善友の手を握る「「うおーー!!!」」
その意気を発散させるかのように、チップ・ザナフと御津闇慈の同調した熱い喚声が辺りに響く。
「うおー……」
そして、こだまするにはあまりにも貧弱な歓呼を上げた名残雪。
だが、それは奮戦後に残る恥辱の嘆きとは一風異なることを、名残雪本人も自覚していた。
「……」
和装の青年二人に押し負けたのは己の力量不足と理解するが、それでも名残雪の中で猜疑は残る。
「半信半疑って所かい?」
仮面の下の表情。いや、心中を察したのか、絶扇を綴じた闇慈が、未だ地に膝をつけている名残雪に手を差し出す。上手からの手が意味するのは、勝者の余裕や情けでもないのは明らか。だが、名残雪は拳を握り、手を取るのを躊躇った。
「信用して良い。--と箔をつけたところで、出会って間もない俺の言葉だ。疑心暗鬼になるのも無理はねえ」
「重々承知の上だ」と付け加えながら、闇慈は自分の言葉に頷いた。
「でもな、大将は馬鹿正直で、裏表なんかねえのは確かだ。俺はそこが気に入ってる」
横目でチップを見遣り、そして懐かしさに酔うように笑みを含む。
「俺だって最初は、ただの物珍しさからちょっかいを掛けられたと思って、追い払ったり、逃げ回ったもんさ。なのに、アイツは何度だって立ち上がった。挑むのをやめなかった」
絶滅危惧種--日本人の生き残りとして、何処に行こうと好奇の目に晒される。チップも興味本位で絡む人間のだと思っていた。と、闇慈は出会いを思い出しながら語る。
「あまりのしつこさに聞いたんだ。『俺に何の用だ』って。そしたら、アイツ、真顔で『友達になりたい』って啖呵を切りやがった」
「ああ、コイツは馬鹿だと思ったぜ」と、本人の傍で。声が届きそうにも関わらず、悪びれることなく闇慈は笑った。しかし、嘲笑とは違う。その朗笑に気付き、名残雪は面を外して闇慈を目視する。
ホタルガラスのように澄んだ碧眼に見据えられた闇慈は、一旦笑むのをやめ、先を続けた。
「なのに、どういう訳か憎めなかった。むしろ、悪意も殺意もないのに、強い意志がある勝負の方が、戦ってて遥かに清々すると気付かされた」
剣を、拳を交える死闘の理由は、その殆どが相手を憎む心。憎悪、嫌悪、怨恨……それらが力の糧になることはあっても、昇華されることなく遺恨が足跡のように続き、積もる。
己の正義を貫こうとする者、純粋に強さを追い求める者でも、やがて勝敗に固執するのだが--
名残雪は、先の闘いで感じた、闇慈とチップの闘気を思い出す。
「アンタがさっき感じた”恐怖”ってのは、そういう類のもんだろ?」
恐怖と言葉にしたが、実際には慄然する程の畏怖を抱いた訳ではない。ただ、未知のモノに対する警戒に近い。そしてそれが、今まで刀を交えた相手になかった気迫--損得勘定のない、純真で無垢な者だけが成せる決闘。ただの戯れでもなく、あれは鞭撻だったのかと、名残雪は漸く了知する。と同時に、疑点を問う。
「……何故お前達は友達作りに拘る? 俺にはそれが理解できん」
名残雪の言葉に闇慈は差し出していた手を下ろし、そして相手と同じように片膝を地に付け、視線を合わせた。黒く、だが光が当たれば琥珀のように滑らかな艶を伸す瞳。名残雪は闇慈の眼に、チップと同等の愚直さを感じていた。
「アンタ、最後に笑ったのはいつだい?」
投げかけられた問いに、名残雪は思わず「何のことだ?」と聞き返す。
「独りでいることに慣れると、笑う機会も減っちまうだろ?」
闇慈は問い掛けながらも、緩く笑んでいた。いつかの自分も、目の前の名残雪と同じような時期があったことが、ただただ懐かしかった。
真理を求め、育った地を離れて海を渡った。信念こそ燃え尽きなかったが、人との繋がりが軽薄になるにつれ、己の心も褪せていくのを感じていた。--そんな時に、チップと出会い、今に至る。
「一緒に馬鹿やって、笑える相手ってのは渡り者にとっては貴重なもんさ。違うかい?」
国を持たず、身寄りのない者にとって、拠り所にできるものは少ない。
ならば、作ればいい、と闇慈はもう一度名残雪に手を差し出した。今度は高みからではなく、同じ視線で、相手を迎えるように。
「……お前は笑う為に、友を作るのか」
闇慈の顔と手を一瞥して名残雪が呟けば、闇慈は悪戯っぽく笑って「少なくとも、俺はな」と応えた。
「もちろん、笑う為だけじゃねえぞ? 悲しんでいたら、一緒に泣いて慰める。間違っていたら正してやる。そういうのも友達の務めだって、俺は思ってるぜ?」
それが闇慈の求める友であり、信頼を置く為の条件。
「まあ、深いことは考えずに、気楽にいこうや」
今度は促すように、闇慈は差し出した手を相手に近付ける。名残雪も、再三誘致する手を無視することも、無下に払うこともできず、拳を解き、手を重ねた。
自らを戒めて封じてから、生身の人間の手と触れ合うのが久しく、名残雪は温もりに何かを思い出す。
「少しずつ俺達のことを知ってくれれば、それで良い」
そして、闇慈は名残雪に笑い掛ける。
「これだけ大見得切ったんだ。後悔はさせねえよ」
破顔⼀笑。屈託のない笑みに、絆される。
「--ああ。期待している」
友の隣で笑う日が来ることは、そう遠くはないのだろうと名残雪は思いながら答えた。