三日間の世界征服11/10 pm14:13
猫も微睡むような昼下がり。
左馬刻の事務所には、肌をピリピリと刺す張り詰めた空気が充満していた。
「つーわけで、俺様は恋人と雲隠れすっから。オジキ、後は頼んだわ」
『オウ、まかしとけ』
スマートフォン越しに、上役である男が豪快に笑う。2、3言葉を交わし、通話を切った左馬刻は、フー、と気だるい息を吐く。長かった。すばらしく、長く険しい一ヶ月だった。これで全てが報われる。煩わしい根回しは終いだ。
物々しく、電源を切ったスマートフォンをデスクに置く。これで仕事は終わりだ、というポーズ。
懐から取り出した煙草を咥えると、すかさず、傍らの部下が火を差し出してくる。仕事終わりの一服は、至福の時間だ。これからのことを考えると、これ以上うまい煙草はないとさえ思う。
見せつけるように、長い脚を乱雑にデスクに乗せてやると、わかりやすく、舎弟の肩がびくりと跳ねる。火貂組の若頭である以上、多少の締め付けは必要悪とはいえ、左馬刻の一挙一動に反応する舎弟達のすがたは、いっそ哀れを誘った。
「テメェ等、わかってンだろうなァ?」
「も、勿論です、頭」
「三日間、俺様はこの世にいないものと思え。俺様に用事があるっつぅんなら、自宅にカチコミして来い。そこまでするっつぅからには、タマ奪られる覚悟して来いよ。きっちり筋は通して貰うからよォ」
長い脚でデスクを蹴りあげ、いいな、と凄む。
傍に控える腹心は、青褪めたおもてのまま、はい、と神妙にいらえる。
「んじゃな。おつかれさん。てめぇらもさっさとあがれよ」
髑髏の刻まれたスカジャンを肩に羽織り、事務所を後にする。
居並ぶ部下は全員立ち上がり、ウス、と腹から声をだし、若頭を見送った。
世界が、ひかりに満ちている。
実際に左馬刻がいるのは事務所の地下にある駐車場であるので、照らしているのは安っぽい蛍光灯だが、知ったことか。
腰を折って左馬刻をむかえる部下を片手でねぎらい、後部座席へ乗り込む。プライベート用のスマホを取り出したところで、着信があった。表示される名前に、つと目を眇める。あの男がこちらのスマホにかけてくるとは、珍しい。
「よぉ、ウサちゃんじゃねーか。どうしたんだよ」
『今日からだよな? おまえの例の休暇』
「おう。それがどうした」
『例のヤクの件、確認したいことがある。すこし話せるか?』
「その件なら部下に預けてある。てめぇの好きに話してやって構わねぇよ」
『助かる。それなら、事務所にかけ直したほうがよさそうだな』
「頼むわ。ま、精々手加減してやれや」
『時と場合によるが、承知した。休暇を愉しんでこいよ、左馬刻。来週……いや、再来週か。楽しみにしているぞ』
おう、といらえ、通話を切る。10日後、MTCの3人で集まり、左馬刻の誕生日を祝ってくれるという。くだらない話をして朝まで酒盛りをするいつものコースだが、どうせ、笑いの絶えない夜になるに決まっている。
左馬刻はメッセージアプリを起動させ、一郎とのトーク画面へ切り替える。このスマホは、専ら、恋人である一郎専用であるようなものだ。
メッセージを打とうとしたところで、タイミングを計ったように、一郎からの通話があった。いよいよ気分が盛り上がり、左馬刻の声が弾む。
「オウ。俺様の一郎じゃねぇか。どうした?」
『左馬刻、仕事終わったのか?』
「おう。事務所出て車乗ったトコだわ」
そっか、といらえる一郎の声に、どこか覇気がない。何かあったのだろうか。
「一郎、何かあったのか」
『いや、べつに』
「一郎」
誤魔化すことは許さない。TDDの解散前夜、言葉足らずで訣別した過去を二度と繰り返さないためにも、言葉を惜しんではならない。手痛い教訓だ。
一郎はわずかに沈黙した。かすかな息づかい。はやく、キスがしたい。とろけるように熱く、やわらかな一郎のうちがわを、吐息ごとうばってすみずみまで味わいたい。
ややあって、ためらいがちな一郎の声が耳朶をうつ。
『本気、なんだよな、今日からの件』
「アァ? テメェ、今さらなに言ってやがる。本気もクソもねぇわ」
『……』
「いいからとっとと俺様の部屋に来い。男に二言はねぇだろ。それとも、俺様に拉致られてぇのか?」
『いや……やめてくれ。ちゃんと行くから』
諾、の意を示す一郎に、溜飲を下げる。組んだ足を組み替え、運転席でじっと左馬刻の命を待つ部下に、出せ、と指示を出す。
「おりこうさんじゃねぇか。今どこにいる」
『ヨコハマ。場所送るから、拾ってくれ』
「おう。後でな」
通話を切っていくらも経たず、一郎から位置情報が送られてくる。オイ、と声をかけて運転手に目的地を告げ、男がうなずく。
左馬刻を乗せた高級外車は地下を抜け、光あふれる地上へ滑りだした。
まばゆい陽射しが、ヨコハマに降り注いでいる。
一郎は、ベイエリアの外れにいるらしい。ヤのつく自由業に世間一般の祝祭日など縁遠いが、地図アプリを起動させ、おまけにカレンダーアプリを眺めると、今日は休日であるらしい。どうりで、通りに人や車が多い。
スモークのかかった車窓越しに流れる街は、しあわせそうな顔であふれている。
黄金色に色づく木立が青空に映え、古くからの風情をのこす街並みは、まるで一枚の絵のようだ。ヨコハマってやっぱオシャレだよな、と笑う恋人の横顔が、胸の奥に熱を灯す。木立の下、楽しげに連れ立って歩く有象無象の人びとを、煙草のけむりを燻らせながら眺める。
一郎がいるのは、おそらくこのあたりだ。
立ち並ぶ、背の低い煉瓦色のビル群。車がやや速度を落とす。ふいに視界に飛び込んでくる、圧倒的な存在感。どれほどの人混みに紛れていたとしても、左馬刻が恋人のすがたを見失うことは、この先二度とないだろう。
「カシラ、」
あちらです、と、運転席の部下の声。言われずとも、とっくに見つけている。備え付けの灰皿に煙草を押しつけ、視線を凝らす。
煉瓦色のビルの一階にある、コーヒーショップのむかい。フェンスに凭れ、うつむき加減で、スマホを眺めている青年。
頬にかかる、生まれたままの黒髪。目立たないように、との配慮なのか、オーバーサイズの黒いパーカーに、めずらしく細身のスキニージーンズをあわせている。おろしたての真っ白なスニーカーは、先だって左馬刻が贈ったものだ。一郎本人には告げていないが、相当に値の張るブランド物で、絶対に似合うと左馬刻が一目惚れした逸品だ。矢張り、一郎の若さと闊達さをうまく引き立てている。自分の見立てに満足し、左馬刻の口元に笑みが滲む。
休日の昼間に、こんな極上の男がひとり佇んでいるのは、ナンパしてくれと宣言しているようなものだ。けれど醸し出すオーラとレベルが桁外いに凄まじく、迂闊に近寄れない、といったところだろう。ひどく人目を引いていることに、一郎本人は気づいてもいない。
――イイ男だ。
素直に、そう思う。
まず、抜群にスタイルがいい。人目をひく長身に、男らしくひろい肩幅。しなやかに伸びきった手足は外人モデルさながらに長く、若木のようにしなやかだ。オーバーサイズを好むおとこだから、脱いでみなければわからない、ほっそりとくびれたウエストにつんと上をむいたまるい尻は、恋人である左馬刻だけが知る、極上の宝物だ。華のある顔立ちは、派手すぎずどこまでも精緻にととのっていて、けぶるような黒檀のまつ毛の奥に嵌めこまれた赤と翠のヘテロクロミアが、どこまでもうつくしい顔貌を鮮やかに彩っている。
ひと目見た瞬間から、心奪われていた。
どれほどまでに対立しようとも、魂を焦がして、自分は何度だってあの男を求めた。
己のとなりに立つに相応しいのはあの男だけだと、今でも、まっすぐに信じている。
「停めろ」と命じて車を止めさせ、窓を開ける。さわやかな秋風が、白銀の髪をゆらした。
「よぉ、俺様のカワイコチャン。逢いたかったぜ」
左馬刻の声に反応し、振りむいた一郎が、ぱちり、瞬く。
清廉な顔立ちがリボンのようにほどけ、うつくしい顔貌に、とろけるような笑みこぼれる。
「左馬刻」
こんなふうに笑うと、左馬刻には、まるで仔猫にしか見えない。
可愛い。
しびれるほどに、俺様の恋人が可愛い。
「乗れや」
うなずき、リュックを肩にかけた一郎が、ひょいっと長い足でフェンスを飛びこえる。めずらしく、大きめのリュックを背負っている恋人に、綿あめがぽんぽんと弾けるような心地がする。なかに、なにが入っているのか。想像するだけで、ふわふわと心が浮き足立つ。まるで、はじめてラブホのエレベーターに恋人と乗りこんだ童貞のようだ。
ドアを開けて待機する部下に「どもっス」と愛想よく会釈をして、一郎が乗り込んでくる。
「よ。久しぶりだな」
薄情なことばを吐いて、となりへ滑りこんできた恋人の腕を引き、ぎゅう、ときつく抱き締める。
逢いたかった。
この体温にふれたくて、気が狂いそうだった。
愛しい男を腕に閉じこめ、胸いっぱいににおいを堪能する。歓喜に、全身の細胞がざわめく。逢いたくて、逢いたくてたまらなかった。この男に逢うために、この一カ月、昼も夜もなく仕事をこなし、生きてきたようなものだ。
肩をゆらし、一郎が笑う。
「必死だな。そんなに、俺に会いたかったのか?」
「一郎さんよぉ、ふざけてんのか? めちゃくちゃに会いたくて気ィ狂うかと思ったわ」
こんなに焦がれさせておいて、ひどい男だ。仕置きのように、赤いピアスの嵌った耳朶に噛みつく
「……あんたって、シラフですげぇ恥ずかしいこと言うよな」
照れ隠しのように、肩口に顔を埋めてくる。背中にまわされた腕にぎゅうぎゅう抱きしめられ、年下の恋人の可愛さに身悶えしたくなる。年上の余裕を見せ付けるべく、よしよしと背を撫でてやって、つむじとこめかみに甘ったるいキスを落とし、一郎、とささやく。
「スマホ出せ」
もぞもぞとパーカーのポケットをさぐり、おとなしく、一郎がスマートフォンを手渡す。受け取った左馬刻は電源を切り、ダッシュボードに放ってしまう。
「帰るときに返してやんよ」
「わかった。けど、壊さねーよう気をつけろよ」
「壊さねーよ。壊れたとしても、俺様が新しいの買ってやんわ」
「そーゆー問題じゃねーって」
なんでもないように笑う一郎が、憎らしいほどに可愛い。
明日、11月11日。
一度は訣別した一郎とふたたび情を交わしてはじめて迎える、左馬刻の誕生日だ。
左馬刻が一郎に望んだのは、完全にふたりきりの、三日間の休暇だ。
まず一郎に約束させたのは、休暇中、完全に外界との接触を絶つことだ。スマホは預かり、弟たちに連絡を取ることも許さない。三日間、完璧に俺様に独占させろや――と迫ったのだ。
意外にも、一郎は条件をあっさりと呑んだ。ただ、準備のための時間がほしい、と言われたので、左馬刻も一郎の願いを聞き入れ、ここしばらくは通話もメールも控え、互いに仕事に集中した。
萬屋ヤマダの経営者として、左馬刻同様忙しく働く恋人は、ここ一ヶ月そうとう忙しくしていたろう。仕事のスケジュールの調整に、弟たちへの根回し。後者は余程骨が折れたろうが、弟たちの包囲網を掻いくぐり、一郎は左馬刻のもとへやって来たというわけだ。
この休暇を捥ぎ取るため、左馬刻とて、一ヶ月あまりの間、文字通り死ぬ気で働いてきた。火貂組の若頭として、年々、左馬刻の負う仕事量と責任は増している。ヴィンテージのアロハを幾度となく血に染め、情け容赦なく裏切り者をヨコハマの海に沈めた。対抗組織も絡んだヤク絡みの仕事で時たま顔をあわせる銃兎など、まるで馬車馬じゃねぇか、と鼻で笑ってみせたものだ。無論、三発ほどぶん殴ってやったが。
そんなものは、すべて過去のはなしだ。
今、手のとどく距離に、一郎がいる。
それが全てだ。
「一郎」
うなじを引き寄せ、食むように、赤いくちびるを奪う。くちづけも、一ヶ月ぶりだ。よくぞ我慢できたものだと、自分でも思う。
「ンぅ、……っ」
舌をねじ込み、とろけるような粘膜を味わう。舌をからめ、弱い上顎を擦ってやると、ん、んっと鼻にかかった甘ったるい声がこぼれ、色違いの眸がとろける。
可愛くて可愛くてたまらない。昼も夜もなく、抱きつぶしてやりたい。清廉潔白な美貌の奥にかくされた、例えようもなく淫らな一郎を暴いて、ぐちゃぐちゃにされて愉悦にとろけた顔がみたい。自分だけが目にすることを許された一郎を、引き摺り出してやりたい。
「左馬……っ」
シートに押し倒し、くちづけを深める。腕の中で暴れる一郎を力づくで封じ込め、余すところなく、熱い咥内をたっぷりと舌でまさぐってやる。ん、ん、と鼻にかかった甘い声。かわいくてたまらない。
上からきつく押さえつけ、たっぷりと流しこんだ唾液を呑ませる。しなやかに筋肉のついた胸元をなぞり、ほっそりとした腰をまさぐる。感じているのか、女のようにくねる腰がいやらしい。
「ん、んんっ、さ、まとき……っ」
「いちろ、……」
左馬刻に与えられる快楽を思い出したのか、みだらに揺れる尻をつかみ、あわいにきつく指を喰いこませた。
「あ、やめっ、んっ、どこ、さわって……」
「かわいいな、一郎、ココ、もう疼いてんのか?」
「ふ、ざけっ、誰が、ぁ、あ……っ」
昂ぶった下肢を押しつけ、ぐりぐりと刺激してやりながら、豊満な尻に指さきを沈める。淡い色のジーンズにかくされた、ツンと上をむいたかわいい桃尻を揉みしだいてやると、ほっそりとした咽喉を逸らし、一郎が甘い声を漏らす。白い肌に滲む汗。たまらない。はやく、一刻も早く滅茶苦茶に抱いてやりたい。
「さ、まとき……」
「ん?」
「やめ、ろ、いやだ、ここじゃ、……っ」
耳まで赤く染めて、一郎が右腕で顔を隠してしまう。前には運転手がいる。恥ずかしいのだろう。
甘ったるくほどけた一郎の声は、毒のようだ。他に聞いた人間がいるならば、この手で殺してやる。
「ばーか、最後までしねぇよ。けど、すこしだけ可愛がらせろや」
「ほんとに、ちょっとか?」
「おう」
指で顎の下をくすぐってやると、一郎がおずおずと、腕を外す。
車窓から降り注ぐひかりが、愉悦にうるんだ恋人の赤と翠の眸に反射し、星のようにまたたく。愛している。
いまこの時が、永遠につづけばいい。
――あんたってほんと、しょーがねぇひとだよな。
呆れたような一郎の声が、ぐらぐらと脳を揺さぶる。うるせぇ。俺様がどうしようもなくなるのは、テメェひとりの前だけだ。
何度も、何度も、狂うほどに考えた。相手ならほかにいくらだっている。目の醒めるように美しい女も男も、指さきひとつ、左馬刻がほんのすこし動かすだけで、簡単に手に入った。いまの左馬刻に手に入らぬものなど、殆どないといっても過言ではない。
山田一郎だけだ。
この心を揺さぶるのも、魂を焦がすのも、組み敷いて余すところなく肌を暴いて、めちゃくちゃに抱いてやりたいと思うのも。6つ年下の、クソ生意気なツラをした、足の爪のさきまで食べてやりたいほどかわいい後輩だけ。
永すぎる愛憎の炎を、もう何年も、年下の男ひとりに燃やしつづけている。
「左馬刻。左馬刻サン、ほら、迎えに来たぜ」
肩を揺さぶる手に、ゆるりと意識を浮上させる。
絞られた照明に、宝石のように輝くアルコールのボトル。客の顔が映りこむほど磨きぬかれたカウンターに、馴染んだ煙草のかおりMTCの仲間とよく足をはこぶ、ヨコハマにある行きつけのバーだ。
銃兎を呼び出し、奢りだといって夜の深まりとともにグラスを重ねているうちに、前後不覚になったのだろう。想像するに、左馬刻の送迎にと銃兎が呼んだのが、彼だったというわけだ。
一郎の手を振り払い、舌打ちをこぼして煙草に火をつける。
「うるせぇ。なにしに来た」
「なにって……入間さんに呼ばれたんだよ。アンタがめちゃくちゃに荒れて俺を呼んで手がつけられないから、なんとかしてくれって」
「左馬刻サン、だろうが」
煙草のけむりを吐き、ふっくらとした一郎のくちびるをなぞる。一郎はびくっと肩をふるわせ、困ったように眉をさげた。
いま、目の前に佇む一郎がいつの頃の彼なのかわからず、輪郭がぼやける。誰よりも傍にいた、17歳の彼だろうか。燃え盛る炎のような憎悪を互いにむけていた19歳の頃か。それとも、左馬刻のことなど忘れたように屈託ない笑顔をふりまく、22歳の一郎だろうか。
(どっちでも変わんねぇか)
いずれにせよ、左馬刻にとって、山田一郎がいっとうかわいくて憎らしい年下の想い人であることに変わりはない。こんなふうに酒に溺れているのは、誰の所為だというのだ。酒には滅法強い自分が銃兎とさんざんアルコールを浴びながら、誰のことを話していたとでも?
「一郎」
「なんだよ。ほら、いいから帰るぞ。タクシー呼ぶから」
「帰らねぇ」
「左馬刻」
「テメェのかわいいクチから、俺様のモンになるって返事聞くまで帰らねぇ」
男のくせに、誘うようにふっくらとしたくちびるをなぞる。はぁ。あきれたような溜め息が、指さきをくすぐる。
「……いい加減にしろよ」
いい加減にしろだ?誰にむかってナマを言ってやがる。
煙草の火を潰し、ほっそりと華奢な一郎のおとがいを掴み、強制的に視線を交わらせる。
「アァ? てめぇこそいい加減にしろや。何年俺様を待たせてやがると思ってんだ」
「待ってろなんて、ひとことも言った覚えはねぇよ」
「テメェの所為だわ。その極上のツラしてオンナのひとりも作らねぇで、ハタチ超えてもジャリどもや有象無象の世話ばっか焼きやがって」
「俺は兄貴だぜ。弟たちの面倒見んのはあたりまえだろ」
「弟だぁ? てめぇ、こないだガキをひとり雇ったろ。孤児院あがりの、昔てめぇに世話になったとかぬかすクソ生意気なガキだ。昔の二番手そっくりじゃねぇか。てめぇを慕ってくりゃ全員弟にすんのかよ。慈善事業気取りも大概にしろ」
一郎の柳眉がぴくりと動いた。
「んで、アンタがンなモン知ってんだよ……」
「テメェのことなら洗いざらい知ってんわ」
山田一郎のことならば、あらゆる情報を手にしている。若い舎弟をひとり萬屋に張りつかせ、ここ数年、ほぼ四六時中監視しているからだ。これはもはや趣味に近い。一郎がなにをしているのか、危険な仕事をしていないか。気になって仕方がないのだ。
左馬刻の異常性を知ってか知らずが、一郎は柳眉をひそめ、それ以上追及してこなかった。鷹揚な態度が、左馬刻の神経を逆撫でする。お綺麗な聖人君主。てめぇはいつだってそうだ。自分だけではなく、誰に対しても。
赤い眼を眇め、ヘッドフォンを外した無防備な首すじを嬲るように、ゆっくりと親指でなぞる。
「なァ一郎、俺様、テメェがほしくて気ィ狂いそうなんだわ。どうしてほしい? テメェを監禁して、クソみてぇなヤク漬けにしてやろうか。それとも、テメェが囲ったガキを捕まえてやれば、おとなしく俺様に抱かれんのかよ」
「……左馬刻」
一郎の瞳が、ぐにゃりと歪む。哀しい、となまなましい感情を滲ませた、濡れたようなオッドアイ。年を経るごとに、この男はやわらかさを纏うようになった。弟たちが家を出、肩の荷が降りたのか、瑞々しい顔だちはむかしより余程、十代の少年のようにみえる。
街角に佇み、白い歯をこぼして笑いかけるだけで、どれほどの人間がこの男に心臓を奪われるか。22にもなって、この馬鹿はなにひとつわかっちゃいない。
何故、これほどまで一郎を欲してしまうのか。
気づいたことがある。
この男は、最愛の妹とひどく似ているのだ。
絶対に折れない、鋼のように強く気高い魂。誰よりも暴力の傍らで育ちながら、暴力を憎む正しさ。支配ではなく平等を臨む、やわらかく傲慢な心根。世界でいっとううるわしい妹が男のかたちをしてこの世に転生したならば、おそらく、山田一郎と酷似した少年となって、呪いのように、左馬刻の前に現れるだろう。
運命なのだ。
切っても切れない、どうしても自分と結ばれなければならない相手。左馬刻のとなりで生きることを宿命づけられているというのに、破滅的な離別をしたあの日から、一郎は左馬刻になど振りむきもしない。己のつがいに何年もすげなくされて、狂うなというほうが可笑しなはなしだ。相手を殺したくならないほうが、余程どうかしている。
「俺様のモンにならねぇなら、テメェを殺す。それか、俺様を殺せ」
「正気か?」
「ヤクザ舐めんな。タマ張れねぇで、極道の看板背負ってらんねぇんだわ」
一郎は沈思した。伏せた目元に、憂いと苦悩が滲む。かわいくてたまらない、年下の男。いい加減、限界だった。この男が欲しい。でなければ、いっそ――
そうして、彼は言ったのだ。
あんたってほんと、しょーがねぇひとだよな。
「いいぜ。アンタのモンになってやるよ」
「……一郎」
「だからもう、こんなふうに酒に溺れるの、やめろよな」
言うに事を欠いて、一丁前に左馬刻の心配をしてみせる。こんなときでも、一郎のダボはクソ偽善者だ。
が、言質は取った。
腹の底から、壮絶な歓喜が噴き上がってくる。目の前の男を手に入れろと、全身の細胞がざわめく。
左馬刻は壮絶な美貌に悪魔のような笑みをうかべ、恋人となった男のくちびるに、噛みつくようなキスをしてやった。