【6/30さめふる新刊②Sample】村雨さんちの礼二君村雨さんちの礼二くん。この頃少し変よ。どうしたのかな。
「というわけで今週の土曜日の日中に悩みを聞いてあげられない?」
「——は?」
母親の唐突な発言にオレは素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。
実はオレの前世は銀行の違法地下賭博で金を稼ぐムキムキマッチョのギャンブラー兼投資家だったんだ。なんて聞いたら皆が口を揃えて言うだろう。
「そういう年頃なのね」と。
オレだって他人からそんなこと言われたら口にしないまでもそう思う。もし本気で言っているなら然るべき医療機関を受診したほうが良いとも思うはずだ。
けれどこれは事実でオレの頭は至極真っ当だ。
オレには前世の記憶がある。
『獅子神敬一』はお世辞にも恵まれた環境の生まれではなかった。自分のことをゴミとしか思わない両親。満足に衣食住を与えられない汚らしい子どもを煙たがるか憐憫の目を向ける周囲。そこから藻掻き抗い、マシな見た目とまとまった金が入るようになれば掌を返したようにすり寄るハイエナのような奴ら。
人間不信になったっておかしくないと思うし、実際彼は酷く慎重で臆病な性格だった。
一方で今のオレは優しい両親に育てられ、金銭的にも何不自由なく暮らしている。他人から向けられる目はまぁ、思うところがないわけではないがおおよそ一般的なものと大差ないだろう。
そんなわけで、あまりにもかけ離れた二つの境遇が存在する頭は当然エラーを起こした。幼少期のオレにとって彼の記憶は悪夢として再現され、その度に叫び起きたことは数しれない。
完全におかしくならなくて済んだのは今のオレが前世とは違う性を受けた事が大きいと考える。性差というのは馬鹿に出来ないもので、オレは彼とは違うと明確に線引きできた。それとアイツらの記憶のおかげだった。
決して美しいものなんかじゃないけれど、それでも彼の中では綺羅星のように輝いていた同じギャンブラー達との記憶。
自分よりも数段以上も上手な友人と接している彼の感情はいつだって明るくて、楽しくて、幸せだった。
前世に縁があった人間とは今世でも会える。
誰が言い始めたのかさえわからないおまじないじみたその言葉を知った時から厄介としか思わなかったこの記憶も少しだけ期待を持てるようになったんだ。
もし出会えるなら、あいつ等に会いたいと。
とはいえ自分の記憶が本当に前世なのか自信を持つことはできなかった。
『獅子神敬一』はこの世に名を残したような偉人でもないので実在したかも定かではない。性別こそ違うものの、金髪碧眼に泣き黒子と今のオレと瓜二つの姿だ。名前だって今の獅子神敬をもじったようなもの。
共通点の多さに、『獅子神敬一』はやはり妄想から生まれたものだと思われても言い返すことも出来ない。実際、アイツらの記憶が無ければオレは早々に妄想と断じて病院に行っていたかもしれない。ちなみにアイツらが妄想かもしれないって可能性については断固として否定する。なぜなら至極真っ当な人生を送っているオレの脳内で一から出力されるような奴らじゃないからだ。
まぁそれでももしかしたら妄想かも、と思わないわけでもなかった。けれど約一年前、オレの前世の記憶は正しいことが証明されてしまった。
それはオレが残り少ない中学校生活を過ごしていた三月の頃だった。
新しく引っ越してきたお隣さんが挨拶しにきたからあなたも挨拶なさい。
母親にそう言われて玄関先に行くと、確かに人の良さそうな夫婦と息子が一人いた。
「初めまして。娘の敬です」
オレは彼らに無難な挨拶と会釈を一つする。
「こちらこそ初めまして。今日から隣に越してきた村雨です」
父親が代表して挨拶をしたのをきっかけに、母親、息子と順に挨拶をしてくる。
村雨、という名字は『獅子神敬一』の友人の中にいた一人と同じ名前だ。そのことに僅かに反応するものの、全く見ない名前でもないだろうと思うことにした。目の前の人物の容姿に見覚えもない。
朗らかな夫婦にオレより少し年上に見える気さくそうな息子。雰囲気から察するに既にオレの両親と打ち解けたようだ。隣人トラブルとは無縁そうでなによりだと安心していると、息子の後ろに小さな人影が見えた。
なんだ、もう一人いたんだな。
気になっていると、相手も気付いたようで一希と名乗った息子は自身の背後へと語りかけた。
「すみません、弟はちょっとシャイで。ほら礼二、挨拶しな」
兄に促されるように名を呼ばれた弟がその背後からそろりと辺りを伺うように顔を表した。
礼二、と呼ばれたその名前の懐かしさを感じるよりも先に視界に捉えた少年の姿にオレは呼吸を忘れた。
ハリネズミみたいにツンツンとした黒髪に特徴的な下がり眉。神経質そうな吊り目と薄い唇。お世辞にも健康的とは言えない血色の悪い肌。
特徴的だったグラスチェーン付の丸眼鏡を付けていないことと年齢以外は記憶の中にいた『村雨礼二』そのものだった。
「むらさめ……?」
自然と口が名を呼んだ。今世では一度も発したことのない単語なのに妙に口馴染が良かった。
蚊が鳴くような声量だったというのにその子どもはオレの呟いた名字をまるで自分のことを指していると疑わないように顔をこちらへ向けた。
一瞬、無表情に見えるその顔が酷く驚いたように見えたのはオレの都合の良い勘違いだろうか。
「獅子神敬だ。よろしくな。……礼二……くん?」
彼に記憶があるのかはわからない。
けれどひとまず不審がられないように挨拶をしよう。
新しい隣人として取り繕った言葉を投げかける。
すると村雨に良く似たその少年はじっとオレを見つめ、一つ会釈をしてまた兄の背中にその姿を隠した。
「こらっ、礼二! 折角お姉さんが挨拶してくれたんだぞ!……すみません、いつもはここまでは人見知りじゃないんですけど。緊張してるみたいで」
父親がぺこぺこと頭を下げる。
お気になさらず。可愛いわね。なんてオレの母親が朗らかに返す。
一方でオレはと言えば、可笑しくて口の中で笑いを噛み殺していた。だって少年のその仕草は記憶の中の傲岸不遜な村雨とはあまりにも違っていたのだから。
オメー今世ではそんな感じなのかよ。とは流石に言わなかった。記憶とかけ離れているのであればきっと彼は新しい『村雨礼二』を過ごしているのかもしれない。
そうしてお隣の村雨一家との挨拶は恙無く終わった。
オレは自室に戻りベッドに横たわる。
仰向けで天井をぼんやりと眺めながら誰に聞かせるまでもなく独り言た。
「本当にいたんだな」
前世の友人とまた会いたいという気持ちに嘘はなかった。しかし望んでいた友との再会に去来する感情は歓喜とも驚きとも違っている。
出会ったことでわかった。オレは友人たちとの再会により、頭の中にいる『獅子神敬一』が実在したという確信が欲しかったのだと。
記憶の中より随分と幼いとはいえ、現実では面識のない人間の名前と容姿が一致した人物が現れた。これはオレの中で『獅子神敬一』という存在を確証させるに充分な証拠になる。
自分の頭がイカれている訳ではなかった。
『獅子神敬一』は確かに存在し、そして何らかの理由で死亡した後に『獅子神敬』として生まれ変わったのだ。
オレはやっと自分という存在を確かに形作れたのだ。
ならば今後はどうしようか。
一般的に女性はハイリスクハイリターンを好まない傾向にあるという。
それが自分自身に当て嵌まるのかは定かではないが、少なくとも今のオレは命を懸けたギャンブルをしたいとは露ほど思わなかった。せっかく授かった第二の人生だ。
記憶にある『獅子神敬一』は二十代後半くらいの年齢までしかない。その先の記憶がないのはきっとそういうことなのだろう。彼の一生はあまりにも早すぎた。ならばその記憶を引き継ぐオレが危ないことなど首を突っ込まず生を謳歌し、あわよくば全うしたいと思うのは至極当然のことだ。
そう考えると〝村雨さんの家の礼二君〟と必要以上に関わらなくてもいいのかもしれない。ましてや相手に記憶が無いのであればなおさらだ。
出会う人で人生は大きく変わることをオレは身を持って知っている。
今のオレと礼二君が互いに影響し合うかなんてわからない。けれどお互いに充実した人生を送ろうな、なんてことを勝手に思った。
そう思った矢先、夕食時に母親から早々に礼二君についての話を聞くことになった。
「明日の登校、礼二君と一緒に行ってあげられない?」
コミュニケーション能力の高いオレの両親は新しく来た隣人一家と早くも沢山の情報交換をしたようだ。
そこから聞き出した情報によると礼二君は現在小学五年生らしい。現在中学三年生のオレとは四歳差か、なんて頭の片隅で思った。
そしてオレの通う中学校と礼二君の通う小学校は隣接している。引っ越して最初の登校日、どうせ同じ道なのだからとオレの母親が提案したようだ。
登校だけ一緒に行けば帰りは同じ方面のクラスメイトと帰るだろう。そんなに難しい道を歩くわけでもなし、構わないとオレは了承した。
互いに別の道を。なんて思ったばかりだが、わざわざ距離を置く理由も必要もない。良好な隣人関係の一つだと思うことにした。
翌朝、登校時間に村雨家へ迎えの呼鈴を鳴らす。すぐに村雨家の母親が応答した。インターフォンの向こうから『礼二! お隣の敬お姉さんが迎えに来てくれたわよ!』なんて声がして微笑ましい限りだ。
さて、人見知りの礼二君は一体どんな子だろうか。
初対面の挨拶は散々だったが、程々に良い関係が築けるならそれに越したことはない。
まだまだ幼い少年だ。「お姉さん」なんて呼ばれて慕われるかもしれない。
前世ではとんと縁のなかった側になる自分に胸を高鳴らせているとカチャリ、と鍵の開く音と共に扉が開いた。
姿を現した彼は昨日と変わらぬ幼い少年だ。
しかし昨日と明確に違うことが一つあった。
今日の少年は丸い形の眼鏡に金属で出来たチェーンを着けていた。
『村雨礼二』のトレードマークとも言える装飾品を身に着けた彼に息を吞む。
「……今日はよろしく頼む」
「うわ、可愛いっ!」
しかし動揺したのは一瞬で。耳に入った愛らしいボーイソプラノに率直な感想が出てしまった。
途端に不愉快そうに目の前の少年の鼻の頭に皺が寄る。失言だったかと口を抑えた。
そうだよな。これくらいの年齢の男の子って可愛いとか言われたくないよな。
それにしてもこの年頃の少年が声変わりを迎えていないことなどよく考えなくてもわかるはずなのに。どうやらオレは『村雨礼二』という存在を意識しすぎてしまったようだ。
一度と小さく息を吸って心を落ち着かせた。
眼の前にいるのは十一歳の少年だ。それ以上でもそれ以外でもない。
「ごめん、ごめん。こちらこそよろしくな。礼二君、て呼んでもいいか?」
しかしオレとしては上手く取り繕ったつもりだったが、相手はそう思ってはくれなかったようで。
「……好きにしろ」
礼二君はそっけない言葉を一つ吐いてから一言も喋らなくなってしまった。
道中の空気が冷たかったのは真冬の朝のせいだけじゃない。
完全に初手を誤った。
それからというもの彼を見かけるとオレは声をかけるのだが反応は会釈をされるだけという、あからさまにマイナスの感情を向けられてしまっている。
ただ不思議なことにお裾分けとか回覧板は決まって礼二君が訪れており、なぜかタイミングが合うようでいつもオレが相手をしていた。
彼はぼそりと聞こえない声で用件を伝え、用が済めば帰っていく。
そんな微妙な距離感で大体一年が経った。未だに礼二君とは親しくなった感覚はない。
そこへ冒頭の母親の「礼二君の悩みを聞いてあげられない?」である。
曰く、最近礼二君のため息が多いのだという。彼の両親がどうしたのかと聞いたところではぐらかさせるばかりなので何故かオレに白羽の矢が立ったというわけだ。
「……オレ嫌われてると思うんだけど」
少なくともここ一年まともに会話も出来ていない人間に頼むことではない。
至極真っ当なことを言ったつもりであったが、母親含めて先方はそうは思っていないようだ。
「そんなことないわよ〜! 村雨さんから礼二君は敬のこと大好きって聞いてるわよ」
いや、気に入られるほどの関係築いてねぇよ。
そう喉まで出かかったが、こういう時の母親は何を言っても無駄だ。加えて相手の両親は本気で悩んでいるということは伝わってきたのでオレは仕方なしに了承することにした。
記憶の中の村雨礼二から悩みを聞き出すなんてことであれば無理だと一蹴する。けれど今の礼二君であれば所詮子どもだ。こちらの方が数年分年上だしなんなら前世分もある。一縷の望みがあるかもしれない。
さてどうしたものか。
ふむ、と腕を組んで今週の土曜と日程をカレンダーで確認をする。
「そうだ」
その日付に一つの案が浮かんだ。