宮間お誕生日記念落書き 何度も鳴らされていたクラッカーから飛び出したのであろう、細長い色紙が床に点々と落ちている。誰かが踏んでちぎれかけていたり、靴の跡がついていたり、みすぼらしい姿になって落ちているそれらを眺めていると、喧騒の後の静けさが急に強く感じられて、キンと耳が痛むようだった。
もらった半透明のゴミ袋の口を開いて、落ちているそれらを放り込んでいく。他にも食べ物のカスだったり、ワインのコルクだったり、お菓子の包装紙だったり、雑多なゴミが散らばっていた。この宴会場の貸し出し期限である夕方までには片付け終わるだろうが、さっさと終わらせられるほど、優しい作業ではなさそうだ。
ウーと、低く唸る声が聞こえて振り返ると、壁際に置かれたソファーの上に寝転んでいたパーティーの主役が、ごろりと寝返りを打つところだった。
新田はつかつかとソファーへ近づくと、上から顔を覗き込んだ。
「寝てないで少しは手伝ってよ」
彼は思い切り眉をひそめて、薄っすらと目を開いた。ぼさぼさに乱れた前髪が、頬を隠している。
「ぜったいやだ」
そう答えた彼――昨日誕生日を迎えた宮間という男――は、新田の視線を断ち切るようにソファーの背もたれ側へ顔をうずめて黙り込んでしまった。宮間に聞こえるようわざとらしくため息をついて、新田はゴミ袋を引きずりつつ、片付けへと戻った。
部屋の入り口付近では、不幸にも新田と同じように片付けを命じられた青年がいそいそとゴミ拾いを続けていた。新田はその青年に近づくと、「ご苦労さま」と声をかけた。青年が顔をあげて、新田を見つめる。大人しそうな、特筆すべき特徴のない黒髪の青年だ。彼は遠慮がちに口元へ笑みを添えると、小さく頭を下げた。何度か宮間といるところを見たことがあるが、名前は忘れてしまった。話が続かず黙ったままの新田に見切りをつけたのか、彼はもう一度頭を下げると作業に戻ってしまった。
この場で一番頼りになるはずの宮間の秘書は、残った飲食物をどう処理するか相談するために宴会場から出ていったまま戻ってこない。新田は青年から離れて、ゴミ拾いを再開した。
だらんと伸ばされた宮間の膝を折ってスペースを作り、新田はソファーに腰掛けた。
「おい、何サボってんだよ」
「もうほとんど終わったんだよ。あとは業者の人がクリーニングして終わりだって」
すっかりゴミのなくなった宴会場をぐるりと見回す。隅に積まれたゴミ袋のなかには、祝祭の残り滓が詰まっていた。あれだけ騒いでいた人たちも、今頃は日常のなかに戻っているだろう。いや、宮間の知り合いだ、そもそもあのようなパーティーが日常という人たちもいるかもしれない。そういう人間だけであれば新田は肩身の狭い思いをしていただろうが、宮間が支援している登山家もそれなりに参加していたため、予想以上に新田も楽しめた。
明らかに高い金を払っているだろう料理も当然美味で、後片付けを手伝わされたとはいえ、新田はそこそこ機嫌のいい状態を保っていた。
「じゃあ帰れよ」
「なんか、余った料理くれるっていうから。それを待ってる」
「うわ、貧乏くさい」
「勿体ないし、お前みたいにお金持ちじゃないんだから。ってか、後片付けの報酬としてそれくらいもらっていいだろ」
宮間はようやく億劫そうに体を起こすと、すっかり片付いた会場に視線を走らせて、それから首を傾げた。
「深谷くんは?」
ああ、そういえば、あの青年はそんな名前だったか。
「ミタニくんは帰ったよ。宮間に挨拶してから帰るべきだろうけど、疲れたところを起こすのは悪いからって言ってた」
「ええ?! 深谷くん帰っちゃったの? 料理持って帰ればいいのに」
ちゃんと引き止めとけよ新田、と言って、理不尽に脇腹を蹴られる。一応引き止めはしたのだが、大丈夫です、もう帰ります、と律儀に断られ、新田に為すすべはなかった。ごめん、と謝ると、蹴りが二発追加された。
「片付けてくれたことをちゃんと労おうと思ったのに〜。まあいいや、今度労ってあげよう」
宮間は言い終わったあとにニコリと小綺麗な笑みを浮かべた。そういう風に笑うときは、大抵ろくなことを考えていない。どうやらミタニというあの青年も、宮間には苦労させられているようだ。
「そういえば」
新田はふと気がついて、宮間に顔を向けた。視線に気づいた宮間が、不満そうに顔を歪める。ただそちらを見ただけではないか。何が悪かったのかわからない。
「お誕生日、おめでとう……おめでとうございました? もう昨日だから」
すごい今更、と宮間が不満そうな顔のまま答える。
「ごめん、言い忘れてたから」
新田がやってきたときには、すでに酔っ払った宮間がいて、祝いの言葉を聞ける状態ではなかったのだ。そのまま、今になってしまった。宮間は蹴りのみを返してきた。
がらんとした空間を前に、小さくため息をつく。
「人がたくさんいて騒がしかったけど、けっこう楽しかったよ。料理おいしかったし」
「言っておくけど、僕のためのパーティーだからな。お前はあくまで僕の恩情により、おこぼれを預かっただけだ」
キャンキャンと子犬が吠えるような剣幕で、宮間が言い立てる。うん、と素直にうなずくと、風船がしぼむような勢いで彼は黙り込んだ。
「宮間は友達がたくさんいて羨ましいな」
百人を超える人間に誕生日を祝ってもらうなんてこと、自分の人生では一度もないだろう。
「友達? どうかな……」
宮間はふん、と鼻を鳴らすと、一度だらしなく床に落ちると、ソファーに座り直した。つい数秒前に地べたで這いつくばっていたのが嘘のように、優雅に足を組んで見せる。
「まあ勝手に羨ましがっておけば? お前より僕のほうが友達多いのは当然だけど」
「本当、お前ってさぁ……」
「そんな僕を友達に持ってるお前もけっこうなクズだな」
「それはそうだ」
新田が笑うと、宮間は一瞬、虚を突かれた表情を見せたが、すぐにふん、とこちらを鼻で笑った。それに重なるように、ドアが開いて秘書の男が入ってくる。彼は感情の読み取れない表情のまま「起きましたか」と宮間に言って、残った料理をどうするのか、説明しはじめた。