ひゅんぽぷ捕物帳〜お江戸に咲いた恋の花〜花のお江戸は八百八町。
「てぇへんだてぇへんだー!」
今日も岡っ引きポップの声が騒々しく響いていた。
***
ポップはヒュンケルお奉行のお供をして、江戸の町の巡回視察に出かけていた。もちろん、ヒュンケルがお奉行ということは秘密で、ここいらでは遊び人のヒュンさんで通っている。
遊び人に扮したヒュンケルは、どうということもない着流しに三度笠という至って洒落気のない出立ちなのだが、なぜか物凄く決まっている。
ポップがヒュンケルと連れ立って歩くと、町娘が振り返り、顔を赤くして何事かヒソヒソと言いあい、キャーと黄色い声をあげるのが常であった。
暫くして、剣術師範のバランの屋敷を通りがかった。
「ポップ!ヒュンさん!」
「おお、ダイ!」
バランの子息ダイが2人に気づき、声をかけてきた。
ポップとダイのじゃれ合う様は仔犬のようだ。
ポップ一家の住む長屋は道場にほど近く、2人は幼馴染であった。
「あっ、父上!」
ダイの父バランが門人とともにやって来た。
ヒュンケルの正体を知っているバランは、黙礼する。
ダイに向かって、
「パプニカ藩のレオナ姫が父君の名代で江戸に上られるそうだ。わが一門はその警護を命じられている。気を緩めるな」
「はい。父上」
ダイは尊敬する父を見上げ嬉しそうに答える。
「じゃあ、おれ稽古があるからいくね」
「おう、がんばれよ」
ポップは笑顔でダイを見送った。
視察は滞りなく終わった。
ヒュンケルはポップと別れて屋敷に戻り、庭に佇んでいた。池に泳ぐ鯉をじっと見つめている。
「お奉行」
背後に片膝をついた隠密の姿。気配は微塵も感じられなかった。流石だ。
「マァムか」
水面を見つめたまま言葉をかける。
「はっ」
「どうやらきな臭い動きをしている輩がいるようだ。レオナ姫の警護はバランに任せれば大丈夫だろうが…それとなく探ってくれ」
「御意」
マァムは消えた。
その頃、江戸の町では。
「今回こそお奉行の役に立ってみせるぜ」
ポップが鼻息を荒くしていた。
ポップは仕事ができて男気のあるお奉行を密かに慕っていた。自分やダイを気にかけてくれる優しいところがあるし、なんといっても格好良い。奉行所での裃姿も良いが、今日のような遊び人の風体でも、周囲の反応はあの通りだ。
「まずは情報集めだ」
ポップは「わ組」と書かれた暖簾をくぐった。
「おぅ、ポプの字。親分なら奥にいるぜ」
「ありがとよ」
勝手知ったるとばかりに上がらせてもらう。
「おっさん、邪魔するぜ」
「おおポップ。どうしたんだ」
大柄な男が親しげな笑顔を見せた。
町火消しわ組の親分、クロコダインだ。
荒くれ男どもをたばねるクロコダインは、意外にも博識で、仕事柄江戸の町の情報にも通じている。
ポップの事を気に入り、何かと便宜を図ってくれていた。
「ザボエラ屋か…何かと黒い噂があるな。お代官のハドラーと結託して、なにやら悪巧みをしていると聞くが…なかなか尻尾は出さんようだな」
「そっか、助かったぜ、ありがとよ。」
ポップは思案した。
「一筋縄ではいかねぇか…気は進まねぇが…こうなったらあの手を使うしかねぇな…」
***
「御隠居」
「おうヒュンケル」
ヒュンケルが訪ねた時、マトリフはブロキーナと囲碁に興じていた。
「ご無沙汰しております」
マトリフは幕府の要職を退いて半隠遁生活を送りながら、好きな研究を続けている。ブロキーナも分野は違えど似たような立場だ。
この老人達に、ヒュンケルは折に触れ知恵を拝借しに訪れている。マトリフの好きな酒を持参したので、今回も有益な情報を得られそうだ。
嬉々として受け取りながら、
「そういやおめぇんとこの目明し、ポップとか言ったか。お前の役に立とうとやっきになって、なんだか無茶してるみてぇだが。怪我しなきゃいいがな…面倒見てやれよ」
マトリフが言った。
「ご忠告痛み入ります」
ポップが…。いつも無茶はするなとあれほど言っているのに。ポップがヒュンケルを慕うのと同様に、ヒュンケルも、このお調子者だが可愛らしいところのある部下を、憎からず思っていた。
帰路についたヒュンケルは、マトリフから得た情報と、探索から戻ったマァムの報告を総合し、
「やはりバーン藩の手の者か…」
鋭い眼で独り言ちた。
***
薄暗い茶室で、豪商ザボエラ屋と代官ハドラーの密談が行われていた。
「あのレオナとか言う姫、年のわりになかなかの切れ者という」
ハドラーが忌々しげに口を開いた。
ザボエラがハドラーの盃に酒を注ぎながら答える。
「あやつを亡き者にすれば、藩内にワシの息のかかったものがおります。さすればパプニカの宝飾品を横流しして、大儲け。ハドラー様には便宜を図っていただく見返りに…」
「そちが手に入れた外つ国の武器が我が藩のものというわけか。バーン様もお喜びになる」
「そちも悪よのぅ」
「お代官様こそ…」
ふっふっふ、はっはっは…
「そこまでだ」
闇の中から低い声が響いた。
襖がカラリと開く。
「悪巧みしかと見せて貰ったぜ」
「何者だ!」
「名乗るほどのものではない」
不敵な笑みを浮かべるヒュンケル。
寛げた着流しの襟元から覗く逞しい胸に、キラリとギヤマンのような輝きを持った石細工の首飾りが光った。
「くっ、曲者!」
「ものども、であぇー」
男達がヒュンケル取り囲んだ。
「やめておけ。怪我をするぞ…」
男達はジリジリと間合いを詰めてくる。
「どうやら口で言ってもわからんようだな」
ヒュンケルはギラリと眼を光らせ、鯉口を切った。
ヒュンケルの剣技の前に男達は次々と倒れ、あっという間にその場に立っている者はヒュンケル、ザボエラ、ハドラーの三者のみとなった。
ヒュンケルが二人に迫ったその時、
「おい、そこの野郎!」
ドスの効いた声が響き、反対側の襖が開いた。
「こいつが見えねぇか」
「ヒュンケル、すまねぇ。ドジふんじまった…」
「ポップ!」
後ろ手に縛られたポップが、大男に引き立てられてきた。
「こんな事もあろうかと捕らえて生かしておったのじゃ。こいつ我らの尻尾を掴もうと、町娘に化けてハドラー様に色仕掛けをしおったのだ。ワシの目は誤魔化せぬがな」
ザボエラが嘲笑した。
ヒュンケルはカッと目を見開いた。
「ポップが町娘に…!」
「じゃがこやつなかなかかわゆい顔をしておる。男にしておくのはもったいない。連れ帰りバーン様の慰み者にしてくれようか」
ヒュンケルの顔が歪む。
「やめろ…!」
「ヒュンケル、おれのことはいい!こいつらふん縛ってくれ!」
ポップが叫ぶ。
「黙らんか」
男がポップの腕をねじ上げる。
「うああっ…」
苦しそうにうめくポップ。
「ほぉなかなか良い声をあげるじゃねえか。それにこの肌…。お代官様、こいつ味見さして貰ってもいいかい。役得ってことでさ…」
「ふん、好きにするがいい」
「そうこなくちゃ」
男が好色そうな笑みを浮かべ、ポップの胸元と絡げた裾に手を差し込む。
「あ…、やだぁっ」
「…!」
ヒュンケルの眼が怒りに燃えた。
その時だった。一陣の風が吹き、一条の槍が男の腕を貫いた。
「いまだ!舞羅津出衣須久裸伊怒!」
ヒュンケルの剣が唸った。
瞬間、弾かれたようにポップはヒュンケルの元へ駆け出した。
「おまえ達…許さんぞ…」
ヒュンケルの体から殺気が立ち上っていた。
「ぐぬぬ…」
ハドラーは歯噛みした。
「退くぞ!」
***
「ポップ、大丈夫か」
ヒュンケルが戒めを解いてやると、
「お奉行…おれ…」
潤んだ瞳で見つめてくる。
手首には痛々しい痕がくっきりと残り、白い肌が赤みを帯びていた。
「すまねぇ。お奉行の役にたちたかったんだ…」
「バカなことを…」
ヒュンケルはポップの手をとり、癒すようにそっと唇を寄せた。
「…おまえが傷つくのは見たくない」
「ヒュンケル。怖かった…怖かったよぉっ」
ポップはヒュンケルの胸に縋りつき、ぽろぽろと涙を零した。
「もう、大丈夫だ」
ヒュンケルはポップを抱き寄せ、落ち着くまで、優しく背中を撫ぜていた。
しかし、さっきの槍は一体…。
放たれた方向を見やると、長身の男。傘の中から見覚えのある瞳がこちらを見つめていた。
「やはりお前か、ラーハルト」
バランの門人にしてヒュンケルの盟友、槍使いのラーハルト。
ニヤリと口の端を上げ、
「一つ貸しだぞ」
と告げると、風のように去って行った。
***
数日後、奉行所では裁きが行われていた。
白洲には、ハドラーとザボエラが引き立てられている。ヒュンケルが罪状を読み上げる。
「はて…覚えがありませんな」
白を切るハドラー。
「お奉行様、とんだ濡れ衣でございます」
ザボエラも口裏を合わせる。
「まだ白を切るか…おう、この「ぺんだんと」見忘れたとは言わせねぇぜ」
ヒュンケルは片肌を脱ぎ、胸元にキラキラと光る雫を見せつけた。
「お、お前は…!」
ハドラーとザボエラは、驚きに眼を瞠った。
「ザボエラ屋、ハドラー。財産没収の上江戸所払いを申し付ける」
「ははー」
二人は平伏した。
「これにて一件落着!」
***
さて、名代の務めも滞りなく終わり、レオナ姫はパプニカ藩に戻ることになった。
その前に、自らの危険を顧みず捜査を行い悪事を暴いてくれた、命の恩人とも言えるヒュンケル奉行とポップに一言礼を言いたいと、奉行所へやってきた。
「姫様。あれに見えるがヒュンケル奉行とポップでございます」
レオナが見ると、ヒュンケル奉行は、優しげな、だが熱のこもった視線でポップを見つめていた。ポップは視線に気づいた様子だが、顔を赤らめ慌ててそっぽを向いている。
「ねぇ。あの二人って…」
二人を見つめるレオナ姫の瞳がキラキラと輝いていた。