①「あの、ヤナギさん」
ふいに声が聴こえてきた。
「おやマツバくん。どうしたんだい?」
「ああ、いえ……、ちょっと」
ここはパシオのポケモンセンター。時間は朝だ。朝の9時。おれはあくびを噛み殺しながら、イベントに行くと言うマリィとユウリと待ち合わせをしているところであった。
手持ち無沙汰に声のしたショップの方を窺い見れば、片手で頭を掻きながら声を掛けていたのは、おれと同い歳くらいのゴースト使いの青年だった。後ろには フワライドが音も立てずに浮いている。それに微笑みをたたえて答えているのは、ガラルにはいないジュゴンを連れた氷使いのおじいさん。
「もしよかったら、散歩にでも行きませんか?」
人の話を盗み聞きするなんて趣味が悪いなと自嘲しながらも、おれはなぜだか彼らが気になってしまっていた。
「ジュゴンが好きそうな海辺を見つけたんです。水温が低くて、木陰で、とても静かな風が吹くところで」
特に気になったのはあの青年。きっとあの青年のせいである。たしか、マツバとか言ったっけ。
「ほう、そんな場所があるのか」
そうだ、正確にはあの青年の声色のせいである。おれが趣味悪く聞き耳を立ててしまっているのは。青年の声から聴こえるのは、緊張と期待とわずかな不安。明らかな好意。あれは純粋な尊敬とか友愛とか、そういう類じゃないやつだ。
「まだまだ知らない場所があるのだな」
「パシオも広いですからね。 海辺は少し遠いので、お時間がある時でいいんですけど……」
なんだ、あのふたりはデキているのか? それともあの青年の片想いか?
互いに穏やかな雰囲気を漂わせてはいるが、それにしては青年は緊張し過ぎだし、おじいさんはあっけらかんとし過ぎている。 内容だって言ってしまえばナンパっつうか、もはやデートのお誘いじゃないか。可哀想なことにおじいさんには全然伝わっていないらしいが。
まぁ当然、それらは全部おれの勝手な妄想ではある。 あのエグい歳の差でそん邪推は見当違いかもしれない。
が、少なくともあの声だけは絶対にそうだ。痛いほど身に覚えがあるのだから。周りのおれ以外のバディーズたちは、彼らを気にも留めていない。おじいさんは「ふむ」と呆れた相槌を打った。
「釣れないな。せっかく誘ってくれたのだ、わたしは今からでも構わんよ」
「ほんとですか!」
そしてその瞬間。 おじいさんがそう答えた瞬間に、青年はふわりと顔を縫ばせる。あぁ。
「もちろんだとも。ジュゴンも行きたいようだよ」
「よかったです。 きっと気に入ってくれると思います」
ジュゴンが小さくひと声鳴くと、後ろのフワライドも嬉しそうにくるりと横に2回転した。
いやそれにしても、なんでかわからんが恥ずかしい。なんで赤の他人のおれが恥ずかしい思いをしているのだ。共感性羞恥ってやつなのか?
いったい彼らはなんなんだ。
まるでどこかの誰かたちを見ているようだ。
「しかしなぜ、きみはいつもそう自信なさげに誘うのだ」
「自信なさげに見えますから?」
「あぁ、見えるな。普段のきみはずいぶんと落ち着きがあるというのに」
「それは……」
うわ、可哀想。言葉を詰まらせた青年を見て、おれは思わず右頬を引きつらせてしまう。無自覚な天然は時に残酷なのである。
その天然のまま、おじいさんはふっと笑って青年を見上げた。
「マツバくんが連れて行ってくれるのならば、どこであろうと楽しいのだがね」
あ、
あぁ、いや、違うな。これは。
おれは数分間繰り広げていた妄想を瞬時に改める。
おじいさんは。ヤナギさんは、今、たしかに笑った。嬉しそうな こそばいような、幸せそうな笑い声で。
まるで、あの人がおれに向けてくれる優しい声。青年は呆気にとられてしまったらしく動かない。きっと、氷に捕らわれでもしたのだろう。
おれが炎に焦がれるように。
「アニキ、 おまたせ」
「ネズさん早くイベント行きましょ!」
はっとして視線を近くに向ければ、準備万端のマリィとユウリが立っていた。その横にいるモルペコとザシアンはすぐにでも駆け出していきそうだ。
「なんしよったと」
無邪気で元気な妹たちにひとつ苦笑を返してみて、もう一度ショップの方を振り向くと、彼らは外へ向かって歩きだしていた。杖を付いた小さな背中と、なにかを堪えるように少しだけ俯いたままの背中。歩幅はじれったいほどにゆっくりだ。軽快なリズムで揺れるフワライドとどこかそわそわとした様子のジュゴンは、 彼らを取り囲むように付いていく。
その背中に向かって、おれはひっそりとエールを送ってみたりする。
「エールを送っていたんですよ」
おれもあの人に会いたいなぁとか、あの人がパシオに来たらどこに連れて行こうとか、そんな羨ましさや共感を込めて、ゆっくりとした速度で進む彼らに向かって。
どうか幸せな時間がこの先も続きますように、と。