「やあ、これにて一件落着!というわけだねえ。色々あったけども」
ミカグラ島の民を脅かしたキズナ計画は、ルーク・ウィリアムズらによって阻止された。
モクマとチェズレイは彼らの救ったミカグラ島を眺めている。特にモクマは感慨深そうな、切なげな眼差しでマイカの里のあたりを見つめていた。
その静寂を、チェズレイが打ち破る。
「…モクマさん。私、少々野暮用がございまして。少し失礼しても?」
「え、お前さん藪から棒だねえ!別に構わんけど、何しに行くの?」
「大したことではありませんよ。…私と離れるのが寂しいですか?これからはずっと一緒ですから問題ありませんよ、少しだけ我慢してください」
「いやいや、おじさんちっちゃい子じゃないんだからさ。何かわからんけど、気をつけて行っておいで〜」
「フフ。では失礼」
チェズレイはひらりと踊るように身を翻し、ある場所を目指して消えて行った。
その場所とは、先程まで戦場となっていたメテオフロート。正確には、その中央の塔の下にある部屋である。
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「……は、ぁ、ハァ…ッ、ひ、ぁ……」
鳴き声のような悲鳴のような、荒い息が響く。
チェズレイに首根っこを掴まれたままであったこの人物はそのまま地面に投げ出され、ひっ、と今度は本物の悲鳴を上げた。
「な、なん、で……」
信じられないものを見るかのような眼差しでチェズレイを見る。色々と状況が飲み込めず、困惑と疑問で混濁している様子が見て取れる。
「おや。せっかく命を救って差し上げたのですからもう少し感謝してくださってもいいんですよ。……ハッカー殿?」
呼ばれた彼は肩をびくりと振るわせた。
そこにいる人物は、マイカの里と共に土砂の中へ沈んだはずの、シキであった。
「あのままあそこの部屋にいては、あなたは海の藻屑となっていたかもしれませんよ?」
「……別に、そ、それで…よかったのに……」
「…聞き捨てなりませんね」
「な、なんで、助けたの?どうしてボクが生きてるって……嘘をついていたって、わかったの?ル、……ルーク、は…知ってるの?」
「おやおや、貴方にしては珍しくお喋りですねェ。私もここに長居する気はありませんので、手短にお答えしましょう。」
コツ、と響くチェズレイの靴音にシキは身をすくませる。
「動機については割愛致します。私の中でも合理性を欠いていると感じていますので。貴方の生存については、むしろヒントが多すぎるほどでしたよ。クローズドのグループチャットを発見したり、テレビをジャックするのがお手の物の貴方が、ファントムの正体に白羽の矢が立った瞬間、『どこをハッキングするかわからない』等と急にとぼけたり。不慮の事故で亡くなったようなものなのに、オフィスナデシコで作業していたPCの状態が不自然なまでに綺麗すぎたり、ね。」
びくり、とシキは気まずそうに目線を逸らす。もう隠し事などとうにバレての現在であるのに、改めて暴かれるのは居心地が悪いらしい。
「最後のご質問ですが。……ボスはこの事をご存知ありません。」
チェズレイの言葉に、シキの強ばった身体がやや緩んだ。
その様子にチェズレイは興味なさげに眉をすくめる。
「安心しましたか?ボスの前では貴方はお綺麗な、ヒーローに憧れる少年のままですよ」
「……ッ、あ、アナタは、意地悪だね…」
「失礼な。今は貴方の命の恩人ですよ?」
「……い、いまさら助けられても……ファントムはもう、いないし…ボクは、この先どうしたら……」
さぞつまらなさそうに、チェズレイは大袈裟なため息をつく。シキは小さく声を上げた後、黙り込んだ。
「……どう生きるか、それとも死ぬかは貴方がご自分でお決めになればよろしい。そこまで手をかけて差し上げる義理は私にはありません。ファントムはもういない。貴方がこの事実をどう受け止めるかはご自由に」
先程よりも冷淡な声色に、シキは再び怯えた様子を見せる。
ミカグラ島に来てからの彼は共犯者として、ファントムと共にあった。
思えば彼の人生は周りに流されてばかりで、いざ属する対象を失ってしまえばもうどのように歩くのかすらわからなかった。ファントムも、ハスマリー軍の上官ももういない。彼とつながる相手は誰もいない。
…否、彼に手を伸ばしてくれた人物はいた。
しかし、ファントムの指示の元にシキは彼を裏切った。チェズレイの言を信じるならば、彼はまだ裏切られた事を知らない。シキが生み出した、彼の味方のまま亡くなった哀れな少年の虚像を信じている。シキは、その虚像を壊すことを望まなかった。
「チェズレイ。……もし、聞いてくれるなら、一つお願いがあるんだ。…ボクが、今も生きてるってこと……ルークには言わないで」
「……。構いませんよ。さて、私も暇ではないのでね。この辺りで失礼致します。この先は…貴方自身で考えて決めればいい。それでは」
チェズレイは軽やかに踵を返す。
後には、頭を抱えうずくまる少年がひとり。
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「…チェズレイ!どこへ行っていたんだ?」
戻ってきたチェズレイに真っ先に声をかけたのは誰であろう、ルーク・ウィリアムズその人だ。
「少し、ね。…おや、ボスもどこかへ向かわれていたのですか?」
「ああ。コズエさんの元へ。」
「ほう……?」
「これだよ。シキの形見を受け取りに行っていたんだ。」
ルークが壊れたシキガミロボを見せてくる。まさか先程までその“形見”を遺した本人と会っていたなど夢にも思わないだろう。彼と交わした約束の件もあり、チェズレイは黙っていた。
「全てが終わってから受け取りに行くと約束していたんだ。ようやく受け取れたよ。……シキのこと、二度と忘れることはないだろうな。叶うなら…生きて、また…会いたかった。」
独り言のようにルークは言葉を絞り出す。シキガミロボを握りながら。両手で大事そうに握るその姿は、不思議と元の持ち主がよく行なっていた仕草とほとんど同じであった。
手の中のヒトガタを模しているようなそれは、傷ついた人間の姿にも、朽ちかけた墓標のようにも見えた。
「……ボスがそこまで想っていることが、きっとハッカー殿にとって救いになりますよ」
チェズレイは静かにそう告げると、そうかな、そうだといいんだけれど、とルークは呟いた。
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あのミカグラ島での出来事はいまや過去になった。
それぞれが自分たちの生活に戻って久しい中、ルークから電話が入った。
『あー、チェズレイ、野菜たくさんありがとう。最近の食生活は不健康だったから助かったよ。…同僚には笑われたけど』
「どういたしまして。おや、失礼な方々ですね?ボスがお望みなら消して差し上げましょうか?」
『遠慮しておくよ!!ただでさえ人手不足なんだ、これ以上間引かないでくれ!…そうだ、野菜の件の他に、僕に時々データを送ってくれるのはチェズレイ、君か?』
「データ?……申し訳ありませんが、心当たりはありませんね」
『えっ?そうなのか?僕が調査に難航してた金融事件の関係者リストとか、なかなか尻尾を掴めなかった汚職事件の時とか、捜査に行き詰まると必ず誰かが対象のリストを送ってくれるんだ。僕はまたてっきり君かと……』
「ああ……」
データの送り主はチェズレイではない。が、送り主の正体について、彼には心当たりがあった。
「…なるほど、そうやって生きる道を選んだわけですか」
『え?チェズレイ、何か言ったか?誰が送ったか知っているのか?』
「いいえ、ボス。きっと、ヒーローに憧れているどこかの誰かがボスの助けになりたいと送っているのかもしれませんね」
『なんだそれ??というか、チェズレイが知らないなら僕の行動を監視している誰かが少なくとももう一人いるってことか?まいったなぁ…』
「人気者ですね、ボス。まァ、味方をしてくれているなら悪い人物ではないようですし、気にしなくても良いのでは?もしかしたらそのうち…何年か、何十年後かわかりませんが、ご本人から接触があるかもしれませんよ」
『……うーん……。まあ、実際助かってるし、このままにしておくよ。誰か知り合いだったらどうしよう…』
電話の向こうで唸っているルークにチェズレイは苦笑する。どこでどうやって生きているのかはわからないが、あの時の彼は陰ながらサポートすることに決めたらしい。彼にとってのヒーロー、ルーク・ウィリアムズを。
「早く会えたらいいですねェ…」
チェズレイのこぼした一言は、ルークに宛てたものか、それとも彼に宛てたものか。それはチェズレイ本人にもわからない。