2021.3.14(ホワイトデー) カブさんの家に着く頃には、辺りは暗くなり始めていた。 今日は久々の超快晴で、まさしくティータイム日和ってやつだった。気候もポ カポカと春めいて、道端の花も蕾を膨らませていたぐらい。日中全身で太陽光を浴びたせいなのか、夕方になっても木漏れ日の暖かい匂いが服や髪に残っている気がする。それからケーキやチョコレートの甘い香りと、いろんなフレーバーの紅茶の香りも。ほんとに珍しいメンバーだったが、幸せなひとときを絵に描いたような一日だった。まったく、カブさんもいい企画をしたもんだよな。
「楽しかったですね、ティータイム」
リビングのソファで寛ぎながら、オレはカブさんに話しかける。カブさんはオレのグラスにビールを注いでくれていた。オレ用に常備してくれている、常温のエール・ビールだ。
「うん、とても。みんな喜んでくれてよかったよ。キバナくんも手伝ってくれてありがとう」
オレも倣ってカブさんのグラスにビールを注ぐ。そっちはホウエン流のキンキンに冷やしたラガー・ビール。
「お易い御用です。オレもめちゃくちゃ楽しかったですし。ってか、ホワイトデーって初めてしました」
「そっか、ガラルにはないんだったね。ホワイトデー」
「そうそう」
ホウエンではバレンタインへのお返しの日があって、それがホワイトデーなるもの、らしい。ガラルじゃバレンタインはバラやチョコを同じ日に送り合うだけだから、異国の習慣は結構新鮮で面白い。それに義理堅いっつうか生真面目な地方柄の習慣は、まさしくカブさんぽいよな。
「おかげさまでSNSも超バズりましたよ。もの珍しいし、映えるしで。カブさんなんてトレンド入りまでしちゃうしさ」
「それはまぁ……、うん」
トレンド入りについては流された。生真面目過ぎるせいなのか、注目されることにはいまだにとことん慣れないようだ。恋人としてはもうちょっと人気者の自覚をしてほしいんだけど。
オレが黙ったままジト目で見つめていると、カブさんは困ったように眉を垂らして苦笑する。
「それよりも。泡が消えてしまいそうだし、乾杯しようか」
この人はオレがこの笑顔に弱いことをよくよくおわかりでいらっしゃる。 いやたぶん、本能というか天然なんだろうけどな。
「そーっすね。んじゃ、かんぱーい!」
まぁいいや、とオレはカブさんのグラスにグラスを重ねた。今はホスト側の打ち上げ、兼、お家デートという幸せの延長戦なのだから。そういう嫉妬心とかは野暮だ野暮。カブさんも今日が楽しかったのか、笑顔も声色もなんだかポワポワしているし。いつもより二割増ってところかな。
ひとくちビールに口を付けると、フルーティーな香りが鼻を抜ける。炭酸も喉に心地好い。ケーキやチョコみたいにデロデロにとろける甘さもオレはもちろん好きだけど、こういう苦味もいいもんだ。オレも一応オトナのお兄さんだからな。
「はー、おいしい」
満足そうにそう呟いたカブさんは、グラスの中身をほとんどを飲み干していた。昼の紳士で天使なカブさんもかわいかったが、豪快に燃える男もカッコいい。この人の魅力はなんと言ってもギャップからのギャップである。
「ビールの苦味が染みるねぇ」
いや、もはやギャップかどうかもわからない。発言は完全にオッサンなのに、それすら天使のように思えてしまうから不思議だ。
「なんだかんだで、オレらも結構ケーキとか食べてましたしね」
「久々にあんなにケーキを食べたよ。しばらくは甘いものはいいかな」
「オレも、しばらくは甘いものは大丈夫かも」
オレはビールをひとくち飲んで、幸せのため息を吐き出した。
「けど、またやりましょうね」
「うん、またやろうね」
今日は最高な晴れ模様の中、おれたちはホワイトデーを完璧にパーフェクトにやり遂げた。レディたちも喜んでくれてたし、ファンサも当然抜かりなし。 それから〆のビールはおいしいし、なによりオレの隣ではカブさんがポワポワと笑っている。これ以上の幸せはないかもしれない。
オレがしみじみと幸せに浸かっていると、カブさんはオレのグラスを眺めて言う。
「ねぇ、それ、甘くない?」
オレは一瞬ハテナを浮かべた。たしかにラガーに比べれば、エールはフルーティーで甘いかも、だ……、けど、あぁ。なるほど。
オレはその逡巡の間、じっと隣のカブさんを見つめていた。するとみるみるうちに耳を赤くして俯いたので、オレは気付いてしまった。あんたはわかった? そうだ、 これはインローギリギリの変化球。わかるね的な湾曲表現。
カブさんの様子をさらに窺い見ていると、自分から言いだしたくせに、なぜだかめちゃくちゃ照れている。
「ふっ、ふはっ……あっはははは」
オレは堪えきれずに笑ってしまった。 幸せが飽和して溢れてしまう。だってこんなの反則じゃん。この人はいったいどれだけギャップを見せれば気が済むのだろう。
「ちょっと、笑わないでよ」
「いや、すんませ……、くっ、あはは、だめだ、むり」
「もう、今のなし、なし! ぼくはなにも言ってない」
カブさんは慌てたようにオレの腕を掴んできて、必死に睨みつけてきた。真っ赤な上目遣いでな。昼は紳士に振舞って、さっきは豪快にビールを飲んでいたのに、なんだってこんなに可愛いのだろう。どこまでオレを幸せにすれば気が済むのだろう。
「うん、そう、めちゃくちゃ甘いです。だから、口直しさせてくれるんですよね」
少し苦めで爽快感のあるラガー・ビールは、すぐそこまで来ている春風のような味がした。