Invert(今回も味気ない仕事だった)
帰還したばかりのターレスは適当に酒とつまみを調達して帰途についた。
多くのサイヤ人が暮らすここベジータ王国は、基本的に自由の国だ。形だけの法はあるがそもそも取り締まる側が無法者だったり、そうでない者も多かれ少なかれ法に背いて生きている。
ターレスもその一人で、未だ成人していないにもかかわらず当たり前のように酒を飲むし、もっとすごい物も知っている。下級戦士に回ってくる任務は彼にとってはつまらぬものばかりで退屈しているのである。
そういえば今回の遠征では己と同じタイプの大人の戦士が活躍していたが、名前をなんと言ったか……。
「……忘れた」
興味なさそうに呟くと、なんとはなしに空を見上げた。
どこからともなく薄紙をちぎったような何かが時折視界に入ってくる。白っぽいそれはおそらくは何らかの花びらなのだろうが、男にとって取るに足らないものであることは目の動きが物語っていた。
空、その先にある宇宙は己の戦場でもある。
深海のような青と燃えるような赤が混ざり合い、程なくして色褪せた夕闇が辺りを包む頃、くっきりとした三日月が存在を主張する。圧倒的な破壊の力を誘発する月の光は満月になると最高潮を迎える。それ故だろうか、闇に浮かぶ巨大な岩の塊に恋しさにも似た感覚を抱くのは。
この惑星ベジータはどこの星から来たのかもわからない自称宇宙海賊を名乗る連中の支配下に置かれて久しい。もはや誇り高きサイヤ人の王国としての威厳などあったものでは無い。ガタガタな国情の中でよくもまぁ一つしかない命をかけて戦えるもんだと冷めた目で見ていたのだけは覚えている。
「チッ……」
若干の嫌悪感に舌打ちする。
あの男の戦い方は己の全てをぶつけ、かつ、長期戦にも耐えうる肉弾戦を主体としたものだった。それはターレスの目指すものとは程遠い。
彼は己の戦闘力をはじめ、現状全てに満足しているわけではない。が、しかし。気が向いた時に仕事があればそれなりの手柄を立てるが別段向上心があるわけでもなかった。
守るべきものがあるわけでもないし、親しい奴も居ない。
ひょんな事で結果的に手を助ける形で出会った奴とつるんだりもするが仲間意識などはない。自分の邪魔にならない限りは別に鬱陶しいとは思わないし、利害が一致しているうちは適度に接する程度だ。
このターレスという男、外見のほとんどはよくある下級戦士のそれだが、夕闇を溶かしたような独特の褐色の肌が妖しげな雰囲気を醸し出しており、時として同性の目にも魅力的に映るらしい。下級戦士の中ではそこそこ腕も立つし、美味しいネタを仕入れることには事足らなかった。
たとえば、神だけが口にする事を許された果実の話もそのひとつ。
はじめはよくあるおとぎ話の類かと思ったが、その筋に詳しい連中と共に極秘に調査をしていくにつれて現実味を帯びてきた。次の実験でいよいよ最終段階に入る。
もし実を結べば下級戦士如きと見下される日々は終わるに違いない。そう思うとターレスの心は柄にもなく弾んだ。
激しいトレーニングや戦闘で死にかける度に戦闘力が増すという話も耳にしたが、そんなリスキーな方法なら願い下げだった。
ただ、方法は異なっても力を手に入れること、そこに喜びを感じる姿はまさしくサイヤ人そのものであった。
★
もうすぐセーフハウスに着くという辺りで、彼はまたもや自分と同じタイプの髪型を目にし足を止めた。
視線の先にあるのは寂れた公園。
公園と言っても子供が喜ぶような遊技機やお花畑などはなく、かわりにサンドバッグやトレーニング機器が無造作に並んでいる。遊び盛りの者たちの手にかかればなんでも玩具にしてしまうので、無意識のうちに体を鍛えているというわけだ。
組み手をする為に用意されているものではあるが、一応砂場らしきものある。
その真ん中、しゃがみこんでいる幼い子供が一人。後姿で顔はわからないが、おそらく自分とそう変わらないのだろうとターレスは思った。
(オレたち下級戦士は所詮使い捨て、多様性すら持ち合わせてねぇってか)
沸き上がる仄暗い感傷に目を伏せた。時間と共にゆっくりと沈んでいくのを、どこか遠くから見ているような感覚で眺めた。
小さく溜息をつき目を開けてみると子供はなおもその場から動く気配がなかった。
「おい、そこのガキ」
「………」
なんとなく気になって声をかけてみたが、何の反応もない。
「無視かよ……冷てぇな」
傷つくぜ、などと思ってもない事を言いながら、近づいていく。よく見るとゴソゴソと何かに夢中になっているようだ。
ターレスは人の悪い笑みを浮かべると、気配を殺して子供の背後まで忍び寄り――くすぐり攻撃をお見舞いした。
「っきゃ~~~~~」
驚きと、こそばゆさで裏返った悲鳴と共に子供が飛び上がった。想像以上のリアクションである。髪と尻尾がこれでもかと逆立っていて、さらに笑いを誘った。
「くふっ……はーっはっはっは!」
とうとうこらえきれずにターレスは腹を抱えて笑い出した。
かわいそうに……涙すら浮かべている幼子は振り向きざまに不服を訴えた。
「いきなり何すんだ!おっどろいた……って、父ちゃんおどかすなんてひどいや」
「くくくっ……お前が隙だらけなのが悪ぃんだぜ。それに人違いだ」
子供は目を丸くしてターレスの周りをぐるりと見て回った。
「あり……?ほんとだ。でもそっくりだなー!もしかして父ちゃんの兄弟とか?」
「さぁてどうだか。オレ達みたいのはタイプが少ないんだ。今日だけでも似てる奴を見かけたのはお前で二人目だしな」
「ふーん……あ、もしかして、もう一人の人って顔に傷ついてなかった?こんな感じの」
と、子供は砂場を指差しながら訪ねた。そこには落書きがあった、が。
(……何がなんだかサッパリわからねぇ)
のである。
謎の毬栗(?)と睨み合いながら返事に窮していると――――視線を感じる。
大きな瞳が真っ直ぐ見つめているではないか。さてどうしたものか……自然と苦笑いが浮かぶ。
「いや、近くで見てたわけじゃねぇし……そういや腕と足に青い布着けてたような気がするけど」
「やっぱり!それたぶん父ちゃんだ!ねぇねぇどこで会ったの?今どこに居るのかわかる?」
どうやら当たりだったらしく、きゃっきゃっと嬉しそうに質問攻めする子供にターレスは面食らった。
サイヤ人は元々好戦的な性質に加えて星の侵略――――殺して奪う仕事を主な生業としている種族ゆえか、家族の情すら希薄であるケースが多く、下級戦士であるほどその傾向は強い。
ターレス自身、物心ついた頃には戦場に身を置いていて親兄弟の顔すら覚えてはいないし、興味もない。
ところがどうだ。この子供は明らかに父親に対して強い関心見せている。それも好意に属するものであった。
「……そんなこと知るか。たまたま同じ任務だっただけで話したりとかしてねぇし」
どことなくトゲのある言い方でターレスは答えた。それでも律儀に相手しているあたり、割とお人好しなのかもしれない。
「そっか……ありがと」
先ほどまでの嬉しそうな様子から一転、すっかり表情をなくした子供相手にターレスは頭の後ろをガシガシ掻きながらフォローを入れる。
「オレより階級が上みたいだったから遅くなるかもしれねぇけど、じきに帰ってくるんじゃねぇの?」
「ほんと」
幼子はパアッ……!と目を輝かせて見上げた。しなびかけた尻尾が再び感情豊かに揺れる。
別にわざわざ教えてやる必要などなかったが先程のいたずらの件もあるし、見るからにテンションだだ下がりになった子供の姿に僅かばかりの良心が痛まないこともなかった。
(どうもこいつと話してると調子が狂うな。初対面のオレの話を本気で信じてやがるのか?おめでたい奴だ)
ターレスは真っ直ぐに見つめてくる子供からフイと視線を外した。
「……お前は早く帰った方がいい。こんな遅くまで一人でほっつき歩いてると悪いやつに拐われるぞ」
散々痛ぶられて慰みものにされた挙げ句、最悪命を落とすかもしれないのだ。
「むぅ……!こう見えてオラ強いんだぞ!」
目の前の男がそうでないとは限らない。
が、子供はそんな考えには及ばぬようで顔を膨らませて精一杯の睨みを利かせている。
残念ながら効果はほとんどないようだ。
★
「ほぉ〜。どれ、見せてみ?」
ターレスは運動機器をベンチ代わりに腰掛けると袋から酒を取り出してさっそく一杯やりはじめた。件の名も知らぬ花びらが相も変わらず風に舞う。出処はこの公園に植えられた一本の大木であったか。小さな花の集合体からなるそれらはちょうどその役目を終えて散り始めている頃合いで、ちょっとした花見酒である。先程は興味すら湧かなかったが、なかなかどうして、悪くない。心なしかいつもの酒が美味く感じた。
つまみの串焼きが目に入ったのだろう子供が物欲しそうな顔で何か言いかけたが、しぶしぶといった様子で準備運動をはじめた。一通り体をほぐしたのち「てやっ!ハァーッ!」といったハリのあるかけ声と共に素振りをしている。
どうやらスロースターターらしい。
隙だらけで話にならないレベルだが、一応は威力が乗る形になっているパンチやキック、更には肘や膝なんかも使っている。
「それは父親に習ったのか?」
訊ねると、子供は何か思いを巡らせながらも動きを止めることなく。
「うーんと、こう!……か?なんか違うな……。別に習ったわけじゃないよ!オラは父ちゃんみたいに強くなりたくて真似してるだけ」
「へー」
これだけ親を慕っているのだ。稽古くらいつけているものだと考えるのが妥当だろう。
意外だな、とターレスは興味を覚えはじめた。いつもより酒が進む。顔色ひとつ変わらないが、そこそこに気分は良い。でなければこんな子供との話になど付き合いもしないだろう。
「お前さ、気弾は知ってるか?」
「きだん?」
「そ。こんなやつだ……」
ピ……バシッ!
ターレスの指先が光ったかと思った瞬間、額に衝撃が走った。
「ぎゃっ」
それはデコピン程度の威力で大したダメージはないものの、来るとわかってない所から食らうとそれなりに効く。構えも解いていた為、あっけなくダウンしてしまった。知らない単語が出てきて気が逸れてしまったらしい。
ターレスは串焼きを横向きにしてかぶりつき一気に引き抜き平らげると、残った串を指揮棒のように振りながら。
「本気で強くなりたいってんなら、攻撃だけじゃなくガードもやらねーとなぁ。そんなんじゃ一瞬で死ぬぞ」
「痛ったた……何、今の?おにいちゃんの指が光ってなんか飛んできた……」
見事なまでの尻もちをついた子供は、おでこをさすりながらのろのろと腰をあげた。頭には“?”を三つほど浮かべている。
「なんとなくは見えたか。そいつが気弾だ。肉弾戦に熱心なのはよぉく分かったが、飛び道具はなるべく早く使えるようになっといて損はないぞ。任務では大勢を相手にする事が多いんだ」
畳みかけるように言い酒を飲みほす。幼い子供には過ぎた指導だ。どうせ真面目に教えるつもりもない。半分は独り言のつもりだった。天を仰いで口を開けたターレスの赤い舌に最後の一滴がポタリと落ちた。「ぷはぁ!うめぇ!」などというどこぞの親父が言いそうなセリフは吐かずに黙々と二杯目に差し掛かる。
幼子は串焼きの事などすっかり忘れて、面白そうな技に食いついた。
「それどうやるの?教えて!」
「教えてやってもいいが……それなりの対価がねぇとなぁ」
「たいか?」
またしても聞き慣れぬ言葉に首を傾げる子供にターレスは人が悪そうな笑みを浮かべた。
「何か見返りをよこせって事だ。お前ばかりいい思いするのはフェアじゃないだろ?」
「あ、そっか。誰かに何かしてもらったらちゃんとお礼しなさいって母ちゃんも言ってた!うーんと……これなんてどう?」
と言いながら差し出した小さな手のひらの上に丸い飴玉がひとつ。出かける際に母親に持たせてもらった物で、遊びに夢中になっている間にすっかり忘れられていたものだ。
この子供にとってはなかなかに大事な物である。
が、当然ながらターレスは肩をすくめて立ち上がった。
「あっ……」
「悪ぃがオレは自分を安売りしない主義なんでな。ってガキ相手に何言ってんだか……調子狂うぜ。美味い酒の礼って事でそいつはサービスにしといてやるよ」
デコピン気弾の事である。子供の額を顎で指し示すと、空き缶やらなんやらをまとめてゴミ箱に投げ入れた。
じゃーな。とヒラヒラ手を振り、立ち去ろうと足を踏み出そうとした矢先に子供がガバッ!としがみつき食い下がる。
「待ってよ!お礼って、物じゃなきゃだめなのか?オラにできる事ならなんでもやるよ!」
だからビームの撃ち方教えて。と泣きそうな顔でねだったところでターレスの目の色が変わった。
「なんでも、ねぇ……」
★
ターレスはしばらく思案したのち、スカウターの電源を切って外した。子供には知る由もないが、これは密談の合図である。
なおも纏わりついている幼子の首根っこを掴み引っ剥がし、宙で手を離す形で地に降ろしてもギャーギャー言い出すのは目に見えていたので、それよりも先にターレスは膝を折り子供に目線を合わせた。
期待半分、不思議半分の面持ちできょとんと大きな目で真っ直ぐ見つめてくる幼子相手に、ターレスはこの星の現状と自身の野望についてざっくりと説明した。もちろん、駄目元で、である。
何しろ相手はあのフリーザ軍、手駒は多いに越したことはない。犬を飼うなら幼い頃から手懐けるのが手っ取り早い。
再び“?”が浮かびはじめた子供の頭をガシガシ撫で回すと「やめてよー!」などと手をどかそうとしているが満更でもなさそうだ。思いのほか接触をすんなり受け入れている子供の頬を挟むようにしてターレスは話を続けた。
「この星を乗っ取ってる奴がいる。まずはそいつらを倒す。今はまだ遠く及ばねぇが、その為の力を手に入れる。必ずな……」
「…………」
子供は神妙な面持ちで彼の言葉に耳を傾けている。話の内容は理解できなくとも、雰囲気から何だかすごそうだという事だけはわかった。
「そうしたらよ、宇宙を好き放題に……冒険するのも意のままだ。見たことも無いようなごちそうも食い放題だぞ」
「宇宙を冒険……!見たことも無いようなごちそう……」
わかりやすい話に変わった途端に目をキラキラさせて興味津々に身を乗り出した子供を見て、ターレスは目を細め口端を持ち上げた。
「どうだ、楽しそうだろ」
「うん!わくわくしてきた!」
「お前……えーと、そういや名前聞いてなかったな?」
「オラはカカロットだ。おにいちゃんは?」
「オレの名はターレス。なぁカカロット、いつか宇宙を旅する時が来たらお前も来いよ」
それが契約だ、と。
言う事だけ言い、ターレスは立ち上がった。
突然の申し出に、カカロットは胸の辺りで小さく握りこぶしを作り、眉尻を下げて困った顔で言いよどんだ。
「それってオラだけって事?父ちゃんと母ちゃんは?できれば兄ちゃんも……」
ターレスは大きなため息と憐憫の眼差しでこれに応えた。
「……まずはその甘ったれた根性から叩き直してやらねぇとな。気弾を教えるのはその後だ。言っておくがオレのしごきは生易しいもんじゃないぞ」
「う……」
「ま、オレはどっちでもいいがな」
まごついているカカロットをよそにターレスはいよいよ踵を返す。
「……あー、そうだ。肝心な事を言ってなかったな」
何かを思い出したように彼は足を止めた。
途端、カカロットの背筋にぞわりとした嫌なものが駆け抜けた。
★
全ての色が反転する。薄紅色の花は闇色となり、暗がりは霞がかった白い靄に包まれていた。まるで世界から隔離されたかのような未知の感覚であった。
それが何なのかわからないまま立ち尽くす。何もされてはいないのに浅くなる呼吸。肌寒いくらいの夜の風の中にあっても吹き出す汗。立っていられる事が不思議なまでに震える両足。
ここにきてようやく、子供は彼が危険な男だということを痛感した。
無機質な声が二人の立場を決定的なものにする。
「ここでオレと話した事は誰にも喋るなよ」
――――殺されたくなければな。
言葉と視線だけを投げたターレスの昏く冷たい漆黒の瞳が醸し出す殺気は重圧となって辺りを包み込んだ。
「ッ……」
なんの抵抗力も持たないカカロットは呼吸の自由すら奪われて硬直した。
――――どれくらい、そうしていたか。
ターレスが視線を切ると、カカロットはようやくプレッシャーから解放されてへなへなと地べたに座り込んだ。
時間にして数秒足らずの出来事だったが、幼いカカロットにとっては何十分もの間、急所に刃物を突きつけられていたかのような、あるいはそれ以上の命の危険に晒された感覚に陥った。
時が経つにつれて収まるどころかさらに深まるそれに、もはや為す術もない。
ただ茫然と、己の住む世界が歪む様を眺めている。
おそらくは無意識に、精神の防衛反応が機能したのだろう、大粒の涙が虚ろな瞳からポロポロと零れ落ちた。
まるで人形のようなそれをターレスは壊れ物でも扱うように抱き、今までにない穏やかな声色で言葉を紡いだ。
「それが死の恐怖ってやつだ。よく覚えておけ」
姿のみならず声までも父のものとそっくりで、怖いはずなのに安堵するという矛盾に幼いカカロットは戸惑うばかりであった。