さっくり一口小説【赤い味のキスを】鈴雪
ベーゼ、口吻、接吻、ちゅー。いわゆるキス。生まれてこの方そんなものは文字の上でしか見たことが無かった。初めてのキスはレモンキャンディの味だなんてそんなことを言われたところで想像なんかつかなくて。
「なら、してみるか?」
「は?」
くす、と笑いながらそいつははたはたと己を仰いでいた扇子をこちらに伸ばして首筋をなぞる。これが他の誰かだったら迷わず抵抗するのだが、相手が相手で抵抗する気なんて一切起きず。そのまま、今はただのアクセサリーとしてしか存在していない十字架と俺を繋ぐチェーンを引っかけて引っ張る鈴は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「はは、全く。邪魔じゃのう」
そうは言うものの、本当に邪魔だと思っているようには思えず口を開こうとした瞬間にぐ、と、まるで飼い犬のリードを引っ張るかのようにくるりと器用にチェーンを扇子に一周巻き付けて互いの顔が近くなる。零れたのなんて驚きで声にならない声のみ。あー、こいつやっぱ顔がいいななんて思ったのもつかの間、唇が重なった。ぐわりと体の体温が上がる。自分の少しだけかさついた唇と鈴の薄い唇が触れては、離れ、そんな啄むようなキスを繰り返していくうちにふと口を開けた鈴はそのまま下唇に噛みつく。
「んっ!?」
ぴりっとした痛みが走り、鋭い牙で傷つけられたそこからはおそらく真っ赤な血が溢れているのだろう鉄の匂いが鼻をくすぐる。ちゅ、ぢう、リップ音と血を吸う時の水音がしたと思ったら、ぺろりと唇を舐められ、そのままいとも簡単に口内への侵入を許してしまう。くちゅ、ちゅぱ、なんて可愛らしい音はだんだんと脳を犯してきて、血の味がついたままのベロで上顎をなぞられてしまえばぞわぞわとしたむず痒さが背中を走る。いつ呼吸をすればいいのか。そんな簡単な事さえ俺にはわからなくて苦しくなってきたあたりでグイ、とその体を押して無理やり口を離す。やってしまったと一瞬思ったがそんな考えは杞憂だとばかりに閉じた扇子を唇に当ててくふくふと笑う鈴は、まだ少し残った俺の血をぺろりと舐めとる。
「で、初めてのキスの味はどうだったかのう?お望みの結果は出たか?」
「……なわけねぇだろ」
初めてのキスがレモンキャンディなんて大嘘だ。俺たちの初めてのキスは、血の味がした。
【この身繋ぐは金と愛】りーつづ
形あるものいずれは壊れる。それは、人ならざる、生命ならざる己の身でも同じこと。昔はそうなったらその日が俺の命日だと思っていたが今は違う。長く生きてみるもんだと思いながら俺は胡坐をかいて、ゆっくり深呼吸をする一人の天狗を見つめていた。
「なぁ理一。いつまでそうしてんだ?難しい作業でもあるまい」
「い、や。信楽さんはわからないかもしれませんけどね。これ結構緊張するんですよ?」
「ははは、手を滑らせて更に割らないでくれよ?」
彼の目の前には筆や金など、金継ぎを行うための材料と割れた【信楽津々楽】の本体、信楽焼の狸の置物がある。つい先日不幸な事故で割れてしまった己を、どうせだったら恋人である理一に綺麗に直してもらおうと思い呼んだのだ。二言返事で了承してくれたまでは良かった。この調子だったらすぐにでも店を再開できそうだななんて思ったのもつかの間、緊張のままに体が震えて上手く腕が動かないらしい。蚊という自分は体の一部が欠損していて動かないどころの話じゃなく。
「割れたのは左腕と右足。少しくらいのミスは仕方ねぇよ、初めてだもんなぁ」
体をずらして背後に回り込み、そのまま少しだけ体重をかけて右手を重ねる。ぴくりと跳ね、初々しいその反応が何とも可愛らしい。
「ほぅら、お前さんも欠けたままのおっさんはいやだろう?」
「そりゃ、そうですけど……」
「じゃ、早くお前さんの手で治してくれよ」
「ッ……」
ようやく手に取られた筆は微かに震えているものの、作業は少しずつ、着実に始まる。触れる筆の感覚がくすぐったい。
・・・・・・
「あれ、おやっさん。何かあったんですか、その傷?」
居酒屋【酔いどれ瓢箪】のカウンター席。白髪金目の青年が店主にそう問いかける。
「ん?ああこれか。おしゃれになっただろう?」
「まあ、きらきらしてるなぁとは思いますけども。あ、牛串追加でください」
「あいよ」
皿に乗せられたおでんの牛串を一欠けら噛み、飲み込んだ青年は話の続きを目線で促す。と、言うよりも、どことなく話したそうにしている目の前の店主の話を聞こうと思ったのだ。互いに自分のことを自ら話したがらない性格であり、そんな人が話したそうにしてるなんて珍しい。
「理一がなぁ、金継ぎしてくれたんだよ」
「ああ、天狗の」
「おう。そのおかげでおっさんは今日も店を開けてるんだ。ありがたい話でな」
するりと左腕についた金色の筋を指先でなぞる信楽の表情は愛おしいものを見る顔つきをしていて、甘ったるいなぁなんて思いながら青年は一気に牛筋を頬張った。
【吠えたところで答えは無いけど】鈴雪 死ネタ
アパートの一室。今だ捨てられずにいる二人分の靴や食器。静かな部屋の中で聞こえるのは自分の呼吸の音だけ。部屋の中央で胡坐をかく。こうしていればあいつが
「はは、なんじゃ。そんなところに座り込んで」
なんて後ろから声をかけてくるような気がして。
そんなことない。というのは分かりきっているのに。それでもまだ、頭の片隅が現実を見ようとしない。
「……クソが」
嗚呼、恨めしい。今は、あいつのことよりも、己の無力さが恨めしい。俺は、俺はそんなにも頼りにならないか。生きろだなんて。お前のいない世界に生きる理由など既に見いだせないというのに。
一人になった広すぎる部屋で、その男は子犬の様に背中を丸め、静かに、静かに、泣いて、鳴いて、音にならない遠吠えを薄暗い部屋に響かせていた。
【思い出は、ぶ厚い方がきっといい】はるあか+ひな(ヒナ視点)
その日、赤虎ヒナは部屋の掃除をしていた。広い一軒家、現在住んでいるのは自分一人のみで、両親に関してはどうでもいいが兄の赤虎晶は相棒の北条晴仁と暮らしている現状態。ヒナとしてはなにも文句はなく、むしろ兄が幸せそうで毎日ハッピーだと小躍りしたいくらいには満足していたし、時折二人で顔を見せるしこちらも見せに行く日常は楽しい。そんな日々の中で暇で暇で仕方ないという今日。パタパタと自分の部屋を掃除することにした。
「ん?」
押入れの中を整頓していると、少し古くなったクッキーの缶が出てきた。昔の自分の宝箱だろうか。中を確認していると鍵付きの絵日記帳と使い捨てカメラ。幼い自分が覚えたての字で書いたのだろう日記帳の登場人物は八割がたが自分と兄の二人。ヒナの記憶に親のことはほとんどないし、今も数か月に一度数日間家にいるという状態で今更家族面されても……という状態である。
「懐かしい……日記帳はおにぃにも見せたことなかったな」
初めて兄がホットケーキを作ってくれた日はこれでもかと言うほどシールが貼られており、どれだけ嬉しかったのやら。まあしかし、わかるぞ過去のヒナよ。おにぃの料理は美味しい。と、ぱらぱらとページをめくっていくと段々と文字も上手くなってきて、兄が作った料理のレパートリーも増えてきた。掃除なんてそっちのけでベッドにごろりと寝っ転がって、思い出を振り返る。
「そういえば、カメラでヒナは何を撮ったんだ……?」
現時点でカメラに関する事は一切言及されておらず、後で読めばいいかと一先ずそれに書かれたページを探す。
「お、あった」
日記帳の終盤に差し掛かったあたりでそのページはあった。
「一月、十四日。赤虎家のアルバムを見つけた。お父さんもお母さんもいなくて、ヒナばかりが映ってる。多分、おにぃが作ったのだと思う。しかしだ!ヒナの人生におにぃの存在無くして何を説明できようか!……小さい頃のヒナの語彙力、何の影響を受けていたんだ」
なんとなく声に出しながら日記を読み進める。絵を描くスペースにはフローチャートとカメラを持った自身のイラスト。
「おにぃの誕生日まで、あと一か月。その一か月でおにぃアルバムを作ろう。カメラは、おにぃが確か、コンビニでカメラを買っていたはずだ」
そう締め切られたページを見た後に、再びパラパラと一月後のページまで飛ばす。
「写真はいっぱい撮ったけど、印刷が出来なかった。仕方がわからなかった。どうしよう」
少しぐちゃついた文字で乱雑に、そう書かれていた。そのあとカメラについて触れられることは無く、日記もこの一冊で飽きたのだろう。缶の中はこれだけ。
「つまりだ。このカメラの中にはちっちゃいおにぃの写真がたっぷりと……」
カメラの残りフィルム数はゼロ。これはいい土産が出来たと立ち上がったヒナは軽く出かける準備をし、誰もいない家に向かって行ってきますと答え外に出る。今の自分は、かつて幼く無力だったころとは違い、出来ることが増えたのだ。なら、やることは一つだと言わんばかりにウキウキと踊る心に動かされて軽く駆けだした。
「そうして出来たのが、このアルバムと言うわけだ」
「へぇ……」
写真一枚一枚をじっくりと見ながら、その男。北条晴仁は楽し気に口角を上げていた。探偵事務所の二回にある居住スペース。そのリビングルームの上で開かれたアルバムはところどころブレてはいるものの赤虎晶がメイン。小学校高学年と言うと、二人は出会っていない。つまり、このころの可愛い兄を知っているのは自分だけというちょっとしたマウントを取りながらヒナは晴仁の問いかけに一つ一つ丁寧に答える。
「それで、これをわざわざ持ってきてまで私に見せてくれたのはどうしてだい?」
「晴仁おにぃが思ってる通りだよ」
クスクスと笑いあう二人。机の上に置かれた新品のカメラがすべてを物語っているが、テーブルの上を見ておらずコーヒーとケーキの準備のためにキッチンにいた晶は楽しそうだなと、今からたくさん写真を撮られアルバムが出来るなんてことには露ほども気付かず、三人分のコーヒーとケーキを用意していた。