家族の肖像天堂弓彦が信仰する宗教には実に多くの聖母子像が芸術作品として残されている。手垢の付いたモチーフでありながら聖母に抱かれる神の子という構図は今後も未来永劫描き続けられるだろう。それは何故か。
幼子を抱いた友人を目の前に天堂は自信を持って答えられる。
それはとても美しいからに他ならないからだ。
そして天堂はこうも思う。聖家族も同じくらい美しいと。
友人である獅子神敬と村雨礼二は2年ほど前に家族となった。二人が結ばれるまでにはカラス銀行の壊滅など穏やかではない出来事が数多にあったが、今は割愛しよう。とにかく紆余曲折あった二人ではあったが半年ほど前に第一子にも恵まれ今は順風満帆な生活を送っている。
そして子どもが生まれてからは賭場という共通の場がなくなったことと獅子神の負担になるから、と村雨より接触禁止例を受けていたため、天堂を含めた真経津晨と叶黎明は本日初めて幼子と相見えることになったのだ。
場所は乳飲み子が泣いても気兼ねなくいられる場所がいいだろうと天堂の教会の一室を提供した。
朝の礼拝は済ませているので今日はこの場に来るのは旧知の仲間だけだ。万が一、信者たちがやってきたとて敬虔な彼らは神をいくらでも待てるだろう。
真経津と叶は待ち合わせ時間よりも早く到着しており既に今か今かと待っている。
今日この日を楽しみにしていたことは推察するまでもない。そもそも村雨の小言を忌避したとはいえ人に指図されることを嫌う自由奔放な彼らが半年も会うのを我慢したのだ。獅子神が大切にされていることがよくわかる。
約束の時間の少し前、教会の扉が重々しく開いた。
赤子を抱いた獅子神とベビーカーを押す村雨の姿が目にとまる。
「久しぶりだな」
獅子神は半年振りの友人たちを前に嬉しそうに破顔した。彼女は最後に会った時と比べて随分と髪が伸びていた。金色の生糸のような髪はサイドに纏められており、今は赤子の手すさびの玩具となっているようだ。
「わぁ、その子が二人の子?見たい見たい!」
真経津の感嘆の声を皮切りに、天堂達は赤子の顔を見ようと駆け寄る。文明の利器が発達している現代社会において、ビデオ通話は一般化しているというのに三人は未だ赤子の顔を見たことがなかった。
『息子はとても愛らしいので見たらあなた達は直接会いたくなるに違いないからな』
リスクマネジメントだと村雨は謎の持論を展開していたのはそう前の話ではない。
喜びの感情は好物の肉と獅子神の前以外では生まれないのではないかと思わせる村雨にここまで言わせる子だ。どれほどの愛らしさだろうと期待を込めてその顔を覗き込んだ。
「……っ」
息を呑んだのは果たして三人のうち誰か。いや、全員かもしれない。
「クローン……?」
ぼそりと真経津が呟く。そう、それが全てを物語っていた。
天堂の記憶が正しければ赤子というのは生後半年程度ではまだまだ将来に向けて容姿が変化する認識だ。勿論、ある程度の造形は決まっているので未来の顔の予想は出来なくもないが。しかしそんなことを忘れるほどに目の前の赤子は獅子神の夫である村雨に生き写しであった。特徴的な下がり眉に、隈こそないものの赤みがかったツリ目気味の瞳。つんとした鼻筋も曲がることを知らぬと言わんばかりの黒々とした直毛も父親譲りであることを否が応でも思わせる。つまり顔全体で村雨礼二の息子であることをこんなにも主張していた。なんなら纏う雰囲気まで似ている。
獅子神もそれがわかっているのか、真経津の言葉に笑いを噛み締めていた。
「礼二君の遺伝子強いな〜」
叶は唯一と言っていい父親との違いである赤子特有のふっくらとしたまろやかな頬をつん、と人差し指で突く。
途端にあどけない表情でこちらを伺っていた赤子が嫌そうに顔を顰めた。普通は生後半年でその表情はしないと思うのだが。
「村雨君にこうまでそっくりだと獅子神君も愛おしさがひとしおだな」
天堂がフォローを入れると獅子神は歯切れの悪い顔をした。
「あー、それは勿論そうなんだけどな。ただ村雨としては……」
「あなた達はさっきから何を言っている。息子はどちらかと言えば獅子神にそっくりではないか?」
「は?」
誰からともなく声が漏れた。
君が何を言っていると言いたいところであったが、理解が出来ないと村雨の顔に書いてあるので天堂は言葉を飲み込む。冗談ではないようだ。
「いやいや、礼二君!これだけ礼二君に激似で敬君似を主張するのは無理があるぞ!」
「村雨さん鏡で自分の顔見たこと無いの?それとも眼鏡の度合わなくなった?」
天堂が飲み込んだ言葉をかなり鋭くして叶と真経津は村雨に反論した。容赦のない否定に村雨は不快感を顕にするようにむっと口をへの字にした。
「あなたたちこそよく見るべきだ。息子の口元なんて獅子神の口をそのまま写したようだろう。あと爪の形を見ろ。これが獅子神の要素でなくなんという」
そう言われて三人が見れば、確かに唇の形など獅子神に似ていた。爪の形はおもちゃのような小さな手では比較ができない。
「いや、それだけ……」
「あー、村雨悪いな。なんかオムツを取り替えないといけないかもしれない。ちょっと向こうで替えてきてくれないか?」
主張するには弱いと言いたげな叶の言葉を遮るように獅子神が村雨に話しかけた。
「わかった」
明らかな会話の不自然さではあるが、村雨としては理解不能なことを言う友人より愛息子の世話の方が優先順位が高い。ベビーカーに下げていた複数の鞄から迷いなく必要とすべき鞄を持つ。そして手慣れた様子で獅子神から息子を受け取り、端へと向かっていった。獅子神は村雨が隅っこにいるのを遠目から確認し、天堂たちへと向き直る。
「親バカが酷くてすまねぇ」
彼女曰く、村雨は生まれた時から息子を獅子神似だと言っているらしい。生まれた時の赤子など皆が元プロボクサー世界チャンピオン似であるというジョークがあるくらいには顔の判別など出来ないというのに。余りにも言うものだから獅子神は当初、もしや村雨と自分は見えている世界が違うのか、はたまたどちらかがおかしくなったのだと悩んで病院を調べるべきかと思ったほどらしい。
「ただその、どうやら村雨がそういうのは理由があって……」
「村雨君は子どもが愛おしくて仕方がないのだな」
愛する人との間に生まれた子は愛する人と同じくらい愛おしい。それこそ子の中にある愛する人の要素をつぶさに見つけるくらいには。
そう告げた天堂の言葉は的を得ていたようで彼女は照れくさそうに頬を掻いた。
「つまりボクたちは強烈なノロケを喰らったと」
「晨君、そんなの二人が付き合いだしてからずっとだから今さらだろ〜。ちょっとパターンが変わっただけなんだな」
「だから悪かったって言ってるじゃねぇか!」
調子を取り戻した二人がからかい獅子神が怒る。
いつもの会話のパターンに天堂は微笑ましさから口元を緩めた。半年振りでも変わらない親しい人々による愛すべき日々が続くことを神は望んでいる。
「あなた達、少し静かにしてくれ。息子が起きる」
いつの間にかオムツを替え終えた村雨が戻ってきていた。不快感が無くなり心地よくなったのか腕の中にはすやすやと安心しきったように眠る彼の子がいる。
「ありがとな。抱っこ代わろうか?」
「問題ない。もう少し眠りが深くなったらベビーカーに寝かせよう。それまでは私も苦ではないのでこのまま抱いておく。それより休め。仕方がないとはいえ疲労が見える」
村雨は獅子神が授乳等で中々眠れていないことをきっちりと把握している。一瞥するだけで健康状態を詳細に読み取ることが出来る男が獅子神に対しては意図して詳細を把握しているのだから診察は間違いないだろう。
「ありがとな。オメーも仕事とかで疲れてるのに」
そして彼女もまた甘えることを覚えたようだ。
初めて会った時は向上心の強い臆病者。そして他人を信じることが怖いといった様子であったというのに変わるものだなと感心した。
きっと村雨と関わることで安心と信頼を得た成果だろう。
互いを思いやる心は美しい。
「獅子神君、村雨君もよければ休んで行きたまえ」
天堂はこの善き夫婦の助けになればと提案をした。教会も正しき者の寄る辺となるべきだ。
「そうだよ。獅子神さんたち疲れてるならボクたちが息子君を見てるよ」
「寝てるのを見ていればいいんだろ?」
天堂の言葉に真経津と叶も賛同する。我の強い彼らではあるが友人を労うという感情は存在しているのだ。
「オメーら……」
獅子神は友人の思いやりが素直に心に響いたのか少し目元が潤んでいる。
「では天堂、頼んだ。真経津や叶はなるべく息子から距離を置け」
一方でどこまでも冷静な村雨は雰囲気など知らぬとばかりに二人を牽制した。
「酷いや村雨さん!」
「今のはお願いする流れだろ〜」
「おい村雨!」
それはないだろうと獅子神も村雨を嗜める。
しかし愛息子へ少しでも懸念事項があるのであれば彼は折れることなどない。
「私は息子への危険性を鑑みて的確な発言をしたに過ぎない。この3人の中では天堂が一番子どもの扱い等で信頼が出来る」
「う、まぁ……それも、そうか……」
嗜めていたはずの獅子神も村雨にそう言われればあっさりと納得をしてしまった。
「獅子神さんも酷いや!」
「オレたちの信用度〜」
口を窄めて文句を言う真経津と叶を尻目に、この場で唯一信頼を獲得した天堂は得意気に胸を張る。
「……ふ。勿論だ。この神に任せろ」
幸福の象徴となる家族に慈愛の手を差し伸べるのもまた神の役割だ。