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    みち@ポイピク

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    ささろ小説の画像をなげこみます

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    みち@ポイピク

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    1/9インテのささろ無配。
    元ネタはロ`ノグコ→トダ〇ィ堂〇が後輩に配っていたアレです。

    #ささろ
    sasaro

    宝くじを買わない俺ですが、いつの間にか宝くじに当たっていました。 大晦日前日の午前一時、盧笙はテレビで流れる深夜バラエティを見ながらテーブルに積まれたコピー用紙にはさみを入れていた。すでに空になった缶ビールと、食べ終わったピザの空き箱が片づけられないままにそこらに散乱している。盧笙が手にしたコピー用紙には、簓がボールペンで描いた招き猫が印刷されていた。それを線に沿ってちょきちょきと切っていく。隣で簓が切り取られた紙片に黙々と数字を書き込み、零はちびちびと持ち込んだ日本酒を飲みながら数字を書いた紙を束にしていく。
    「なんで俺らは夜中にこんなことしとんねん……」
     盧笙は文句を言いながらもはさみを動かし続ける。点けっぱなしのテレビには一昨年爆笑王で優勝した漫才コンビの初冠番組が流れていた。あんなに大きな賞を獲ったにも関わらず、まだ彼らは東京に進出するつもりはないらしい。関西ローカル局の深夜番組で身体を張ったロケをしながら、劇場で地道に漫才の研鑽を重ねている。その姿勢はとても好ましく、尊敬に値すると盧笙は感じていた。自分たちだったらどうしただろうか。もし爆笑王で優勝していたら、東京に進出して全国区の番組MCを目指してしたのだろうか。それともオオサカに残って漫才を続けていただろうか。きっと簓は劇場で漫才を続ける道を選んだだろう。簓は漫才がしたくてお笑いを目指したのだから。きっと、たぶん、隣に自分がいないから簓はMCや全国区の番組出演にも手を広げることを受け入れたのだ。今となっては考えても仕方がない選ばれなかった未来に、盧笙の心がちくりと痛む。
    「いやな、明日ちょっと仕事詰まっとるし今夜中に作りたいねん。零も飲んでんと切れや、まだ枚数足りてないねんぞ」
    「いやーおいちゃん最近老眼がきちまってよぉ。こんな細っそい線、まっすぐ切るのキツいんだわ」
     都合のいい時ばかり老年ぶる零に非難の視線を向けつつ、盧笙はまた次のコピー用紙を手に取った。招き猫はただの猫ではなく、よく見れば口のところにロボめいた線が書き入れられていた。
    「あ、これもしかして簓のスピーカーか?」
    「せやで、ここに書いてあるやん。ほら、な」
     簓は番号を記入した紙片を盧笙の目の前に掲げた。盧笙がテストの採点をする時に使う赤いフェルトペンで書かれた数字は、簓独特の丸みを帯びたアンバランスな数列だった。そしてその上にやはり簓の癖のある文字でなにやら文字が書かれている。
    「にゃんスピジャンボ……にゃんすぴて、あいつそんな名前やったんか」
     招き猫の形状をしたスピーカーだから、にゃんスピ。一応バトルに使うものだというのに、なんとも間の抜けた可愛らしい名前を付けたものだ。そのヒプノシススピーカー、あるいはにゃんスピの書かれた紙は既に百枚近く作られている。
    「だいぶできてきたなーあとちょっとでええかな」
     簓は数字を書き込みながら、眠そうに目を擦った。多忙を極めるこの時期に、仕事の合間を見つけてやってきたのだから相当疲れているのだろう。今夜も来る予定はなかったから、合鍵を使って簓が部屋に入ってきた時にはかなり驚いた。疲れているのだから少しでも休めばいいものを、零を呼び出して謎の紙片を大量に作り始めた。そしてこの内職めいた作業を取り組んで、はや二時間経っている。どついたれ本舗メンバー総出でやっているこの作業がなんなのか、簓からは特に説明はないままだ。
    「で、結局これ何なんだ。にゃんスピジャンボつーのはよ」
     零が束にした紙片をぺらぺらと捲りながら呟いた。
    「おっ、やっと訊いてくれたな。ていうかなんもわからんとよう手伝うよな、やっぱりうちのチームはほんま最高におもろいわ」
    「やらしといてなんやねん、もう手伝わへんぞ」
     むっとしつつも盧笙は次の紙にはさみを入れる。始めたからには最後までやりたいし、やるなら丁寧に仕上げたい。切るべき紙はあと残り十枚ほどだろうか、これが終われば簓も満足して寝てくれるに違いない。少しでも休ませようと盧笙は丁寧に、だが急いで作業を進める。
    「明日な、劇場でイベントあって若手いっぱい集まるねん。知っとるやろ、大晦日恒例の若手総出演イベント。せやからな、後輩にこのにゃんスピジャンボ配ったろ思て。一等当たったらお年玉十万円の大盤振る舞いや、どや、夢あるやろ」
    「あー……そうか、お年玉か。後輩の世話っちゅうんも、たいへんやなあ」
     上下関係に厳しい芸人の世界にはいくつかの決まり事がある。先輩は後輩の飲食代をかならず支払うこと。同席した者だけでなく、店に居合わせた後輩の支払いもすること。そして新年にはお年玉を渡すこと、等々。先輩にとってみればなかなか厳しいルールだが、盧笙が芸人として活動していた時期は後輩という存在はほとんどいなかった。それ故にかなり先輩からの奢りや小遣いに助けられたものだった。そしてあれから六年、今や簓は後輩にお年玉を配る立場になっている。劇場で若手に囲まれている簓を想像して、また盧笙の心がちくちくと痛んだ。
    「そうでもないで、いうてまだ俺八年目やんか。そんなにたくさん後輩おらんし、せやったらなんかこう、おもろいことしたろやないかいって思ってな」
     サービス精神の塊のような簓は、後輩もやはり全力で楽しませようとする。疲れていて、寝不足で、それでも誰かを楽しませることを優先するのだ。盧笙は簓のそういうところがとても好きだった。そうとわかればこの単純作業にも力が入るというものだ。
    「いいねえ、おいちゃんも混ぜてくれよ。アマヤド賞が当たったら、健康食品一年分進呈するぜ」
    「あほか、怪しいモンをお年玉かわりにしようとすな!」
     盧笙にツッコミを入れられて、零は楽しそうに笑う。
    「さあて、じゃあ酒もなくなったしおっちゃんは帰るとすっか。あとは頼むぜ、盧笙」
     十枚ずつ束にしたお手製のお年玉ジャンボ宝くじ――簓の命名するところのにゃんスピジャンボを綺麗に揃えると、零は毛皮のコートを肩にひっかけて部屋を出ていった。残されたふたりが残りのくじを作り終えたのは、時計の針が午前二時をすぎた頃だった。
    「よっしゃ、終わったー!」
     簓がガッツポーズで喜びの声をあげる。これでやっと簓も休んでくれるはずだ。盧笙はほっとしてテーブルの上を片づけ始める。
    「簓、明日何時に出るんや。起こしたるから、ちょっとでも寝ていき」
     風呂に入る時間はあるだろうか。時間がないならせめて着替えさせて、ベッドで寝かせて、出かける前には朝食を食べさせて。そんなことを考えていたが、簓はスマホを取り出していくつかメッセージのやりとりをした。そしてさらりと次のスケジュールを盧笙に告げる。
    「すまん、まだ後輩ら残っとるみたいやし、ちょっと一回劇場戻るわ。年明けのイベントで使うホン、渡しときたいねん」
    「え、まだ? 今何時やと思って……」
     そう言い掛けて盧笙は口をつぐんだ。そうだった、劇場の楽屋では深夜になれば若手が集まってネタを作ったり稽古をしたりするものだった。盧笙もかつてはそのひとりだったからよく知っている。寝る間を惜しみ、全ての時間を芸に費やしていた。
    「ごめんな、盧笙」
     ごめんな、という言葉にはなんの裏もなければ含みもない。ただ多忙のために一緒にいられないことを謝っているだけだ。簓とは相方であり、恋人でもあるのだから。これが当然の会話の流れなのだとわかっている。だがなぜか盧笙は簓に謝罪されることで、かえって傷ついていた。わずかな後ろめたさを簓の言動に感じ取ってしまったからだ。そう、例えるならまるで他の誰かと逢い引きにいく男が見せるような後ろめたさを。
    「ごめん、仕事落ち着いたらまたゆっくりな」
     簓はすまなさそうな顔をして、盧笙の頬に触れる。そしてゆっくりと顔を近づけて、唇を重ねた。優しいキスで愛を確かめながら、それでも盧笙はまた胸の痛みを感じていた。簓はこれから行ってしまう。盧笙が夢を置いてきたあの劇場に。盧笙がもう足を踏み入れることのあの場所に。
    「なあ、簓……」
     行かないでくれ、と言い掛けて盧笙は言葉を飲み込む。どうしてこんなに胸が痛いのだろう。どうしてもう帰らないと決めた場所に簓が行くことに、こんなにも胸が痛くなるのだろう。どうしてもう選択することのない未来を、まだ未練がましく夢想してしまうのだろう。
     ああ、俺はたぶん嫉妬しているのだ。盧笙は自分の胸に手を当てて考える。嫉妬しているのだ。あの場所に居続ける簓にではなく、簓が居続けるあの場所に。簓がこの部屋よりも長い時間を過ごす劇場に。なんてことだろう、簓の隣にいられるだけで十分に幸せだと思っていたのに。簓が舞台に立って大勢の人間を笑わせることを、応援してきたつもりだったのに。どうしようもない自分の嫉妬深さに気が付いて、盧笙は表情を曇らせうつむいた。そんな盧笙を見て簓がさらに申し訳なさそうに眉を下げている。盧笙はごまかすようにわざと大袈裟に不機嫌な表情を作る。
    「ちょっとしか来れへんのやったら、零呼ぶなや。俺ら付き合ってるんちゃうんかい」
    「え、あ、そやな! ご、ごめん! はよにゃんスピジャンボ作らんと間に合わへん思て、焦っててん!」
     簓は顔を赤くして、盧笙をぎゅっと抱きしめた。
    「ほんまごめん、絶対埋め合わせする。年明けたら、またゆっくり帰ってこれるからな」
     帰ってくる、その言葉だけで盧笙の心は少しだけ軽くなる。大勢の人を笑わせて、カメラの前で万人に笑顔を向けて、劇場で長い時間を過ごして。それでも帰ってくるのは盧笙の隣なら、それでいい。そう思うことがふたりの関係を長続きさせるためにも必要なのだ。
    「がんばってな、簓」
     盧笙は愛しい恋人の頬にキスをして、あの懐かしくて遠い劇場へと送りだした。



     大晦日から正月はお笑い芸人にとって一番忙しい時期だ。お茶の間でも人気の高い白膠木簓となればなおさらで、テレビの中継と劇場の公演をいったりきたりの毎日を過ごしている。盧笙は正月ののんびりした時間を楽しみながら、テレビ越しに簓の仕事を見守りつつスマホをいじる。多忙にもかかわらず簓はこまめに連絡を入れてくれた。盧笙、会いたい、好き。そんな甘い言葉の並ぶメッセージの履歴に、顔をにやけさせていることは簓には絶対に秘密だ。
    「お、SNSも更新しとる。ほんまに簓はマメやなあ」
     簓のアカウントには新年の挨拶に続いて、芸人仲間との写真がいくつも並んでいる。忙しいはずなのに、どこにこんな余裕があるのだろう。感心しながらタイムラインを眺めていると、簓のアカウントに新しい投稿が表示された。
    『お待たせしました、にゃんスピジャンボの当選発表やで~!』
     絵文字で派手に飾られた投稿には、数字を書き込んだメモ用紙の写真が添えられていた。一等から五等までの当選番号がならんでいて、すぐに後輩たちから反応が返ってくる。当たった、外れた、と盛り上がるコメントの中になにやら自分の名前が混ざっていることに気がついた。
    『盧笙?』
    『盧笙てなに?』
    『いや盧笙て』
     どういうことかと当選番号を書き記したメモ帳の写真を拡大してよく見れば、下の方に特別賞という項目があった。そしてその横に記入されていたのは番号ではなく、盧笙という二文字だ。
    「……俺?」
     盧笙は首をかしげて自分の名前をじっと見る。あのお手製の宝くじをもらった覚えはないし、そもそも当選番号が名前というのもおかしな話だ。後輩たちが一斉につっこむのも無理はない。
    「なんやろ、プリンでもくれるんかな……固いやつやとええねんけど」
     お年玉をもらういわれはないが、簓が盧笙に手みやげやプレゼントを持ってくるのは珍しいことではない。今回の特別賞というのも、そういった類のことだろう。どうせ簓のことだから、後輩たちに盧笙との仲の良さを見せつけたいだけだ。
    「あいつ、可愛ええなあ」
     公私混同の見せつけが可愛いだなんて思ってしまうのは、これも惚れた弱みだろうか。盧笙は頬を緩ませながら、にゃんスピジャンボ当選発表の投稿にいいねを押した。そしてそれっきり、特別賞の当選についてはすっかり忘れてしまった。三が日が終われば休み明けの学力テストの準備もあるし、年度末までに終わらせるべきカリキュラムの見直しもしなければならない。簓ほどではないにせよ、教師という仕事は冬休み中もそれなりに忙しいのだ。恋愛感情にだけリソースを割くには、大人というのは自由な時間がなさすぎる。気がつけば新学期が始まり、一月も半ばを過ぎようとしていた。簓はまだ仕事が落ち着かないのか、年が明けてからまだ一度も盧笙の家に戻ってきていない。
    「忙しいんかな……忙しいんやろうなあ」
     盧笙はテレビに映る簓を見ながら呟いた。テレビ越しにしか簓に会えないまま、もう二週間以上経つ。この場所にはいないのに、テレビでは毎日のように簓が映る。ああ、このままではまた簓と一緒にいるテレビカメラに嫉妬してしまいそうだ。盧笙は慌ててテレビの電源を落とし、早めに就寝することにした。気持ちが落ち込んだときは大抵疲れているだけだ。よく食べ、きちんと寝て、元気を取り戻せばまた明日を乗り切れる。そのはずや、多分な、と少しばかり弱気な言葉をつぶやきながら盧笙はベッドに潜り込む。
    「テレビやら劇場がライバルて……どうしようもないよなあ……」
     よくある話だ。仕事と私、どっちが大事なの。痴話げんか定番の不毛な問いで、勝ち目はない戦いだった。もしも漫才の相方として今も隣にいたなら、そんなふうに感じることもなかったのだろうか。一緒にあの場所にいられたら。あのままずっと、簓の隣で漫才を続けていたら。もし、俺が、簓の隣から逃げ出さなかったら。
     今ある人生に不満も後悔もないのだけれど。それでもこうして「もし」の世界を夢想してしまうのは、簓を独占したいというただそれだけの私欲に過ぎなくて。そんな理由でもし板の上に立っても、また間違いを繰り返すだけなのはわかっていて。だからこれはただの盧笙の行き場のない嫉妬と不安と独占欲だ。わかっているから盧笙はそれを口に出したりはしない。口にしないから、心の中に行き場のない想いが澱のように溜まっていく。盧笙はぐるぐると出口のない思考を抱えたまま無理に目を閉じてはみたが、なかなか眠ることができなかった。やけに静かな夜の闇の中に、盧笙の心は浮上できないままずぶずぶと沈んでいく。
     カチャン、と小さな金属音が玄関から聞こえたのは何時だっただろうか。ずいぶん長い間ベッドの上で眠ろうと努力していた盧笙には、もう時間の感覚がなくなっていた。だがきっと遅い時間なのだろうということはわかる。鍵を開けて入ってきた不法侵入常習犯の恋人が、そろりそろりと足音を忍ばせて中に入ってきたからだ。この様子だと深夜0時はとうに過ぎ、朝方に近い時間帯かもしれない。盧笙は目を閉じたまま、簓が寝室やってくるのを待っていた。どうしてしばらく来れなかったのか、どこでどんな仕事をしていたのか。顔を見れば寂しさのあまりそんなくだらないことを、責めるように矢継ぎ早に訊ねてしまいそうだったからだ。簓は静かに寝室のドアを開け、そっとベッドサイドにやってきた。そしてなにやらごそごそと鞄の中を探っている。なかなか声をかけてこない簓に痺れを切らせて薄目を開けようとした時だった。すう、と胸一杯に息を吸う気配がしたかと思うと、簓が突然大きな声を出した。
    「にゃんスピジャンボ、特別賞当選はぁ……躑躅森盧笙! おっめでとーございまーっす!」
     舞台やテレビでゲームコーナーの進行をするのと同じ声量で簓が高らかに宣言し、そのあとに続いて破裂音が鳴り響く。
    「わあああああ!」
     突然の大音量に盧笙は驚いて飛び起きた。暗い部屋には不釣り合いなパーティークラッカーからの紙吹雪が部屋中に舞い散っている。簓はにこにこと笑いながら、盧笙に拍手を送っている。
    「受賞の盧笙が起床や! はいっ! あらためまして、おめでとうございまーす!」
    「な、な、なんやねん! もう夜中やぞ、仕事のテンションのまんま来んなボケ!」
     反射的につっこんでみたものの、よく見れば簓は笑顔のまま表情が固まっている。疲れがピークに達してしまい、仕事用のスイッチがうまく切れなくなっているのだろう。どれだけこの年末年始に仕事しとってん、と盧笙は呆れてため息をつく。
    「簓、大丈夫か」
    「え? 大丈夫にきまってるやーん、ゼッコーチョーやで!」
    「どこがやねん、仕事しすぎでハイになっとるだけやろが」
     賞レースを制して、お茶の間の人気者で、それなのにまだ劇場の仕事にもこだわってイベントや寄席のスケジュールを目一杯に詰め込んで。恋人と一緒にいる時間よりも劇場にいるほうが長いくらいで。劇場に嫉妬させてしまうくらいに、お笑いが大好きでしかたなくて。けれどそんなところもささらの一部で、やっぱり盧笙はそんな簓が好きだった。疲れ切っている簓のことを、支えて甘やかしたいと思ってしまうくらいには。
    「ええから、こっち来ぃ」
     盧笙は簓を手招きして、近付いてきた簓を抱きしめた。どうしてしばらく来れなかったのか、どこでどんな仕事をしていたのか、仕事と自分とどっちが大切なのか。そんなことはとりあえず脇に置いておくことにする。ただここにいる簓のことが好きで、大切で、疲れ切った心と身体を癒したい。盧笙にとってそれが今一番大事なことだった。
    「うう、寝てまいそう……ちゃうねん、俺な、にゃんスピジャンボな。特別賞、持ってこようと思ってな」
     簓がもぞもぞと盧笙の腕の中から抜け出して、床に落ちていた自分のリュックの中身を漁り始める。
    「ええから寝ろて、そんなんあとでええから」
    「あかんて、だって特別賞はあの、あれや、特別やねん」
     疲れと眠気で珍しく簓の舌がもつれている。こうなったら早目に賞品授与のくだりを済ませて、さっさと寝かせてしまうほうがよさそうだ。盧笙は布団の上に正座して両手を差しだし、賞品を受け取る準備をする。地方ロケのお土産か、酒かつまみか、はたまた盧笙の好きなプリンか。簓が持ってくるものといえばまあそんなところだろう。あくびをかみ殺しながら待っていると、簓が盧笙の手のひらの上にポンと小箱を置いた。軽くて、コンパクトで、手触りのいい天鵞絨張りのケースだ。
    「二〇二二年、にゃんスピジャンボ特別賞はぁ~……こちら! 俺と一生連れ添う権利の進呈ですー! ほら、な、見てみて! パカーッとな!」
     軽いノリで簓がケースの蓋を開けると、中には見たこともないような大きさのダイヤモンドを中央にあしらった指輪が入っていた。いくらするのか考えただけでも恐ろしい。
    「いや……いやいやいや、待てて! ゲームコーナーの賞品ノリで渡すモンちゃうやろ! ていうか、え、なんなん、一生連れ添うてなんやねん勝手に決めんな!」
    「おおっ! 深夜の起き抜けにキレッキレのツッコミ! さっすが盧笙や、俺の相方は最高やな!」
     簓は相変わらず高いテンションのまま、楽しそうにけらけらと笑っている。冗談のつもりなのだろうか。それにしてはあまりにも手が込んでいるし、金もかかりすぎている。
    「いや待って、まじで待ってくれ……説明せえて……」
    「だって盧笙、年末に言うてたやん」
     混乱する盧笙とは対照的に、簓はにこにこと楽しそうだ。盧笙の隣に座って、甘えるように肩にもたれてくっついてくる。
    「盧笙、俺に行かんといてくれーて言うたやん。俺と仕事とどっちが大事なん、もっとふたりきりの時間が欲しい、一緒にいたいーって」
     簓は明るいがどこか平坦な声で盧笙に語りかける。盧笙は自分の我が儘を責められたような気がして、びくりと肩を震わせた。
    「ああ、ちゃうねん、それはめっちゃ嬉しいねん。俺やって盧笙と一緒にいたいと思てんねん。でも俺、たぶんお笑いはやめられへん。舞台に立っとる時は、いっつも盧笙の夢も背負ってるつもりでやっとるし……いや、こんなん言い訳やな。俺がお笑いめっちゃ好きで、アホみたいに好きで、どうしようもないねん。盧笙のこと不安にさせて、寂しがらせても、それでも捨てられへんくらい板の上が好きやねん。ごめんな、ほんまごめんな盧笙、なんもかんも捨てて一番にしてやれんで、ごめん」
     ごめん、と繰り返す簓の声はだんだんと弱々しいものに変わっていった。だが盧笙はそんなことはもう理解していることだった。簓にとってお笑いは仕事以上のものだ。人生の主軸。死ぬまで抱える才能という名の祝福であり呪い。存在意義そのものといってもいいかもしれない。だから簓がお笑いの世界からしばらく姿を消していたときは心の底から心配していた。戻ってきてくれた時は、自分が教師として認められた時と同じくらい嬉しかった。
    「謝らんでええよ、わかってるから」
     盧笙はできるだけ優しい声でそう言うと、簓の背中を何度も撫でた。簓はその盧笙の言葉に励まされたように顔を上げる。
    「せやからな、盧笙」
     簓は相変わらず笑顔を絶やさない。その目はいつものように穏やかに弧を描いていたが、盧笙をまっすぐに見据えている。そのひたむきさに盧笙は息を飲む。
    「せやからな、俺と結婚しよ盧笙。もっと一緒にいたいならそれがええやん、ずっと隣にいられるようになるやんか」
    「せやな、確かに……」
     そう言い掛けて盧笙ははたと気づく。確かにもっと一緒にいたいと思ってはいたし、劇場に向かう簓を見送るのが寂しい気持ちはあった。簓の仕事と恋人である自分とを、比べられないのを承知で天秤にかけて嫉妬していた。だが盧笙はその気持ちを言葉にしてはいない。
    「いやいや、言うてへん! 俺そんなんひとっことも言うてへんわ、あっぶな! 騙されるとこやんけ!」
     もう少しで簓の言葉に流されてしまうところだったが、盧笙が言ったと主張する言葉は何から何まで憶測だ。思い込みと言ってもいい。相手が自分でなければ、あるいは簓の言葉が図星でなければ、頭のおかしなストーカーと認定されても仕方ない行動だった。だが簓は必死の反論をケラケラと笑い飛ばしながら、盧笙の手に指輪の入ったケースをぎゅっと握らせる。
    「言うてない、けどそう聞こえてんもん。寂しい、もっと一緒にいたいて盧笙の声が聞こえてん。なあ、違っとった?」
     簓はふと笑顔を消して、真剣な眼差しで盧笙を見つめる。
    「違ってたんやったら、言うて。俺の目見て、ちゃんと言うてほしい」
     指輪を握らせた盧笙の手を、簓の両手が包み込む。その手はほんの少しだけ震えていて、冗談混じりの賞品を手渡しに来たわけではないことを物語っている。
    「……ちが、」
     盧笙の喉の奥にこみ上げた感情が、声を詰まらせる。いつもそうだ。盧笙は大事なことほどうまく言葉にできず、うまく伝えられずになにもかも心に閉じこめて痛みを抱えてしまう。けれどその声にならない言葉に、簓はいつも耳を傾けようとする。二十歳の頃も、今この瞬間も、ずっとずっとそれは変わらない。
    「……わへん」
    「え、ワ、ヘン?」
     おかしなところで途切れた言葉の後半を、簓が首をこてんと傾けて聞き返す。ちゃんと簓の気持ちに応えなければ、と盧笙は深呼吸してもう一度口を開く。
    「ちゃう、ええと……ち、ちがわ、へん。一緒にいたい、もっと一緒にいて、簓の隣で力になりたい」
     盧笙の返事を聞いた簓は再び笑顔になった。だが今の笑顔は観客に向けた仕事用の笑顔ではない。舞台を降りたプライベートの時間に、盧笙の前でだけ見せる可愛くて甘くて子どもみたいに無防備な笑顔だ。
    「ほな、改めて」
     簓はケースの中からダイヤの指輪を取り出して、盧笙の左薬指にゆっくりとはめた。いつサイズを測ったのだろう、盧笙の指にそのリングはぴったりと合っている。指輪をはめた薬指を簓は愛おしげに撫でて、盧笙にそっと口づける。啄むような優しいキスのあと、唇を離した簓はいたずらっぽい表情を浮かべて言った。
    「にゃんスピジャンボ特別賞、ご当選おめでとうございます」
    「そもそもそのジャンボくじ持ってないねん、当たるんおかしいやろ」
    「ええやん、そんなん些細なことやろ」
     些細やあるかい、と頭を軽く叩けば簓はさらに嬉しそうに笑う。いたずらに成功したみたいに嬉しそうな簓の表情に、盧笙は呆れながらも一緒に笑った。
    「そうと決まれば貰ってもらうで。この賞品、返品不可やから末永く可愛がってや」
     簓は盧笙に抱きついて、そのままベッドの上に押し倒す。なんという出鱈目さと強引さだろう。だがこれも惚れた弱味というものだろうか。怒る気にもなれないし、それどころか幸せだとすら感じている。たぶん、簓に出会ったあの日にとっくに盧笙は当選しているのだ。宝くじの一等賞なんかより、ずっとずっと当選確率の低い特別なもの。世界中のたくさんの人間の中から、一生を共にしたいと思える大切な人と出会えた奇跡に。
    「ほんま、いっちゃん特別な大当たりやなあ」
     盧笙が簓の背中に腕を回すと、簓は細い目をさらに細めて盧笙にキスをする。嬉しそうなその顔は、にゃんスピジャンボに簓が描いた招き猫型のスピーカーにそっくりだった。
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