ことり子取りの一行が峠を越えるとき、鬼に追われて子供たちを置き餌に命からがら東京市に逃れ、廓での稼ぎを二十円ばかり不意にしたという。そんな話がぽつぽつ届き、悲鳴嶼は立ち上がった。
「南無阿弥陀仏……」
その峠は鬼の巣窟になっている。悲鳴嶼は待ち伏せする事にした。東京市の遊郭を目指して田舎から子が買われて行くのを、見えない目で見送っていた。知っている。寺にいた頃の悲鳴嶼の元にも来て金と子供を交換しようとする、何度も何度も断った子取りたち。
鬼に喰われるのがいいか。人に喰われるのがいいか。二つに一つしか選べないのか。もし、自分が強いと分かっていたら。もし、あの夜に子供のついた嘘が分かっていたら。嘘は分かっていた。日常的だったし紐解いてみれば些細な事だった。悲鳴嶼は嘘で怒った事は一度もなかった。子供たちが紗代と獪岳の二人を残してすべて死に絶えたあの夜までは。そしてまた、あの日のように夜が来る。
夜が来るたびに悲鳴嶼は守れなかった子達を思う。
峠に人が来た。急ぎ足で夜の峠を渡る大人と子供が二人いた。悲鳴嶼はその気配に先に行かせた。後をゆっくりゆっくり付いて行く。風が生臭いのは近くを川が流れているからだった。その川の生臭さと鬼の匂いが混ざり合っていた。
子供達のわらじ履きの素足がひたひたと土の道を歩む足取りが微かに感じ取れていた。その足取りがひたりと止まり、逆側に逃げ出そうとする。通常人ならぬ感覚でそうと悟って、悲鳴嶼は己の日輪刀の鉄球を片手に回転させながら走った。
「助けてえ、助けてえ……」
娘の細い呼び声が二筋。悲鳴嶼は腥い鬼の姿を見えない目で確かに見ていた。鉄球で潰し、残った首の根を斧で切る。見る間に鬼は桐灰のような塵になって散った。
それから悲鳴嶼は娘たちの所に行った。己の腿の中ほどまでの背丈しかない子らだった。助けてくれてありがとうの言葉もないのは分かっていた。人買いの死体はそこに落ちていた。
「こちらに来なさい」
「鎖のおじさん」
「何かな」
「鎖のおじさん、子取り?」
思いもよらない事を聞かれて悲鳴嶼は返答に窮した。
「おらども、子取りと一緒に遊郭って所に行くはずでよ。そらあ、きれえなとこだけど、辛い苦しい場所なんだって聞かされた。おらが五円、こいつは三円。そこで死んでる小父さんは、それ以上の値で売るって言ってたよ。鎖のおじさんもそうするの?」
「そうはしない」
「じゃあどうするの」
「……私に付いて来るといい」
悲鳴嶼は子供を連れて峠近くの藤の家に向かった。そこで藤の家の者に、子供の働き手がほしい所がどこかにないか聞いてみた。家の者は少し驚いた様子で、けれどすぐに頷いて、翌日の昼には子供の行き先は定まった。餅屋の売り子、呉服屋の下女。二人はじゃんけんで己の行き先を決めていた。
悲鳴嶼は午後にその藤の家を立つ準備をしていた。子供というのは純粋無垢で弱く、すぐ嘘をつき、残酷なことを平気でする我欲の塊だ。子供はいつも自分のことで手一杯だ。
ひたひたと二人分の足取りが傍に来た。子猫のような気配が声を上げる。
「なあ、鎖のおじさん」
「何だ」
「助けてくれてありがとうな」
「……」
「死んだおかあが、助けてくれた人にはありがとうって言いなって」
「そうか」
「ありがとうな、鎖のおじさん。子取りじゃなかったんだな」
もう一人の子も言った。
「おら呉服屋に行くだよ。だから鎖のおじさんの為に、おおきな着物を作ってくれって頼んでみるんだ。だっておらの恩人だから。それとねおらね、鎖のおじさんみたいに馬よりでけえ人はじめで見だあ!」
「な!おらもはじめで見だ!」