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    tomo

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    pixivからの移行です。

    たいへん今更松風さんが歌う虹があることを知って感動した勢いで、2007年冬に発行した榛名中心のコピー本を再録します。
    本当は秋丸も含めて四話あったのですがあまりにも別人だったので外しました。

    本のタイトルはピロウズの歌から拝借しております。
    当時の後書によると何となく榛名と阿部と三橋だなぁと思っていたようです。

    #おおきく振りかぶって
    withABigSwingOfTheBat
    #おお振り
    onTheLargeSize
    #榛名元希
    motoshiHaruna
    #阿部隆也
    takayaAbe
    #三橋廉
    #加具山直人
    ##おお振り

    MY FOOT(榛名中心)Rain
    証明できない解も別に悪かねえよ


    意味づけなんて所詮後から後からやってくるもので、過去のそれが自分のどういった部分に属するものになるのかなんて、その時々で変容していくものだ。古傷が痛む時、それもひとつの土台であるのだと思えるのは、手中にある「今」が文字通り己の手中にあるからに尽きるわけで。傘から滴りおちる雨粒を眺めていて最初に生み出される思考なんて、あの挙動不審のエースが肩を冷やしてはいないだろうかとか、そんなことだ。
    だからこれはそれに追随するただのひとつの記憶に過ぎないのだが。

    気分屋というより妙なところで感情の交換スイッチが作動するんだと思う。気分が行動を左右する、のではなく、些細な事象によって気分が容易に変わる、のだとすれば、それは「情緒不安定」とでもいうのだろうか。国語はあまり得意ではないのでよくわからない。けれど目の前の投手にその言葉を重ねてみた時、隆也は首を傾げざるを得なかったから、やっぱりその単語は相応しくないのかもしれなかった。
    不安定なのはこのところの空模様だ。
    薄暗い色に覆われた世界は湿気で満ち満ちていて、雲が抱きかかえ切れなかった湿りが雫となってざあざあと足元まで零れ落ちてくる。灰色のコンクリートは疾うに黒く濡れて、靴に滲みて靴下が湿る感覚が何とも気持ち悪い。
    でもそれも梅雨という季節を考えれば、不安定である事が相応しく、問題などひとつもないのだということを、隆也はたぶんその頃知らなかった。
    ひとつ傘の下の右傍らにいる不機嫌な投手の、とげとげした空気を受けて流しつつ、どうやってコントロールしてやろうかと頭を捻っていたところ、ふいにその気配が止まる。「おっ」という声に何事かと顔をあげる前に、傍らのその空気は一転して、気づいた時には既に元希は傘の中には居なかった。
    「かたつむり!」
    視界の斜め右前方には雨で鮮やかになった紫陽花の群れがあって、元希といえばぱかりと開いた己の携帯を片手にそこへと駆け寄っているところだった。
    「ちょっ、元希さん!肩冷やしますよ!」
    かたつむり?どこに?目ざとい。ていうか子供か。いやまあ子供だけど。そういうことが頭に巡る前に、とっさに追いかけて傘をかざす自分は、別に世話焼きでもなんでもない。捕手として普通の人間なのだと思う。きっと。
    ぴろり~んと音を立てて携帯で写真をとる(毎度思うが元希の携帯のシャッター音はとてもマヌケな音だ。初期設定から弄っていないのだと思うが、普通は初期設定でもカシャッという音なのではないのだろうか。胡散臭すぎる。)元希の傍らに再び立ってその先を覗き込むと、深く色づいた葉の上でかたつむりがのんびりと触覚を揺らめかせていた。
    まあ情緒があるいえば情緒がある光景だ。けれど携帯で写真を収集する趣味があったとは知らなかった。どうせ気まぐれなのかもしれないけれど。この人が常に押しっぱなしのスイッチなんか、自分の思う投球をしたいってことだけなのだろうから。
    二枚ほど撮って気がすんだらしい携帯をポケットに突っ込んだ元希は、しかししばらくその場を離れずにカタツムリを眺めていて、傘を右手に自分だけ動くわけに行かない隆也は同じようにそれを眺めることになった。ナメクジは嫌だがカタツムリは嫌ではない。時々カタツムリも気持ち悪いという人間もいてそれを聞くとふうんと不思議な気分になるが、よくよく考えれば殻の有無だけで選好みするのも理不尽な話のように思える。どっちも嫌だという人間の方がよっぽど平等なのかもしれない。じめじめしてて気持ち悪い、という見解は本来どちらにも掛かるべきだろう。
    そんなことをとりとめもなく考えていると(要は退屈だったのだ)、ふいに元希が口をひらいた。
    「何かお前みたいだよな~」
    「は?」
    散々悪い評価をめぐらせた後でそれを指されて自分に似ているなんて言われたら、それはだれだって真意を斜めにとるだろう。どこがだよ。なんだ?出会ったばかりの頃はよく悔し泣きをしていたからか。それを湿ってるとでも言いたいのか。
    畳み掛けて悪い想像が巡る隆也の目の前で、そんな気持ちを知ってか知らずか、元希の指が容赦なくかたつむりの触覚をつっつく。当然、危険を察知した触覚がぴゅっと縮んだ。
    「ちょ、あんた何やってんですか」
    気まぐれでつっつかれてかたつむりもいい迷惑だよ。多少非難めいた色を滲ませて言う隆也の声をまるで聞こえないみたいに、元希はじっと黙ってカタツムリを見つめている。縮こまったカタツムリが、再びゆるりと触覚を伸ばしてゆく。続く静寂に隆也は少し頭が痛くなってくる気がした。結構、いつものことだけ、
    「こゆとこ」
    ど、と隆也の頭が紡ぐ前に、元希の無邪気な声となぜか嬉しそうな顔が、その落ちゆく思考を粉砕した。
    届かぬ空間が一気に実体を取り戻して、息を取り戻し溢れかえった血流の熱さと勢いに、言葉も失って唖然と立ち尽くす。
    何事も無かったように再び触覚をうごめかせ、のんびりと葉っぱを這ってゆくカタツムリの姿をみやり、続いて傍らの投手をみやると、彼はいつもの嫌な顔でにやりと笑った。笑ったので眉を顰めてふてぶてしく顔を背けてやる。
    それから、どちらにせよ、飲まれてばかりだ。と、思った。届こうが、届くまいが。
    それが悔しくて、嬉しいから、たぶん自分はここにいるんだろう。いつか、と思いながら。いずれ、と思いながら。

    結局その日はこなかったのだけれど。
    そしてその失望は、そんな未来を心で描いて大事に温めた己自身をも浅はかだったと否定した時もあったけれど。相変わらず納得できないことは納得できないし、嫌なものは嫌だし、腹が立つものは腹が立つけれど、ただその心を傾けたということそれ自体は、決して間違いではなかったのだと。今はもう知っている。手中にある今が教えてくれた。
    そして同じように、未来の自分にとって今の自分がどういう評価を下されるのか、それもわかったものじゃない。けれど、少なくとも(仮に)今の自分を否定する仕事は、今の自分のものではないから、とりあえず置いておく。

    だからこんな日は、今に追随する一つの記憶をぼんやりと眺めて、
    あいつはああだからああなのだ
    と大変分かりやすい日本語を頭の中に連ねて、何事も無かったように再び今を向くのだ。










    Rainbow
    君は虹の根元を見たことがあるか


    地学の授業で太陽光スペクトルと虹の仕組みのはなしをぼんやり聞いていたら、何となく一個下の後輩のことが頭に思い浮かんだ。
    大概授業なんて睡眠時間になっていたりするのだが、その日はレプリカグレーチングをつかった簡易分光器を自分で作り、スペクトルを観察するなんていう実習があったから、睡魔はそんな動作に追いやられて、加具山は珍しくも全うな頭で授業を受けていた。でもそうして入ってきた情報で後輩を思い浮かべているようでは、やっぱりいつも通り全うな頭ではなかったのかもしれない。
    榛名はいつも太陽のつくる虹のあるところにいる人間のように思われた。

    「先輩ー!」
    突如背後から大声で呼びかけられて、驚きのあまり思わず宙に一センチ程浮きかけるところだった。
    「うあっ びびったぁ~背後まで来てるならでかい声で呼ぶんじゃねーよ!」
    「あっスンマセンつい走ってきた勢いで」
    犬に突然吼えられて飛び上がる子供みたいなオーバーアクションをしそうになったことに茶々を入れることもなく、榛名が素直に詫びるのを見て、何だか逆に己に非があるような気持ちに一瞬なるのは、たぶん自分が気の小さい人間なせいだ。
    まぁそういえばばたばたと誰かが駆けて来る足音はしてたよ。けどそんなのはオレ目指して走ってきてるとは限らないし、寧ろ通り過ぎる確率の方が高いわけで、別に油断してたオレが無用心なわけじゃない。…たぶん。
    気を取り直して、何だか少し浮き足立った後輩に尋ねかける。
    「どしたん?」
    「加具山さん、これからちょっと走るでしょ?」
    「え、ああ、うん、そうだね」
    武蔵野はごく普通の県立高校で、テスト前の一週間は部活動が停止になる。だから、その一週間は赤点防止の付け焼刃の勉強をしつつ、個々に組んだ軽いメニューをこなす事にしていた。
    「んじゃ一緒しませんか?」
    「え」
    「あ、嫌すか」
    「いや、いやじゃねーっつか、お前こそいやじゃねーの…?」
    人真似していたってダメだと言ったのは当の榛名だ。榛名だし、伸びる為にはそれぞれに見合った訓練をするべきで、そうでなければいくらしんどかろうと効果的でないというのは少し考えてみれば当たり前のことだ。今自分達は仲良しクラブをやっているわけじゃなく、あくまでチームとして一丸となろうとしていて、そしてその境界線を、たぶん榛名は一番明確に理解しているはずだった。
    「え、別に二人三脚やるわけじゃないし、今日は軽めだし」
    「あー… まぁ、そうね…」
    一緒といってもペースはそれぞれということか。まあそうだろうけれども。わかってたけども。
    自分に合わせてていいの?と思ってしまった染み付いた劣等感がまた情けなく、はなからそんな気などなかったことを何の後ろめたさもなく告げる榛名の言葉は相変わらず心臓に痛く、でも同時にその揺るぎようの無い野球に対する本気が、自分の中のくだらない感情の及ばない部分をメラリと燃やした気がした。
    「オレ昨日面白い場所見つけたんスよ。ついでにそれ見に行かないかなーと、思って…草加の方なんスけど」
    そうね、を承諾ととった榛名が機嫌よく話を続けてゆく。軽く瞬きしながらこちらを窺う黒い目は、偶に見せる此方の全てを明け透けにし貫く鋭さはないが、十分に強烈なエネルギーを持っていた。
    「面白い場所?え、オレ町の中はしるのはちょっと…ほら、一応テスト期間だし…」
    それが大きなことであれ小さなことであれ、何かを成し遂げようとしている榛名の目は、いつもきらっきらしているなあと、加具山は思った。思いながらも一応予防線を張って渋っておくと、
    「郊外の方スから」
    大丈夫っスよ、と言って榛名は屈託の無い笑みを顔一杯にたたえた。

    小さな駅を降りて、緩めのペースで走りながらいくつか交差点を抜けると、少しひらけた場所に出る。細い用水路とまばらにたつ民家を横目にだだっぴろい一本道をしばらく走ると、「あそこ曲がります」と榛名が叫んで、畑と畑の間の小道に入った。
    二人の間隔は特に離れるわけでもなく、かと言ってつくわけでもなく、ちょうど部活でランニングをする時の間隔を保ったまま、割と無心に走っていた。
    のだけれど。
    (うお、虹)
    行く先にちょうど小道をまたぐ様に掛かるそれを認識すると同時に、ふいに榛名が左手を上にあげて軽く振り一度虹を指すと、そのまま腕を左前方に向けた。ぴっと指差されたその先へ駆けつけて、息を飲む。
    「うーっす 到着!」
    木々に覆われた小さな丘陵から出ていたように見えていたそれの根元は、水霞立つ丘陵の麓にあった。
    古びた石の囲いから勢い良く噴出す水が風の流れにのって周囲に広がり、その水の分布に沿って、スケールは多少小さいだろうが、立派な七色のアーチが伸びていた。
    「すげ…」
    思わず声がもれる。
    「オレ虹のはじまり見るのはじめてだわ」
    「っしょ?オレも虹の根元とか見たの初めてで」
    「え、これ井戸が壊れてんの??」
    「みたいっスね」
    「うはあ…」
    「たぶん近いうちに直しちまうだろーなと思ったんで。あーよかった、誘ったのはいいけどこれでもう直ってたりしたらオレどうしようかと思ってたんすよ」
    風の流れが少し変わるたび、水しぶきがこちらまで飛んできて微かに頬が濡れる。
    聞こえてきた言葉に、見入っていたそこから視線を外して榛名のほうを窺うと、同じく水しぶきのきらめく中、何がそんなにも清々しいのだろうと思うほど晴れやかな顔で虹を見つめていた。
    「…なんで?」
    「へ?」
    「いや、何でわざわざオレ誘ったのかなーと思って。お前昨日見たんだろ?」
    尋ねるときょとんとした顔でこちらを向く。
    「え、…珍しいから…?」
    「おま…疑問系かよ」
    「つか、」
    「?」
    ぶわりと強く風が吹いて水しぶきを吹き上げる。
    「こんなん自分だけが見たって面白くないっしょ」
    雲の切れ間から一際明るい光が射して、榛名を(そして自分を)取り巻く細やかな水霞を煌かせた。
    もう一度息を飲む。
    その景色が一瞬にして告げられた言葉の意味を己に理解させた。

    虹は、榛名が創っているのだと思っていた。
    榛名の光が、眩しさが、強さが。「万人に与えられることはない」「持つ者の輝きと力」が、それを創ることができるのだと思っていた。
    でも違うのだと言った。
    言われた気がした。
    光だけでは、虹は創れないのだと。
    空気中に散布した水が、流した汗や或いは涙が無ければ、光がそこを通ったところでそれは七色に輝くことはないということを。もやもやの曇り日が無ければ、そこから溢れ落ちた雫の日が無ければ、光は輝かせるものもなく、ただひとり孤独に空気を裂いて暗い地面に吸い込まれてゆくだけだと。

    「そだな…」
    ぽつりと呟く。
    一緒に走ってきて、一緒に見たからこそ、自分はこんなにも感銘をうけているのだ。この光景に。
    ただ綺麗だとか珍しいもの見たとか、そんなんじゃなく、それ以上に何かが響いて何かに気づいて、独りでは決して映り得なかった何かがこの目に映っている。
    「独りで見たってつまんないよな。何ていうの?こいうの…共有の尊さ?」
    「うわ、加具山さんが頭良く見える!」
    「なっ、ちょ、お前なああ!それどういう意味だ!言ってみろ!」
    拳を挙げて怒鳴るとわーっと頭を抱えて逃げてゆく。眩い水煙の中にそれを追いかけて、そっと目を細めるとゆるりと拳を下げた。
    光の孤独な旅が終結するところが、彼を柔らかく溶かしそして眩く反射させる雨の雫であればいい。ぐるぐると天と地を循環する己の地味でそれでも精一杯の旅路が、彼の旅路と交わって、そうしてあの美しい虹を創り上げることができるというのなら。できているのだというのなら。
    「オレぁマジで先輩のことリスペクトしてますよ!」
    ちょっと離れたところからそんなことを叫び返してくるから性質が悪い。つーかお前ほんとにリスペクトって意味わかってる?
    苦笑した後、叫び返す。
    「榛名ぁ~!」
    「はいぃ~!」
    「せっかくだから虹触って帰らねえー!?」
    「いっすねーっ!」

    右手と左手で、水煙と光の織り成す虹に触れた。










    RainBow
    思い描いた未来の、その先へ、いかなくてはいけないのだと


    空の色だと思った。
    街並みと白い雲を裂くように、ひらりと視界に舞った一切れの布もとい武蔵野のネクタイを初めて見た時の印象だ。
    日本生まれで日本育ちの三橋は、アズーリなんていう空の色など知らない。快晴だって高い夏の空だって、その青さの深さには外国のそれと比べて限界があった。いつだって真昼自分の頭上に広がっているのは絵の具で言えば「水色」だとか「シアン」だとかを薄めた感じで、決して「青色」とか「群青」を溶かした色じゃなかった。でもその色は桃色にそまったり橙にそまったり灰色がかったり或いは金色に輝いたり…くるくると緩やかなグラデーションのように表情を変えるから嫌いじゃなかった。穏やかだけれど、鮮やかでもあると思っていた。
    外国みたいに鮮烈ではないのかもしれないけれど、夏の空色は三橋には十分眩しかったし、もし己がそれを背負っているのだとしたら、すごく、嬉しい。
    そんな空色をしている、と思った。

    突然の雨にわわっと走って最初に見つけたコンビニに飛び込んだら、数ヶ月前のデジャブよろしく、鈍い衝撃と共に空色が舞った。わっと声を上げる間もなく衝突の反動でレジの方へ吹っ飛びかけた身体を、同じく声を上げる隙なく強い力で引きとめられる。
    「っぶねーー」
    くしゃりと掴まれたシャツから左手をたどって三橋がその腕の主を見上げると、
    「ハルナさん…!」
    それは紛れもない数ヶ月前の繰り返しで。目の前にいるのは武蔵野第一の投手、榛名元希であった。
    思わず声を上げると、榛名は一瞬動きを止めた後、三橋と同じく数ヶ月前の光景と今の光景が一致したらしい。
    「…ってまたお前か!」
    三橋の髪が風圧で靡くほどの勢いで叫んだ。
    一斉に店内の人間の視線が集まって、それに気づいた榛名がばつの悪い顔をする。シャツを引っつかんだ態勢でこの荒げた声では、どう踏んだって榛名が悪者だ。
    「っ…おら、ケガはねーよな」
    「は はい」
    ぱっとシャツを放されて三橋はほっと胸をなでおろしつつ、それでもやっぱりびくびくしつつ、頷く。
    「つかお前マジ気をつけろよな投手だろ。うっかりガラスにでもつっこんでみろよ、お前もオレも冗談じゃねっつの」
    「す すみま…せ ん」
    この場合、投手はとりわけ、であって、本来はどんな人間でも気をつけるべきことだ。ただの校内追いかけっこが惨事になったニュースを思い出して、三橋はぶるりと震えた。本当に気をつけなくてはいけない。
    そろそろと視線を動かしてビニール傘を見つけると、これまたそろそろと動いてそれを手に取った。
    「え、傘買うの?どーせ通り雨だし待ってればよくね」
    「え で、」
    「ん?」
    「うっ で、で、で でも また あ 雨 」
    「…あーまぁ確かにいつ降るかなんて分かんねーけどよ」
    そのままそろそろ真横に移動して、そっとレジに出す。挙動不審になりながらもちゃっちゃと傘の購入をすませる三橋を、榛名は興味があるのかないのか良くわからない顔で眺めていた。
    阿部にじぃと見られると言葉がどんどん詰まって喋られなくなる三橋だったが、榛名にこうしてじぃと見られると逆に何か喋らなくてはいけないような気持ちに駆られる。
    「肩冷やすと、だめ、だから… 阿部君も、おこる…」
    「あべ?ってエート、ああ、タカヤのことな」
    ふと気づけば同じように榛名がビニール傘を片手にしているから不思議だ。一度あがってもまた降るかもという自分の論を最もだと思ってくれたのだろうか。或いは、阿部君の話をしたくて、自分についてくるために傘を買ったのかな。
    どちらにせよ、三橋の榛名に対する感情は憧れに属するものであり、恐れを感じたとしてもそれは恐怖というよりは畏怖であったので、少しの時間でもこの凄い投手と時間を共有できるのは嬉しいことだなぁと三橋は思った。
    ぱっとふたつの傘がひらいて、雨の町へ繰り出してゆく。
    「あいつマジうぜーよな がみがみがみがみ」
    普段は身体のこと心配するくせに首ふりゃ云々と続ける榛名に、しくりと心臓が痛んだ気がして、慌てて三橋は口を開いた。普段ならこんなふうに人が喋っているのを遮って声を出すなんてこと、まずないのだが。
    「で、でも、阿部君は、悪いひとじゃ、ない、です」
    ふっと言葉を切った榛名の視線がすっと自分に注がれるのを感じつつ、それでも言葉を繰り出す。
    そう、大事なこと、大事なこと、だ。中身も。ちゃんと相手に届く「言葉」って形にすることも。
    「おっ、おれは、阿部君が捕手じゃなくても、阿部君のことが、すき、だ」
    目を瞬かせる榛名をよそに、三橋は言い切った!と大きく震える息をついた。
    そして次の音が紡がれるまでもう一度緊張する。
    榛名は薄く口を開いてどこか斜め上に視線をやったあと、とりわけ感慨も無いように呟いた。
    「いいひとだとは思わねーけど。ま~否定はしねーよ」
    「…!」
    否定をしない。どれを?と思い返したところでそれは阿部への好意を指しているとしか考えられなくて、三橋はわーっとなった。
    「榛名さんは、いいひと、だっ!」
    「はああ???」
    九官鳥のように唐突に叫ぶ三橋に、榛名の肩が揺れる。
    「お前って言うことが大げさだなあ…!好きとかいい人とか」
    「う、うひ」
    二人はバッテリーになれなかったのだけれど、それでも榛名が榛名なりに阿部のことを見ていたことが何だか嬉しくて、三橋はそわそわと身体を揺らした。
    三橋が三星の元チームメイトたちと、それぞれのアイデンティティを抱きしめたまま再び向き合えたように、いつか阿部の途切れた世界が再び繋がる時、自分が西浦を選んだのと同じように、阿部が己を選ぶように。自分はもっともっと努力しよう。そう思う。
    しばらく無言で歩いているうちに雨足は弱まり、ついには止んだ。
    傘をぱちんと閉じてぱたぱたと雫をはらいながら、ふと空を見上げると、まるで絵に描いたような光景。
    「あ、にじ」
    「おっ まじだ」
    ぽっかり口を開いたまま三橋はそれを眺めて(海とか山とか空とか壮大な風景を目前にすると、何故か口がひらいている。圧倒されているからだろうか。)、傍らの榛名が「レインボウ」と呟くのを無意識の内に反芻していた。
    「レインボウ…」
    同じように虹を見上げる大きな背が眩しい。
    「榛名さん、は、虹が、つかめそう」
    たどたどしく言葉を紡ぐと、榛名は真顔になった後ちょっと複雑そうな顔をして、
    「あーそりゃ、掴むよ」
    とぶっきらぼうに答えた。
    「だってオレ虹を目指してるわけじゃねーもん」
    「う お?」
    目を瞬かせる三橋に、惜しげもなくひとつのカラクリが明かされる。
    「レインボウって雨の弓じゃん?だから虹はその向こうへ飛ぶ為にあるものでさ、オレが目指してんのはその虹の向こう」
    「―――」
    ああ、なんてことだろう。
    なんていう解だ。
    あまりの衝撃に思わずきょどることさえ忘れて硬直した三橋を見て、頓珍漢な発言をしたろうかと榛名は一拍置いた後言葉尻を濁した。
    「…かな?って…」
    「それ、は、すごい!」
    再び九官鳥のごとく三橋が叫ぶと、榛名はぱっと顔を明るくして、
    「だっろ!?オレも気づいたときすげー衝撃でさあ!」
    実に嬉しそうに笑った。
    こくこくと三橋は何度も頷き、榛名もそれに何度も頷いた。

    人間なんてみな盲目的なのだ。今という時間と、今思い描く未来像に。
    そして、それを必ず手に入れると思っている者だけに、その未来を享受する資格や機会が与えられる。己が疑っているようではまず駄目だというのは、既に周知の事実だ。
    けれどそのビジョンは時折、己の意思ではどうにもならない、所謂不可抗力の下で砕け散らざるをえないことがあるというのは、否定できない世の常で。
    けれどそうしてそのビジョンが崩れた時こそ、未来を手に入れるために、己を疑ってはいけなかった。
    努力が無碍になる瞬間を知っている。報われなかった時間を思い自棄になる気持ちを知っている。歩んできた道は違えど、持つものは違えど、それは二人同じだった。
    だから信じて疑わなかった未来像の、その先へ、いくつもりではなくてはいけない。描いた未来の画が崩れ去ろうが、覆されようが、本当に掴むものはその先にあるのだと。己のイメージの限界の、その先があるのだということ。それを心にとめて、イメージの及ばないその未知の場所まで行くつもりだと。そうして揺るがない前進の意思を、魂に秘めておきたい。
    そう、はじめて中学のグラウンドに立ったその時だって、自分はこの部活と不和が起こるだなんて露にも思っていなかったのだから。それでも、投げている。想像しえなかった場所に自分は立っていて、けれどそれはきちんとあの頃描いていたラインの延長したところにあって。

    閉じたビニール傘を右手に、榛名が弓を引く動作をする。
    目に見えぬ矢をぱっと左手がひらいて放すのを目で追いながら、
    三橋は、オレも飛び立つのだ、と思った。
    あの、虹の先へ。


    (2007年12月30日発行)
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    だからこれはそれに追随するただのひとつの記憶に過ぎないのだが。

    気分屋というより妙なところで感情の交換スイッチが作動するんだと思う。気分が行動を左右する、のではなく、些細な事象によって気分が容易に変わる、のだとすれば、それは「情緒不安定」とでもいうのだろうか。国語はあまり得意ではないのでよくわからない。けれど目の前の投手にその言葉を重ねてみた時、隆也は首を傾げざるを得なかったから、やっぱりその単語は相応しくないのかもしれなかった。
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