったら、じゃあまだ片思いなのかって、聞かれたりするんだろうか。告白して、親友ですらいられなくなるよりは、望みの無い片思いを引きずって生きようと決めた相手に、死ぬまで私の片思いでいいんだと、話さなくてはいけないのだろうか。
     私はきっと、悟を気遣って、悟と色恋沙汰の話をするのを避けてたんじゃない。こうやって、虚しい片思いだと突きつけられるのが辛かっただけだ。
    「水臭いじゃん。片思い成就したって僕にくらい報告してくれたっていいじゃん。僕たち親友……だろ……」
     ふと悟の顔から笑みが消えた。顔が整い過ぎている分、真顔になると途端に冷たい印象になる。いつもの軽薄さが消えた真剣な顔。視線が鋭く尖っていて、射貫かれたように動けない。息をするのを忘れそう。
    「おめでとう……って言わなきゃいけないんだろうな親友なら。けど、やっぱ無理。言いたくない。おめでとうなんて言いたくないから……やめるか。親友」
    「は、何言って……」
    「うん、いい案だな。親友なんてやめだやめ」
     親友。そうだ親友だ。そのせいでずっと、苦しくて、でも楽しかった。そばにいると苦しい。なのに誰より近くにいたい。だから苦しくても、親友のポジションにしがみついていた。心に蓋をして、ときどき顔を出す恋心を自分で殴りつけてでも隠し通していた。そんなこちらの気もしらないで、親友やめるなんて、さすがに腹立たしい。そうでなくとも、いきなり親友やめると言われて、はいそうですかと言えるわけがない。
     結婚するのだと勘違いしているのはいいとして、そこで親友やめるとなる思考回路もよくわからない。私は悟にとって、そんな簡単にやめたと言って関係を切ってもいい存在だったのか。悲しいのを通り越して、怒りが湧く。
    「悟、本気で言ってるのか」
    「冗談に聞こえた? ざーんねんでした。僕は本気だよ」
    「あ、そう。そんなに簡単にやめられるなんて、そもそも私たち親友どころか友達でもなかったのかもな」
    「友達じゃなかった? そっちこそ本気で言ってんのか」
    「先に親友やめると言ったのは君なんだし、そんなのもういいだろ。じゃ、もう私の部屋に来るなよ」
     こんなことを言いたいわけではない。なのに、止められなかった。親友やめるなんて、小学生の喧嘩みたいな一言にこんなに傷ついて馬鹿みたいだと思うけれど、傷ついたからこそ自分を守りたくて、強がるのを止められない。
    「ああ来ないよ。僕の荷物は適当に処分しといて」
    「言われなくてもそうするさ」
    「欲しいもんあったらあげるよ。確かなんか高い時計も置きっぱだったし」
    「結構だ。心配しなくても全て捨てておいてあげるよ。私にはいらないものばかりだから」
     もちろん捨るわけがない。生涯大事にしまっておく。そして、たまに抱きしめて眠ったり自分が目に浮かぶ。この部屋にある悟の荷物は、死んだら棺桶に入れてくれと、硝子にでも頼んでおこう。私の葬式で、自分の私物に囲まれた棺桶の中の私に、せいぜいドン引きすればいい。
    「合鍵、返してくれ」
     もう顔を見るもの辛くて、そっぽを向いて、右手はスエットのポケットに突っこんだまま、左手だけを悟に差しだす。
     なんだこれ。付き合っていたわけでもないのに、これじゃまるで別れ話じゃないか。妙な誤解からくだらない喧嘩になり、合鍵を返して同棲を解消するという場面。以前再放送していたべたな恋愛ドラマで見た。ドラマでは、じゃあなと出ていく恋人を見送った主人公が、合鍵を胸に抱くように握りしめて泣いていた。けれど、最終的には誤解が解けてハッピーエンドだったはず。そうだ、そもそも私が結婚するという誤解を解いていない。
     まずは誤解を解いてからだ、と左手を引っ込めようとした。だが、それより一瞬早く、悟に手を掴まれる。
    「返すよ、これ」
     強引に握らされたからか、キーリングが指に引っかかっていた。指にぶら下がった状態で、手の平に収まった部屋の鍵には、まだ悟の体温が残っている。
    「もう来ない。だから最後にこれだけ言わせて。傑が好きだ。ずっと好きだった。だから俺は、オマエの結婚は祝えない」
     あ、今、俺って言った。という、なんともどうでもいいことが一番はじめに頭に浮かんだのは、嬉しすぎて混乱中だからかもしれない。二人でいるときは、一人称「俺」なのに、そういえば今日は「僕」だったなと、今更気が付く。
    「ええと……うん。いいよ祝わなくて。私、結婚しないし」
    「は……」
     悟の目が見開かれる。その眼の中に、昨日職員室で見た、壊れかけのパソコン画面の、読み込み中のくるくるマークが見えた気がする。
    「じゃ、じゃあ、誰……え、誰と住むの。ひ、引っ越し……引っ越しは?」
     人はわかりやすく狼狽える人間を目の前にすると、逆に冷静になるものなのだろうか。こうも狼狽えるのなら、さっきの告白は嘘や冗談ではないはずだ。
    「住むのは私一人。この部屋、最近手狭に感じるようになってね。私がずっと片思いしている大事な人が入り浸るもんだから、彼の荷物が増えてしまって」
    「え、それって……」
    「一緒に過ごすには、もう少し広い家がいいかと思ったんだが……どう、かな?」
     我ながら、ちょっと今の言い方はあざとかった気もする。しかし、次の瞬間には抱きしめられていたので、たまにはあざといのも悪くないということか。
    「傑がずっと片思いしてた相手って俺かよ」
     うう、クソ、なんでもっと早く、などと、悟にしては珍しい弱弱しいぼやきが耳元で聞こえる。きっと情けない顔をしているんだろう。顔を見てやろうと悟の腕の中で身じろぐも、それを察知したのか、抱きしめる腕の力が強くなった。両腕で頭を抱きこまれ、肩口に押さえつけられる。ちょっと苦しいのは、押さえつけられているからではなくて、悟の体温も匂いも近くて頭がくらくらするからだと思う。
    「私だって、君が私のことをそんな風に思ってくれてるなんて、考えもしなかった」
    「まあ、そりゃそうだよな。絶対気づかれないようにしてたし」
    「なるほど。私もだよ。で、いつから? 私のこと、いつから好きだった?」
    「それは、なんつうか、その……き、気づいたら?」
     正直に答えるのが、よほど照れくさいのだろう。恋愛に関する話は、あえて避け続け全くと言っていいほどしてこなかったのだから、慣れない色恋沙汰の話題に照れるのは仕方がない。一体いつからなのかはっきり教えて欲しいところだが、頑張って曖昧に答えました感が可愛いかったので、今日のところは追及するのはやめておこう。
    「それにしても、勝手に結婚することになってて心外なんだが」
    「だってさあ! 会うやつ会うやつみんな、傑が結婚するっぽいけどそうなのかって俺に聞いてくんだぞ」
    「あー……確かに勘違いされても仕方なかったかも……」
     考えてみれば、誰かと一緒に住むような言い方をしたし、引っ越し先の条件にしろ、家族を作ると思われても仕方がない話し方だった。
    「それにしても爆速で尾ひれがつくものだな」
     やれやれと溜息をつくと、悟の手が頭を撫でた。心地よくて目を閉じる。悟の腕の力はとっくに緩んでいたけど、離れるのがもったいないなくて、一ミリも離れられない。
    「なんだか引っ越しするのが惜しくなってきちゃったな」
    「え、なんで」
    「君との思い出が、ここにはたくさんあるから」
     今になって気が付いた。きっと思い出がたくさんあり過ぎるから、私は、まだ捨てられるうちに違う住処に移りたかったんだ。いつか悟が身を固めても、親友として祝福できるくらいの思い出のうちに。だから家を建てるのには、今一つ乗り気になれなかった。賃貸物件のように気軽に引っ越すことができないと、いつまでも思い出を抱えて過ごさなければならない。
    「なあ傑、俺いいこと思いついた」
    「なんだい悟」
    「ここで同棲しよ♡」
    「いいよ♡ 今までと何も変わらない気もするけど」
    「変わるだろ。同棲ならこういうことするし――」
     焦点が合わないほど近くにある悟の睫毛。唇に触れる柔らかくて湿った感触。
     初めて悟とキスした場所という思い出がまた一つ増えたから、やっぱり引っ越しは無しにするしかない。
     悟の背中に回した手の中で、今からまた悟の物になる合鍵が、カチャリと音を立てる。キーリングが引っかかったのが左手の薬指なのは、偶然じゃなかったのかもしれない。


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    ituka_doko

    DONE書き出しは少々不穏ですがただのクリスマスにいちゃつくハッピーラブ♡な主祖五夏です
    全年齢ですが性行為について話している場面があります。
    露骨な描写や単語はありませんが苦手な方はご注意ください。

    主祖五夏ウェブオンリー「超深海に渦巻く愛2」でネップリ登録したやつです。
    ネップリして下さった皆様ありがとうございました。
    The one and only gift for Christmas 傑は昔、悟に見合いをするよう促したことがある。あれは確か、悟が高専の教師になってまだ間もない頃で、二人はまだ一応、親友と呼べる間柄だった。
     キスをしたことはあったけれど、それはまだ学生だった時の一度だけだ。後輩たちも交え、応援している方のサッカーチームが負けたらキスというくだらない賭けで負けたのだ。悟は「ッエーー」とわざとらしく顔を歪めていた。傑はというと「ファーストキスだったのかい? まさかそこまでお子様だとは思わなかったよ」なんて強がっていたのだが、実は傑もファーストキスだった。
     兎にも角にも、罰ゲームとはいえキスした後の反応があれでは、片思いは確定だった。傑は、ファーストキスを甘酸っぱい初恋の思い出にするのをやめた。あれは他にも数多くある、親友との馬鹿なやらかしの一つだと、自分に言い聞かせ続けるしかなかった。
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