墓守の日常『海月、未遥、おつかいだ。好きなの作ってやる』
死体の声もない平穏な昼下がり。普段通り少しズレた昼食の時間。その蒼樹の一声とともに財布を投げ渡されたのは数分前。彼女の財布は未遥に持たせ、海月は徒歩圏内のスーパーへ向かっていた。
蝉も泣き喚くほどの猛暑。露出した手足に暴力的な日光が照りつけて。しかし少年二人の足取りは鼻歌交じりに軽かった。
蒼樹が炊事当番の日は海月らにとって小さなイベントで。理由は買い出し嫌いの彼女に代わるおつかいのその報酬。己のリクエストが約束された食卓だ。
当番制の炊事はほとんどの場合作り手の好みが反映される。故に、いつも必ず全員のリクエストが通るとは限らない。加えて、食べ盛り男子高校生の胃袋を鷲掴む彼女の豪快な量と味付け。そのひと手間を嫌がる者は居なかった。
うだる暑さに追い打ちをかけるような空腹に海月は口を開いた。
「こりゃあそうめん一択だね」
「お前そうめん派?俺うどん」
「うぁあ……うどんもいいなぁ細いヤツ」
「どっちも買ってこうぜ。俺そうめんも食いたい」
徐々に輪郭を帯びる、想像した近い未来に喉が鳴って。ようやくたどり着いた目的地。自動ドアの先、冷蔵庫のような冷たい香りに包まれ気の抜けた声を洩らす。汗が引いていく感覚に浸りながら、海月はカゴを持った。
真っ先に向かう目当てのコーナー。爽やかな色使いのポップが並ぶ棚。そうめん、うどんの文字を探し、夏らしい文言を流し見て、ふと一際目立つそれに二人の目が止まった。
「……カヅ」
「……うん。多分同じこと考えてる」
「最高。……醤油派?」
「胡麻。どっちも買ってこ」
目当ての品そっちのけで、流れるようにカゴに納められた冷やし中華のパッケージ。完全に切り替わった舌に遂に空腹が声を上げる。プリントされたイメージ写真を見比べながら未遥は楽しげに呟いた。
「だとしたら具も買わないとだな。卵……は家にある。きゅうりとトマトに焼き豚……これはカニカマか。あと何か入れたっけ」
「……ミユちゃんが作るの、キムチ乗ってた」
「まじ?珍し。採用」
食材を求めてふらりと店内を回って。途中上がった具材の候補もいくつか追加。重くなったカゴを持ち直し、未遥の軽い心配に笑顔を返しながら二人は並んでレジへ向かった。
冷食の陳列される冷凍庫の間を進んで。ふと、その冷涼に店外の猛暑を思い出し海月は足を止めた。ねぇ、と気付かず進む未遥の裾を引く。
「アイス食いたくね?」
「食ぅ……や、待ってこれ蒼樹さんの財布」
「それは……わかってるけどさぁ……僕たち帰るまでに溶けちゃうよぉ」
この涼しさを味わえば尚更。近所と言えどあの酷暑では帰りの道のりは過酷だ。いくら力に自信があろうと人数分の食材が軽くなる訳でもない。
葛藤。しかしそれもそう長くは続かなかった。
無言のまま冷凍庫を開け放って。各々目に止まったソーダとコーラの氷菓を手に取りカゴに追加。背徳感にぞわりと気分が高揚。したり顔で笑い合い、意味もなく逃げるように二人は空いたレジへ並んだ。
*
むん、と瞬時に快適な涼を奪う熱っぽい外気。二つに分けられた買い物袋を手に持ちながら、二人は戦利品の封をあけた。
自然と重なる乾杯。既に僅かに溶け始めた冷気を放つそれを齧ると、シャク、と軽い口当たりとともに爽やかな甘さが口内を冷やす。
「うあぁ……」
「大正解でしょ」
「天才」
炎天下と人の金という罪悪感も相まってか、百円に満たないシンプルなそれは一つ数百円のブランド同等に昇華。普段の数倍美味しく感じる氷菓を食べながら帰路に着く。
「――そういやゴマだれにキムチって合うのか?」
「うん。意外?試してみなよ」
「んん……ひと口だけくれね?お前の舌ちょっと信用ない」
「失礼な」
当たったことの無い当たり付きのそれは包装と共にゴミ箱行き。前方に捉えたライトの消されたBARの文字に足は無意識に早まった。扉を開くとカランと聞きなれたドアベルが二人を迎える。店内は無人。
古いエレベーターで降りた地下。〝家〟の匂いに包まれながらただいま、と間延びした声を掛けて。共有スペースの扉を開けると一人ソファに寝そべっていた蒼樹がおかえりと気だるげに片手を挙げた。
「蒼樹さん腹減ったぁ」
「おう、何買ってきた?」
「冷やし中華!」
「いいじゃん、今日暑いもんなぁ。アイスでも頼めばよかった」
買い物袋を手渡して。重ぉ、とキッチンへ向かう彼女にふと未遥と視線が交わる。蒼樹の顔を見て、今になってはっきりと芽生えた罪悪感と気まずさに。壁にかけられたエプロンを結び袋の中身を物色し始めた彼女の傍に揃って寄っていく。
「蒼樹さぁん……」
「んー?」
「……ごめんアイス食べたぁ」
「……ッふ」
言うなら今だと。どちらともなく懺悔した声に、しかし蒼樹は可笑しそうに吹き出した。
「なんだもう、可愛いなお前らは!いいよそんくらい、二個でも三個でも食ってこい」
わしゃわしゃと同時に頭を撫でられ情けない悲鳴をあげて。じゃあ手伝ってくれるな、と冗談めかして手渡された野菜を大人しく受け取る。素直に手伝う姿勢を見せた二人にまた蒼樹はケラケラと笑った。
「なに、ダッツでも食ったの」
「ううん、ガ○ガ○君」
「んだよ、安上がりな奴らだな。美味かった?」
「うん」
「んッ、ふ、……良かったなぁ」
トントンと規則正しく包丁がまな板を打つ音が響く部屋。割り溶いた卵は薄く焼かれ、その他具材も手際よく食べやすい大きさ量に調理されていく。やがて鍋の水が煮立つと人数分以上の麺を涼しい顔で放り込む蒼樹の額にじわりと汗が滲んだ。
「あっつぅ……私の分だけ買ってきてくれても良かったんだぜ?」
「……次は買ってくる。ダッツ派?」
「いや、レデ○ーボ○デン」
「いいね、ミニカップ?」
「バカ言うな、パイント一択だろ?いちごな」
茹で上がりの頃。共有スペースの扉が開かれ、料理の音に釣られたように他の家族も顔を出して。一番乗りに真実がキッチンを覗く。
「え!今日冷やし中華?センス良〜!」
「だろ?胡麻がいい人ー」
「どっちもある感じ?はーい!紗世は?どーする?」
「んー……醤油にしようかな」
「俺も醤油」
「燈莉は?」
「後で来るって、残った方でいいよ」
次第に広いダイニングテーブルに並ぶ人数分の皿。色とりどりの具材が乗った山盛りの麺が、得意げにライトを受けててらてらと輝いて。
各定位置へ未遥が箸を並べる。遅れた燈莉も空腹に誘われるように顔を出し、テーブルを囲うように家族が集った。いただきますの声が揃う。
冷水で引き締まった麺のつるんとした喉越し。丁寧に切られた野菜はシャキシャキと新鮮な歯ごたえ。濃厚な胡麻の香り。てんと乗ったキムチのピリリとした酸味はアクセントとなり、体内に籠るような夏の怠さを晴らして。身体の求めていた食事に箸は止まらず、軽快に空腹を満たしていく。
「カヅ、一口」
「ん」
思い出した約束に皿を差し出して。手をつけた未遥を尻目に空いた彼のそれをそっと奪取。無遠慮な大口で一口啜れば、醤油のさっぱりとした味わいが大きめに切られた濃い味付けの焼き豚にバランスよく絡み合い口いっぱいに広がった。これもまた美味。
「……どうよ、ハル」
「…………うまい」
「でしょ?」
どこか不服そうに、しかし美味しそうに麺を頬張る未遥にふふんと笑って。
不揃いのごちそうさま。皿洗いは真実と唯葉が手伝いを引き受けて。食後の団欒。死屍守の居ない平和な一時である。
***
この後、暇を持て余した彼らによって開催されたボドゲ会。優勝者には後日アイスが贈呈されたらしい。