青岩 夜明けが、くる。
目を覚ますとベッドの脇には誰もいなかった。覚醒した身体は気怠かったが何のことはなく、ベッドを降りて壁に嵌め込まれた窓を覗くと、とろけるような光の線が街の輪郭を縁取るのが見えた。
ほかの多くのゆる神がそうしているのと同じく、青森の寝床も青森県庁の庁舎内に神域を設けて存在している。
福島などは県庁よりも会津城に居を構えている様子だが、基本的にはみな県庁だし、そもそも――自県に居るはずだ。
寝息のするほうへ、ゆるりと視線を巡らせる。その丈では到底足り得ないだろうブランケットを被り、長い手足を縮こまらせてソファで寝入るモノがいた。
大きな図体ながらあどけない顔で静かに眠るゆる神を岩手と言った。
こいつもゆる神である以上、本来は岩手県の盛岡市は県庁建物内で寝起きしているはずなのだが、数日前からこうして青森に付き添っている。
「……」
陽の光が高くなり、窓辺で佇む青森をやわらかな光が包む。
光に縁取られ静止した輪郭に、急にノイズが走った。遅れてその箇所がぎゅうと痛む。
息が乱れ、ふらりとよろけそうになるのを、窓枠に掴まることで回避した。息が次第に苦しくなり、自らの呼吸音が大きくなるのを聞きながら、穏やかな寝顔を見下ろしていた。
目を覚ます。肌に絡むような熱気を感じて眉を寄せた。覚醒した途端、空咳が出る。折り曲がるように丸まると、そばにいた影がのそりと振り返った。
「青森、起きたの?」
ゲホゲホと咳をしていると長い手が背中に回ってくる。あやすような労わるような、慣れない手つきが背中をくすぐった。
呼吸が整い押しのけるように腕を突っ張ると、素直に手のひらは帰っていった。入れ替わりに差し出されたペットボトルを受け取りながら体を起こした。
「寝るときくらいはマスク外したら?」
「いい、慣れている」
「そう……」
事実普段からそうしていたのだが、岩手はじっと疑い深く青森の目を見返した。癪なので見返しているとふと目が逸らされる。
それからも、岩手は青森の神室に入り浸っていた。
お前のところに居なくてもいいのかと訊ねても今はいいんだと言い張り、かつ青森が体調を崩したのを見せてしまうとまめまめしく寄ってきて面倒を見たがるので、青森も戻れとはあまり強く言えなくなってきてしまった。
何より、青森自身の体調が芳しくなかった。
はじめは日に何度か軽くあっただけの動悸や輪郭の揺らぎ、痛みを伴うノイズが、繰り返すうちどんどん間隔を詰めて襲ってくる。
職員とのやりとりすら繕えなくなってきた。
青森をベッドに閉じ込めて、岩手が身の回りのことを今まで以上にやり出した。……たいがい一度は失敗していたが。
県のデータを調べさせて、青森は静かに目を閉じた。
例年にないほど落ち込みつつある漁獲量。そのほかのデータにも影響を及ぼした遠因――深く考えなくともわかる。どうしたって青森の体調不良の原因は、闘技場のハッキングに端を発していた。
鳥取・福岡・北海道が選出された鳥取陣営と東京の戦闘中にシステムを探った折、青森だけが返り討ちを受けた。直後はわずかなノイズと痛みは走ったものの、耐えられないほどではなかった。しかしそれは確実に日々強くなり、青森を蝕みつつある。発作が酷くなっていくこと、青森の体調に合わせて県産業が悪化してゆくこと、悪化する県情勢に沿って人口が流出する事。最悪の連鎖が生まれ、状況は深刻化していた。
体調悪化に苦しむ本人さえその事実に気付いたのだから、そばで診ていた岩手にも理解できていただろう。この男はある日から青森を県職員とも会わせないよう動いていたのだから。
「お前はまだ戻れる」
すでに隘路に両足を突っ込んだ青森は、ノイズの走らない隣神にそう言うのだが、岩手はまったく引かなかった。あるいは、青森のことばを聞く前にそう決めていたのかもしれなかった。
「戻らないよ」
零時に近づく針を睨みつけるように、岩手は短く言った。
夜明けが、くる。
ながくても、ながくても、気が遠くなりそうなほど堪えても、けっきょく夜明けはいつだって来てくれた。
岩手は暗闇のなか青森の荒い呼吸に耳を凝らして、冷たい水を用意しながら、つめたいみずたまりをつくりながら。
朝の柔らかい光が、青森を縁取るときを待っていた。
どうか、終末時計がゼロを指す前に。