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    nktu_pdu

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    新泉、想定としてはM1。

    新田明朗✖️小泉光落書き サークル東棟の一階にある山岳部の部室のドアを開けると、大抵は誰かしらが暇を潰していた。日本の名峰が数多く揃い、その八割が山である長野県にあるこの大学では、わざわざ県外から”山岳部目当てに”入学してくるような人間も少ないが存在している。ゆえに部員の数は全国の山岳系サークルに比べれば多いのだ。
     と言ってももちろん、試験期間や長期休み中、深夜など、人がいない時間も存在する。それは当然の話だ。
     その日は、ドアを開けると二つ下の後輩が、誰かの置いていったゲーム機——いわゆる「64」というやつだ——を、これまた誰かが置いていったブラウン管テレビにつなげて、マリオカートをやっていた。確か自分が小学生の時に発売されたゲームだったが、案外、今でも画面を見ているだけで楽しい。
    「一人だけか」
    「そうですけど」
     彼女はテレビ画面を見つめたまま答えた。感情の込められていないサバサバとした返事に、小泉はわずかに肩をすくめて、これまた誰かが校内で拾って置いていった二人がけの苔色をしたソファーに座った。座るたびに不安なほどギシリと金属的な悲鳴をあげるソファーで、ところどころ、皮が破れて中身のクッション材が飛び出していた。
     キャンプ用の折りたたみ机の上に置かれた「山と渓谷」を手に取る。この雑誌を定期購読している部員が、読み終わったものを置いていくのだ。
     テレビの方から聞こえてくる陽気なゲーム音楽に、小泉の雑誌を捲る音が時折混じる。

     一際甲高い音がして、小泉は顔を上げた。確か、ゴールした時の効果音だ。後輩は、一位でゴールしていた。後輩はひょいと左手を上げて拳を握ると、えい、と腕を伸ばした。
    「おめでとう」
     小泉が声をかけてやると、後輩はゆっくりと左手を下げ、そしてテレビ画面から目を離さずに、ポツリと言葉を漏らした。
    「先輩と新田さんって、付き合ってたりしますか?」
     それは一位でゴールした喜びを表すものではなかった。
     後輩がたった今発した言葉の意味を理解して、小泉は硬直した。ページをめくりかけていた指先が、ぴくりと震えてページにシワを作ったまま止まる。
    「——は?」
    「あ、いや。なんか……この前、見たんで。小泉先輩と新田さんがそういうことしてるの」
     咄嗟に出すべき言葉を探すが、脳のどこかに絡まって出てこない。その隙に生じてしまった沈黙は、後輩の言葉を軽く冗談として受け流すための鮮度を失わせてしまっていた。きちんと置かれてしまった言葉を返却することはもうできない。
     目の前に置かれたその言葉に、かつての部室での記憶が反射する。手首を掴む指の力がやけに強かったこと。勝手に追い詰められた様子で自分の名前を呼んでいたこと。カーテンのない窓から差し込んだ月の光のせいで認識できた新田の口元にある微笑が今にも崩れそうであったこと。そしてそれに——弱い人間のそれを認めてしまった自分が、彼を跳ね除けられなかったこと。ぎり、と奥歯を食いしばる。見られていたのか。
    「わー、って思ってすぐ帰ったので見間違いかもしれないんですけど。でも、小泉先輩と新田さんって、ものすごく距離近いじゃないですか」
    「……それは、あいつにパーソナルスペースの概念がないからだよ」
     最後の言葉にだけ答えて、雑誌に目をやり、中途半端な状態で止まっていたページを、ゆっくりと捲る。目の前に現れたページの内容は、全く頭に入ってこない。慎重に呼吸をするよう心がける。胸の奥で、心臓が鳴っている。もしかしたら後輩は、今、こちらに振り返っているのかもしれないが、それを確かめることはできなかった。
     日本語がずらずらと並べられた紙面を、意味もわからずにただ眺めている。
    「違うならいいですけど。いや……ダメか。もっとダメか。よくないのか」
     後輩はブツブツと億劫そうに呟いていた。
    「こういうこと言うと生意気って思われるかもしれないですけど、わたしは小泉先輩のことを結構尊敬しているので、あえて言いますね。あの人、相当やばいですよ。やめた方がいいですよ」
     あの人というのは——間違いなく、新田のことだろう。
    「あんなぼーっとしている奴が?」
     笑ってみると、それは思ったより嘲笑に似た響きになった。その響きに冷静さを取り戻してスッと小泉が顔をあげると、後輩はテレビ画面に顔を向けたままだった。短く切り揃えられた髪と肩の間から覗くうなじを、焦点を合わせずにぼんやりと眺める。
    「ぼーっとしてるのにパーソナルスペースの概念がないやつとか、絶対やばいじゃないですか。動物だったら絶滅してますね」
    「なんだそれ……」
    「でもそういうヤツほど、ある環境では繁殖していたりするんですよ。ドードーみたいに」
    「絶滅してるじゃん」
    「まあそうですけど、人間に見つかるまではそれなりに数がいたわけじゃないですか」
     それに、ドードーってイラストをよくみると案外怖いですよ——と、彼女は淡々と続けた。知識としては知っているが、どんな姿をしていただろうか。飛べなくなった短い羽や、丸みを帯びた尻は思い出せるが、顔については大きな嘴があったくらいで、細部を思い出せない。
    「まあイラストなんで実際は可愛かったかもしれないですけど。でも不思議の国のアリスにも出てくるし……なんか新田さん見てると、ドードーを思い出します」
     確か、ドードーは——人間に恐怖心を抱かず、近寄っても逃げることはなかったから、乱獲されて絶滅したのだったか。捕まる時にどんな目で——人間を見ていたのだろう。後輩の言葉のせいか、小泉は新田の瞳を思い出していた。こちらに向けられているようで、微妙にそらされる瞳。そのくせ、いつも何か探るような気配を感じる瞳。
     ああそうだ。
     あの時も、自分は彼の瞳を見て——動けなくなったのではなかったか。薄暗い部室の中で、人工的な光がない空間の中で、それでもなお、ここにあるのが彼の瞳であると理解できるほど近づけられたそれに。
     きちんと自分に対して、息を飲むほど真っ直ぐと向けらえた、その双眸に。
     自分の意識は、ぐちゃぐちゃに塗り潰されたのだ。
     嫌悪も、拒絶も、同情も、全て。
     いつのまにか、近づかれていた。
     近づいて、触れられていた。
     気づいたら、捕らえられていた。昔、どこかに存在していたドードーのように。
     ちり、と自己嫌悪が頭痛のように頭の端に走る。
     本能的に顔を顰めると、その瞬間を見計らったように、後輩がこちらを振り向いた。彼女の表情は、単純に読み取るのであれば、少し悲しそうだった。
    「心配かけて、悪いな」
    「……」
     彼女は黙っている。
    「でも、大丈夫だから」
     きっとどうにもならないから、大丈夫。


    (首を絞められるのはどちらの鳥か。)
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