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    sumitikan

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    sumitikan

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    さねひめ、全年齢、手も握りません。モブあり、軽く戦って鬼の首が飛びます。耀哉の指示で実弥が偽の写真屋になり、悲鳴嶼さんが霊能者の似非坊主をやります。雰囲気です。ピクブラにも同じものを投稿しています。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #さねひめ
    goddessOfSpring

    蟷螂館上座の耀哉が静かに湯呑で唇を湿し、じっとこちらを見つめてくる視線が優しい。あれからというもの、耀哉と会うとなぜか母親に会ったような気になってしまう実弥が、我ながら従順で大人しかった。

    残暑の季節に鴉が軒先に飛び込むようにして呼び出され、大急ぎで産屋敷家に来た。控室で一緒になったのは悲鳴嶼で、彼がいるなら確かに鬼の話になる。隣り合わせに耀哉の前に、出された茶は一口も飲めなかった。当主はじっと悲鳴嶼と実弥を見て、ようよう口を開いた。

    「二人とも、急な呼び出しなのによく来てくれたね」

    笑みが深くなる。悲鳴嶼は見えない目でじっと耀夜を見つめているようだった。何でもないことのように耀哉が話しはじめた。

    「今回は少し珍しい頼み事だったのと、他の隊士の手に余ってしまったから、行冥と実弥に行って見て来て欲しいんだ。頼み事と言うのは、鬼殺隊が色々と面倒を見て貰っている、さる男爵のお宅に病弱な御令息がいてね。普段は東京の外の別邸に静養していて、家庭教師をつけて引き籠っている。世間を知るために教養のある文化人を世代問わずに集めていて、絵画や彫刻を何点も見たり、洋物のレコードの感想を言い合ったりするらしい。文化人たちの集まりだという話だね。
    その集まりから急に人が消えるようになったのが男爵の相談だった。別邸に呼ばれた人の連れてきた使用人が消えていく。一月に二、三人も使用人が消えているくらいなら、身状の悪い者を家内に入れた選抜が悪いと用人……執事に言えたかも知れないけれど、一度に五人消えたとかで、相談が入ってね」

    話を聞きながら自分の顔が歪んでいくような気が実弥はしていた。男爵や子爵の読み方を覚えたのは岩屋敷で、華族と呼ばれる人々とは別世界に生きていた。実弥は耀哉と相対するのになけなしの誠実さと忠誠心だけで手一杯だ。耳馴染みのいい優しい声が続けて言う。

    「そこで別邸の調査に隊士を一人、様子を見ていたら跡形もなく消えてしまった。残された雑記帳には、怪しい事件が起きているのは確かだけれど、誰がやったかまでは掴めていない。調査はそこで途絶えてしまって、男爵は政敵の仕業と考えているようだけど……どう思う、行冥」
    「鬼の仕業ではないでしょうか?」
    「そうだね。私もそう思って、次に隠を別邸の周りの街に差し向けて調査させた。すると別邸を中心にして、人の行方不明事件がとても多いんだ。お寺では鬼の噂も囁かれている。どうやら別邸を巣にして、その周りで人を食っているようなんだ。別邸には隊士を行かせて、日輪刀を見せたけど向かって来る気配はなかった。それでも人は消えるから、隊士と隠を使用人として潜り込ませたけれど成果は出ない。そこで行冥と実弥に頼みがある」
    「はい」
    「……はい」
    「二人で男爵の別邸に行って欲しい」

    ぽんぽんと耀哉が手を叩くと、襖が音もなく開かれて、隠たちが物を捧げ持って入って来る。それぞれの品を実弥と悲鳴嶼の前に置いた。

    「行冥は僧の、実弥は写真家のふりを頼むよ。男爵家の別邸の人々に知られないよう、それとなく鬼を特定して早急に退治して欲しい」
    「お任せください」
    「……はい」

    急な提案を聞いて、実弥の返事は遅れ気味だった。

    「行冥は大丈夫そうだね。実弥の写真家だけど、そこにある最新型のスプリングカメラの使い方については、詳しいものを別室に控えさせている。使い方から何でも聞いていい。助手に隠を一人つけよう」
    「……はい」
    「日輪刀は、行冥はそこの鎖と、実弥は番傘の仕込み刀だ。特注で作らせた。こんな仕度をするのも、男爵はこれまで色々と鬼殺隊の法外な頼みを聞いてくれていたからなんだ。これからも鬼殺隊の為に働いてもらえるように事を運んでくれるかな」
    「はい」
    「……はい」

    実弥は戸惑っていた。写真家のふりをどうすればいいのか分からない。写真家自体を知らなかった。確か写真店があってそこで様々に撮影するのではなかったか。戸惑ったまま礼をしていた。あまねの手を借りて耀夜が退出していく。

    そのまま隠の案内で、カメラに詳しいと言う男と話した。まずカメラについて何も知らないと話すと、噛んで含めるようにカメラ周辺のことをたっぷりと教えてくれた。そして一人の年若い隠を呼んで、この子をつけるから大丈夫ですと言う。

    「お前ェ、知ってるのか」
    「はい、風柱様、カメラのことは何でも私に聞いてください!」

    元は写真店の跡取り息子で、家族を鬼に取られて鬼殺隊士になろうとしたが才はなかった。この隠が実弥の助手につく。
    カメラを知るにはまず撮影からという事で、別室で袈裟を試着していた悲鳴嶼を呼んで、僧姿の彼を撮ることにした。
    明るい場所に端座して、悲鳴嶼はいつもと変わらない。

    「カメラや写真があるとは聞くが、どういうものなんだ?」

    悲鳴嶼の質問を受けて、実弥は隠と顔を見合わせた。見えない人に写真を何と説明すればいいのか悩ましい。

    「まるで見えているみたいな精巧な絵が、一瞬で撮れるんですゥ。姿をそのまま写真に写し取れるんですよォ」
    「ふむ、私には分からぬな。致し方ない」

    実弥は助手となる隠と一緒に撮影から現像までを一通り経験した。それから準備された写真家の格好になる。襟元に巻くスカーフをベストの胸ポケットに仕舞って前を開け、上衣を羽織り、ハンチングを被る。悲鳴嶼は他行する僧の姿で待っていた。

    外に出る。隠の案内で産屋敷家から少しずつ離れて行き、普通の道に出てやっと三人連れになった。このまま駅に行き、男爵の別邸に向かう。三人で乗った馬車で東京駅に向かいながら、一般人に扮した隠が事情を説明した。

    「岩柱様は男爵と菩提寺の住職が京から呼んだ高僧ということになっております。風柱様は写真家で、高僧の指図した所を撮影して頂きます」
    「はァ?」
    「どういう経緯だ?」
    「はい。私、いささか心霊写真の作り方を知っておりまして、物事の悪事をなすのは悪霊と嘘をつきます。それで滞在期間を調整し、その間に鬼を討って頂く手筈となっております」

    心霊写真は初めて聞いたが、幽的を理由にした呆れを敏感に悟った隠が恐縮して会釈した。

    「南無。仕方ない、不死川。私も適当にやりながら、別邸の人の中に鬼を探そう。どういうところだ?」
    「はい、御令息は日光に当たると肌が爛れる体質で、年中日の光の差さない綿雲峠の蟷螂館でお育ちです。館の采配をしているのは松子夫人ですが、東京の本家に御用があって蟷螂館にはいらっしゃいません。御令息の清十郎様は年は十七、同じく十七になる婚約者の綾乃様と家庭教師の鹿島呑象、洋画家の神田慎太郎、文学者の……」

    使用人などを入れて総勢二十七名からの人の中に悲鳴嶼と実弥と隠が入った。この中から鬼を探さなくてはならないのが手間暇だ。

    馬車を降りて駅に行き、実弥は長い溜息を隠れて吐いた。産屋敷家が華族と付き合いがあるのは鬼殺の現場で察していたが、それがこんな形で降りかかるのは予想していなかった。

    一人で鬼退治をしていた頃に大人から揶揄われた、与話情浮名横櫛。切られ与三のなりそこないの顔じゃなく、まともな顔の隊士の方が男爵の用にいいなんて、隠の前で愚痴も言えない。実弥は押し黙り、汽車の座席で不機嫌だった。

    「この数珠、いつもと感触が違う」
    「黒檀です」
    「南無。そんな高価なものを私に……?」
    「高僧と言う触れ込みですから、それなりの金を掛けました。抹香を焚き締めました法衣は隊服と同じ布地です。風柱様の服も染めが違うだけで隊服と同じです。鎖も傘の仕込み刀も、従来通りの日輪刀となっております」
    「オイ隠、手前ぇは少しかしこまり過ぎだァ。もっとざっくばらんな口調を使え。俺ァただの写真屋だろォ」
    「へい、わかりました、旦那様」

    すぐ態度を切り替えてくる隠の態度がむず痒くなってきた。やりにくさに首筋を撫でていると、悲鳴嶼も困ったように眉尻を下げていた。

    「僧のフリはどうですゥ?」
    「南無、人を騙すのが気が引ける」
    「俺は鬼が斬れたらそれでいいですがァ。二十七人の中にどう鬼が隠れてんのか、動きが分からねェのがなァ」
    「それは私がうまく聞き出しますか」
    「無暗に動けば鬼に喰われる。やめなさい」
    「はい」
    「綿雲峠は日が差さぬと聞く。とすると、鬼の跳梁は昼も夜もないわけだ。私たちは館にいるが、隠のお前は館を出て街に下りた者を、それぞれ探すのはどうだ?」
    「岩柱様のお考えは確かです、一人ずつ見当をつけるやり方ですから必ず見つかるかと思います。ですがそれには日数が掛かるのではないですか?」
    「お館様は早急にと言ってたものなァ」
    「南無。では最初から考え直さなくては……」
    「二十人余りのうち、綾乃様を入れて十名ほどは女性で、皆さんの食事の支度や身の回りの世話をしています。綾乃様は女中のキヨとヒサヲを連れて、週に二度は町の実家に顔を見せに戻ります。人の消えた騒ぎがあって地元に帰った者の代わりに来た新顔が二名、執事が一人、運転手が二名、庭師とその弟子で三人」
    「人数が随分と多くねェか?」
    「松子様と綾乃様が御友人をしょっちゅう招待するそうです。男爵閣下が御友人を伴って来られることもあります。清十郎様も友人を呼んで良いと家庭教師やお仲間に言うものですから……」
    「二十数人は最低でもという事かァ。出入りの多い田舎の家ねェ、日も差さねェ。鬼の餌場に好都合だなァ」


    駅まで自家用車が迎えに来たのは、さすが男爵の館だった。それだけ産屋敷家に、鬼殺隊に期待がある。ぐっと気負いが、実弥は車を悲鳴嶼と隠に譲った。後部座席一杯を占領した悲鳴嶼は「膝の上でも……」と言ったが、男三人の重さで車が壊れたら、修理の価が恐かった。

    車を見送り、実弥は駅から徒歩で蟷螂館を目指した。綿雲峠はその名の通り、分厚い雲が常に空を覆っていて暗く、この日はいつ降り出すか分からないような雲行きだった。

    峠道の半ばは汽車が運んでくれていて、駅前通りは賑やかだった。均された道が次第に車の轍が深くなる。道の回りから民家が消えて行き、両脇が畑になった。日は出なくても作物は実るのか、作業をしている人が何人かいた。煉瓦と漆喰造りの蟷螂館は遠目にいい目印だった。

    歩いていると、そこらの畑から出てきたような人が声を掛けてきた。

    「あんた、どちらにお行きなさいます」
    「蟷螂館ですがァ」
    「何をしに?」
    「写真を撮りに」
    「はぁ、写真ですか?」
    「偉いお坊様が写真を種に判じ物をするそうでェ……」
    「それはあの、人が良く消えることでですか」
    「はい」
    「そうですか。実は、地元の街でもよく人が消えていまして……そのことについてお坊様を呼ぶことは」
    「さあなァ。お坊様も俺も男爵閣下の御用で来たからァ」
    「そうでしたか。警察にも行ったんですが、行方不明者の届けを受けつけておりますが、捜索まではとてもとても……地元にもお寺がありまして、そちらでの話もあるのです」
    「お坊様に話しときますゥ」

    寺での話が今回の鬼殺に関わりあるか分からない。とりあえず、悲鳴嶼と再会出来たらその話をしてみよう。

    遠目に見て分かるほどの大きな館に辿り着くのに暫くかけて、立派な門の前に到着すると隠が中から走り出てきて「旦那様」と呼んできた。

    「旦那様、院主様とお仕事です」

    隠の案内で悲鳴嶼の元に行った。既に数名の男とその使用人らしい女が、物珍し気に涙を流して経を唱える悲鳴嶼を眺めていた。彼の背丈が田舎なら見物になる。

    悲鳴嶼は多分、隠の指図で経を唱えている。隠は既に道具を運んでいて、実弥は組み立てて準備をして撮影をするだけだった。そんなことを場所を変えて二、三回ほど繰り返した。館の庭は広かった。

    「僕はこんな昼間に幽霊もないと思うんだがねぇ」
    「南無、悪霊は時も場合も、人も選ばないものだ。悪所に参って憑かれないようご注意召されるがよろしかろう」
    「私は院主様から幽霊譚を聞きたいな。これまで法力で成仏させた悪霊などはいらっしゃるんですか?」

    悲鳴嶼はそのまま人に囲まれて歩み去り、実弥は道具を片付けて、隠と案内の女中と共に館の裏口から入った。廊下だけでも広かった。一階の物置代わりにしていた部屋を整理して、暗室に改造してあると言う。中に入ってスイッチを入れると暗室電球が赤く灯った。

    ドアとカーテンを閉めて作業に入る。現像用の道具は男爵の方で準備してあるから大分荷が軽くなったと隠は言った。

    「心霊写真ってどうやるんだァ?」
    「私がいるところで撮影すると、ほとんどの写真がそうなります」

    三枚の乾板を使い印画紙に絵が浮いてくる。じわりと風景の中に人の顔が怨念じみてあちこちに浮いて、真っ赤な視界でなんとも不気味なものだった。隠は手際よく乾かすために物干しに吊り、乾板を拭い、元のように仕舞っていった。

    「不思議だァ。なんで心霊写真になるんだァ?」
    「はい、私は心霊写真が撮れる体質なのです。親がいる頃は拝み屋や坊様に見て貰ったこともありますが、どうにもならずで……」

    妙な体質だと自分の稀血を棚に上げ、写真の乾燥の為に細々働く隠を眺めた。

    「さ、一段落しましたよ、旦那様。女中に言って茶でも飲みますか。煙草は飲まれますか?」
    「俺は茶でいい。煙草は吸わねェ、鬼殺の障りになるからなァ……」
    「失礼しました」
    「構わねェ。俺は不死川寫眞館の旦那で、お前はそこの弟子だからなァ」

    暗室を出て、適当に廊下を歩く。先に到着していた隠が北向きの廊下へと実弥を導いた。

    「暗室の電灯が点いて良かった。この辺りは東京と違って電力があまり安定しないので、ランプや蝋燭の準備があるとか」
    「誰から聞いたァ」
    「女中頭からですが。執事は俺や旦那様を客と思っていませんから、注意してください。岩柱……院主様には違う態度を取るのでしょうが。あそこが使用人の休憩所です」

    洋館の中に襖で間仕切りされた部屋があり、そこが使用人の休憩所だった。実弥が入ると、中にいた人がぎょっとして、そこを隠が挨拶をした。

    「これがうちの写真館の旦那です」
    「ああなんだ……驚いたなぁ。顔の傷は何だい。事故かい」
    「子供の頃に馬車の事故に巻き込まれましてねェ、どうにかこうして生き残りましたァ」
    「あの行冥って坊さんとはいつから一緒に?」
    「知り合いの紹介でェ、東京駅で一緒になりましたァ。なんでも京都の山奥で修業した偉い坊さんだとかでェ、車中で有難い話を聞きましたよォ」
    「分け隔てのない方なんですね。厳しい修行で両目の光を失ったとか、おいたわしいこと……」

    女が番茶の出がらしの入った湯呑をくれて、それで掌を温めながら、実弥は周りの話を聞いた。一人で鬼殺に明け暮れていた頃も、昼の間は人の溜まりの側でじっと耳を澄ませた。鬼の噂を聞くために。

    人が消える話を聞いて男爵が僧を呼んだのは、使用人たちの隅々まで知っていることだった。実弥は悲鳴嶼の使いのような扱いでここにいるのがよく分かる。

    「坊様の読経で消えた人が現れるでなし。何の係で人が消えたかは分かるまい。こういうことは警察に任せた方がいい」
    「警察は警察でやればいい。俺は坊様のありがたい話を聞きたいなあ。このところ辺りが不穏だ」
    「人が消えたってェ、何のことですゥ?」
    「それがね、急に消えるんだよ。ある時不意に、さっきまでそこにいたのにもういない、ってことが続いて。この館だけじゃなく、街中でも起きてるよ」
    「どの人もついさっきまでそこに居たような形で消える。身投げでも誘拐でもないもんだから、気味悪くてね」
    「へェ、そいつはとんでもない所に来ちまったなァ」

    煙管や紙巻煙草で煙を吐かない男衆はいない中、実弥は一人で吸わなかった。煙たい中で眉をしかめるでもなく淡々として、周りの雰囲気に耳を澄ませた。

    「こちらには男爵の御令息がいらっしゃるとかでェ。俺みてェな男でも、ご挨拶に預かることが出来るんでしょうかァ?」
    「あんた不死川さんだっけ。あの偉い坊さんの使いだろ?そう言う立場だって分かっておいた方がいいね」
    「はァ。すみませんねェ」
    「えっ、そうでもないんじゃないか。坊さんの法力は心霊写真を通して診るって聞いたよ。写真屋さんの言う事も聞いておいた方がいいんじゃないか?」
    「ばか。偉いのは出来た写真で、写真屋じゃねぇよ、おめえはばかな女だなあ。ほんっとばかだよ!」
    「なんだい、ばか、ばかって。お前にそんなこと言われるような私じゃないよ、いいかい……」
    「坊さんの指図通りに写真を写して金を貰う。それでいいんじゃないのかね。清十郎様は写真に興味ないよ」
    「清十郎様と綾乃様を写して貰いましょう。旦那様と奥様の写真はあるけど、お二人の写真がないんですから……」

    使用人の中に鬼の噂の匂いが無かった。おかしな者がいるなら使用人同士で噂の種に、あいつは変わり者だと言い始める。休憩の使用人が入れ違いすれ違いに話すことには、新しく加わった京都由来の法門という触れ込みの悲鳴嶼が、それはありがたい話を聞かせてくれているという事だった。何を話しているのやら。

    彼らが悲鳴嶼を慕う言葉を聞いて、夏の誘蛾灯に蛾の群がる様を連想した。そろそろ鬼がどこに居るかを探らなくてはならない。実弥は隠に囁いた。

    「匂いのする奴を聞いて来い」
    「匂いですか?」
    「鬼は匂う。臭ェんだよォ」
    「分かりました」
    「無理するなァ。喰われたら元も子もねェ」
    「でも日中です」
    「ここは綿雲峠だァ。日中でも雲が湧いてずっと日陰だ。日中でも鬼が活動してるだろォ……危ねェんだよォ」
    「は、はい……」
    「とにかく二人きりになるなァ。人が数人いる所に行けェ」

    そう言うと、隠は休憩室を出て行った。実弥は手近な人に、自分の休む部屋はどこになるのか案内を頼むと、一人の女中が請け負った。廊下に出ると、すまし顔で話しかけてきた。

    「風柱様、お疲れ様です」
    「おう」
    「二階には立ち入らない方がよろしいかと。旦那様と奥様の松子様の寝室、清十郎様と綾乃様、家庭教師。五人の寝室があります」
    「その中に怪しそうな奴はいねェか?」
    「申し訳ありません。ここは綿雲峠、鬼が日中も平然と動くので……私どもには分かりません」
    「そうかァ」
    「この時間は清十郎様は家庭教師についてお勉強中です。今日は婚約者の綾乃様がキヨとヒサヲを連れてご実家から戻って来るから、多分お友達とご一緒です」
    「いつも一緒にいるのかァ?」
    「それはキヨとヒサヲです。あの二人は、使用人の中でも綾乃様から特別扱いを受けていますから。給料も良いようですし……」

    案内された部屋は洋室で二人用、食事は使用人たちと共に賄い飯を食べることと決められていた。慣れない作りのベッドを見て、一度寝転んでみる。布団と感触が違うのに溜息をついた。

    隠にばかり仕事をさせる訳にもいかない。実弥は仕込み傘を分かりやすい所に置いて、手ぶらのままで部屋を出た。


    蟷螂館は西欧の洋館を参考に作られていて、部屋の数は三十を超した。使用人などが使う部屋は部屋数の中に計上されていないと聞いて、実弥は呆れる思いだった。館の中を半ば迷うように足を運んだ。

    この部屋数の中に和室がある。夫人の松子が気まぐれに茶と生け花を習うのに必要とした。縁側がついて炉を切った十六畳の和室に悲鳴嶼は鎮座していた。

    この日は炉を使う訳ではないから仕舞われていた。洋館の豪華な造りとは打って変わって静かで落ち着いた部屋の中、悲鳴嶼は座布団の上にどうにか収まり、最初から実弥を見ていた。足音で人を聞きわける男だった。

    「楽にしてくれ、不死川」
    「ここはどうにも勝手が違ェ」

    真っ先に愚痴が出て、実弥は顔をしかめていた。その口調から気分を察したのだろう、悲鳴嶼は微笑んでいる。

    「私もだ。僧籍のふりをするのは骨が折れる」
    「今ん所はァ、使用人の中に怪しいのはいないようですゥ」
    「そうか。妙な匂いの男が一人、留学帰りの洋画家の神田慎太郎というのが、香水を使っている」
    「鬼の匂い隠しかァ?そいつ一人だけですかァ?」
    「家庭教師の鹿島呑象というのも留学帰りで、これはパイプの匂いをいつもさせているということだ」
    「一匹じゃねェのか?」
    「わからん。隠には、香りを身に付けている者の行動範囲を調べるように伝えてある。ここ数年も綿雲峠から出ていない者が怪しい」
    「ああそうだ。地元の人が、悲鳴嶼さんに寺に来て欲しいって話してましたけどォ」
    「その話は私も聞いた。写真はいつ出来る?」
    「今夜にでもできますよォ」

    悲鳴嶼は溜息をついて、その頬を涙が流れた。

    「南無、嘘をつくのが気が重い……」
    「鬼殺隊士として来た方が良かったんじゃないですかァ。日輪刀を見ればそうと分かって手向かって来たんじゃねェかなァ」
    「お館様から聞いただろう。既に試して効果が無かった。確かなやり方で鬼を見つけて、早急に首を狩らねば」
    「チッ、やりにくいぜェ。だが大っぴらに人を殺して喰うなら夜だよなァ?」
    「夜に不在の者については、隠がこれを」

    と言って、悲鳴嶼が実弥に巻き紙を渡した。筆で日付ごとに仔細が書かれているのをざっと見る。男たちの外出や外部での宿泊と、街で起きた行方不明の相関について書いてあるようだった。

    匂いのある二人の男の外出と人の失踪が、重なる時もあれば重ならない時もある。二人が蟷螂館にいる時に人が消える夜もある。

    「読み聞かせてくれないか?」

    求めに応じて話して聞かせると、悲鳴嶼も怪訝そうに首をかしげた。

    「重ならないな」
    「こいつらの他に街にも一匹鬼がいて、交替で喰ってるのかと思いましたがァ」
    「南無。鬼と人を間違えて斬ってはならない、できれば喰っている所を押さえたいのだが、こうも人の中に隠れられては見つけにくい……」
    「隠れ鬼が、これまで出なかった訳じゃねェがァ……」
    「その二人は私が見張ろう。不死川は他を注意してくれ」
    「はい」
    「あら、人がいる。どちら様?」

    ふわりと香りが漂った。使用人たちと同じお仕着せを着て、香水を使うのか怪訝そうな女が二人、こちらを眺めていた。

    「ここは松子夫人の茶室ですよ」
    「聞いております。私は京都の観瑞庵から来た悲鳴嶼行冥と申します。これは不死川寫眞館の不死川実弥。あと弟子が一人ついております」
    「はあ……」
    「男爵閣下の御用なのです」

    悲鳴嶼は頭を垂れて、実弥も倣った。匂いがする相手が増えた。二人の女中の後ろから、装いの違う女が一人出てきて、実弥は上目づかいで彼女を見上げた。佳人だった。

    脳裏に浮いたのが胡蝶カナエの顔になる。あの美人と競えるほどの令嬢が、等分に実弥と悲鳴嶼を見ていた。

    「義父さまが探偵を雇う話は聞いてましたが、お坊様?供養が足りぬという話でしたら、東京の本家の方に仏壇とお墓がありますわ」
    「いいえ。閣下からは、こちらに来るようにとのことでした。綿雲峠に来たのは初めてですが、拙僧は驚きました。この峠もそうですが、蟷螂館のあちこちに、悪霊の巣があるではありませんか」
    「悪霊?」
    「はい。この館には大きな悪霊が憑いております」
    「まあ……」

    女中と令嬢が囁き交わす。真に受けたか演技に乗ったか、実弥は畳の目を数えていた。鬼殺隊最強が似非坊主を演じている。笑いの衝動をぐっと堪えた。

    「では、そちらのお方は?」
    「これは寫眞館の主です。今日撮影した写真には、悪霊の姿が映っております。それを今夜御披露致しましょう」
    「写真に写るんですの?」
    「無論」

    女たちは戸惑った顔をしていた。令嬢が言った。

    「悪霊が写真に写っているという事ですの……?」
    「はい」
    「これまでのことは悪霊の仕業と?」
    「はい」

    令嬢は堪えられないと言うように笑いだし、女中二人もそれに追従するように笑った。花の香りをさせて、場が華やいだ。

    「まあ、今時の写真屋さんは、お坊様と一緒になって透視の真似事をするんですの?京都からいらしたそうですけれど、義父さまを騙すようなことをしてはいけませんわ」

    笑い声に惹かれたように人が来た。

    「ああ、綾乃さん、こちらでしたか。丁度あなたに聞かせたい句が完成した所なんですよ」
    「ごきげんよう。句はまた今度聞かせて下さい。清十郎様のお勉強はもうお済みか、ご存じかしら?」
    「まだのようです」
    「そうですか。私、お部屋にお友達を招いていますの。そろそろお茶の準備も出来た頃でしょうし……」

    そう言って、綾乃は部屋の箪笥の中から何かを取り出した。花のような香りは彼女が動く度に自然と香る。じっと綾乃を待っている二人の女中も、同じ香りを身に纏わせているようだった。

    「お義母様に前に見せて頂いた真珠のネックレス。ぜひ見たいと言われたので、見せるだけと言う約束で取りに来たの。お坊様はどうぞこちらでお休みになっていて下さいませ」

    会釈して令嬢が去った。通り掛かった俳人も会釈して消えた。足音と気配が消えてから、実弥は先刻の寸劇を思い返して笑いを漏らした。僧形の悲鳴嶼が悪霊を言ったのが滑稽で、耀夜の頼みが酷だった。

    悲鳴嶼が合掌して「南無」と呟いたのを聞いて、実弥は必死に口を押えた。顔を見れない。真剣な真面目な話をしようと思えば思うほど、止まらなくなりそうだった。暫く一人笑いが続いてしまった。

    「……落ち着いたか?」
    「はい。済みません」
    「笑いたい時は笑えばいい。しかし、お化けの話をする私の姿は、そんなにおかしかったのか……?」
    「やめて下さい。ぶり返しそうですゥ」
    「南無」

    ほうと溜息をついて、実弥は人の去った後を眺めた。

    「あれ、今のじゃないですかァ?」
    「まずは確認させよう。書きつけは、男の行跡に詳しかったが、女はまだだ」
    「数も合う。三匹で喰ってるんなら、五人は少ねェ方だなァ。鬼の匂い隠しの香り付き、常に一緒に行動している。俺は黒だと思うなァ」
    「不死川、それだけでは確証にならない。裏を取らなければ監獄に行くのは私達になる。ここの男爵の力のお陰で、刀の不法所持で捕まる隊士にお目こぼしを頂いているのだから」
    「それァ初耳でしたねェ」
    「あと数名、司法省の中に協力者がいるが、男爵ほどでは……ここは大事を取って行こう」
    「わかりましたァ」

    いざとなれば稀血で釣ろうと実弥は考えていた。鬼を三匹狂わせる。これまで実弥の血を嗅いで血迷わない鬼はいなかった。実弥一人で考える戦術だった。

    和室に元気な軽い足音が駆け込んできて、飛び込むように正座して頭を下げた。実弥の弟子と言う形の隠だった。

    「匂いのある人を掴んできました」

    そう言って、隠は話し始めた。

    「家庭教師の鹿島呑象はパイプの匂いがして、洋画家の神田慎太郎は香水を使います。それと御令息の婚約者の綾乃様と、お付きの女中のキヨとヒサヲが、香水を分けて貰っているらしくて、特別な良い香りがするそうです」
    「行動はァ」
    「この三年、綿雲峠を出ないのは七名になりますが、匂いがあるのは今言った五名だけです」
    「綾乃様についてだが」
    「はい、さる大名の血筋なのだそうです。世が世ならお姫様ですね。本家筋は今も東京に住んでいるとかで、親交があると聞きました」
    「日々の生活は?」
    「朝に起きたら、まず散歩に行きます。この邸宅の庭をぐるりと歩き回ってから朝食に。食事は女中たちに準備させて部屋で一人で食べることが多いようです。それが終わると、集まっている文人や芸術家と話をして時を過ごします。午後は大抵、昼食を友達の家で食べると言って出かけます。ご実家に戻って一日帰らないことも。店で買い物をすることもあるようですが、店を呼んで作らせる事もあるとかで……」
    「ご苦労」

    悲鳴嶼が短くねぎらうと、隠は喜びを押し隠して一礼した。

    「使用人の中に潜り込んでる隊士と隠の違いがわからねェんだよなァ……」
    「あ、全員女です」

    隠は手帳を取り出した。

    「乙が一人、戊が三人。隠が二人。先月から探っていますが、見当つかず。匂いのある者を疑っていたんですが、綾乃が怪しいと思えば神田が怪しく、神田かと思えばと思えば鹿島が妙な動きを見せる。それで目星がつかなかったと」
    「その乙と戊と隠に、綾乃とキヨとヒサヲの動きと、人の消えた日時とを照らし合わさせてくれ」
    「はい」

    お辞儀をして隠が去るのを見送って、気配が絶えてから悲鳴嶼が溜息をついた。

    「南無。その乙は、鬼が三匹いて庇い合うとは思わなかったのか、ごく簡単なことなのだが。あの匂いは血鬼術だな。人の判断を狂わせる……動きから見て、この家の鬼の主は綾乃だ。しかし御令息に近い者に、いきなり日輪刀で切り掛かる訳にはいかない。どうしたものか……」

    念誦を掌に、思案に暮れている。こんな形での鬼殺は悲鳴嶼も初めてだろう。似非坊主の真似までしてご苦労なことだ。先ほどの時代掛かった悲鳴嶼の口ぶりを思い起こし、実弥は頬の肉を噛んでひっそり笑いの衝動に耐えた。


    夜の賄いの後、実弥は女中伝手に悲鳴嶼に呼ばれ、大きな居間に案内されて写真を届けた。上等な洋風の室内を見て、ここは天井が高いから刀を振り回しやすいと思った。

    悲鳴嶼に写真を渡し、隠と共に脇に控えるように立つ。綾乃の隣の椅子にいるのが男爵令息の清十郎だろう。色白で骨細、繊細な顔立ちをした若者だった。

    悲鳴嶼からの写真を手に取ったのは、洋画家の神田慎太郎
    だった。彼の香水が鼻先に、顔をしかめないよう努力した。

    「おや、これが例の写真か。出来上がったんだな。どれどれ……ほう!生垣や木の枝に顔が幾つも浮いているなあ」
    「どれ、私にも見せてくれますか」
    「どうぞ。院主様が言うように、この館には悪霊が憑いている確かな証拠のようですな。院主様、どうなさいます」

    院主と呼ばれた悲鳴嶼は重々しく頷いた。

    「これは非常に危険な悪霊で、写真からも怨霊の怨念が波動となって伝わってきます。写真をあまり長く手に取ると影響を受けるやも知れません。おそらく家にまつわる過去の因果を放置した末に、このようなことになったのでありましょう。南無……」

    仔細ありげな顔で尤もらしいことを言う。実弥は笑いを嚙み殺していた。文化人の中に収まって院主と呼ばれる鬼殺隊最強を、誰も疑問に思っていない様が笑える。悲鳴嶼にこんな芸当が出来たとは、胸中に浮かんだ顔が粂野匡近、彼に無性に聞かせたかった。

    心霊写真が各席に巡り、最後に清十郎が写真を手に取り、汚物を見る目で呟いた。

    「まさか我が家にこんな怨念が渦巻いているとは……綾乃さん。あなたは見ない方がいい」
    「あら。私、恐いですわ。清十郎様、どうか手を」
    「この写真、偽物などではないんだろうな?京都の観瑞庵なんて俺は聞いたことがない。そっちの写真家とぐるで、男爵家からたんまり拝み料を取ろうって腹なんじゃないか?」
    「南無。私は京の観瑞庵で男爵閣下の手紙を受けました。かねてより知り合いの、男爵家と繋がりの深い恵空殿のお頼みもあり、東京駅から綿雲峠の蟷螂館に来たのです。途中で不死川殿と行き会ったのは偶然でした」
    「院主様には冗談も通じない……」
    「京で厳しい修行をされたのだ、冗談など通じる訳が……」

    鬼がいる。男爵令息の隣の席に微笑を浮かべて座っている女。男爵令息の婚約者と言う立場で、日輪刀を見て怯えなかった。自信と知恵のある鬼だ。悲鳴嶼はどう釣るか考えているようだが、手っ取り早く稀血を餌にすればいい。

    心霊写真について好き放題に議論して、三枚の写真はやがて悲鳴嶼の手元に戻った。それを大切そうに絹の袱紗に包みこみ、小声に何かの経文を唱えるという、堂に入った演技振りに感心がある。

    「岩柱様はお坊様だったんですか?」
    「しッ。静かにィ」

    懐こい隠を軽く叱る。心霊話で盛り上がった後、それぞれ好きな話題に興じ始めた。東京という都市を離れて郊外の田舎に閑居し、文や詩や絵を熱心にして、神戸港から特別に取り寄せた外国渡りの洋菓子を食べる。

    彼らが何を話しているのか、日本語のはずなのに実弥には何も分からなかった。十人ちょっとが上等の着物でよく鳴き騒ぐ群雀。船旅で一ヶ月かかる独逸から仏蘭西の巴里まで行った話が一体どうしたというのか。

    「……お前分かるかァ」
    「ちっとも」
    「南無……」

    実弥に分かる絵は新聞のポンチ絵や漫画で、詩や文学は最近になって百人一首や万葉集を古本屋で手に入れた。悲鳴嶼の家で紫式部を一帖でやめ、実務的な礼儀作法について乞うた。

    芸術や文学の議論が白熱しても実弥には空疎だった。それ所ではなかった、鬼が次に喰う人を物色している笑顔の視線をまざまざと感じている所だった。

    綾乃の視線が細く舐めるようにこちらに向けられているのを、悲鳴嶼も敏感に察しながら動かずにいるのが分かった。今は動く時ではなかった。

    「不死川」
    「はい」
    「今宵は喰わない。街に降りた時に食い溜めしている。昼にどうしても飢えた時に、身寄りのない使用人を選んで食う。地元に家族がある者と行動するように伝えてくれ」
    「なぜ、地元に家族がある者とォ?」
    「この鬼は、綿雲峠が地元の者と問題を起こさない。今の立場で長く食べていたい欲がある」
    「知らせは今すぐゥ?」
    「寝る前でいい。夜は出歩かぬように」
    「はい」

    悲鳴嶼の話を聞いて、隠は緊張した顔をした。誰か分からないが鬼がいて、柱の側という安全圏にいること。その二つのせいだろう。

    「随分とまあ緊張した顔をしてるねえ、彼」
    「相済みません。こういう場には慣れない弟子なものでしてェ」
    「ふん」

    洋画家は軽く馬鹿にしたように実弥と隠を見て、皆の方に向き直って声を張った。

    「折角ここに写真屋がいるんだ。明日は皆でピクニックにでも行かないか?外で写真を撮るのはどうだろう」
    「まあ、楽しそう。清十郎様、お友達を呼んでもいいかしら?キヨ、街までお使いに行ってきて」
    「はい、お嬢様。燈田と由月と西蓮寺でしょうか」
    「長谷田さんにも声を掛けましょう。清十郎様がいらっしゃることを言えば、皆さん婚約者の方の都合がつけば……」

    ピクニックという単語について実弥は少し考えたが、遠足という理解でよさそうだった。良家の子女と文化人を集めた遠足に付いて行って集合写真を撮るのだろう。それなら新聞で見ているから理解できる。

    鬼を外に誘い出せるのは、刀を振るう良い機会だった。実弥は稀血を使う気でいた。外に人を集めておいて、そこに稀血で誘い出す。人が一か所に集まっているなら戦いやすいし、鬼殺隊最強が控えているのは何とも心強かった。

    稀血を使って狩りをする。日輪刀に血脂で曇りが出るのを実弥付きの里の鉄人が嫌がるのを何となく思い出していた。彼の言い分がよかった、日輪刀は鬼専用だ、人を斬るなら他の刀を使ってくれ。

    「写真屋の君」
    「はいィ?」
    「ピクニックで写真を撮るのは閣下からの報酬の中に?」
    「はい。いいですよォ」
    「よし決まった。記念写真を撮影できる。院主様も行かれますか?」

    悲鳴嶼がこくりと頷いた。洋画家は了解して皆の方に何かと声を掛け始め、キヨと呼ばれた女中が実弥の側に来た。花のような香りをさせて、主の真似をして微笑んでいる。実弥の勘は、この女中を綾乃と同じ鬼と告げていた。

    「もし、写真屋さん。そちらのお弟子さんと使用人の溜まりまでご一緒してあげましょうか?あまり緊張しているようですし」
    「いやァ。こういう時でもないと緊張なんかしないんでェ、慣れさせるために置いてるんですゥ。折角ですがァ」
    「まあ、そうでしたか。それは失礼しました」

    隠がキヨに会釈をし、キヨも微笑んで会釈をして、そのまま居間を出て行った。実弥はじっと耳を澄ませていた。居間の会話の途切れた隙に、薄く開いた窓から車のエンジン音が聞こえて、隠の肩をぽんと叩いた。

    「今さっきの岩柱の言ったことォ、他の隊士に伝えてこい」
    「はい」

    それで隠が部屋を出て行ったのを、綾乃とヒサヲがじっと見ている。実弥は二人を視界に入れずにそれとなく見張っていた。洋画家の香水の匂い、家庭教師のふかすパイプの匂い、綾乃と女中から漂う香り。誰かが吸う煙草の煙。

    嫌だった煙の記憶を実弥は思い出していた。父を迎えに賭博場に入った事がある。町内のお堂の神体を退かせた板の間に男が茣蓙に集まって、脂汗と煙草の煙と酒臭さの混ざった、何とも言えない匂いがしていた。父を呼んだ返事はいつも拳骨だった。

    ヒサヲが動いて、窓を少し大きく開けた。それから数歩、居間の外に出ようとするところで、悲鳴嶼が立ち上がり、大声を上げた。

    「これはいけない!あの女性に悪霊が憑いていますぞ!!」

    注目を浴び、視線が綾乃からヒサヲに移った。ヒサヲは足を止めて心底不可思議そうな顔をした。

    「はあ?」
    「いかん、いかん、こちらに来なさい。あなたは今悪霊に取り込まれようとしている。早く来なさい!」

    ヒサヲの目に苛立ちが一瞬浮き、綾乃はどこ知らぬような表情で事態を見守るようだった。周りの者たちは急に悲鳴嶼が声を上げたことに少し驚いて成り行きを見守っていた。

    致し方ない態度でヒサヲは悲鳴嶼の前に立った。悲鳴嶼は経を唱え始めた。

    「我聞如是 一時佛 住王舎城 耆闍崛山中 與大比丘衆 万二千人倶 一切大聖 神通已達 其名曰 尊者了本際 尊者正願 尊者正語 尊者大號……」

    ヒサヲも綾乃に仕える鬼だ。席を外した隠を追って食べに行こうとした所を悪霊退治に捕まった。
    悲鳴嶼が涙を流して経を誦す姿は有無を言わせない迫力があった。彼が嘘をつく時に涙を流すのを、実弥は何とはなしに悟っていた。


    朝食を終わらせカメラや荷物を整理する。新しい乾板が何枚あるか見て、野外での露光は綿雲峠が曇り続きだから光が採れないなどと隠が話をしていた。

    この隠、一般人の誘導をしつつ身の安全を図れるだろうか。頭の切り替えは早いが修羅場慣れをしていない。そもそも実弥も大勢の人前で鬼を斬るのは初めてだ。どんな手順でやるべきか、行き先はどんな場所なのか、何も聞いていない。

    「風柱様、ここには一体どんな鬼が出るのでしょうか」
    「……さあなァ。人間のふりが上手い奴が隠れてるようだぜェ」

    口数が多いのは不安だからだ。隠を置いて自分と悲鳴嶼で行くことを考えている所に、部屋のドアをノックして人が来た。身ごなしからすると乙の隊士だ。

    「何だァ?」
    「今回のピクニックに全員で同行します」
    「おう」
    「岩柱様は鬼の目星について何も言わないのですが……」

    覚悟を終えた静かな女の顔を一瞥する。

    「悲鳴嶼さんは何て言ってたァ?」
    「は、刀を持って命を守れと。ですが岩柱は何も持っていませんし……」
    「俺達のことは気にするなァ。生き残る事だけ考えろォ」
    「はっ」
    「行程は?」
    「はい、この蟷螂館が建っている桶美山の東の丘陵に、男爵がゴルフコースを作らせていまして、そこが目的地です。小半時で着くかと。使用人は先行して場を整えますが」
    「おう」
    「……鬼は綾乃様なのでしょうか。柱からのご命令通りに記録を照らし合わせると、綾乃様とキヨとヒサヲの不在時に、人が消えるのがぴったりと当て嵌まるのですが」
    「おう。分かってるなら言う事聞けェ」

    写真の弟子をやってる隠が驚いた顔をしている。これで鬼の正体は全員が知る所となった。怯えた顔の乙の隊士を見るでもなく、実弥は番傘から日輪刀を抜き出して、刃筋の色が緑に変わるのを見つめた。刀身も柄も普段より短くて滑るから、力の入れ方に工夫が必要だった。軽く構える。重さも手の馴染みも丁度いい。小手先で軽く振り、元の傘に仕舞う。

    一連の動作を見ていた乙の隊士は、まだ不安そうな顔をしていた。

    「まだいたのかァ」
    「は、申し訳……」
    「消えろォ」

    乙の隊士は一礼して部屋を出て行った。隠は何か言いたげな顔をしたが口を閉ざして、青ざめていた。現場の経験が少ないのだろう。

    それからはごく静かな一時間を過ごし、何も知らないらしい女中が部屋まで声を掛けに来てくれた。

    「写真屋さん。そろそろ出発です」
    「おう。行くぞォ」
    「は、はい」

    もたついた隠を待ってやりながら、幾つかの荷物を実弥も持った。仕込み傘は特に大事だから自分で持った。鬼が綾乃と二人の女中と知って、隠は荷物を取り落とした。

    「……あ、あの。風柱様」
    「なんだァ」
    「今の隊士の方が言ったことは本当なのでしょうか、あのお美しい綾乃様が、鬼ということは」
    「あァ?それがどうしたァ」
    「き、昨日、私は鬼だというキヨさんに、居間から使用人の溜まりまで案内しようと言われました。あれは、あれはもしかして……」
    「あァ。テメェを食うつもりで言ったなァ」
    「ヒイ!」
    「後でヒサヲと呼ばれる鬼がお前の後を追おうとしたから、岩柱が止めてたァ。後で礼を言っとけよォ」
    「い、岩柱様が……岩柱様が、私の為に?」
    「オラ、行くぞォ」

    青褪めて涙ぐみながら、隠は荷物を取って動いた。がちゃがちゃと鞄の中の乾板を揺らして不注意だったが、まともに写真を撮る気はないから構わなかった。

    全員揃ったのを見て、女中頭が庭師の弟子と共に一行の先を行く。丘陵を東に向かう道筋は下手な田舎道よりも整備されていた。この一行の中にキヨがいて、隠と鬼殺隊士はひっそり息を潜めていた。重苦しい移動中、地元から雇われている女中達が知る限りの童謡や地元の謡を歌っていた。

    綿雲峠に来る時はお喋りだった隠が青褪めて一言もなく、そういう怯えを持つ者は隊士の中にも珍しくない。ましてや隠なら猶更だった。この隠と、使用人の中にいる二人の隠が文化人達を纏めておいてくれれば願ったりだった。

    目的地はゴルフ場の脇にある展望台で、見晴らしはいいが常に曇りなのが玉に瑕だと女中頭がぼやいていた。

    「おい、集合写真撮る場所を選ぶぞォ」
    「は、はい。そ、そうですね……どんな場所が?」
    「枝葉を気にせず日輪刀を振り回せるならどこでもいい。そうだなァ、これから来る奴らが今来た道を逃げ帰れるようになりゃいいからァ……こっちかァ?」
    「……分かりました。ですが、それでは風柱様が追い詰められませんか?」
    「首斬るから関係ねェよ」
    「そ、それは失礼しました。この辺りなら、この方角が最も南側ですから、写真の露光にはここが一番よさそうです」

    曇り空を眺める。寒気を帯びた湿り気のある風が鬱陶しかった。展望台からは、ここまでの道を一行が来る様子が見えた。文化人に綾乃の友達が混ざり、十四、五人はいる。おにぎりの数が足りるかしらと女中頭が聞こえよがしに口にした。

    実弥は手元に仕込み傘があるのを確かめ、写真を撮る時の綾乃の手下の鬼がどう動くのか、そちらは悲鳴嶼に任せればいい。必ず来る自信の稀血で、戦術を悲鳴嶼に言っていない事だけが気になっていた。

    男女が笑い歌いながら来る。焦らされているのは実弥一人ではない、悲鳴嶼もどう仕掛けるか頭を使っている筈だ。彼は一行を見守るように最後方をゆったり歩いていた。写真を撮ると声を掛けられるまでは、その時ではない。

    やがて男女が思い思いにゴルフコースを巡りに入る、キヨが綾乃に呼ばれて一行に加わった。綾乃の友達と文化人の交流のゴルフコースを巡る足取りが遅い。風に乗って四コースあると聞こえた。鈍い餓鬼の使い走りだってもっとキビキビ歩きやがると実弥は思い、鬼を餌に掛けるまでが間遠だった。

    悲鳴嶼はコース巡りには加わらず、使用人たちの所にいた。女中頭から頻りと話し掛けられているのに合掌して受け答えていた。

    三々五々に戻ってきて、敷布の広げられたところに座って休む。水筒のお茶が配られ、お菓子かおにぎりかを聞いて回っている。人々がそうして休むまでどのくらい掛かっただろう。

    「どうだろう、ひとつ諸君で記念写真を撮ろうじゃないか!」

    あの洋画家が声を上げた。ついに来た。

    「君、露光にはこの辺りがいいのかね?」
    「はい」
    「こっちだそうだ。皆こちらに……」

    カメラの前に人々が来る。これは便利だと実弥は思った。人々を整列させているのを任せて、実弥も撮影の準備に入った。隠が震えながら立っていた。

    「オイ」
    「は、はい」
    「こっちィ屈めェ」

    ぎこちなく屈んできた隠に言った。

    「俺が仕掛けて鬼がこっちに来たら、テメェはあいつらの所に走れ」
    「で、で、ですが、捕まって、食われ……」
    「鬼はテメェにゃ興味はねェよォ」
    「で、でも、でも」
    「チッ。そこ屈んどけェ」

    実弥は鞄から乾板を取り出した時、手近な石に叩きつけてガラスを割った。その欠片で腕を傷つけた。風上はこちら。整列している人々の無邪気な笑顔。足元に屈む隠が、歯を鳴らせて怯えていた。

    傷から血が湧いて草の上に滴った。

    変化はすぐに起きた。目を細めて笑んでいた綾乃が目を見開いて、笑顔の口元から唾液を流し始めた。

    「ま、稀血ぃ、稀血!!お嬢様、稀血ですぅ!!」
    「静かにヒサヲ。逃げてしまうわ」
    「一滴!!一滴でいいので私たちにも分けて下さい!!」

    急にキヨとヒサヲが騒ぎ始めたのを、人々は不思議そうにただ聞いているだけだった。実弥は仕込み傘から刀を抜いた。昼の鬼殺は初めてだった。

    「行けェ、隠ィ」
    「ヒイイ!!」

    石の割れるような嫌な音をたて、綾乃の形が変わって大きくなって行くのを、隣にいる清十郎は悲鳴も上げずに唖然として見上げていた。顔の形は綾乃だが、その口は耳まで裂けた。

    綾乃に続いて、キヨとヒサヲも形を変えた。この二人は体型と共に形相まで虫類に似て変わって行く。使用人たちと共に居た悲鳴嶼が、法衣の中から鎖を掴み出した。

    綾乃は大きな青黒い蟷螂の形になった。キヨとヒサヲも、やや小ぶりな蟷螂の形になった。綾乃は細い四本足で器用に人を避け、実弥の方に向かって来た動きが速かった。

    「チイッ」

    真上から鎌を振り下ろしてきたのを弾いた、固い。鎌の色合いからすると毒がある。

    「鬼殺隊士か!私が稀血を食って強くなれば、あの方も認められよう!!」

    実弥に弾かれた勢いで、綾乃の足元がふらついて、高揚し酔った口調だった。稀血が効いている。回り込み、右側の二つの足を切り飛ばす。均衡を崩して倒れかかり、首の位置が低くなったのが狙い目だった。

    二つの鎌が襲い掛かるのを無視し、実弥は刃を振るった。左の鎌と同時に綾乃の首を断ち、右の鎌が左肩の辺りをさくりと掠めて倒れて行った。

    「綾乃様ぁ、ごちそうさまです!!」

    涎を垂らして次が来た。キヨかヒサヲか分からない、首が全く蟷螂だ。その首に鎖が巻き付き、一瞬後には飛んでいた。鬼の体がその場に倒れ、すぐに風に崩れていく。

    鈴を鳴らすような澄んだ音を連ならせて鎖が鳴った。悲鳴嶼が落ち着いた足取りで、繰った鎖を片手に纏めている。彼は道の方を見た。文化人たちが道を走って逃げていた。残っているのは腰を抜かせた清十郎と洋画家のほか、数名の使用人、あとは鬼殺隊士と隠だった。

    悲鳴嶼は実弥の方に来た。

    「南無。不死川、傷などないか……」
    「ええ、息が合いましたねェ」
    「今回はお前の稀血に頼ってしまった。済まない」
    「いいえェ。うまく行って良かったですよォ」
    「そろそろ私たちの身分を明かそう。蟷螂館の執事は、鬼殺隊のことを知っているはず」
    「え、俺は聞いてませんがァ」
    「私も聞いていないが、男爵からの話が通っていなければ、身元の不確かな隊士たちや私達を受け入れるはずがない。館に戻ろう」
    「爽籟!絶佳!」

    実弥が声を張り上げた。鴉が二羽、大きな欅から飛んできて悲鳴嶼の両肩に停まった。

    「報告だァ。男爵家の鬼退治は終了したと伝えろォ」

    鴉声をあげて二羽が飛び立った。


    悲鳴嶼の予想通りに執事は話を知っていた。綾乃が鬼と聞いて驚いた彼は、二人を応接間に入れて庭師に見張らせ、自分は一人で展望台まで行って確かめて、三着の女の着物の破れたものを拾って来た。どれも元は三人が着ていたものだった。

    着物から漂う臭いが強烈に鼻を刺す。綾乃の花のような香りは血鬼術で、鬼の匂いを花の香りに替えていた。実弥も悲鳴嶼もその説明をしなかったが、執事は難しい顔で刺すような臭いを発する衣類を睨んで、その目元が痙攣していた。随分と考え込んでから女中を呼んだ。

    「なんでしょう」
    「これを燃やして片付けなさい」
    「は、はい。あの」
    「何だ」
    「清十郎様が……」
    「坊ちゃまがどうかしたか?」
    「二階の綾乃様の部屋から、これと同じひどい臭いがして、その臭いが二階全体に籠っていまして。清十郎様はもどしてしまわれて……松子様の和室でお休みです」
    「二階の窓は」
    「皆で開けました。一体何の匂いでしょう?」

    そう言って、女中は悲鳴嶼の姿をちらりと見た。

    「悪霊ですか?」
    「南無……」

    悲鳴嶼は合掌して涙を流した。女中はそれで勝手に了解し、臭い衣類を両手に抱え、部屋を出た。入れ違いに男が一人入って来て帽子を脱いだ。

    「何だ?」
    「あの、あの化け物の……綾乃様のご実家に人をやった方がいいんじゃないかって、皆で話し合ったんですけれど……ご実家に何度も帰っていたのが不審じゃないかって……」
    「そうだな。……そうだお前、車に乗って行って警察を呼んで、警察と一緒にご実家を見に行くんだ。綾乃様が失踪されたことと何か関りがあるのかも知れない。失踪届は出さなくていい」
    「はい。でも、あのう……でも。綾乃様はみるみるうちに化け物になっちまったんですが……失踪したかどうかは分かりません。俺は逃げ出したから、後のことは見てないけれど、全部見たって絵描きさんが、ここを出るって言って聞かなくて。どうしましょう?」
    「絵描きがなんだ、好きにさせろ!綾乃様は蟷螂館を出られ、清十郎様との婚約は解消。そのように旦那様にご報告するしかない!」
    「はい。でも、あのう」
    「何だ!」
    「悪霊の方は、退治出来たんでしょうか?」

    悲鳴嶼は合掌して、また「南無」と呟いた。

    「心配ない。ちゃんと祓った」
    「ああ、そうですか。それならいいんです、それなら……」

    納得して男は応接間を出て行き、続いて執事も電話室に行くと言って部屋を出た。暫くしてから女中がお茶を持ってきて、二人の前に置いて行った。

    肩の掠り傷が毒で疼いて、ずきずきと熱かった。

    「行冥さん、嘘つくと泣くんですねェ」

    そう話しかけると、悲鳴嶼は軽く頷いて実弥を見た。

    「嘘ついてもすぐバレそうだなァ」
    「寺に居た頃も、子供たちに隠し事は出来なかったな」
    「でもアンタ、女も男も騙すんですねェ」
    「何事も丸く収める方便だ」
    「また仏の話ですかァ?好きだなァ」
    「南無……」

    やがて電話室から戻って来た執事は、男爵が事態を全て了解したことを二人に言った。実弥の部屋は客室に替わり、悲鳴嶼は清十郎と一階の和室に休んだ。

    その日の夕べ、食堂に人は集まらなかった。家庭教師が来て二人に深々と頭を下げて、清十郎を助けてくれたことに礼を言った。

    一夜明け、実弥は発熱した。鬼の毒のせいだった。だるい体を無理に普段通りに見せるのは、他の隊士の手前もあった。帰りは悲鳴嶼と車で送られ、一等車に乗り込んだ。

    車内を歩き、人とすれ違う時に体がぶつかる。それで不審に思ったのだろう、実弥と向かい合わせに座った悲鳴嶼が体を乗り出し、額に触れてきた。
    熱があるのを確かめて涙ぐむ。

    「南無……」
    「この位、寝てりゃ治るゥ」
    「蝶屋敷に行きなさい。私も一緒について行こうか」
    「一人で行けるゥ」
    「本当だな?」
    「はい」

    言われた通りに向かった蝶屋敷を退院した日、産屋敷家に呼び出された。通された座敷で待っていたのは悲鳴嶼で、軽く会釈を交わす。畳を替えたか、青い匂いが座敷の中に漂っていた。今度はお館様は何の用だろうか。

    待っていると、廊下から小さな子供がやってきた。七五三を終えた頃だろうか。切り禿で、あまねに顔立ちがよく似ていた。

    「どうぞ、柱のお二人はこちらに来てください」
    「うむ」

    子供の歩調にあわせて歩いた。

    「お嬢様のお名前は?」
    「私はひなきと申します」
    「父上のお仕事のお手伝いですかァ」
    「はい!」

    のんびりした足取りで、耀哉のいる座敷まで来た。礼儀正しく声を掛けて襖を開く、ひなきは躾が行き届いていた。だから人前に出すのだろう。

    座敷の上座には耀哉が座っていた。ゆるく手招きをする、その近くに悲鳴嶼が座る。実弥は斜め後ろ辺りに座した。お茶と菓子を持った隠が素早く三人の前に置いて行った。その湯呑を手に取って、飲むでもなく膝の上に、耀夜が柔らかい声で話しかけてきた。

    「行冥、実弥、いつもお勤めご苦労様」
    「とんでもありません。鬼殺隊士として当然のことをしているまでです」
    「うん。今回二人を呼び出したのは、綿雲峠の鬼の話なんだ。なんでも男爵の息子の婚約者が鬼だったそうだね。首を取るのはさぞ難しかったろう、それをこんなに早く始末できたのだから、行冥と実弥は凄いと皆言ってたよ。男爵も喜んで、二人に送られたのが刀なんだけど……」

    悲鳴嶼は軽く手をついて頭を下げた。

    「申し訳ありませんが……」
    「同じく」
    「じゃあ、刀は私が持っておくことにして、男爵がくれたものがもう一つある」

    耀夜がぽんぽんと手を叩くと、三方を持った隠が現れて、それぞれ二人の前に置いた。三方の上に札束が乗っていた。

    「二人に用と言うのは、そのことなんだ。男爵家では鬼退治の件を内々に済ませたくて、二振りの刀にお金がついていた。この紙幣を刀を拭う懐紙に使えと言いたいようだね。二人で等分にしてあるから、持って帰ってね」
    「ありがたく頂戴いたします」
    「頂きます」

    礼をして、三方の札束を懐に捻じ込む。あまり金に興味はなかった、この法外の額が口止め料なのは察していた。
    耀夜が茶を飲んで、二人に話しかけてきた。

    「それにしても今回の件、早かったね。もう少し時間が掛かるかと思っていたけれど。人の間に隠れていた鬼を、どうやって見つけたのかな」
    「はい。先に入っていた隊士の書きつけを参考に、消去法で見つけ出しました。隊士たちは血鬼術で惑わされていたようです。あとは鬼の周りの人をどう逃がし、鬼を引きつけるかが問題でしたが……」

    悲鳴嶼がちらりと実弥を振り向いた。

    「私の稀血を利用して、鬼を惹きつけることができました」
    「そうか、今回の一件に実弥の体質を利用したんだね」
    「はい」
    「でも、あまり無茶をしちゃいけないよ。私も行冥も、実弥が怪我をするのを心配しているからね」
    「はい」

    耀夜の声が心に水のように染み入った。言うことに混じり気のない澄んだ気持ちが伝わってくるようで、男に母を感じるなんてどうかしている。実弥は耀哉に会釈した。

    「二人を呼び出したのはこれがあったからだよ。男爵は今後も鬼殺隊への協力を惜しまない。随分と動きやすくなった。このことは二人の手柄だからね。帰りに吉原でも行って、軽く遊んで来るといい」
    「御冗談を……」

    固く応じた悲鳴嶼を見て、耀哉は珍しく楽しそうに笑った。
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