君の夢(二)1の後、過去の知り合いに遭遇する話慊人と紫呉が、街中で慊人の昔の知り合いに出会う。
※オリジナルキャラクターが出ます。
※色々設定捏造してます。
(書き終えたはずのシリーズでしたが、少し追加です。あまり推敲できていないので、クオリティ問わないよって人向けですが、よろしければどうぞ)
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「彼女」は背中の真ん中の辺りまで伸びた髪をヘアクリップでさっとハーフアップにまとめると、一息ついて周りを見渡した。大通りに面したカフェのテラス。日差しは強くなってきたが、大きくせり出したオーニングのお陰でその席は快適だ。
ホットとコールド、どちらにしようか迷う季節。今日はアイスティーにして正解だったな、と良い気分で迎えの者からの連絡を待っている。
行き交う人々を眺める。黒髪のショートヘアを見かける度に、一瞬目を止めるのが癖になっていた。
彼女には忘れられない人がいる。
中学校の同級生で、「彼」は家柄もよく容姿端麗、静かで控えめなため近寄り難いが、話しかければ笑顔で返してくれる。
休みがちだが成績上位という噂。体が弱いのだけが欠点に見えた。
不謹慎だと自覚しつつ、それすらも儚げな美しさを際立たせる一因のようで、欠点には感じられなかった。
しかし確かに、彼の爽やかで健気な印象のなかに、ほんのひと匙の毒を感じていた。
草摩慊人という少年は、今も彼女の心の隅にひっそりとたたずんでいる。
デパートを後にした紫呉と慊人は、綾女が営む店の近くを歩いている。
「暑い」
「予報だと今日はまだまだ気温が上がるみたいですね」
時折涼しい風が吹き抜けていくから幾分過ごしやすい。初夏らしい陽気だ。
「日傘を持つのも嫌だけど帽子も嫌」
慊人は被っていた帽子を少し持ち上げて髪に風を通し、浅く被り直した。
「文句が多いな〜」
「紫呉が日傘を持ってくれれば済むのに」
「召使いじゃないんですから。何でした?」
「え? 何って?」
「僕とぉ? 慊人さんはぁ?」
「は? ……あ、えっと……」
「なになに?」
「しつこい、この前も言わせたじゃない」
「何回言っても減りませんよ」
「減る」
「何が?」
「気持ち……? ……とにかく、何かが」
軽口を叩きながら歩く。
慊人は不機嫌に紫呉を見上げたが、紫呉の顔を見たらやっぱり彼が好きだと思えてならず、なんだか可笑しくなってきた。
「恋人、なんでしょ。僕と紫呉は、恋人」
勝ち誇ったように慊人が言った。
「なんですかなんですか、今までは恥じらってそう言ってたのに。開き直っちゃいました?」
「ねえ、紫呉。もうすっかり大人なんだから落ち着いたら?」
「はーい。可愛い恋人の忠告は聞かなきゃね」
その瞬間、強い風が吹き、慊人の帽子が宙に舞った。
ふわりと数歩先に落ちた帽子を拾い上げると、目の前のテラスに座る女性と目があってしまった。女性は信じられないものを目撃したかのように、呆然と慊人を見つめていた。
「……失礼します」
慊人は一言そう添えてすぐに歩き出そうとした。
彼女の表情に一瞬で違和感を持ったし、どこかで見た顔のように思った。
思い出せない。嫌な予感とまではいかないが胸がざわつく。
すぐに立ち去った方が良さそうだ。そう思ったが、彼女に呼び止められてしまった。
「あの! ……あの、あなたはもしかして」
「……私ですか?」
無碍にしてトラブルになるのも困る。過去に深く関わった覚えはないが、一体誰?
「はい、あの、もしかして、あなたは……」
彼女の表情からは恨みや憎しみなど感じられなく、むしろーー。
「やだっ、もしかしてファン?」
同じく敵意がないと感じ取った紫呉が口を挟む。
「えっ……ちょっと、」
「ファン……? ああっ、ファンかもしれません!」
「………………え?」
彼女は中学の頃の同級生だという。
慊人は共学の私立校へ通っていた。草摩の財産を狙う悪い虫がつかないようにと一族の大人達は男子校を薦めたが、慊人と慊人の性別を知るごく一部の人間達で色々と考慮し、共学校を選んだ。
彼女が名乗った苗字に、慊人は覚えがあった。その珍しい苗字は、確かに慊人の同級生たる名門一族のものだった。
「ごめんなさい、失念していて」
同級生の彼女は、そう詫びた慊人の顔に、声に、つい惚れ惚れしてしまっている。
涼しげに整った顔立ちは相変わらず美しい。
(素敵だな……こんな風に成長されていたのね……はっ! そうじゃなくてっ!)
「女性だったんですね……やっぱり。あの、私の事は覚えてなくて結構です、私は目立たないし! どうして男のふりしてたかとか聞きませんから安心してください! 複雑な都合かもしれないし!」
どこか透のような感じ。
似ている訳ではないが、真面目でお人好しな人柄が分かってしまうこの感じ。
「……ごめんなさい、嘘をついていて。理由は家の都合です」
性別が世間知れた時は、心配するふりをした興味本位あるいは縁談の画策のために、一言も話した事のない元級友という人々からも盛んに問い合わされたものだ。
騙していたのはこちらの非に違いないのだから、詫びて理由を説明する責任はあった。
要らぬ噂の種にならぬよう、簡潔に堂々と答えてきた。
彼女に深く質問されたらある程度は答えなければと身構えたが、彼女は安堵した顔で胸を撫で下ろした。
「実は私、昔から……草摩さんの事……女の子なんじゃないかって思ってたんです」
彼女は辿々しく話し始めた。
彼女は初等部から慊人と同じ学校で、同じクラスになったり、さらには同じ班になったりと偶々近くで接する機会が多かったのだという。
「あの、実は……謝りたい事があって、少しだけ二人でお話するお時間をいただいても……?」
「どうぞ」
紫呉は数歩下がった。
入学時から慊人は欠席の方が多く、中学に上がる頃には滅多に登校しなくなった。
それでも登校すれば、休み時間には同様に初等部から上がってきた顔馴染みと、付き合い程度に会話していた。
彼女は単純に慊人の美しさに魅かれてつい目で追っていたのだが、人の機微に気づきやすいところがあり、もしかして……と思うようになったのだった。
慊人が久々に登校したある日、彼女は慊人が以前よりも艶やかな印象になったような気がして一目見ただけで鼓動が大きく高鳴った。
しかしそんな風に感じたのは彼女だけだったのか、数人の馴染みの男子生徒達が慊人を囲んで雑談を始めた。
慊人に、こいつとうとうカノジョ出来たんだよ、この前、草摩くんにも言ってたじゃん、あの子と、などと近況報告。
休み時間で教室に人はまばらだった。彼女は借りた本を早く返さなければと、一人、席で読書しながらちらちらと慊人を見ていた。
すると、誰はカノジョと手を繋いだだの、誰はカノジョの部屋に行った事があるだの、どうしたらキスに持ち込めるかだの、そういう話をし始めた。
名門校といっても年相応の会話だってするものだ。
「やっぱり雰囲気づくりじゃん?」
「どうやって?」
「とりあえずこう、抱き寄せてーー」
しばらくこの話は続きそうだ。彼女は居心地が悪くなり、席を外そうとすると、ガタンと大きく机を揺らす音が鳴った。
「あ、ごめん、ちょっとびっくりして」
慊人が綺麗な笑顔で隣の男子にそう言った。
「悪い悪い、こっちこそ突然触ってごめんな、具合悪くない?」
「うん、大丈夫。そこまで病弱じゃないよ」
どうやら慊人を彼女に見立て、隣の男子が抱きつく真似事をして、慊人が振り払って机にぶつかったらしい。
「それにしても本当細いよな、女みたい」
別の男子が慊人の腰の辺りに手を回した。
「ちょっと女役頼むわ! イメトレさせて!」
「おいおい、草摩の跡取りにそれはないだろ」
「はは、ちょっと僕には力不足だよ」
慊人は腰に回されたままの手を、戯れ合うようにパシンと軽くはたいてやめさせた。
「草摩くんが女の子だったらほっとかないのに、男なんだもんなぁ」
「いやマジで女子って言われたら信じるレベルだよな」
「何いってるの。恥ずかしいな、男らしくなくて」
「褒めてんだよ」
「そう? ありがとう」
微笑んでみせた慊人の顔は、きっと彼らにはいつも通りに見えたのだが、彼女にはそうは見えなかった。
かと言って慊人の気持ちを推し量ることも出来ず、その出来事は彼女の胸の奥底に残り続けた。
笑顔の中に、一瞬強い嫌悪感を感じたーー慊人の人当たりの良さに、なにか作り物のようなものを感じた。
そしてそれは、その時が初めてではなかった。
ああ、そうか、その完璧に美しい微笑みは、これ以上踏み込むなという警告みたいに感じられるのだ。
彼女はその出来事を、慊人に話せる範囲で話した。
「もしかしてって思ってたのに、気づいてたのに何もしてあげられなくてごめんなさい。何か協力できる事があったかもしれないのに……」
慊人は彼女がその場にいたのを覚えていないが、その件には覚えがあった。
こんな風に十二支達も外の世界で抱き付かれてるのではと心配で嫌悪感に襲われた事を覚えている。
その頃の慊人は、テスト期間中の体調のいい日ぐらいにしか登校しなかったから、機嫌よく振る舞う事が出来ていた。
初等部からの顔見知りだっていた(教師の信用を得るために友人ということにしていた)。
気のいいやつも、草摩だから近づいてくるやつも。
あの頃、慊人は十二支以外の存在に興味がなかった。
そんな慊人の事を心配してくれている人がいた。
彼女がなぜそんなに気にしてくれていたのか不思議に思いながら嬉しい。
それと同時にその温かい視線に気がつかなかった事が悔しくてならない。
「本当に本当に、今更ごめんなさい、こんな事言われても困りますよね……」
彼女はそう言うと、
「すみません、終わりました!」
と紫呉に呼び掛けた。
「草摩さんが女性だって明かす事が出来て、彼氏さんと……あっ! 草摩さんって、今、草摩さんですか?!」
「え?」
「か、彼氏……? 旦那さん……?」
紫呉が耐えかねて吹き出した。
「どっちに見えます?」
「困らせないで」
慊人が慌てて割り込んだ。
「正解は、彼氏ですよ〜」
「ああっそうなんですね! じゃあ今も草摩慊人さんですね!」
心から喜んでいる彼女を見て、慊人は素直に嬉しくなってしまう。
「草摩さんが女の子として、彼氏さんと幸せそうなお姿を見て安心しました。良かったぁ……!」
心からそう言ってくれる人に慊人は驚く。
現在の仕事中心の生活の中、利害の衝突や嫌な人間関係に悩まされるばかりだからなおさらだ。
「そっかそっか、慊人さん、ちゃんと友達いたんじゃないですか!」
それまで大人しくしていた紫呉がからかいモードに。
「ねえねえ、なんか慊人さんの学生時代のやらかし教えてくださいよ、あ、良かったらお茶でも? てゆうかお茶してるところでしたね、邪魔してすいませんね」
「よろしければ喜んで、と言いたいのですが、お迎えがそろそろ参りますので」
「慊人さん、連絡先知ってます? 連絡先交換したらどうですか?」
「紫呉、そういうのは」
やめて、と言いかけたが、
「……あの、あなたさえ良ければ、連絡先……を……」
「あっえっ気にしないでくださいっあの……えっと……じゃあ?」
引っ込み思案な彼女と、壁を作って友人を作る事が出来なかった慊人が、めでたく連絡先を交換した。
「ありがとうございます。じゃあ、またいつか」
「はい、きっといつか」
連絡なんて取り合わないかもしれない。
この日限りかもしれないが、きっと互いに記憶に残る。
慊人の心の支えになるし、彼女も胸のつかえがおりたし、どちらにとっても勇気や自信に繋がる。
思えば女中の中にも心からの善意で慊人に優しくしてくれる人もいた。
そういう人はいつの間にか左遷されていたり、中核には登ってこない。
過去に紫呉に何度か言われた事があるーー外の世界にも君を思ってくれてる人はいるよ、と。
そんな真っ当な声も慊人には届いていなかった。
何もかも、ただひたすらに悔しい。
幼かった由希に声を掛けたクラスメイトだって、ずっと由希を心配していて、やっと声をかけたのかもしれない。子供の気まぐれだとしても。
きっと、由希が知らないだけで、由希と下心なしに仲良くなりたいと思っていた子はいたはずだ。
謝ったって由希も、十二支のみんなも、何も取り返す事が出来ない。
慊人は今はただやるべき事をして、いつかみんなに謝れる自分になるしかない。
謝る事が目的じゃない。
許されるとも、許されていいとも思わない。
謝罪、後悔、償いーーそのためだけじゃない。
みんなの優しさと真っ直ぐな心に、今からでも何か与えられるとすれば、草摩のしがらみのない未来を作っていく事しかない。
彼女と別れて再び二人で歩き出す。
「御当主と御付きの者、には見えなかったみたいですね?」
それは慊人にも嬉しい事だった。
「紫呉がうさんくさかったからじゃない? 通報されなくてよかった」
「ひどいなぁ。あ、そっち曲がります」
紫呉がそっと慊人の腰に手を添えて促した。
「ところで彼女、なんで慊人さんの話知らなかったんでしょうね。女だって噂すごい速さで広まったのに」
「……なんか、すごく天然そうだった」
きっと彼女の周りにも金銭や権力の争いはあるだろうが、全ての名家が草摩のようになっている訳もない。
今見たのは彼女のほんの一面に過ぎないが、それでもあんな風に穏やかに生きる環境を、草摩にも作ってあげられたらと慊人は改めて思った。
「ね、いたでしょう?」
「え……」
紫呉も昔慊人に言ったことを覚えていたのだろうか。
「うん、……いたんだね」
「という事であーやも慊人さんの事見守ってくれてるんですよ、行きましょう」
最後の一言は流石に丸め込まれているだけのような気がするが、慊人は紫呉に着いて行った。
おわり