楽しい話をしよう、と。グラハム・スペクターは往来の真ん中で叫んだ。オーバーサイズのレンチを振り回しながら。
NYも隅から隅まで秋の侵攻を受けていた。一か月前からは信じられないほど肌寒い気候になっていて、夏の間中汗の吹きだす肢体を引き摺りながら日陰をうろついていた一行も、今は多少息をしやすそうな顔で歩いている。彼らの身にまとうくすんだ色味も、ようやく季節に馴染むようになってきた。
先頭を行く、グラハム・スペクターを除いては。
いつも通りと言ってしまえばそれまでだが、彼らのボスのお召し物は、真夏に輝く空のように真っ青だった。夏に取り残されたような色の作業着で、グラハムはグルリとレンチを回し、ついでに首まで一回りさせて叫ぶ。
「楽しい話……そう、楽しい話だ! つまりあれだ、お前ら、今日がなんの日だか知っているか?」
瞬間。グラハムの背後をぞろぞろと従い歩いていた舎弟連中は、揃って己のポケットへ手を突っ込んだ。これで場所が路地裏だったり、愚連隊一同の表情が切羽詰まっていたりすれば、取り出されるのは拳銃で間違いないだろうが……彼らは全員、なにかを諦めきったような顔をしていた。
まあ。時期を考えれば、グラハムがなにを言いたいのかは分かる。
「トリック――」
グラハムが叫ぶ。舎弟たちは皆一様に、ポケットの中のものを強く握りしめた。
「オア――」
グラハムが叫ぶ。舎弟たちは皆一様に、勢いをつけてポケットから手を引き抜いた。
「トリート!」
グラハムが叫ぶ。舎弟たちは皆一様に、グラハムへと拳を突き出した。
開かれた彼らの手のひらにはそれぞれ小さな菓子類が乗っており、それをひとりひとり確認したグラハムは、呆れたように溜息を吐いた。
「なんだお前ら。妙に用意がいいな、面白くないぞ。なんで全員飴だのチョコだの持ってるんだ、事前に打ち合わせでもしておいたのか? それとも全員テレパスで繋がっていて、集合する前に菓子を用意しておこうという結論を出していたのか? あれ、そうしたら俺、もしかすると仲間外れか? ひとりだけ蚊帳の外か? 何故なら俺だけクッキーの一枚も持っていない! ハロウィンだと気付いていたなら俺にも声をかけてほしかった! テレパシーかなにかで!」
「いや、まあ、グラハムさんに気付いてほしくなかったんで声かけなかったんですけどね」
気付いた場合に対処できるように、みんなで菓子も用意したんですけどね。
「しかしこのフレーズも懐かしい……小さい頃、姉さんにもこうやって菓子をねだったことがある」
「お姉さんすか」
「そう、姉さんだ。当時、齢――ええ、詳しい歳は忘れたが、とにかく俺が小さいときだ。シーツを適当に被ってお化けの仮装をした俺は、姉さんに自信満々でトリックオアトリートと叫んだ。次の瞬間、俺は窓から宙へ飛び出していたという、そういう楽しい思い出だ」
「楽しいですか? それ?」
「菓子をねだろうとして悪戯をもらった結果になるが、確かに姉さんの言い分も分かる。俺は菓子かいたずらかとしか言わなかったから、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ以外のパターンもあり得るわけだ。そこから姉さんは『お菓子を寄越すかいたずらを寄越すかしろ』を選択したという、それだけなんだきっと。 だったら俺が悪いのは自明だろ、なあ、シャフト」
「……いや、ええ、そうなんですかねえ……」
「そしてだシャフト。俺はこの呪文に、新たな意味を付け加えようと思う。尊敬する姉さんにならって!」
「はあ。なん――ウグッ」
「菓子も悪戯もくれてやる、だ」
レンチで腹を思い切り突かれ、意識を薄れさせていく中。シャフトは焦り倒しながら、
「いやあんたそれじゃトリックアンドトリートでしょうが!」
と悲鳴をあげたが、残念なことに声にはならなかった。