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    sumitikan

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    sumitikan

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    現パロこくひめ、エージェント黒死牟、悲鳴嶼未成年学生、全年齢。ピクブラに同じものがあります。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #こくひめ
    goddessOf(lucky)Directions

    エージェント黒死牟 1黒死牟は、じっと行冥を見つめ返した。

    「こういうのは困るんです」

    行冥が怒っている。理由は些細なことだ。

    行冥は黒死牟と一緒に暮らしている子だ。様々な手段を使ってこの関係が正当な続柄であると行政に認知させている。決して怪しい関係ではないが、この関係について行冥の意思を聞いたことはない。

    行冥は中高一貫のキメツ学園の中等部に今年から通っている。そこで教師に保護者の名を尋ねられ「黒死牟です」と答える時がすごく恥ずかしい、改善を求める、という訴えだった。

    眉をきりっと上げている。寝顔は眉尻が下がってて可愛いのに、その下がった眉尻の顔で黒死牟と相対したことは一度としてない。
    残念だ、残念きわまる。でもこんな行冥も可愛い。

    「黒死牟と言う名前がコードネームと言われても、普通の暮らしをしていたら、コードネームしか言わない人と関わり合いにならないようにしようとしか思えないじゃないですか。担任の先生に『コクシーボ?ロシアの人かな?スパシーバと何となく似てるね』って言われた時の私の気持ちについて考えてくれたことはないんでしょうか。これでは私が困るんです」
    「……」
    「大体、黒死牟は何の仕事をしているのか、それも言ってくれないのが困ります。このままでは無職あるいはフリーターの大人と一緒に暮らしていることになります。クラスの友達にも事情を話せないし、それにお金が入ったのか知らないけど、いきなり店に連れて行って高級な服を買って、それを着て銀座のお店に連れて行くのもやめてほしいです。高級すぎて息苦しいし、お店でサングラス取らないのもすごく変」
    「……」
    「でも、黒死牟が家にいるとき、毎日おべんとうを作ってくれるのはすごく嬉しい。いつもおいしくて、ありがとう」

    嬉しいと言いながら、行冥の眉の角度は上がったままだった。黒死牟は自分が保護者として家にいる時は毎日していることを認められて、ふっと笑んだ。

    「いつも……行冥のことを思いながら……作っている……」
    「そんなに思ってくれるなら、本名を教えてください。父さんと呼ぶのも小父さんも駄目なんでしょう?黒死牟はコードネームだって言うし、英語とフランス語とイタリア語とドイツ語と、あとよくわかんない言葉が幾つも使えるから、コードネームが本当らしいのは分かりましたけど。黒死牟は今何をしているんですか?」
    「……」

    黒死牟は沈黙を持って答えにした。行冥をじっと観察する。日本の一般の大人くらいに背丈は伸びている。順調だ。肌艶も良く、元気そうでいる。それが自分の手柄のようで、満足だった。

    行冥は暫く待って、溜息をついた。二人のついたテーブルの上には、行冥の焼いたホットケーキが切り分けられ、そこには紅茶が添えられていて、黒死牟はぺろりとそれらを食べてしまっていた。

    「行冥は……卵を割れるのだな……」
    「私を何歳だと思っているんです。焼きそばだって作れます。これから大人になる準備をしなくちゃならないんです。私が大人になった時なら、名前を教えてくれますか?」
    「……考えて……おこう……」

    黒死牟は幸せだった。クソだと思っていた人生、自分の能力を欲しいままに伸ばして行く最中、フランス外人部隊として地中海と言う水たまりを飛び越えた先のアフリカ中部戦線で民兵組織と乱戦になって銃弾に肩を打ち抜かれた時に過去生の記憶が蘇った。劇的だった、銃撃戦中のアフリカで日本の戦国時代を思い出すのは。

    任務を終えて国に戻ってから、黒死牟は探し始めた。あの三百年に一人の逸材が欲しかった。同じ姿と同じ名であることは何となく察していた。国中を探すとき、国の議員との繋がりを得た。ほどなくして行冥を見つけた。

    うまいことに、家が貧しくて行冥を孤児院に預ける話をしている所だったから、そこに付け入って行冥を奪った。親と話をつけるのに議員と金を使い、行政を利用し、こうして今の暮らしがある。

    行冥は賢い子だった。おじさん呼びを黒死牟呼びに直すのも簡単だった。勉強は中の上。すぐ背が伸びるので衣類の買い替えは頻繁に行った。

    一緒に暮らすことになった理由を説明したことはなかった。それは行冥が自分自身で理解し、自分を納得させているなら、その方がいい。

    「英語をマスターすると世界が広がる。勉強しなさい」
    「私は教育の道に進みたいと思っているので……保育士にするか教師にするか迷っているんですが」
    「そんな狭い世界で満足できるのか?世界は広く持つといい。腕を認めた者達がいれば、仕事が切れることはないし」
    「自分の考えを至上の物として他人に強要するのは……」

    はらわたが煮えくり返る、と言われないだけましだった。前の時よりいい関係を築けているし、行冥は過去生のことは気付いていない。弾丸に打ち抜かれなければ忘れたままでいるだろう。黒死牟は機嫌が良かった。

    「お前の御馳走、うまかった……この礼はいずれする……」
    「お礼なら、ママゾンカードが欲しいです」
    「検討しよう……」

    黒死牟は上機嫌で、三台持っているスマホのうち一台に連絡が来て、それを受ける。何の言葉か分からないが早口に話し始めて、それが行冥の家族との時間の終わりを告げる合図だった。

    家族。家族、なんだろうか。行冥には黒死牟が分からなかった。元の家族が元気にしているのは、私書箱を使った連絡を取って、元気にしているのを知っている。家族は行冥の身の上をとても心配していた。
    手紙に成績表のコピーを入れたり、黒死牟が手ずから弁当を作ってくれることを返事に書くと、納得してくれたようだった。

    行冥は黒死牟に対して大きな警戒心があった。気を許す気になれなかった。どういうわけか自分でも分からない。今の生活を支えているのは黒死牟で、いい学園に入れてくれて、彼は出来る限り親切にしてくれているのに、と思う。

    黒死牟は好意から行冥を引き取った。親にはそう説明したし、行冥自身もそうだろうと希望のように思っている。
    本名を知りたかった。名が分かれば、この意味のない警戒心も解けるんじゃないかと、根拠もなく思っていた。


    「どちら様ですか……?」

    その人は土曜の昼にカジュアルなジャケットを羽織って、休日に親戚を尋ねにきた顔で行冥をじっと見て、ぺこりと頭を下げた。

    「私は継国縁壱と言います。こちらに兄の巌勝が住んでいると聞いて、連絡がつかないので会いに来たのですが……あなたは?」
    「私は悲鳴嶼行冥と言います」
    「大学生?」
    「いえ、中等部の一年生です」
    「おおきいですねえ」

    縁壱がにっこり笑う。その笑顔を見て、行冥も眉尻を下げた。

    「あの。この家に住んでる人は、その。黒死牟、と言って……」
    「そうそう。黒死牟は仕事用の名前なんです、日本人にはミステリアスな名前だけど、外国行くとコクシーボって呼ばれて親しまれるって兄から聞いてます」

    それで一気に行冥は警戒心が解けるのを感じていた。コードネーム黒死牟がそのまま通じる大人なんて滅多にいない。

    「縁壱さん、よければ中に入りませんか。家は私しかいませんが」
    「行冥君でしたね。兄がいつ帰るかは聞いては?」
    「いつも突然いなくなるので……」

    行冥が困ったように言うと、縁壱は笑顔で頷いた。

    「良かったら、一緒にスイゼリヤに行きませんか」
    「……」
    「スイゼリヤで一緒に話しませんか。私を家に入れるのはよくないでしょう?私は巌勝の弟の縁壱のふりをした、悪い大人かも知れないし」
    「……はい、そうですね。わかりました」

    それで行冥は、自分の財布を鞄に入れて、縁壱と一緒にスイゼリヤに行った。昼時を終えた店はそこそこ空いていて、窓際の二人用の席に座った。つまめるものと飲み物を注文して、縁壱は嬉しそうに兄を自慢し始めた。

    「へえ、すごいですね」
    「そうなんだ。何でもできる兄だから、外資系の企業に入ったのは納得だったんだけど、アメリカの国籍を取ったのには驚いて。それからあまり連絡が取れなくなってしまってね。行冥君は何か聞いてる?」
    「それなんですが、私にも詳しく話してくれません。仕事から帰ると、外国のお土産をくれることが多いです。アフリカの変なお面とか人形とか、オランダのチューリップの球根は、可愛い花が咲きました。イギリスの紅茶に、ドイツのソーセージは美味しかったです。出張が長い時はカードを送ってくれて。でも、どこで何をしているかは何も……」
    「元々兄は秘密主義な所があるから。もしかして、今回の留守は長いのかな?」
    「仕事でニュージーランドに行くと言って、食事の宅配サービスを一ヶ月分頼んで行きました。本当はどこに行ったかは分かりませんけど」
    「ああ、あの国は英語だったかな。行冥君も英語を?」
    「それはまあ勉強しますけど、私は、教育者になろうと思って、保育士か教師か悩んでるんです」

    縁壱の微笑を見て、なんとなく行冥は気を許していた。黒死牟の弟であるとは思えないような、ごく普通の青年だった。継国家の家庭で、秘密主義に生まれ付いた秀才な黒死牟の等身大の姿が縁壱の言葉で分かって、行冥も安心できた。

    鬼ではない。彼も普通の人としての人生を送っている。

    「……?」
    「どうかした?」
    「いえ。私は黒死牟……巌勝さんが、エージェントとしての姿勢を家でも崩さないのが不満だったんです。学校の作文に、家族……のことを、なんて書いていいか困ることもありましたから」
    「家族の作文か。懐かしいな。なんて書いたの」
    「先生に相談したら、コクシーボなんてロシアの外国人みたいだと言われて、恥ずかしくって」

    縁壱が笑い、釣られて笑った。こんな風に笑ったのは行冥は久しぶりだった。コードネーム黒死牟で笑うことができた。なんとなく行冥は黒死牟のことを許す気になっていた。

    「縁壱さんは何をしてるんですか?」
    「仕事なら、システムエンジニアだよ。今のホワイトな職場に入るまでは大変な事も色々あったけど……行冥君は教育か」
    「はい。できればですけど」
    「うまく行くと良いね。高校はどこに?」
    「今行っている所がエスカレーター式なので、このまま上がって、付属大学を受験しようと考えています」
    「しっかりしてるなあ。俺が君くらいの頃なんて、そんなこと考えずにゲームに夢中だった気がするよ……」

    黒死牟の秘密主義は、子供の頃からで治らない。多国語を操れるのはそれだけの努力を当たり前にするからで、縁壱がわかるのは英語をなんとなく。彼は結婚指輪を自慢した。

    縁壱のスマホに連絡が入って、誰かと嬉しげに会話する。それが行冥には少し胸にツンとくる光景だった。教室でスマホを持っていないのは行冥だけで、そのことを言い出せずにいる。

    「どうかした?」
    「……あ。いえ、何でも」
    「スマホ?」

    軽く聞かれて、軽く頷いた。重い話にしたくなかった。

    「私から兄に言おうか?さすがに今時、持っていないのは不便だろうし。他に困ったことはない?」
    「ないです。黒死牟……巌勝さんはとても親切にしてくれて。今の学園に行けるのもあの人のお陰なんです」
    「いや、ごめんね。俺も気が回らなくて、今時の子のことは、兄も海外を飛び回っていたら分かりにくいだろうしね。兄の番号は知ってる?」
    「あ、はい」
    「じゃあ、これは俺のを渡すから、何かあったら連絡を」
    「ありがとうございます」

    一筆書かれた名刺を貰って、行冥は一礼した。

    「ふふ。休日の会社員が、休日なのに仕事してるみたいに見えるよ」
    「ああ。私は、体が大きいから……」
    「それを生かしたスポーツとかはしないのかい?」
    「先生からもよく誘われるんですけれど、図書部にいるんです。児童書が好きで」

    そんな話を縁壱にして、久々に実りのある一日になったように行冥には感じられた。

    黒死牟の留守の間に、仲良くしてもいいかも知れない。


    「おかえりなさい、黒死牟」
    「おかえり、兄さん」

    二人の笑顔に迎え入れられて、黒死牟は手にした荷物をその場に落とした。コンプレックス対象の弟が大好物の行冥と共に笑顔でいる。天国と地獄を一度に味わった。

    「……どういう……ことだ……」
    「父さんが入院したこと知らないと思って。ステージ二の胃がんだった。もうリハビリも終わらせたけど、再発を気にして弱気になっているんだ。一度顔を見たいって」
    「……スマホで」
    「繋がらなかったから尋ねにきたんだ、そしたら行冥君がいて。ね」

    嬉しそうに行冥がうなずく。黒死牟は彼の眉毛に注目した。眉尻が下がっててて、かわいい。このかわいさを縁壱が今まで独り占めしていたのかと思うと、黒死牟の胸の中に嫉妬の炎がめらめらと燃え上がった。

    縁壱、お前はいつもそうだ。私の欲しくてならないものをお前はいつも何気ない顔と態度で奪っていくのだ。お前の天才がどれだけ私を……いや今は普通のエンジニアだけど。でも私の大事な行冥を。お前何して。

    「黒死牟、今日はどんなおみやげがあるの?」
    「……現地の物語の英語の絵本を」
    「へえ!どんなの?」
    「……自分で訳して……読むといい」
    「ありがとう、黒死牟」

    行冥が嬉しそうに笑った。いつもより子供っぽい言い方をするのが、黒死牟は嬉しかった。眉尻は下がったままだ。黒死牟は自分の不満について、口にするのはやめることにした。行冥がすごくよかった。

    足元から絵本の包みを取り出して行冥に渡す。それを嬉しそうに受け取った。

    「見てもいい?」
    「……ああ。できれば部屋に行って……これから少し、大人の話があるから」
    「はい」

    行冥が行き、黒死牟は縁壱と顔を合わせた。

    「……話したのか」
    「うん。一ヶ月も一人暮らしは寂しいだろうと思って。兄さんの話をよくしたよ」

    話題は私か。一体どんな話をされたのか、冷汗が浮きそうになる。いや、待て、今は戦国時代でも大正でもない。私は鬼ではないのだから。エージェント黒死牟であって、後ろ暗いことは大体国外でやっている。問題ない。

    「兄さんは何でもできる凄い人なんだって話したら、行冥君も頷いてくれたよ」
    「……」
    「私も表面だけは調べたけれど。預かってるの?」
    「……いや。……行冥とは、特別養子縁組ということで行政も認可している関係だ……」
    「なら、スマホくらい持たせてあげてもいいんじゃない」

    黒死牟は少し目を丸くした。行冥に衣食住を与え、自分の手の内で可愛がっているつもりだった。全く予想外の所から放たれた気付きの矢に、驚かされた。

    「……スマホ?」
    「行冥君がなかなか言い出せないようだったから、私が代わりに言うけど……兄さんとナインとかしたいみたい」
    「私と、ナイン……」

    いい。それすごくいい。なぜ、今まで気が付かなかった。行冥がスマホで「部活終わったので今から帰ります(絵文字或いはスタンプ)」と送り付けてくるのを海外の現場で見ることが出来たら、どんなに心和むか。自撮り画像欲しすぎる。

    黒死牟は頷いた。本気の頷きだった。それで縁壱もにっこり笑った。反射的に弟の笑みが気味悪く感じるのは、縁壱には申し訳なかった。最高の提案だ、縁壱、お前は出来る奴だ。

    こんないいことを教えてくれた縁壱には、お礼に絶対に儲けが出る、フランスの石油企業が中華の市場で黒幕をしている仮想通貨の話でも……駄目だ。それこそどんな仕事をしているのかと疑われる。縁壱に通じるのは外為くらいか。そちらのネタは今はない。

    いや、兄弟だから、貸し借りについては考えなくていい。

    「……気付かなかった」
    「買ってあげたら。そうしたら俺と兄さんと行冥君でグループつくろう。あ、うたも入れていい?」
    「……ああ」
    「実はね兄さん、俺達、子供出来るんだ。どちらかというとそのことを兄さんに話したくて。父さんも母さんも喜んでる。それでね……」

    最初の閃きの後は、ごく普通の縁壱だった。帰宅時の衝撃は、この際忘れてやろうと黒死牟は思った。

    継国家の内情を一通り話し、そこに行冥も加えてはどうかと言う提案に黒死牟は少し悩み、頷いた。行冥を実家の家族に紹介しよう。

    黒死牟が一ヶ月も二ヶ月もいない間に助けになる。確かにその期間中、行冥の安否について気がかりではあったのだ。スマホと実家でサポートできるならその方がいい。

    「もういいですか?」
    「……ああ。こっちにおいで」

    行冥の眉を見る。今のように眉尻が下がっている顔が黒死牟は好きだった。居間に入っていいかどうか判断に迷って泣いてしまう所がよかった。呼ばれて、縁壱の方に行くのが問題だが。

    なぜだ。私は国を股にかけたエージェントで縁壱より能力はすごい、なのにどうして行冥は縁壱の方に。私が衣食住を保証してる保護者なのに……。

    「行冥君。君のことは、私達の実家の継国家でもきちんとしようって話を、兄さんとした所なんだ」
    「はい」
    「近いうちに私達は親戚になるよ。これからよろしくね」
    「こ、こちらこそ。よろしくお願いします、縁壱さん……」

    頬を染めてお辞儀する。よせ、そんなこと縁壱にしなくてもいい。じりじりと火のついた導火線に似た焦燥感を、黒死牟は胸の内に飼い始めていた。

    縁壱は席を立った。帰るのだろう、脱いでいたジャケットに袖を通している。

    「兄さん、行冥君にスマホね」
    「分かってる」
    「今時スマホがないと彼女もできないよ」

    彼女。それは、黒死牟にとって巨大隕石のような脅威だった。やがて飛来して地上のありとあらゆる未来を奪い去って行く災厄。黒死牟から行冥を奪っていくもの。

    まだ見ぬ女に強烈な情念を黒死牟は覚え、けれど顔色一つ変えずに縁壱に言った。

    「父さんと母さんに連絡しておく」
    「うん」


    夜のベッドの側に沈黙の黒死牟を迎え、行冥は困り切って眉尻を下げていた。

    一か月前、縁壱と会って話した時に何か黒死牟に対して理解の切っ掛けになる糸を掴んだ気がしていて、それ以来、彼を警戒する気になれずにいる。

    ベッドの側に佇む成人男性。前ならこんな所に彼がいたら、壁際に逃げたり、悲鳴をあげて怯えていたと思う。けれど、黒死牟にも彼なりの理由がある。頭が良すぎて訳の分からないことになっている悲しい人なのかも知れない、と最近思うようになった。

    「巌勝さん」
    「……」
    「黒死牟」
    「……そうだ」

    家の中では黒死牟と呼ぶ方がいいらしい。ベッドの側にわだかまって、黒死牟は腕を伸ばし、行冥の頭を撫でてきた。その手が頬を撫で、顔が傍に、目の辺りにキスが来る。

    「わ、わた、……私は」
    「……なんだ」
    「私は、黒死牟のこと、好きだよ」
    「……」
    「言ってなくてごめん」
    「……」

    黒死牟は何を思うのか、黙って行冥の頬にキスをした。行冥は頭を撫でられて、黒死牟の触れてくる意味が保護者としてなのかそうではないのか、分からなくなってきて混乱していた。

    キスが頬から首に落ちる。気持ちいい。黒死牟がベッドの上に乗り上げて来て、それがごく自然だった。人の重さが慕わしかった。

    キスが上唇を吸い上げる。あ、大人のキスだ、と行冥は思い、避けるように首を横にした。そうした瞬間、黒死牟の手が頬を支え、強引に正面に向けてきた。

    「あ……っ」
    「……行冥。……いい子だ」
    「な、なんで。なんで、黒死牟……」

    唇を舐められて、びっくりして行冥は両手で口を塞いだ。黒死牟が笑っていた。悪い大人のようだった。

    「き、キス、やだ……」
    「だめだ。私はキスしたい」

    ぽろぽろと涙が出てくる。黒死牟が恐いと言うよりは、悲しくて仕方なかった。まさか、こういう目的の為に自分を引き取ったのだろうか?そう思うと黒死牟に抱いていた希望が一気に真っ黒に塗り潰されて、悲しくなって行冥はしゃくりあげた。

    しゃくりあげる行冥の頭を、黒死牟は撫で続けていた。

    「も、もう、そ、尊敬させて、くれないの……?」
    「……尊敬?」
    「尊敬してた」
    「……なぜ」
    「私の実家を、助けてくれたんでしょう?だから黒死牟が、好きで、尊敬してて」

    手の甲に黒死牟のキスが来た。相変わらず頭を撫でてくる。それから体を抱きしめられて、行冥はしゃくりあげながら困っていた。

    「……お前が……大人になるのを……十八になるまで待とう……」
    「ほ、ほんとに?……ほんと?」
    「……エージェントが約束を破ったら……身の破滅だ。必ず守る……だから行冥」
    「な、なに」
    「……おやすみ前に……私を落ち着かせてくれるだろうか」
    「変なことしないなら」
    「……しない」
    「うん」

    黒死牟が力を入れて抱き締めてくる。キスが、頬に瞼に落ちてくる。涙の跡を吸い取られた。唇を掠めたキスが少し危ない。黒死牟の仕草は落ち着いて安定していて、任せてもいいと思えた。
    黒死牟の生活は半分外国で、黒死牟自身の習慣も半分くらいは外国人のようなものだろうから、表現がこうなるのは仕方ない、と行冥は思っている。

    黒死牟の手が布団の中に入ってきて、体つきを確かめてくる。あまり、いやらしい感じはしない。上半身と腰を確かめて、その都度抱き締めてくる。

    「……もう少し、筋肉をつけては」
    「文科系だから」
    「……そうか」
    「ねえ、ごめんね」
    「……何を……謝る?……」
    「黒死牟の思うような私じゃないから……」

    ちゅ、と頬にキスが来た。強く抱き締められて、それが親愛の抱擁だと、こういうことは疎い行冥でも分かった。

    「……いい。構わない。……そのままの行冥が好きだ」
    「黒死牟……」

    抱き締められて、行冥も抱き返した。黒死牟は鍛えられた体をしていて固かった。節度を守るという言葉を信じられると行冥は思っていた。大人になったらそのうちに、巌勝さんと呼んで良くなるかもしれない。

    幾らなんでも普通の生活にコードネームの黒死牟は合わない。町内会で黒死牟さんと呼ばれるのは滑稽ではないだろうか。継国巌勝と言う立派な名があるのだし。

    抱き締めてじっとしていると、そっと唇にキスが来た。それ以上何もせず、触れ合うだけで離れていく。

    「おやすみ」

    黒死牟が一線を引いて、部屋をそっと出て行った。十八になるまで守ると言った。それを信じよう。行冥はほっとして、掛け布団を直して目を閉じた。

    黒死牟はエージェントで頭が良くて縁壱にさえ秘密主義で、よくわからない男なのは仕方ない。まともな縁壱があんなに褒めちぎって尊敬しているのだし、見所はあるのだろうと行冥は思った。なら、多少のことは目を瞑ろう。

    ***

    行冥の部屋を出た黒死牟は、ウイスキーを飲んでいた。なぜあそこで手を引いてしまったのか。尊敬の一言で心を打たれてしまったのが原因だ。前世の行冥からそんな言葉、何があっても絶対出てこないと思うと、あまりにも貴重な発言だった。尊敬。

    未来の彼女の存在については今後検討を続けることにする。悲鳴嶼行冥に尊敬されてる私、で浮かれて一杯飲みながら、大人になるまで触れ合うだけのキスとハグで済ませることについて、そういえば行冥はまだ子供だった。背丈は前世に迫ろうと伸びているが、まだ中等部だ。

    中等部の子供に本気になっている。この時初めて黒死牟は自分の在り方が変態的に危ないのではないかと思い、すぐその思いを打ち消した。約束したのだ。大人になるまで手は出さない、と。これならまともな大人の範疇だ。
    行冥のスマホはもちろん監視する気の黒死牟だった。

    「尊敬。尊敬か……」

    今晩のことを肴にして、半年は飲めそうだった。
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