――其方の秀でた個の武は、仲間の存在があればより活きる。
――ヴライよ、励むがよい。
この世で唯一主と仰ぐ御方の言葉は、ヴライを大層困惑させた。
戦場で必要なのは力、力無き者が幾人集まろうとも無意味、そして大方のヒトはヴライより弱い。弱者に意味はない。それを活かせと聖上は言う。己が武のみを追求してきたヴライにとって、これは難題であった。
「だから汝を雇った」
「なるほどなるほど」
ヴライの語りを聞き終えてのち、采配師は「つまり、私に何をお求めに?」と訊ねた。
「我の武を活かせ」
「つまり具体案はない、と。とんでもねえ雇い主だな、あいや失敬、失言でした」
口先だけの謝罪に戦場の喧騒が被さる。
どうするかねえ。采配師は呟く。職を求めて行く先々で断られ、学問所を出ていない采配師など不要と断じられ、ヤケクソで叩いた門が、百人将になったばかりのこの男の住処であった。
男が未だ采配師を持たぬと聞いて喜んだのは最初だけ。明瞭な割にいまいちあやふやな言葉に内心首をひねっていたら、あれよあれよという間に戦場に連れてこられ「汝の力量を示せ」と来た。具体的な指針をどうこうとまでは言わないから、やって欲しいことくらいはっきりしておいてくれませんかね?
頭上を呪法が過ぎてゆく。応戦して矢がばらばらと放たれる。統率もクソもない味方部隊に采配師は頭を抱えた。
僅かな時間で聞き込んだところ、ヴライはそもそも指揮というものをしないらしい。先陣切って敵軍へと飛び込み、他の兵はヴライの後からついていき、ヴライが取りこぼした敵兵を叩く。そうやって暴れまわっている内に戦が終わる。それで今までやってきたとか。こいつ将にしちゃいけない性質だろ。誰だよこいつに百人の兵を預けるとか言い出したの。
采配師は溜め息を吐く。
ヴライに細かな指示を与えるのは、まあ無理だろう。弱いと断じた者の言なぞ右から左に抜ける男である。
よしんばその場では聞く気があっても、戦の熱はすぐこの男から思考を奪う。周囲の敵を食い荒らし、大将首を挙げ満足したところで、ようやっと味方が壊走していたことに気づいたとか、笑えない笑い話まで聞いた。一兵卒の頃ならまだしも、部下を率いる身でそれをやられては堪ったものではない。
さあ、何が出来る。
将からの信頼も、兵からの信用も未だ得ていない采配師は、何が出来る。
「じゃあこうしましょう」
采配師がぽんと手を叩く。
「戦太鼓で合図しますので、合図があったら我が隊の軍旗を探してください。軍旗を見つけたら其処へ移動を。これなら出来るでしょう?」
「我に何をさせるつもりだ」
訝るヴライへ、
「采配師が戦場で武人に望むことなど唯一つ」
に、と笑う。
「軍旗を標に。そこに、貴殿の敵がいます」
戦太鼓を耳にし、ヴライはぐるりと周囲を見渡す。地べたにまだ敵は残っていたが、どれもこれも彼の拳に値せぬ弱者であった。
視界を黒の旗が翻る。
敵がいる。
ヴライは己れ以外を焼く炎をまとわりつかせ、地を蹴った。
「はははは! 駈けろ駈けろ! 止まると死ぬぞ!」
兵の悲鳴を伴奏に采配師はウォプタル車を駈る。盾を構える同乗の兵はずっとオンヴィタイカヤンに祈っている。この少人数で敵陣に突入するなど正気の沙汰ではない。まだ生きているのは奇跡だ。
否。奇跡ではない。
此方への攻撃が手薄なのは敵軍が混乱しているからだし、敵が混乱しているのは唯一人で戦場を焼き払う、禍日神もかくやの男が迫っているからだ。
「追いつかれるなよ。一緒に焼かれるぞ」
「あれ、『あれ』はなんなんですか?! あんた何したんですか?!」
恐慌状態の兵へ、采配師は笑う。
「我が将を、我が将の望む場所へとお連れしただけよ」
矢が乱れ飛ぶ。火がきらめく。敵軍の動きを探る。兵の動きを見る。敵陣の奥、兵の中心、敵将は、其処に。
――さあ、走れ、走れ!
――お前に相応しい首は、其処ぞ!
戦場の熱に、腹が焼けるようだった。
包帯でぐるぐるに巻かれ救護所に転がる采配師へ、ヴライは「何故」とでも言いたげに顔をしかめた。
「将殿はご存じないかもしれませんが、普通のヒトは腹を矢が貫通すると寝込むんですよ」
「何故後方の采配師が矢を受ける」
「ちょっとウォプタル車に旗つけて早駈けしたもので」
しょうがないでしょう、誰もやりたがらなかったんだから。采配師は溜め息を吐く。
「私も嫌だったので、次から合図は戦太鼓だけでいいですか」
「弓も引けぬ弱者が戦場に出ただと」
「は? 弓くらい引けますが? っ、いてて」
腹を押さえ悶える采配師を、ヴライは胡乱げに見下ろす。
「如何でしたか」
「何がだ」
「私の采配は」
ヴライの目線が包帯へ向かう。用兵そっちのけで敵陣へと突っ込み怪我をして命からがら帰ってきた采配師なぞ、どう評価したものか。
「我ら兵のことなぞお忘れなさいませ」
「……何?」
「どうせ周りなど見ないのでしょう? どうせ己れ以外のヒトなど目に入らぬのでしょう? ならば『そう』なさればよろしい。取るに足りぬ雑兵は我らが露払い致しましょう。下らぬ罠は我らが排し、帰路は我らが死守しましょう」
「最短で、最速に。
将よ。私が、貴方を、貴方の望む戦へお連れ致します」
貴方の武を、最大限、最良の地で使わせてやる。
売り込み文句は武骨な男にもそれなりに響いたようで、「ほう」という相槌には興味の色が浮かんでいた。
これより続く主従の、最初の一日であった。
その男はなにもかもがめちゃくちゃだった。培った常識も、歴史から学んだ法則も、血反吐を吐きながら得た経験も。なにもかもが崩れる。『アレ』は、そういう強さだ。
そんな禍日神を前にした采配師は絶望するか目を逸らすか、ヒトではなく災害とみなして処理するしかない。
彼は。
采配師――カイレは。唯、唯、心を奪われた。
なにもかもがめちゃくちゃだ。秘匿される知識、黴の生えた教本、在野の采配師モドキと笑う学士の集まり。カイレの嫌いなもの、カイレを見下すもの、カイレが望んでも届かぬものを全て、全てを焼き尽くし、まっ平らにする、業火。
見てみたい。
この漢が何処まで往くのか見てみたい。
学も、地位も、ヒトとして大事な部分までも欠けた、戦にのみ己れを見出だす漢が、何処まで往くのか。
自らは何も持たぬ采配師は、たったひとつ、願いを持った。