光明 採集を終えた昼下がり。お出かけに誘った狛枝と砂浜で砂の城を作った。
ボクが作ると、いつも完成しないんだ。きっと今日も完成する間近で波に攫われるよと諦めたように笑う狛枝に、やってみなくちゃわからないだろと反論して、作った砂の城。ディティールに凝りたいという狛枝の意見を聞き入れて、屋根の形にこだわったのが良くなかったのか。
波打ち際からはかなり離れていたはずなのに、大きな波が押し寄せて、2時間をかけた大作は小さな砂の山になった。
「あーあ。だから、言ったでしょ? ボクが作ると完成しないって。」
ほら、見た通りでしょとでも言いたげな狛枝の意見にそうだなと頷くのは何だか癪な気がして、俺たちのしていたことに意味がなかったなんて思わせたくなくて、問いかけた。
「……でも、お前と砂の城を作ってる間、俺は楽しかったぞ。完成できなくても、ああでもない、こうでもないって言い合って何かを作るのお前も嫌じゃなかっただろ」
狛枝は、俺の言葉に一瞬目を見開いた後、自分の胸に手を当てて呟いた。
「……そうだね。完成できなくても、キミと過ごした時間がなくなるわけじゃないもんね。たしかに、ボクも楽しかったよ。でも、日向クンはそれでいいの?」
「……何がだよ。楽しかったなら、それでいいんじゃないのかよ」
わけのわからない南の島で、最初に声をかけてくれた狛枝凪斗という男は、気さくで物腰が柔らかくて、他の誰よりも親しみやすそうな第一印象を与えながら、この島で一番話しづらい相手だった。自分をいやに悪く言うくせに、他人を持ち上げに持ち上げて、そのくせ才能という器しか見ていない。そんなところが明け透けで、気が滅入るのだ。
今だってそうだ。前に話していた幸運や不運の話には、そりゃあ驚いたものだし、狛枝の考え方が少し捻くれていくのも仕方ないと思うけれど。俺が何を言おうと、暖簾に腕押しのような気がするのだ。
「だって、せっかく時間をかけて作ったものが、あんな簡単になくなっちゃったんだよ? ……ボクと過ごしてたら、いつもそうなんだって思ったら、ちょっと嫌気が刺したりしなかった?」
「……なんだ。お前、心配なのか。一緒に過ごすのが嫌って思われるのが怖いのか。」
そのくせ、たまにひどく人間らしいことを言う。寂しさを抱えて生きている。そんな幼い様子をちらりと見せるから、タチが悪い。
「……っ、そんなこと……」
「じゃあ、どんなつもりで聞いたんだよ」
自分で口にしたくせに、わからなかったんだろうか。狛枝は視線を彷徨わせた後、少し俯いて自分の身体を抱きしめた。
「……日向クンの言う通りかもしれないね。ボクは、烏滸がましいことにキミに嫌われたくない、なんて思ってるのかも」
「それって普通のことじゃないか? 誰だって嫌われて嬉しいわけないだろ」
何を当たり前のことを言っているんだろうか、この男は。誰かに嫌われていると思えば、嫌な気持ちになるのが人間ってものじゃないか?
「ボクなんて、好かれなくて当然なんだ。話をまともに聞いてくれる人も最近はめっきり減って、こんなにボクの話に付き合ってくれるのなんて、日向クンくらいなんだよ。……だからかな。ボク、他の人に嫌われるのは仕方ないと思えるのに、キミには嫌われちゃいたくないみたいだ。……こんなの、はじめてだ」
道のわからなくなった迷い子みたいな目が、じっと俺を見つめる。助けを求めるみたいな目つきだった。
「……さっきも言ったけど、俺は、お前と他愛もない話をしながら砂の城を作ってる時間が楽しかったし、砂の城が波に攫われたくらいで嫌気が刺したりしないぞ。別にお前が、頑張って作ったものを蹴り飛ばしたわけでもないし。……お前だって、砂の城、完成させたかったんだろ?」
「……うん。」
「なら、それでいいだろ。嫌われたくないと思うなんて普通のことだし、自分のことを悪く言ってばかりいるお前が、そう思えたのって進歩なんじゃないか」
全員の希望のカケラを集めないと帰ることのできない修学旅行。だから、致し方なく狛枝と話しているのかと聞かれれば、きっとそうではない。俺は、このどうしようもない男が、ときたま見せる人間らしさを見つけるたびに、なんだか放っておいてはいけない気がするんだ。
「……そう、なのかな……?」
狛枝にしては随分と歯切れの悪い返事に「きっとそうだ」と肯定を返せば、電子生徒手帳が希望のカケラが増えたことを知らせる。
「……希望のカケラ、増えてる……」
信じられないとでも言う様子で呟く狛枝に「ほらな、言っただろ」と言えば、きょとんとした顔がふわりと微笑んだ。
「そろそろ、コテージに帰るか」
希望のカケラも集まったし、夕暮れ時に差し掛かっている。そろそろ帰ってもいい頃合いかと言い出せば、狛枝から待ったの声がかかった。
「日向クンは、楽しかったって言ってくれたけど、結局砂の城を半端に作っただけで終わっちゃったし、もう少し楽しんでほしいな。……だから、あそこのモノモノヤシーンを少し回してみてもいい? 砂の城が崩れる不運があったんだから、ちょっとした幸運があったっていいはずなんだ。だから、今ならいいものが出せるんじゃないかなって。」
こんなこと言ってもいいのかなと窺う様子の狛枝に少し可愛げを感じて、そんなに時間がかかるわけでもないだろうしと「いいぞ」と返事をする。
「ありがとう、日向クン。じゃあ、ボク、回してくるね!」
そんな簡単なことで喜ぶのかよ、お前は。
プレゼントを渡すことを受け入れられただけで、嬉しそうにモノモノヤシーンに走っていく狛枝を見ていると、あいつともうまくやっていけるかもしれないな、なんて思う。
チャリンとモノモノヤシーンにメダルを入れる音を聞いていれば、聞きなれない効果音の後、何かを2つ抱えた狛枝がゆっくりとこちらにやってきた。
「なんか、ラッキー?が発生して、1枚のメダルで2つもらえちゃった。それもラムネが2本だよ、ボクってばやっぱりツイてるね! ボク、ラムネは結構好きなんだ。日向クンはこういうの好きかな? ゆっくり持ってきたから、吹きこぼれたりはしないと思うけど……。」
「ああ、俺も好きだぞ。ありがとな」
そう言えば、ずっと砂浜にいたから喉が渇いたような。
差し出されたラムネを受け取って、ぺりぺりと包装を剥がす。ラムネ開けだけを取り出して、少し屈んだ太ももの上に乗せたラムネ瓶にぐっと押し込む。すると、ぽん!と音がして、ガラス玉がラムネ瓶の中へ落ちていった。すぐに手を離すと、炭酸が吹きこぼれるんだったよな。なんて考えながら、数秒ラムネ開けを押し当てていたのをそっと取り去る。もう吹きこぼれる心配はないだろうそれを少し傾けて含めば、鼻を突き抜ける柑橘臭、喉を潤す爽やかさ。
「うまいな。砂浜にいて、思ったより汗かいてたみたいだから、生き返る気分だ。」
これも狛枝の幸運のなせる技か。常夏の太陽が照りつける砂浜で思ったよりも疲弊していた身体に染み入るそれをごくごくと飲んでいれば、同じく瓶を傾けていた狛枝が呟いた。
「……ねぇ、日向クンは知ってる? なんで、ラムネの栓がガラス玉なのか」
「いや、知らないけど……」
思っても見ない問いかけに怪訝そうな顔をすれば、まぁまぁと狛枝がにこやかに笑う。
「ラムネってね、イギリスが発祥なんだ。中に入ってるのはレモネードで、レモネードが訛ってラムネになったんだって。元々はコルクで栓をしてたみたいなんだけど、これ炭酸だろ? だから、コルクだと炭酸が抜けちゃうみたいで。そこで考えられたのがガラス玉で栓をする方法だったんだ。瓶にレモネードを注いだ後に、ガラス玉を置いた場所にひっくり返すと、炭酸ガスの力でガラス玉が吸い付いて栓になるんだって。面白いよね」
「……そ、そうだな……?」
狛枝は、なんでこう言った変なうんちくに妙に詳しいんだろうか。前に乱読派とも言っていたから、本で得た知識なのだろうか。
狛枝の面白いというポイントがイマイチ分からずに、曖昧な返事をすれば、「それでね」と狛枝が話を続ける。
「ラムネの栓をしてるガラス玉は、エー玉だみたいな話、日向クンは聞いたことない?」
「……あー、なんか聞いたことがあるような?」
ラムネの栓をしているのがエー玉で、そこから漏れたのがビー玉だとかなんだとか。昔、祭りの屋台で飲んだ時、そんな話をしている子供がいたような気がする。
記憶を掘り返していれば、狛枝の話が続いていく。
「それって大きく分けて2つの説があるんだよ。一つはビー玉っていうのは、ポルトガル語でガラスの意味を持つビードロから来ていて、ビードロ玉が短縮して、ビー玉になったっていう説。もう一つは、アルファベットのBだってする説だね。炭酸が抜けないようにする栓の役割を果たすガラス玉は、綺麗なものである必要があるから、ラムネに栓ができるほどの綺麗なものをA玉、その規格から外れるような傷があったり、歪なものをB玉って分けて呼んでいて、B玉を駄菓子屋なんかで玩具として配ったのが定着して……ってやつだね!」
「……ふーん。それで、お前は何が言いたいんだよ」
ただ、雑学を話したかったわけじゃないんだろうと狛枝を見やれば、狛枝がうっそりと笑う。
「……ボクはね、アルファベットのBから取ったって説を支持してるんだ。綺麗でその役割を果たせるものだけが選ばれて、ラムネの栓として本来の務めを全うできるんだよ。それってこの世界を表してるよね!なんの気はなしに使っているこのガラス玉だって、選ばれたものだけが、役割を全うできるんだ。生まれた瞬間から、価値のあるものとそうでないものが明確に決まってるんだよ。……だからさ、ラムネを飲むたびに思うんだ。ああ、ボクは数あるガラス玉の中から生き残ったキミの役目を今、終わりにしちゃったんだって。……役目を終えたものなんて捨てちゃえばいいって思うだろ? でもさ、そんな大切な役目を果たせるくらい、綺麗な存在をただ捨ててしまうのはもったいない気がしちゃうんだ。だから、昔からラムネを飲み終わると、ガラス玉を集めてるんだ。」
狛枝の瞳は、先ほどまで話していたときとは打って変わって鈍い光を放っていた。希望と絶望をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、混沌としているからこそ光っているような。黒光りしているとも言えるそれに気圧される。
狛枝とうまくやっていけるかもなんて、とんだ思い違いだったんじゃないか。
そんな気持ちが芽生えて、思わず小さく後退りする。
いつのまにか中身のなくなったガラス瓶の中で、ガラス玉がカランと音を立てる。
「ねぇ、日向クンのも欲しいって言ったら、ダメかな。……キミが役目を終わりにしたガラス玉、ボクがもらっちゃダメかな。」
思わず、音のしたガラス瓶を見つめたとき、穏やかでいて少し震えた声が耳に届いた。
先ほどまでの圧倒されるようなものとは違う人間らしいものに驚いて、狛枝を見やれば、先ほど目にした仄暗い光はすっかりと鳴りをひそめていた。
「……いいぞ、それくらい。ちょうど飲み終わったし。どうせ捨てるんだったら、欲しいやつに貰われたほうがいいだろ」
ガラス玉の取り出しやすい、スクリュー式の飲み口に感謝しながら、きゅっきゅっと何度か捻る。簡単に取り外せた飲み口を持ちながら、ガラス瓶を傾ければ、ころんと綺麗な球体が転がり出た。
「ほら、やるよ」
透明で、綺麗で、傷ひとつないそれを狛枝にずいと差し出せば、人差し指と親指がゆっくりとそれを摘んだ。
受け取ったものをじっと見つめていた狛枝は、綺ガラス玉をそっと持ち上げて、空にすかした。
「……きれいだ」
先ほども聞いた驚くほど、穏やかな声だった。ガラス玉を見つめる狛枝の瞳は、クリスマスプレゼントを受け取った子供のように煌めいていて、そこに仄暗さはかけらも見当たらなかった。
「日向クンからもらうと、なんでこんなにきれいに見えるんだろう」
心底不思議そうな声に、そんな簡単なこともわからないのかと笑う。
「……それは、嬉しいからじゃないのか。誰かから、もらったことが嬉しいと思ったから、いつもよりきれいに見えるんじゃないのか」
ああ、そう言えば。こいつ、きれいなものが好きなんだったっけ。
「……また、ラムネ飲むことがあったらやるよ。好きなんだろ、きれいなもの」
きょとんとした様子の狛枝に続けてやれば、驚きに満ちていた顔は、ゆっくりと崩れていって。いつも見せている、作り物のようなにこやかな笑顔とも違う、ひどくへたくそな笑顔に変わる。
「……ありがとう。ボク、うれしいな」
その表情を見て、思った。
ああ、わからないところも、理解できないところもあるけれど。気の滅入る時もあるけれど、俺はこいつと過ごすのをやめたくないな、と。
「……と、もうこんな時間だね。じゃあ、そろそろ帰ろうか。ボクたちの愛の巣へ!」
「……お前、その冗談なのかわからないこと言うのやめろよ……」
ガラス玉を2つ握りしめて、嬉しそうに歩く狛枝の後をついていく。
狛枝との希望のカケラが埋まる未来もそう遠くない気がした。