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    Kasumi

    @je48q
    ジャンル雑多

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    Kasumi

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    あの椿/椿を贈られる前の年と、受け取った直後の慊人のこと

    【呉慊】あの椿「椿の花は赤い色が綺麗だし、いっぱい咲くところが良いな」
    「ああ、あの椿ですか?」

     目の前の濃紅の椿の木は、開花期を迎えていた。
     縁側に腰掛けた幼い慊人の呟きに、隣で読書をしていた紫呉はのそりと本を閉じた。
     あれも椿、あっちも椿なんですよと、庭の奥を指差して教えてやる。
     そっけなく振る舞ったが、本当は慊人のお気に入りなど把握している。去年の今頃、慊人がこの廊下を通る際、ふふ、と口元を緩めたのを見た事があった。
     男として育てられてきたが、元来女の子らしい感性を持っているようだ。可愛らしい花が賑やかに咲く様子は、いかにも慊人が好みそうだった。
    「ふーん……そうなの?」
     広い庭は趣向を凝らして作り込まれ、椿だけでも何種類も植えられている。
    「花の色は赤から白までありますし、斑入りや八重咲きもある。でも葉っぱの色や形はほとんど同じでしょう?」
    「ああ……、そうかも」
     紫呉の言葉を聞き、慊人は自分はただ<可愛い花だね>とか、<僕も好きだよ>とか、共感して欲しくて話し掛けたのだと気づいた。
     隣にいるのがはとりや紅野なら、一緒ににっこりと笑って、綺麗だねと言って椿を鑑賞しただろう(はとりも真面目ゆえの天然で豆知識を披露してくれたかもしれないが)。
     慊人にとって、紫呉は随分大人のように――どこか距離があるように感じられた。それが紫呉の気の引き方だなんて知る由もない。

     その頃はまだ、慊人と紅野の間に神と酉の絆があった。慊人より年上の十二支達は、皆等しく慊人を大切にしていた。
     紫呉はその横並びから頭一つ抜けたいという願望を、日々抑えて過ごしていた。
     慊人を自分だけのものにしたい。それには何かしらの方法で慊人の気を引く必要があったのだ。
     それは普通であれば格別な優しさや献身だったりするのだが、紫呉はそうしなかった。

     慊人はもやもやとした気持ちで、遠くの椿に目をやった。
     ピンク色、白色、大振りの八重咲き、花弁の縁がフリルになったもの……なるほど花だけ見れば同種の木とは気づかないほど多様だ。どれも綺麗だが、やはり慊人は目の前に咲いている濃紅の一重の椿が一番好きだと思った。
     じっと見ていると、ふいに紫呉の声がした。
    「可愛いね」
    「え?」
     紫呉を見上げると、彼も同じ椿の花を見ていた。遅れて不思議と胸が高鳴りだした。
    「だから、さっきそう言った」
    「そうですね」
     紫呉の機嫌の良さそうな声に、ほっとした。
     先程の慊人は可愛いと言う言葉は使わなかったのだが、二人は細かい事は気にしなかった。
    ――慊人はなんとなく居心地が悪くなってきた。
    「冷えてきたから、僕、もう部屋に戻る」
    「じゃあ、僕も帰ります」
     慊人は部屋に入ったが、閉じかけの襖から顔だけ出して、彼が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送った。
     いつからか、こういう時に紫呉は振り返って手を振ってくれなくなった。
     それなのに、今よりもっと小さい頃からずっと、嬉しい時も悲しい時も真っ先に思い浮かぶ十二支は紫呉だった。



    ***
     掌の一輪を見つめる度、胸の奥が甘く痺れる。
     昨年一緒に見たあの椿の――先程、紫呉から贈られたそのひと枝を、慊人は何度も手に取って眺めていた。

    「あら、慊人さん。それは?」
     突然声が聞こえて振り返ると、いつもの執事長の女性がいた。
    「お返事がないので、眠ってしまわれたのかと入室させて頂きましたよ」
     胸も頭もいっぱいで、呼び掛けに気が付かなかったようだ。
    「あ、これは……紫呉がくれて」
    「まあ! やっぱり十二支は慊人さんがお好きね。花瓶を用意させましょう」
    「……うん」
     途端に心に冷たい空気が吹き込んだ。
    (そうか、そうだよね、十二支は僕の事が好きだよね――)
     喜ばしいはずなのに、無性に寂しい。こんな気持ちは初めてだった。
     もう一度、思い出してみる。好きですよ、と言ってくれた紫呉の顔を。
    (そう、僕は紫呉が好きだし紫呉も僕が好き、知ってる)
     掻き立てられるような胸のざわめき。温かいのに落ち着かない。

     程なく持ち込まれた瀟洒な硝子の一輪挿しに、そっと枝を浸した。
    (ずっと、このまま、変わらずに……ここで咲いていてくれないかな)
     枯れてしまう事なんて知っている。
     それでも幼い胸で、そう願った。



    おわり
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