有川譲は審神者である。大会の帰り道、日も落ちきったような時間だった。
部活仲間ともとうに別れひとりで人気のなくなった道を歩いていた。
とはいえまるで人通りのない通りというわけでもない。時々でも人や車が通りがかる生活道路だ。
だからその車が視界に入った時もなんとも思わなかったのだ。
窓に黒くスモークのかかったワゴン車。
真横を通りがかった瞬間、言葉を発する間もなく口をふさがれ拘束される。
バチッと首に痛みを感じるや否や体がしびれて力が抜けてしまった。
それなりに鍛えた体のおかげか未だに白虎の加護が健在なのかどうなのか、それなりに強烈な一撃でも意識は保てたのは幸いと言っていいのか悪いのか。
大した抵抗もできぬまま拘束され、車に連れ込まれてしまった。
「車を出せ。」
扉を閉めると同時に袋のようなものを被され、後ろ手にきっちりと拘束され床に転がされた。異世界の旅路も楽ではなかったが、まさか元の世界で人さらいに遭うだなんて。
身代金目的だろうか。しかし不自由はしてないがそれでもごく一般的な家庭でしかない。わざわざ男子高校生を襲うにはリスクが大きすぎる。
怨恨の線でも正直ピンとこない。
すぐに何かをされるということはなさそうだが、ろくな抵抗もできないままあっという間に連れ去られてしまった。
どうしよう、家族が心配する。大会のあとは両親や兄だけでなく、近所に住む先輩も労いに来てくれることが多い。
なんで警戒しなかったんだ。その気になれば、なんとか振り切って逃げることも不可能ではなかった。
ああでも。
こんな目に遭うのが先輩じゃなくてよかった。
「こいつ、意識があるようです。」
「そりゃいいな、頑丈なほうが"持ち"そうだ。」
誘拐犯が気付いたようだ。
よほど強烈なスタンガンをあてたのか目の前がチカチカしていたが、痺れる口をなんとか回す。
「こんなことをして、何が目的だ。」
「喜べ、お前は貴き方々のためにその身を捧げるのだ。」
意味が分からない。
貴き方々?
誰のことを言っている。
駄目だ、頭がズキズキする。
「悪いが、うちに身代金を払えるほどの金はないぞ。もし兄さん関連の怨恨ならそっちに言ってくれ。」
「うるさいな、自分の立場が分かってないのか?これだから過去の奴は馬鹿で嫌いなんだ。」
「おいおい、そう言ってやるな。かわいそうだろ。」
「親切ですよ、親切。身の程をわきまえない奴は早死にしちゃうぞ~っていう忠告です。長生きはするに越したことはないでしょう?」
「それもそうだな。ああ、心配するな。別にお前の家に金をせびりたい訳じゃないし、お兄さんにも用はない。たまたま丁度よく、条件に合うお前が通りがかっただけだ。」
「条件…」
意識が遠のいてきた。
気を失う間際、確かに男が言ったのを聞いた。
「霊力や神力を持っている奴だよ。」
ああ、やっぱり。
ここにいるのが先輩じゃなくて本当に良かった。
※
浮遊感を感じ、そのまま体が落ちた衝撃で目を覚ました。
痛む体をさすりながら辺りを見渡すと、どうも武家屋敷のような場所に連れてこられたらしい。
今居るところは正門だろうか。
人気はなく、誘拐犯たちは早々に去ったようだ。
どうやらいっしょに回収した荷物もそのまま置いて行ったらしい。
部活の弓矢がそのまま手元にあるのを運がいいのやら。とりあえず護身の武器にはなるだろう。
大きな門を押し引きしてみたが、不思議なことにうんともすんともどころか軋む音もしない。ピタリと壁に固定でもしているかのようだ。
門の反対には大きな屋敷が見えるが、これがまた、どう見ても廃墟だった。
梶原屋敷や奥州藤原の屋敷と造りは似ているが、人が住みきちんと手入れがされていたあちらとは一目瞭然。
いつ倒壊してもおかしくない有り様としか言いようがない。
そして
ここはよくないものが漂っているようだ。
まずは安全を確保しなくては。
一緒に放り投げられたらしい刀を拾い、足早に離れへと移動した。
なんとかたどり着いた離れだったが、思ったよりも酷い様相だった。
一応雨風をしのげる程度に形は残っているが、あばら家一歩手前といっても差し支えない。
力いっぱい押した柱がぐらつくことはなかったので倒壊の危険はなさそうだが、補修は必須であった。
比較的まともに残っている壁を背に荷物を解く。
と言っても大会帰りが大した荷物を持っているわけもなく。
携帯電話と財布と空の弁当箱とわずかな菓子類、タオルと痛み止めのスプレーにテーピングテープくらいか。
あとは大会で使用した弓道具一式。入賞の賞状は顧問に預けてあるので手元にない。
服に至っては道着のままである。
最低限の安全を確保するべく、弓の調整を始めた
きりきり、ぴしり。
きりきり、ぴしり。
音が鳴るたびに周囲の靄が少しづつ薄れていく。
異世界で度々行った習慣のひとつだった。
「景時さんに話を聞いておいてよかった。」
弦を鳴らして邪を祓う。
実体を得た怨霊相手では時間も力も足らないが、形どることも儘ならない穢相手ならある程度は有効である、らしい。
特に白虎は元々邪気に対して一際有効な力をもっているらしく、陰陽師でなくとも八葉として多少は恩恵にあずかることができるらしい。
詳しいことは分からないが、いつだったか景時はそんなことを教えてくれた。
当時は少しでも先輩の助けになればと思い覚えたことだが、こんな形で役に立つ日がこようとは。
行為そのものの威力は強くないが、少なくとも『悪いもの』をなるべく寄せ付けなくすることはできる。
人気はないが嫌な空気が漂っているこの場所で、今できる唯一のことかもしれなかった。
目を覚ますと、幾分かは明るくなっていたがまだ靄がかかり薄暗かった。
時計を確認すると日は昇っている時間帯になっていたので、天気が悪いせいだろう。
飴を一つ口に放り込む。慰み程度にしかならないが、何も食べないより全然ましだろう。兵糧は死活問題だ。
逆に言えば手持ちの菓子類が底を尽く前に脱出するなり食料を確保するなりしなくてはならない。
改めて刀を手に取ってみる。
大分粗雑に放り投げられていたような気がする。
兄や九郎たちも刀を佩いていたいたが、もっと丁寧に扱っていた。
自分の弓もだが、大事な武器なのだから、いざという時に問題が出ては困る。
「武器を粗雑に扱う者は自らの命を捨てていることと同義だ」とは、師匠の言だっただろうか。
詳しくはないは立派な拵えだと思う。値が張りそうだ。
重量感もかなりある。
やはり本物なんだろうか。
鞘から少し刃を引き抜いてみよう柄を握った時だった。
ぶわり、と鈴の音と共に花弁がはじけた。
「蜂須賀虎徹。贋作といっしょにしないでもらえるかな。」
「えっ」
目の前に金の鎧をまとった長髪の男が現れた。
異世界に転移した時もいろいろと訳が分からなかったが、あの時は先輩がいて、何かと気にかけ助けてくれる仲間もいた。
今度はどういう状況なのだろうか。
試合帰りに拉致され、薄気味悪い廃屋に放置され、誰もいないと思えばどこからともなく男が現れた。
いや、そもそもとして。
自分は今度は生きて帰ることはできるのだろうか。