けたたましい警報音が、敵襲を報せる。
エマージェンシーコールを受けたキースと俺は、ジャックから指示された場所に向かって即刻出動した。すでにタワー内は酷く被害を受けているようで、セルを逃げ出したアンノウンたちも各所で『ヒーロー』たちに苦戦を強いていた。
「おいディノ、ちょっとスピード落とせ」
「うん」
後ろから聞こえるキースの呼びかけに肯定の意思を示したが、あいにく俺の足は止まってくれそうになかった。
脱走者。告げられたその言葉が、頭からずっと離れない。タワーから逃走した日の記憶が断片的にフラッシュバックする。
(ちがう、)
通り過ぎる視界に映る荒らされたタワー内が、傷ついた仲間たちが、制圧されるアンノウンたちが、俺の頭の中に残るゼロの記憶と重なって、呼吸が浅くなっていく。苦しい。けれど、立ち止まるわけにはいかない。
(ちがう、これは、俺がやったんじゃない。)
血が沸騰するようにドクドクと音を立てて、周囲と俺を断絶していく。これだけ大量のアンノウンが操られているということは、きっと近くにその元凶となる存在がいるはずだ。
--もしもまたその存在と、シリウスと対峙した時、俺は俺でいられるのだろうか。
胸によぎる、現実味のない不安。そうなる、はずがない。俺を洗脳していたものは完全に取り除かれて、今だって俺は自分自身を保てている。もう二度と、仲間たちを傷つけたりしない。そんなこと、起こるはずがない。
(…俺はもう大丈夫なんだ、俺は…!)
「ディノ、止まれ。」
「‼︎」
脳裏に浮かぶ全てを振り払うようにスピードを上げようと踏み込んだ瞬間、キースの声が耳に届く。静かな、けれど有無を言わさない様子の声色に圧され、咄嗟に急ブレーキをかけて振り返れば、すかさず額を中指で強く弾かれた。
「ったぁ!なんだよキース、いきなり…」
「あのな、お前一人で突っ走ってどうすんだっての。」
突然の痛みに悶絶する俺をよそに、キースはため息をついて首を振る。俺の気持ちを駆り立てたザワザワとした不安は、額の痛みによってプツリと思考の底から切り離され、頭の中をふわふわと所在なく彷徨っていた。
「余計なこと考えてんじゃねえ」
「…!」
「…大丈夫だ、ディノ。」
俺の目を真っ直ぐ見つめて、どこか自分自身にも言い聞かせるようにキースが言葉を紡ぐ。俺に向けられたグラスグリーンの瞳には、強い意志を思わせる色が宿っていた。
「今度は、オレがいる。ここに。お前の隣に。」
いつの間にか強く握りしめられていた俺の拳を解いて、キースはその手を左胸に押し当てる。ドクン、ドクンと一定のリズムで刻まれる落ち着いた鼓動が、グローブ越しに伝わってくる。一人じゃない。心も体も傍にあるのだと、その鼓動と温もりが、言葉以上に俺に訴えかけてくる。
(……ばかだなあ、俺。)
そうだ、俺は一人じゃない。
俺にはもう、一人で立ち向かう理由も、一人で抱え込む必要もないのだ。俺の全部を受け入れて、未来を共に見据えてくれる存在が、こんなに近くにいるんだから。
そんなことはとっくにわかっていたはずなのに、たったあれだけのことで揺さぶられて冷静さを欠いてしまうなんて、情けなくて笑える。
けれど笑えて、やっと体の力がぬけたのだと体感した。
耳の奥で響いていた血の巡る音が、潮が引くように遠くなっていく。肺の奥まで、やっと空気がゆき届く。額は未だにジンジンと痛むものの、さっきまであんなに頭の中を占拠していた記憶や不安は、いつの間にか跡形もなく消えていた。
「…ありがとうキース。うん、…もう大丈夫だ!」
「わかりゃいいんだよ。ほら、行くぞ」
ふっと笑って、俺の手を解放したキースは一歩早く駆け出した。
キースに続いて再び走り出した足取りは軽い。視界も思考も、霧が晴れたようにクリアだ。
一人じゃない。その事実が、そしてそれを教えてくれた少し前を行く背中が、こんなにも俺の心を強く支えてくれる。
孤独では得られない強さを知らない彼らには、この気持ちは絶対に理解できないだろう。
(見てろ、シリウス。俺は、…俺たち『ヒーロー』は、絶対に負けない。)
続く道の向こうにいるであろう存在に静かに宣戦布告して、瓦礫の散らばる床を強く踏み込んだ。