レンタル彼氏16 想いを通じ合わせてから少し。
魏嬰の家は駅からそう遠くはなく、ローカル線ではあるが一度乗り換えるだけでターミナル駅に着けるから大体は私の空き時間に魏嬰の家を訪れることが多かった。
インターフォンを鳴らしたら、『今散らかってるからちょっと待って』とチャットが入る。
大人しく玄関の扉横の壁に背を預けていたら、五分程で戸が開いた。
「最低限しか片付けてないけど、座るスペースはあるから」
苦笑しながら魏嬰は広くないキッチンでインスタントコーヒーを淹れる。
インスタントだろうと、魏嬰が手ずから淹れてくれるのであれば、何だって美味くなる。
はい、と渡されたマグカップを受け取ってローテーブルを見たら、色とりどりのガラス片が散乱していた。
「魏嬰、これは?」
「ん、趣味と小銭稼ぎ」
ほら、前に旅行に行った時ガラス細工でネックレス作っただろう? あれ、家でも作れるって知って。どうせ暫く暇だしと思って作り始めて、フリマサイトに登録して出品してみてるんだ。で、これがまあ結構評判良くてさ。また販売して下さいとか云われると、期待に応えたくなっちゃうんだよな。
「作るのは楽しいし、反応あったら嬉しいし。つい」
へらりと笑う魏嬰はガラス片をローテーブルの少し端へと寄せた。
「でもさぁ、これガラスのデザインするのは楽しいんだけど、焼き窯がちょっと邪魔なんだよな」
ほらあれ、と指差された先にはベッドの横に大きめのトースターのようなものが置かれていた。
「作業用の部屋が欲しい」
でも物件探すの面倒だし、引っ越し代も掛かると思うとちょっと躊躇うんだよな。
肩を竦める魏嬰と焼き窯を交互に見遣ってからふむと口許に手を遣る。
「……一緒に住むか?」
「は?」
3DKのマンションを買えばお互いの部屋は確保出来るし、魏嬰の作業部屋も作れる。
悪くはないと思うのだが、と続けたら、魏嬰は「いやいやいや」と顔の前で手をパタパタさせた。
「確かに俺も貯金はあるけど、買うって、そんな簡単に決めるもんじゃないだろ……」
「私の下心に気付かないのか、お前は」
首を傾けて見せれば、魏嬰は目をぱちくりさせた。
「…………不埒」
「互いに家を行き来する手間も省けると思うのだが」
「いやまぁ、そうだけど」
「私が一緒に暮らしたい」
一緒に、という言葉を強調して見せれば、魏嬰は腕を組んで唸った。
「そりゃあ、お互い行き来するよりも、一緒に住んだ方が楽かも知れないけど……」
「何故渋る?」
「うーん、何か、藍湛に負担掛けそうな気がして……」
「負担が掛かるかも知れないと思ったらこのような提案はしない」
「藍湛の性格からしたら、そうだよなぁ」
肩を揺らす魏嬰に、早速次のオフに不動産屋へ行かないかと誘えば、魏嬰は降参したとばかりに両手を顔の高さに上げて、判ったと頷いた。
「確かに作業部屋は魅力的だし、藍湛と暮らすのに抵抗はない」
寧ろ毎日会えるならそれはそれで美味しいと頷く魏嬰はそれ以上の躊躇を振り払って、俺もサイトでどっか良さそうな家を探してみると前向きな検討をする姿勢を見せてくれた。
「こことかどう」
魏嬰が携帯で見せてくる物件は『なるべく安め』を意識したと思しきものが多く、私は首を縦に振らなかった。
「妥協はしない」
寧ろこれでもカナリ譲歩しているぐらいだと腕を組む。
「俺だって別に妥協してる訳じゃない。けど、新築である必要はないし、これぐらいの広さがあれば充分じゃないかってこと」
「どうせなら新築が良い」
買い物にすぐに行けて、駅からも遠くない。耐震性は勿論、耐火性にも優れていて、どうせならシステムキッチンが良い。南窓で、リビングは当然十二畳以上。各部屋は六畳以上。浴室乾燥機もあって……——。
つらつらと自分の理想を連ねたら、魏嬰は呆れた顔で私を見た。
「そんなの、何年ローン組むんだよ」
「ローンなど組まない」
「……お前、そんなに金あるの」
「使うところが特にないからな」
蓄えは充分にあるし、これからだって稼げはするだろう。
ローンなど組まなくても良いし、今後の生活費に困らせることもしないとキッパリ云えば、はぁ……と魏嬰が何とも形容し難い溜息を吐き出した。
「判ったよ。藍湛の好きに選んで良い」
そんな感じの条件で探し直すから、と魏嬰は肩を竦めた。
そうして目星を幾つかつけて、私がオフの日に二人で不動産屋に赴いた。
何件かモデルルームを巡り、ここが良いと私が選んだマンションの一室をぐるりと眺め見た魏嬰は立派な家だな……と苦笑を混じえて笑った。
「確かに立地も内装も景色も悪くない。藍湛がここが良いと思うならそうしよう」
魏嬰にしてみれば、家など雨風凌げて少し広めの部屋だったら良いくらいの感覚でいたらしく、私の理想を全部叶えた家に多少の呆れを滲ませていた。
即入居可能だったマンションだから、私たちはすぐに引越しの準備をした。
とはいえ、お互い絶対に必要なものは少なく、引越し作業には差程困らなかった。
ライフラインを整え、引越し作業をする傍ら、新しく据える家具や家電も見に行った。
ダイニングテーブル、ソファ、ベッドにテレビ等々。
互いの意見を擦り合わせて選び、即日配送を頼んだ。
「てゆーか、ベッド、デカくないか?」
キングサイズのベッドを選んだ私を見る魏嬰に、お前は寝相が良くないだろうと意地悪く云えば、彼は「そーですね」とわざとらしく唇を尖らせた。
三部屋の内、一部屋はベッドルーム。もう一部屋は私の衣装部屋。そして魏嬰の作業部屋に充てることにした。
本格的に入居が完了したのは、家を買うと決めてから二ヶ月後のことだった。
夜半に行われた撮影から新しい家に帰れば、鍵を開けた音と同時に廊下をパタパタ歩く音。
「お帰り、藍湛。遅くまでお疲れ」
腕を背で組んでにこりと私を迎え出た魏嬰に、あぁやっぱり同棲を決めて良かったと満足しながら、私は靴を脱いですぐに魏嬰を抱き締めた。
ただ連絡先も交換出来ず、キャストと客というビジネス的な付き合いしかなかった私たちが、こんな風に暮らせるようになるだなんて思わなかった。
魏嬰がクビになった理由はほぼ確実に私と旅行に行った件の所為だろうが、こんな未来が待っていたのなら、あそこで旅行を提案し、それを呑んだ魏嬰の選択に悔いなど欠片も感じなかった。
広いベッドの中央に寄って、魏嬰の首の下に腕を差し込む。もう片腕は彼の腰。
「魏嬰」
「ん?」
「好きだ」
「……今更何を」
「何度だって云いたい」
「……俺も、藍湛のこと好きだ」
何度だって云うさ。
私の頬に掛かった髪の毛を後ろに撫で付けながら、魏嬰はくすぐったそうに笑った。
「藍湛に出会えて良かった」
そっと目尻を這う指が愛おしくて、私は愛撫を喜ぶ猫のように目を細めた。
夜も朝も魏嬰が傍に居る。
ただそれだけ。それだけのことが酷く尊いことのように思える。
また今度、と。曖昧な約束が必要なくなった毎日は幸せに満ち溢れていた。
「おやすみ」
魏嬰の後頭部を指先で撫でたら、あぁ、と笑みを含んだ返事を寄越される。
「おやすみ、藍湛」
魏嬰の柔らかな声音は、私が今まで聞いてきたどの就寝の挨拶よりも穏やかな眠りを誘った。
朝起きたら「おはよう」とすぐに笑い合える、そんな毎日が待ち構えているのだと思うと、これからの毎日が極彩色を纏うような気がした。
魏嬰と出会えて、本当に良かった。
基本無神論者ではあるが、この幸せは神に感謝の言葉を告げるに値するものだった。