Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    GoodHjk

    スタンプ?ありがたきしあわせです‼️

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🎃 ⚰ 🚑 🚨
    POIPOI 23

    GoodHjk

    ☆quiet follow

    【巽零】雰囲気La MortAU|本編後捏造|最初から最後まで妄想

    ##巽零

    夜半噤む果実 残寒余寒と言うにふさわしい季節のはずが、その夜はひどく吹雪いて、文字どおり一寸先も伺えぬような荒天が行手を塞いでおりました。日中はほろほろと、暗澹たる風情で肩に積もる程度だった氷雪が、俄かにその勢いを増しはじめたのは、まだ日が暮れて間もない時分だったと記憶しています。或いは、目的地である教会で、日没を報せる鐘が遠く、重々しい間隔をあけて、厳かに鳴り響いたのを耳にしてからでしょうか。それとも、首都より遠路遥々旅をしてきた俺が、ようやくこの町へ足を踏み入れたのと殆ど同刻か──それは言うなれば、まるで、町自体が侵入者を阻もうとでもするかのように。
     元が寒冷な土地であるゆえに、居並ぶ家屋は黒々として硬質な、分厚い木材を隙間なく組んで建てられていて、それがまた取りつく島もない怜悧な趣を感じさせます。道の端には掻き分けられた泥混じりの雪が膝ほどの高さに固まっており、俺が町の門をくぐった頃には、道路にも歩道にも見境なく積雪しだして、たちまち足首までもが雪中に沈んでしまいました。不幸なことに、俺の靴は防水靴でも防寒靴でもなく、法衣と揃いの革靴でしたから、下衣の裾も靴下も無惨に、凍てる水気にやられ、歩くごとに痛みさえ覚える始末でした。町人はみな、この悪天候を察していたかのように息をひそめて、暗夜迫る通りには影ひとつ、灯りひとつ見受けられません。
     吹雪はいよいよ猛り、放埒に吹き荒れる暴風も加わって波濤のごとくに押し寄せ、数歩進んでは背を丸めて、絶え間なく降り注ぐ雪片から顔や身体を守らねばなりませんでした。このペースで歩いていては、今夜中に目標地点へ到ることはとても叶わないでしょう。首都より受けた命のために、俺にはこの町にある教会を目指す必要がありました。しかし、教会は町のひと際外れに位置している上に、斑に降りしきる白雪が視界を覆い尽くし、その存在や方角をすっかり隠してしまっています。
    一歩踏み出すごとに、足元へまとわりつく霙に体温を奪われ、足先はもはや疼痛さえも訴えなくなり、危うい無感覚に支配されはじめました。このままあと十数分も経てば下肢の末端には凍傷が起こり、立ち往生を余儀なくされるでしょう。雪深い地域とは聞いていましたが、早晩春の兆しも訪れようという時節、よもやこれほどに降るとは想像もできず、軽装備で首都を発った我が身を悔いずにはいられませんでした。
     ともあれ、いつまでもそうして雪に半身を沈めて懺悔に暮れているわけにもいきませんから、俺は手近な民家の門戸を叩くことを決意しました。一晩とは言いません、この過酷な冷雨が止むか、そうでなくともましになるまで中で休ませてもらえないかと考えたのです。俺はやっとの思いで道の端へ寄って、防寒具と呼ぶにはあまりに心許ない、薄手の祭礼用の手袋をはめた手で、出せる限りの力を込めて、通りすがる家また家の戸を鳴らしましたが、いずれの扉も重々しく口を閉ざしたきりで、壁越しに人の動く気配さえも感ぜられませんでした。よろよろと、今し頽れそうな頼りない足取りで、いったい何軒の町家を尋ね歩いたことでしょう。しとどに降りかかる雪が、纏うた祭服に余すところなく沁み入り、恰も緻密な氷片で編まれた重たい鎧に全身を包まれているような、逃げ場のない絶望的な予感に胸を塞がれた時のことでした。
     蹌踉めくままに縋ったとある民家の玄関口で、斃れまいと咄嗟に凍りついた銅の把手を掴んだ時、弾みで木戸が手前に開かれたのです。その扉には、錠が為されていませんでした。これこそは無情の雪に閉ざされた迷宮に垂れるアリアドネの糸と、藁をも掴む心境で、俺は建物の中に転がり込みました。
     そこは、一見して空き家のようでした。白雪が舞っている分、外の方が明るく見えるくらいには屋内は昏く、静まりかえっていて、俺が崩れ伏した木床には、うっすらと埃の層が形成されています。端には木組のベッドが設置されており、毛布や敷布はひと通り残っている様子でした。反対側に張り出した窓辺には、細い曲線を描く鉄製のテーブルと椅子があり、卓上には空の花瓶が乗っています。奥には老朽した暖炉がありました。俺は身体を引きずるようにして起き上がり、火の気を求めて暖炉を目指しました。ところが、肝心の薪が側にはなく、また、投じる火種も持ち合わせてはおりませんでした。通常、こういう造りの家屋であれば、薪は家の裏手や倉庫などに常備されているはずなのですが、空き家ともなるとその望みは限りなく薄いでしょう。それに、仮令焚べる木材があったとしても、そこに火をつけられるような燐寸の類いはどこにもないのです。暫し途方には暮れたものの、一先ずこの濡れそぼる衣服を脱いでしまって、寝具の上の乾いた布で全身を覆い、せめてもの暖を取ろうと考えて、不注意に視線を巡らせた際のことでした。
     暖炉のすぐ脇、無造作に据えられた古びたカウチ、その上に、誰かが横たわっているのです。肘置きに仰向けの頭を凭れ、眠っているか、そうでないならば既に魂を神にお返ししたかのような風体で、微動だにしません。無人の空き家と早合点していたために、その時の俺が受けた衝撃は筆舌に尽くしがたく、心臓が止まるのではと危ぶむほどの驚嘆と恐怖とが喉を塞ぎ、ろくに声も出せず、おかげで情けない悲鳴をあげることだけは免れました。途端に俺は、今にも気を失いそうな寒さのことも、凍えきって感覚のない肉体のこともまるきり忘れてしまって、その場へ静かに膝をつき、ひと時ないしは永遠の眠りに就いている誰かの寝姿を慎重に見つめました。
     まず目についたのは、その人が身に纏っている漆黒の衣装です。首元から足先までを覆う厚手の黒布、右肩より垂れる微細な紋入りの飾り布、そして胸の中心で鈍く輝く、やや歪な意匠ながらも精巧な十字架を模した金ブローチは俺に、否が応にも宗教指導者の纏う法衣を連想させました。普遍的な十字に短い斜め十字を重ね合わせたような形は、主要な教派では見たことのないものでしたが、十字を胸にいただくということは、少なからず何らかの信仰や信念を掲げているという証左です。それから、夜闇に翳る室内で、天を向いたその相貌の、なんと白かったことでしょう。燐光でもまぶしてあるのかと錯覚するほどに目映い、朧な春霞に烟る月光にも似た、実体のない、透けるような幽鬼の白さは、とてもこの世のものとは思われませんでした。やや痩せぎすの頬骨から顎までの輪郭が白刃のように鋭利で、瞼を固く閉ざしていてなお、触れれば切れてしまいそうな、威圧的で排他的な雰囲気を放っています。磁器のように青褪めた額に垂れる癖毛の、冷ややかに濡れた闇色が、その肌の恐ろしい蒼白さを際立たせていました。身長は恐らく俺と同じくらいか、それより少し高いくらいでしょうか。面差しは、角度を変えれば少年のようにあどけなく見えましたが、どことなく草臥れ、やつれているようにも感ぜられます。骨格や身体つきを見るに、何もかも──生死さえも不明確なこの人物は、どちらかといえば男性と判ずるにふさわしく思われました。ところが、カウチに身を乗り出すまでに近づいても、彼の生死ばかりは一向に分かりませんでした。血の気のない蝋色の顔貌の中心に結ばれた、まるで生き血を吸ったように朱い薄唇を注意深く眺めても、それが生きた人のものであるか、それとも死人のそれであるか、どうしても判別が叶わないのです。腹の上で悠然と組まれている痩せた手指も、伏せられた濡羽の睫毛も、そよともすることはなく、それこそ等身大の蝋人形が、好事家であった主人を失くし、行き場もなく、もの悲しく打ち捨てられているみたいでした。
     その時俺はふと、彼を包んでいる衣服、神にお仕えする神官たちが纏う法衣にそっくりな黒布をじかに改めたくなって、己が意志では関節ひとつ曲げることができないほどに凍てついた指先を徐ろに、眠る男の肩の辺りへ伸ばしたのです。その指が、布へ触れるか触れぬかというところで、突如として何かに捕らえられました。
    「……人間か、」
     天より降ったか地より響いたか、不意に鼓膜を揺るがしたその声、少なくとも人のものとは思われぬその超然たる声色がどこから聞こえたものか、想定外の事態に見舞われ、呼吸とともに思考も止めてしまった、放心状態の俺に判じられるはずもありませんでした。それは、年経りし老木の虚を吹き抜ける夜風のようであり、また、夜陰に身を潜めて獲物を狙う、猛禽の小語のようでもありました。背筋の粟立つような不気味な快感が、瞬く間に身体中の血管を駆け巡りました。
     寒さと戦慄で硬直した俺の腕を掴んでいたのは、他ならぬ、俺が等身大の蝋人形と喩えたほどに正体の隠然としたその人の、針金のように冷ややかな五指だったのです。
     そして、緩慢とこちらを向いたその瞳の──ああ、彼の瞳の、なんと赤かったことでしょう。その生き血を吸ったような真一文字の朱脣よりも、燃ゆる落日よりも、盛りの秋薔薇よりもずっと赤い、俗世に比類なき鮮やかな赤。縦しんばサタンが肉の殻を得たならば、その目はちょうどこんな風合いの、さながら、煮え滾るゲヘナの火の炉のような色を湛えていたのではないでしょうか。見るものの魂をひと突きで縫い留め、じわじわと灼き焦がす地獄の劫火。恐ろしくてたまらないのに、まるで邪悪な魔法にかけられたかのように、目を背けることを許されないのです。ぞっとするような恐怖に魅入られる心地は、これまでに経験したことのないもので、俺は、胸中に激しく吹き荒れるやり場のない錯愕を、ロザリオや聖書に触れて慰めることもできないまま、ただ、超自然的な気配を纏う男を凝視しておりました。
    「あなたは……」
     問いかけるでもなく語りかけるでもなく、やり場のない独り言、それも破れ目を辛うじて吹き抜ける空風にも似た幽かな声が、まともな声として発されたのかどうか、俺には甚だ自信がありませんでした。己がどういう意図を以てして、この超然と横たわる人物に話しかけたのかも判らないまま、誘われるようにひとりでに喋りだしていたのです。自制の箍の外れるような、自我が理性を抜け出るような、不可解な現象に慄く俺を、男は、真紅の双眸を胡乱にまたたかせて見つめました。その表情がやけに人間じみていたために、俺は内心に、若干の平安を取り戻すことができました。
    「知る必要はない」男は低く、唸るように呟いたものの、すぐさまもの思わしげに眉を顰め、かぶりを振りました。排他的といって差し支えないほどの刺々しさを纏う態度の、後に続く言葉はしかし驚くほどに優しく、先の発言とは裏腹に、対話の意志さえ感ぜられたのです。「それより、君はここで何をしている」
    「……申し訳ありません、てっきりここは空き家だと思っていたんです。俺は、この村の教会にちょっとした用があって、首都から遥々派遣されて参ったのです。ですが、ご覧のとおりの悪天候に行く手を阻まれてしまいまして。せめて、風雪が弱まるまで屋内で休ませてはもらえないものかと、手当たり次第に家々を訪ねていたところ、偶さかここに行き当たったんです。ご迷惑ならば今すぐに出ていきますから……」
     俺の声は憐れに顫えて、抑揚も失い、尻すぼみに掠れ、聞くに堪えませんでした。毎夕主を祀る祭壇の前に立ち、居並ぶ大勢の信徒に向かって滔々と説教をしていた自分の姿が、刹那皮肉な風合いを帯びて脳裏を過ぎり、あっという間に掻き消えてしまいました。その時、手の届かぬ幻のように遠のいていったのは過去の影ではなく、健常な意識であったということを俺が知ったのは、もっと後のことです。
     俺はこの謎めいた人物に同情を期待しませんでした。というのも、聖職に就くものとしておかしなことではありますが、かといって彼を冷淡だとか、無情だとか思い込んでいたわけでは決してありません。むしろ、よそよそしくありながらも歩み寄ろうとするかのような、不器用な親しみに似たものを感じていて、まだ数語も交わしていないというのに、ささやかな好意を抱いていたほどでした。ただ、弱り果てていた俺には、凍てつく地上よりも天国の門の方が近しく思われ、たとえ今ここで彼に外へ放り出されたとしても、じき訪れるであろう死を至極穏やかな心で受け容れられただろうと、ふしぎとそんなふうに信じられたのでした。
    「その必要はない」彼は、先刻とそっくりな語調でそう言いましたが、教会という言葉を耳にした時、憂いの燃える瞳に、微かな好奇の色を宿したように見えました。それは、彼の着ている衣装が法衣や祭服に酷似していることに関係しているのだろうかと、俺は千々に霧散しそうな意識の片隅で考えておりました。「……どうりで、氷のように冷えきっている。今にも凍りついて、動かなくなってしまいそうなほどに。それに、どうやら君の意識はもう限界のようだ。まったく、人は、どうしてこうも脆いのだろう?」
     彼は婉然とした口調でそう言って、カウチの上で大儀そうに上体を起こしました。埃がちらちらと粉雪のように舞うなかに、ほとんど人形そっくりな男が、マリオネットじみたぎこちない仕草で起き上がる様は、ぬるい湯舟のなかで見る悪夢に似ていて、鈍い睡気が一段と強くなりました。骨張った五指は掴んでいた俺の手首をやおらに撫ぜ、そっと解放しました。それは、感覚を失っていることが惜しく思われるくらいに優美な手つきでした。
    「火を入れよう」
     寒冷な土地で日々を過ごすのにふさわしく分厚い衣服の裾を払って、彼は立ち上がりました。こうして見上げると、俺よりもだいぶ上背がありそうでしたが、痩せた体躯に威圧感はなく、ただ染み入るようなさやけさと、人間離れした反俗的な風格が潜んでおりました。
     彼は足音もなく暖炉のそばへ寄りましたが、俺が調べた限りでは、そこには燃焼剤も着火剤もありません。この家屋が真実彼のものならば、よもや備蓄を切らしていることを忘れてしまっているのだろうかと疑問を抱いて、俺はかぶりを振りました。「いいえ、ですが、この家に木材や燐寸は……」
     この時、眼前でいったい何が起こったのか、俺には今を以て説明することが叶いません。それどころか、理解することさえできていないのです。それは驚くべき──いいえ、驚嘆などを軽々しく超越し、さらに人の世の理さえも外れた、それこそ魔法のように摩訶不思議な未知の現象でした。俺はもう完全に意識を失って、夢を見ているのだと、実際に目が覚めるまではそう信じて疑いませんでした。
     彼は、炉の前に跪いて片腕を静かにふるいました。すると、火の粉が爆ぜる音がして、そこに小さな橙色の光が点り、瞬く間に火勢を増して、激しく燃え上がったのです。それは決して幻覚ではなく、しばらくすると温かな熱が伝播し、蕩けるような心地好さが足下から這い上り、全身を寛容に包み込みました。冷えきった衣類に沁み渡り、凍りついた心身を溶かし、無意識という安寧に誘う温もりに抗うすべを、俺は知りませんでした。
     俺が呆気にとられて彼を見つめると、彼は慎重に火を睨んでいた双眸を──燃ゆる落日よりも、盛りの秋薔薇よりもずっと赤いふたつの眼を、こちらに向けました。俺はもはや恐怖を感じませんでした。睡気と疲労で思考が麻痺していたのかもしれませんし、次々と起こる不可思議な出来事に参ってしまっていたのかもしれません。細められた瞳は奇しくも微笑んでいるように見えて、俺はその時、あろうことか、主に抱くものに程近いような親しみと愛しさを、見ず知らずの彼に対して覚えたのでした。
    「あなたは、いったい……」
    「知る必要はない」
     蒼褪めた肌を黒衣に包んだ男は、最後まで取り付く島もない風情を貫く心算のようでしたが、当の発言が再三繰り返してきた科白とまったく同じであったためか、終いに自嘲を含んだ溜息のような笑みを遠慮がちに洩らしました。その瞬間、凍てる氷雪が優しい春風のなかに溶けるように、緊張がほどけ、強張っていた身体から力が抜けていくのがわかりました。
     俺は次第に、彼が横たわっていたカウチに前のめりに凭れ、混濁する意識の薄靄に包まれながら、緩慢と、しかし確かに脈打つ自身の鼓動、生命の音をひたすらに感じておりました。弾ける火の粉が軽妙に刻む半濁音と、ゆらめく焔から伝わる熱の波が、たおやかなゆりかごとなって微睡を招きます。全身の筋肉が弛緩し、口を開くことも、まばたきをすることもたまらなく億劫でしたが、それでも俺は、交わった視線を自ら逸らすことはしませんでした。
     そうして俺が、泥のように濃密な睡眠欲求にささやかな抵抗を続けていることを、彼は心底から訝しむように、嶮しく眉をひそめました。
    「……眠れ、人の子よ。目が覚める頃には雪も止んでいるだろう」そう言って、束の間伏せられた眼差しが、一拍置いてふたたび差し向けられた時、その目に宿った仄暗く輝かしい痛切な信念を、俺は永劫忘れ得ないでしょう。「永遠に続く雪など、どこにもありはしないのだから」
     このとおり、俺は現在も健やかに生きながらえておりますから、こんなふうに記すのも甚だおかしなことではありますが、当時の俺はこのことを臨死体験のように感じていました。眠りの深淵に誘われる心地は、我知らず頬の弛むような極上の快さを内包しており、いつか主の御許へ上げられる折にはこんな心持ちになるのではないかとさえ思われたのです。また、そうであるならば、俺が出逢った人物──浮世離れした、等身大の蝋人形のような、謎めいた男は、俺を安息へと導こうとする主の遣い、俗世で言われる死神のような存在だったのではないかと、そんなばかげたことまで考えました。あの夜空き家で起こったことは、それほどに現実感を欠いていたのです。
     その後、間もなく俺は眠りに落ちましたが、夢か現かも判然としない鮮明な幻を視ました。非現実的な現実と現実的な非現実の境で、綯い交ぜになった真実と虚実が魅せる迷妄幻惑の果てに、俺は、今置かれているものとまったく同じ状況のなか、埃っぽいカウチに伏せる自分自身を、どこからか見下ろしておりました。
     暖炉の前でしばらく俺を見つめていた黒衣の男は、ふと眠る俺のそばへ近づくと、抱き寄せるように両腕を背へ回し、後ろ首のあたりにある祭服の金具を外しました。風雪に曝されて凍てついた衣装を脱がせてくれているのだと思いました。彼は手際よく作業を進めながら、俺の耳元で幽かに囁きました。「いずれ、また逢うことになるだろう」

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    GoodHjk

    DONE【渉零】新衣装の話
    天性回遊 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
     ──モーリス・メーテルリンク『青い鳥』




     ひと言で言い表すならば洗練された、瀟洒な、或いは気品溢れる、いずれの賛辞が相応かと択ぶに択ばれぬまま、密やかに伸ばした指先で、コートの広い襟をなぞる。緻密に織り込まれた濃青色の硬質な生地は、撮影小道具であるカウチの上に仰向けに横たわる男の、胸元のあたりで不審なほどに円やかな半円を描き、さながら内側に豊満なる果実でも隠し果せているかのように膨らんでいる。指先を外衣のあわせからなかへと滑り込ませると、ひと肌よりもいっそう温かい、小さな生命のかたまりへと触れた。
     かたまりが震え、幽かな、くぐもった声で抗議をする。どうやら貴重な休息の邪魔をしてしまったようだと小声で詫びを入れれば、返ってきたのは、今し自堕落なそぶりで寝こけていた男、日々樹渉の押し殺した朗笑だった。床にまで垂れた薄氷の長髪が殊更愉しげに顫えている。この寝姿が演技ならば、ここは紛れもなく彼の舞台の上であり、夕刻になって特段用もなく大道具部屋へ赴く気になったことも既に、シナリオの一部だったのだろう。
    1993