「我々にできるのは、その余燼をできる限りつかむことなのです」
瞳を閉じ、レトはそう言った。
その瞼の裏には、元近衛兵から―ガリア人から聞いたかつての輝かしいガリアの様子が浮かんでいるのか。
「……」
テレシスはじっとレトを見ている。
「お前は、ロンディニウムよりもガリアを……自らの生まれ育った都市よりも話の中でしか、本の中でしか見たことも聞いたこともないような都市を選ぶということか?」
「いえ、そうではございません」
強い口調でレトが言う。
レトはすでにまぶたを開き、テレシスに視線を返している。
「私の中のロンディニウムに対する愛が失われたわけでも、私がロンディニウムを見捨てるわけではありません。ロンディニウムを見捨てたのはむしろ……」
レトはテレシスの後ろ―窓の外へと視線を動かした。
窓の外にはロンディニウムの街と、それを囲む城壁がある。
城壁は高くそびえ立ち、その外の様子をうかがいしることはできない。
レトの瞳には様々な感情が浮かんでいる。
怒り。悲しみ。失望。諦め。
しかし、レトはその続きを口にはしなかった。
代わりに、テレシスへと視線を戻し、
「私は先ほど申し上げたように、あなた方が……カズデル軍事委員会がロンディニウムでの計画を、円滑に進められるようにお力添えをするだけです」
と言った。
「軍人の務めというのは自分の都市を、国を守ることだ。だが、お前はロンディニウム都市防衛軍司令官という立場にいながら、そのロンディニウムを我々の……サルカズの手に渡そうとしている。一体何が違うのだ」
「……時代という大きな波が、我々の目の前に現れた時、我々に出来ることというのは限られています。我々凡人には、伝説の中の英雄のように波を剣で切り裂いたり、アーツで一瞬にして消し去ることは出来ません。私はただ……この都市が完全に波によって破壊され、消え去ってしまうことを防ごうとしているだけです。私は、ガリアという国が再び私の目の前に現れることを願ってはいますが、ここでリンゴネスの悲劇が繰り返されるのを見たいわけはありません。それに……」
レトが眉を寄せ、ななめ下を―自分の足の近く、床の絨毯を見る。
「……流れる血は、少ない方がよいでしょう。お互いに」
呟くような、小さな声でレトが言う。
そして、再びテレシスを見た。
「今はまだ、大公爵たちは特に大きな行動を起こしてはいません。ですが、彼らがいつ本格的に動き始めるにせよ、いずれ来るその時までの準備はできるだけ早く済む方がよいでしょう。あなた方にとっては一分一秒が惜しいはずです」
「……」
テレシスは少しも視線も、表情も動かさない。
レトが自分の前に立ってから、ずっと。
「摂政王殿下。どうか、私の提案をご一考いただけますよう、お願い致します」
「……近いうちにマンフレッドというサルカズをお前のところに行かせる。お前には彼奴と1つ仕事をしてもらう。先祖の国のため、我々への助力を惜しまないというお前の言葉が偽りでないというのなら、そこでそれを証明してみせろ」
「承知致しました。殿下の御慈悲に感謝致します」
深々とレトが頭を下げる。
レトは、ロンディニウム都市防衛軍司令官自らカズデル軍事委員会の拠点を訪れ、そのトップと直接話し、目的を果たした。
しかし、体を起こしたレトの瞳には喜びというものは全く感じられなかった。
そこにあるのは、少しの安堵と、大きな悲しみだけである。
「では、失礼致します」
そう言って扉へ向かうレトの背中を、テレシスは黙って見送った。
ややあって、聴罪師のトランスポーターが部屋に入ってきた。
「あのガリア人はなんと?」
「自分がガリアを復興するために我々に力を貸せと。その代わり、彼奴も我々に協力すると」
「殿下はそれを了承されたのですか?」
「一度彼奴を試してみるつもりだ。仮に彼奴に我々を欺いたり、利用しようとするつもりがないとしても、我々の足を引っ張るようでは意味がない」
「もし、あの者の力が必要ならば、そのような取引を交わさずとも、あの者に我々に協力させる方法は他にもあるでしょう」
「時間、人、金……我々が真にそれらを費やすべき者は他にいる」
「ですが……あの者はヴィクトリアを裏切ったように我々を裏切るかもしれませんよ。それに、ガリアを復興するというのもどこまで本気か……」
「分かっている」
テレシスはレトが先程見ていた方向を―窓の外をた見る。
その時の、レトの表情を思い出しながら。
「彼奴は今までずっと、ガリアを復興させる機会を待ち続けていたのかもしれない。だが、それが何年にしろ、何十年にしろ、我々がカズデルの復興を願い続けてきた年月に比べれば、瞬きの間のようなものだ。それに、彼奴はお前の言う通り、単に自分の乗っている船が沈もうとしているのを見て、別の船に乗り換えようとしているに過ぎぬのかもしれぬ」
愛情、信頼、慈しみ……人はいつまでもそれらを抱き続けることは、信じ続けることはできない。そういったものでは人は団結できない。
より確かな感情は怒りや憎しみといったものだ。
ならば、ガリアへの憧憬や郷愁よりも、ヴィクトリアに対する諦めや失望の方が、信を置くに値するかもしれない。
「彼奴は数万の兵を率いるに過ぎぬ。彼奴自身が何かずば抜けた力を持っているわけでもない。仮に彼奴に何か企みがあったのだとしても、我々に対処出来ぬものではない」
「……承知致しました。リーダーにもそのようにお伝えしておきます」