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    黄金⭐︎まくわうり

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    POIPOI 42

    History4 呈仁CP
    台湾ワンドロ お題・嘘

     リーチェンと喧嘩をした。予定をダブルブッキングされたのだ。百歩譲って、日程を間違えていた事は良しとしよう。問題はその内容である。
     こっちは前々から行きたかったフレンチを予約し、指折り楽しみにしていたと言うのに、いざリマインドをしてみると、その日は大学時代の女友達数人と会うと言う。以前そんな話を聞き、許可はしていたのだが、まさかダブルブッキングされているとは思いもしなかった。ムーレンの方が先の約束だった為ごねてはみたものの、その友人が遠方から来るからと言って、ムーレンの方の約束を反故にされたのだ。
     仕方ないと言うのは分かる。数年ぶりに会う友達と、いつでも行けるフレンチとでは、どちらが優先順位が高いかは自ずと分かってくるし、ムーレンとて理解できない訳ではない。ただ、女性との約束を優先された、と言う下らない嫉妬なのだ。リーチェンが女性と浮気なんてする訳がないと分かってはいるものの、何とも言えないモヤモヤとした感情がムーレンの中で燻っている。下らない嫉妬をしているな、と自分でも思うものの、どうもリーチェンが許せなくて数日間冷戦のような状態で過ごしている。
     反故にされた約束の当日、さっさと仕事を片付けて退社した後、ムーレンはリーチェンに何も告げる事なく行きつけのバーに向かった。リーチェンが友人と会っている間、自宅でじっとしている気にはなれなかったのだ。それこそ精神衛生上良くない。自宅に帰ってきたリーチェンに喧嘩を吹っ掛けてしまいそうだ。
     重厚な扉を開くと、暗いバーカウンターの中で、馴染みのマスターが、今日は早いね、と声を掛ける。その声に、うん、と相槌を打ちながら、カウンターに座って適当に酒を注文する。
     ムーレンは元来話好きではない。それを分かっているマスターも特にムーレンに話しかける事もせず、適度な距離を置いてくれている。ただ、今日は少し勝手が違った。酒が入るにつれ、リーチェンの愚痴を言いたくて堪らない。とは言え、マスターをわざわざ捕まえて愚痴ると言うのもスマートではない。愚痴を言いたい分、酒を飲むピッチが上がって行き、頬杖をついて酒気を帯びた湿った溜息をつけば、カタン、と隣で音がした。
     横目でチラリと見ると、スーツを着た男が座っている。そして、ロックグラスに口を付けると、ムーレンに視線を寄越した。視線が合った瞬間、ムーレンは即座に外したが、その後も隣の男の視線をやんわりと感じる。何処となく居心地が悪くなり、誤魔化すようにグラスの酒を煽ると、隣の男が酒を注文しているのが聞こえた。男の注文した銘柄が何となく耳に入り、結構良い酒飲むんだな、とぼんやりと思っていると、琥珀色の液体がムーレンの目の前に差し出された。慌てて、自分は注文してない、と言うような視線をマスターに向けると、マスターは片眉を上げて少し顔を横に向ける。
    「君、こう言うのが好きだと思って」
     声が聞こえた方を見ると、隣の男がグラスを軽く掲げて微笑んでいた。全く知らない男だが、くれると言うのなら遠慮なく頂こう。ムーレンは男に返事する事もなく、差し出された琥珀色の液体を少し舐める。鼻から抜ける独特なピートの香りが心地良い。ハイアルコールを感じさせない滑らかな舌触りに心酔していると、恋人と喧嘩でもした? とまた隣で聞こえる。……だったらなんだっての? と呟く様に言うと、その人は恋人失格だな、と柔らかく笑う音が聞こえた。
    「君みたいな綺麗な人がずっと一人で飲んでるのを放っておくだなんて、無責任にも程がある」
    「……そう、僕みたいな綺麗な男を平気で放っておくんだよ、あいつは」
     酒の力と、隣の男が案外聞き上手なのも相まって、一度言葉を口に出してしまうとどんどん饒舌になってしまうと共に、酒の量も増えていく。ふと、男が椅子に座り直した瞬間、嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐった。リーチェンと同じ香水だ、と思わず声に出すと、君の恋人は男なの? と特に驚く事もなく、男が言った。
    「そうだよ、だけど僕はゲイじゃない。たまたま好きになったのがリーチェンだったってだけ」
     強かに酔った瞳で男を見る。よく見れば結構な色男だ。少し長めの髪を後ろに流し、はらりと落ちた数本の髪の筋が色気を増長させている。不意に男がムーレンの髪に触れた。そして手首に付けているのであろう、香水の香りがふわりと漂う。途端、リーチェンが恋しくなった。リーチェンに会いたい、そして深く愛し合いたい。
    「俺なら、君に寂しい思いなんてさせないのに」
     ぼやけた視界の中で、男が妖艶に微笑んだ。

     携帯の鳴る音が響いて、ムーレンは重い瞼を少しずつ上げる。そして焦点の定まらない目で音の鳴る方へ手を伸ばし、携帯を掴んだ。ただ音を止めたい一心で、誰からの電話かも確認せず通話ボタンを押すと、トントン!! と怒鳴るような声が聞こえた。
    「お前、今何処にいんの!?」
     はぁ、朝っぱらから煩いな、自分の部屋に決まってる……と言いかけた所で、ムーレンは違和感を感じた。ムーレンの部屋にあるものが見当たらない。がばりと起きて見回すと、そこはムーレンの部屋などではなく、ホテルの一室だった。そして自分が下着一枚だと言うことに気付く。酒の残った頭で必死に状況を整理しようとするが、焦ってしまって何も考える事ができない。その上、リーチェンは何も喋らないムーレンに向かって矢継ぎ早に捲し立てる。
    「だ……大学時代の先輩の家だよ!! 酔っ払って帰れなくなって泊めてもらった」
     今から帰るから! と咄嗟に出た嘘と共にリーチェンの言葉を遮って電話を切る。ムーレンは一旦状況を整理しようとズキズキと痛むこめかみを押さえた。
     昨日は確か、行きつけのバーで隣の男としこたま飲み……と思い出すに連れて、昨晩の様子が断片的にフラッシュバックする。男の顔が近づく度に感じたあの香り。頬に触れる男の髪。熱い吐息。首筋を這う指の感触。刹那、ムーレンは近くにあったゴミ箱の中身をひっくり返し、狂ったようにゴミをぶちまけた。そして封が切られた小さな袋を見つけるや否や、絶望したようにへたり込んだ。この袋があると言うことは、昨晩あの男と何をしたのかは、自分の体にダメージがなくとも、そしてそれ自体を覚えていなくとも明白だ。ああ、と両手で顔を覆えば、自分の指が震えている事が分かる。
     どうしよう、どうしよう。混乱した頭で漠然と考えるのは、家に帰らなくては、そしてリーチェンに会わなくては、と言うことだけだった。ムーレンは急いで散らかった服を身に付けると、ほうほうの体で部屋を後にする。
     自分が何処に泊まっていたかも分からないし、どうやって帰ったかも定かではない。気が付くと自宅の玄関のドアを開け、リビングで心配そうにムーレンの帰りを待っていたリーチェンに抱き付いていた。ムーレンの突然の行動と、乱れた衣服を不思議に思ったのだろう、ムーレンを責める事も忘れたかのように、大丈夫か、とリーチェンが声を掛けた。
    「いくら喧嘩してたからって、何も連絡なしで朝帰りってのはほんとし」
     リーチェンの言葉を遮ってムーレンが口付ける。貪るように荒々しく口付けるムーレンに、初めは戸惑っていたリーチェンも、段々とムーレンのペースに合わせるように激しくなっていく。
     兎に角、リーチェンが欲しかった。きっと昨晩の出来事は夢なのだ。これだけリーチェンを愛している自分がリーチェン以外の人間と寝る訳がない。そんなことがあってはならないのだ。リーチェンに抱かれれば必ずこの悪夢から目覚めるはずだ。
     お前が欲しい、と譫言のように懇願するムーレンに、濃厚な口付けで気持ちが昂ってきていたリーチェンは、すぐさまムーレンをソファに押し倒し、彼のシャツを乱暴にはだけると肌に唇を這わせた。それはいつもの睦みと同じように、ムーレンの良い所を執拗に攻め立てる。その感触に思わず声を上げれば、安堵とも言えるような気持ちが溢れた。僕はこの感触しか知らない、僕を気持ち良くさせられるのはリーチェンだけなんだ。
     刹那、床に落ちた携帯が鳴った。リーチェンの愛撫で少し顔を横に向けたムーレンの目に携帯のディスプレイが映る。
    『商談があるから先に帰ったよ、また昨晩の続きがしたい』
     ムーレンは慌ててリーチェンを押し退けると、震える手ですぐさま携帯の電源を切った。冷水をかけられたように、昂っていた気持ちも体も冷えていくのが分かる。昨日の事は夢でも何でもなかった。自分の浅はかな行動で起こった事実なのだ。自分の体は汚れてしまった。こんな体、リーチェンに触らせる事なんてできない。急に行為を中断されても、昂りが収まっていないリーチェンの指がムーレンの首筋に触れる。それはとても熱くて、それでいて慈しむような優しいものだ。ムーレンは堪らず、やめてくれ、と呟いた。ムーレンの心が悲鳴を上げる。リーチェンを裏切ってしまった自分には愛される資格なんてないのだ。ムーレンの言葉が聞こえていないのだろう、リーチェンの唇が、指が、汚れてしまった自分を求めて肌を這う。
    「……やめてくれ!!」
     ムーレンはそう叫ぶとリーチェンを突き飛ばし、バスルームへ向かった。
     ……汚い、汚い、汚い!!
     服を脱ぐのもままならぬまま、ムーレンはシャワーを全開にする。そして石鹸を手に取ると、がむしゃらに体に擦り付けた。こんなもので自分の汚れが無くなる訳などないが、それでも何とか綺麗にしたくて、擦りすぎて皮膚が赤く腫れ、血が滲んでも止める事はできなかった。

     ムーレンは悩む。リーチェンに嘘をついた事、リーチェン以外の人間と肌を合わせてしまった事、そしてこれからの自分達の事。リーチェンには自分から言わなければあの日の事はバレる事はない。大学の先輩の家に泊まったと言うムーレンの嘘を信じているからだ。その事実もまたムーレンを締め付ける。自分さえ普通に接していれば、あの日の事など無かった事にしてしまえば全ては丸く収まるのだろうが、ムーレンの良心がそれを許すことはない。リーチェンと過ごす毎日も、リーチェンが囁く愛の言葉も、触れ合う肌も、全て遠く感じてしまう。リーチェンの愛を裏切ってしまった自分など愛される資格はないと思えば思うほど、リーチェンへの恋慕が募っていく。このままではいけないと思いながら、自分の良心にも嘘をつく。何故なら、リーチェンと離れる事など出来ないからだ。……心底卑怯で、醜い。
     ある日の夜、いつものようにリーチェンからの誘いに乗り、ゆっくりと慈しむような愛撫を受ける。普段なら、リーチェンの髪に触れ優しく頭を抱き寄せるのだが、一瞬それを躊躇ってしまった。普通通りにしようと思ば思う程、指先が震え、腕が思う様に動かない。それは他人から見ると些細な変化なのだろう。けれど、リーチェンはふと動きを止めて、気分が乗らない? とムーレンの瞳を覗き込んだ。
    「最近のトントン、ちょっと様子が変な感じだよな」
     俺、何かした? と問うリーチェンに、ムーレンの心が締め付けられる。心配そうなリーチェンの瞳に、お前は悪くない、と叫びそうになる。
     もし……とムーレンが絞り出す様に声を出した。心の奥で、やめろ、と言う声が響く。言わなければ何も変わらない。墓場まで持って行くんだ、後悔に蝕まれるのは自分だけでいいのに。
    「もし、僕が……お前以外の人間と寝たって言ったら、……どうする?」
     一瞬、リーチェンの瞳が戸惑うように揺れた。しかしすぐに、今の雰囲気で言う冗談か? とケラケラと笑う。しかし、苦しそうな表情のままのムーレンを見て、表情が俄かに凍りついた。
    「は……? お前何言ってんの? 言ってる意味が分からないんだけど」
    「あの日、先輩の家に泊まったって言った日、ほんとは先輩の家になんて泊まってない。……酒飲んで……バーで知り合った他の男と寝た」
     もうこれ以上、良心の呵責に耐えられなかったのだ。しかしそれは、ムーレンの自分勝手な思いに過ぎない。こんな告白をされて、リーチェンがどう思うか、どれだけ彼が傷付くかなんて予想できたはずなのに、自分の罪を黙っていることが出来なかった。ただ、誰かの許しが欲しかったのだ。
     ムーレンの言葉で、覆い被さる状態で固まっていたリーチェンは、呆然とした表情でムーレンの上から体を退けた。そして信じられないと言ったようにムーレンを見つめる。
    「ほんとに悪いことしたと思ってる……でも! お前が好きで、大切に思ってるって事には変わりはないし、お前を心からあい」
    「……大切に思ってる俺に対して、何でそんなことができるんだ?」
     瞬きもせずムーレンを見つめたまま、聞いた事がない様な低い声でリーチェンが言った。ムーレンはリーチェンの腕を掴むと、懇願する様に彼を見上げた。
    「さ……酒に酔ってて! あの日は飲み過ぎたんだ、お前と喧嘩してイライラしてて、でも実際……セックスした事は覚えてない」
    「でも寝たって証拠あったんだろ?」
     言葉に詰まるムーレンから視線を外すと、ゆっくりとムーレンの手を振り払う。そしてムーレンに一瞥もくれずに部屋を出て行く。咄嗟にリーチェン! と叫びにもならない声を上げても、リーチェンの歩みは止まらない。パタン、と閉まる扉をただ見つめることしか出来ない。
     ごめんなさい……と何度も呟くもリーチェンには届かない。ムーレンは堪らずベッドに突っ伏し、程なく嗚咽を漏らした。こうなる事は分かっていたのに。言ってしまったらリーチェンに捨てられる。黙っていることに耐えられないなんて、被害者意識も甚だしい。ただ単純に、罪を告白して自分が楽になりたかっただけなのだ。言葉と行為で愛する人を傷付けて、それでも自分が楽になる方法を取ってしまった。後悔してももう遅い。リーチェンと夢見ていた未来が、音を立てて崩れ落ちた。

     ムーレンは一日中ずっとベッドの中にいる。食欲もないし、体調不良を理由に仕事も休んでしまった。リーチェンに合わせる顔がないのだ。一体どう言う態度で彼に会えばいいのか分からない。会えばきっと別れを告げられるだろう。
     リーチェンに罪を告白したことが果たして正しかったのか否か、ムーレンは分からずにいる。何も言わずにずっとリーチェンに嘘をつき続ける方が良かったのか。どちらにしてもリーチェンを裏切ることには変わりはないし、寧ろ結果は一緒だったのかも知れない。一生つき続けられる嘘なんてないのだから。
     意識の向こうで、コンコン、とノックのような音が聞こえる。いつの間にか眠っていたムーレンは、その微かな音で重い瞼を上げた。もしかしたらリーチェンから話を聞いたシンスーかも知れない。
     返事もせずに視線だけドアに向けると、そこには食事を持って来たのだろう、リーチェンの姿があった。そして静かにトレイをサイドテーブルに乗せると、今日何も食べてないだろ、とベッドに腰掛ける。ムーレンはリーチェンに背を向け、逃げるようにシーツに包まった。きっと別れ話をしに来たに違いない。いずれ聞かなければいけない話なのだが、出来るだけその瞬間を延ばしたかった。その言葉を聞くまでは恋人同士でいられる。
     溜息のような微かな息遣いが聞こえて、躊躇うような少し震える指先でリーチェンがムーレンの背に手を置いた。
    「俺、昨日からずっと考えてた」
     静かに話すリーチェンの言葉を、耳を塞ぎたい気持ちを抑えて聞く。
    「……どれだけ考えても、やっぱりトントンと離れるって選択肢は選べなかった。俺にとってお前の代わりなんていないし、お前にどれだけ傷付けられても、離れる方が辛いんだよ」
     ムーレンは信じられない思いでリーチェンを見た。愛想を尽かされて振られると思っていた。リーチェンを思い切り傷付けたのに、自分を許そうとしてくれているのか。ムーレンはがばりと起き上がり、驚きと戸惑いが混じった瞳でリーチェンを見つめ、ごめんなさい、と絞り出す様に言うと、途端涙が溢れた。
    「ごめんなさい……ごめんなさい……!! 許してくれないと思ってた、捨てられると思ってた」
     リーチェンに抱きつくように嗚咽を漏らすムーレンを、リーチェンが優しく抱きしめる。リーチェンの愛の深さに、自分の行動がいかに愚かだったか思い知らされる。こんなに自分の事を大切に思ってくれる人なんていない。そして、彼を二度と傷付けないと心に誓う。この手を離してはいけない、絶対に。
     もう二度とこんな事しないでくれよ、と優しく背中を撫ぜてくれる手の温かみに、漸く心が温かくなるのが分かった。
     ひとしきり泣いた後、ムーレンは意を決したように自分の携帯を手に取った。そして音声をスピーカーにして、ずっと着信拒否にしていた電話番号に電話を掛ける。自分なりのケジメを付けたかったのだ。数回のコールの後、ムーレン? 珍しいね、君からなんて、と声が聞こえた。あの日の、あの男だ。ムーレンは一度ゆっくりと瞬きすると、あんた、と言った。
    「あの夜の事全部、恋人に話した。あんたと寝たって言っても彼は僕を捨てなかった。僕は今もずっと彼を愛してるし、あんたに靡く事なんて絶対にない。だから、もう僕に付き纏わないでくれ」
     ムーレンはそれだけ言うと、通話を切ろうと指を伸ばす。刹那、スピーカーから笑い声が聞こえ、思わず伸ばした指の動きを止めた。
    「そうか、全部話したんだね。心の広い彼氏で良かったね、羨ましいよ」
     まだ笑いが収まらないのだろう、少し笑いを引きずるようにして男が言う。そして、彼氏も一緒に聞いてるのかな? と漸く普通のトーンで話し始める。
    「一つ言っておくと、あの夜、俺と君は寝てないよ。確かに、俺は君の事を気に入っていたけれど、前後不覚になった酔っ払いを襲うなんてナンセンスだろ? ただ君を介抱しただけさ。君を手に入れるなら、シラフの時にしたいしね」
     ムーレンは呆然と男の声を聞いている。しかし、あのゴミ箱に入っていた袋は一体何だったのか。
    「ああ、ゴムの袋? あれはちょっとした悪戯だよ。君が勘違いしてまた彼氏と喧嘩しないかな、と思って」
     予想外の展開に、ムーレンもリーチェンも言葉が出ない。それを感じ取ったかのように、男は鼻で笑うと、君のお尻、ダメージなかっただろ? と続ける。
    「使用済みっぽいゴムの袋を見て、きっと君は俺を抱いたと勘違いしたんだろうけど、俺はネコは絶対無理だから」
     じゃ、お幸せに、とそれだけ言うと通話が切れた。お前の悪戯のせいでどれだけ悩んで後悔したか、と文句の一つでも言いたかったが、あまりにも急な展開に何一つ言葉にならなかった。とは言え、この状況を引き起こしたのは、そもそもムーレンが酒を飲み過ぎたからであって、一概にあの男が悪い、と責めることもできない。最終的にはムーレンの介抱までしてくれていたのだから。
     刹那、どん、と何かが落ちるような音がして隣を見ると、リーチェンが座っていたベッドから落ち、尻餅をついている。慌てて、どうした?! と手を差し伸べれば、腰が抜けた、と静かに呟いた。そしてみるみるうちに、ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝っていた。
    「お……俺、ほんとはお前の事許せなかった。正直腹が立って仕方がなかった、こんなにもお前を愛してるのに何で俺を傷付けるんだって。でも、どれだけ裏切られても許すしかなかった。俺にはお前が全てなんだよ。お前を許すって決めた時、覚悟も決めたよ。どうやったってお前に裏切られた事は忘れられないし、なかった事にはできない。それでも……それを思い出す度に、自分の心が嫉妬や苛立ちでズタズタになったとしても、お前が俺を愛し続けるなら、お前を愛そうって」
     リーチェンが震える両手を差し伸べた。ムーレンはゆっくりと膝をつくと、そのままリーチェンの腕の中に収まる。そして嗚咽で震える彼の背に腕を回した。
    「もう二度と……俺にこんな思いをさせないで……! 頼むから……こんな辛い思いをするのはもう嫌だ」
     お願いだから、と声を上げて泣くリーチェンをきつく抱きしめると、ムーレンの瞳からも涙がこぼれ落ちた。リーチェンの葛藤に、胸が締め付けられて息ができない。
    「……何があろうと絶対に、お前を傷付けないよ、約束する」
     漸くそれだけ言うと、リーチェンがムーレンを抱く腕に力を込めたのが分かった。愛しいリーチェン、お前が僕を愛し続けるなら、僕も生涯お前を愛すよ。
     きつく抱き合って、互いの体温が混ざり合う。いっそこのまま一つになれれば良いのに、とムーレンは思った。 

     デートしよう、とリーチェンの耳元でこっそりと囁く。後一時間で業務終了だ。今日の定時以降、リーチェンが予定を入れていない事は確認済みである。いいよ、とリーチェンもムーレンに微笑み返す。今日はこっそりと、以前行けなかったフレンチレストランを予約してある。ムーレンは、よかった、と言うと自分のカバンに忍ばせてある、小さな小箱に想いを馳せる。箱の中身はムーレンが選んだペアリングだ。以前、リーチェンから貰ったものもあるのだが、今度はムーレンがプレゼントしたくなったのだ。二人を繋ぐものはどれだけあってもいい。自分は何があってもお前のものだ、と宣言したい。そして今後誰のものにもならないと言う誓い。
     じゃ後で、とまた囁く様に告げると、素早く彼の頬にキスをする。誰に見られようと関係ない。自分はリーチェンのものなのだから。
     後でな、とリーチェンがムーレンの指にキスをする。ムーレンはその指に自分の唇をそっと寄せた。そして、残りの業務を終わらせるべく、デスクに戻るのだった。
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