思慕 彼と最後に会ったのはいつだったか。どこで会って、どんな会話をしたのか。度々思い返してみるのに、どうしてもよく思い出せない。何の変哲もない日常だったからなのか、それともその後の目眩く出来事がかき消してしまったのか。
「ねえ、唄乃(ばいの)」
庭で自主トレをしている唄乃に声をかける。唄乃は相変わらずの不機嫌そうな顔で僕を見た。
「なんだ、沫夜(まつや)か」
何の用だ、とつっけんどんに言われる。いつもそう。僕が何を話そうとしているのか分かっているのかもしれない。それでも僕は続ける。
「僕達はもう元の世界には帰れないのかな」
数年前、僕と唄乃は生まれた世界から飛ばされてしまった。何がどうしてそうなったのかは分からない。ただ気が付けば、見知らぬ場所に唄乃と二人で立っていた。そこは僕と唄乃が暮らしていた世界とは違う次元に存在する、いわゆる異世界だった。色々あって、僕と唄乃はそこで出会ったみんなとこの不思議な館で暮らしている。
「さあな。元の世界がどうなってんのかも分かんねえし」
「うん……。みんなどうしているかな」
唄乃は何も答えなかった。答えようがないから。
「あいつも、元気にしているかな」
思わず彼のことを口にする。名前を言わずとも、唄乃には誰のことか分かると思う。
「……あいつのことだ、元気にしてるだろう」
今度は僕が何も答えられなかった。
彼は僕と唄乃の幼馴染だった。ずっと三人で一緒に、遊んで、学んで、戦った。僕と唄乃にとって、大切な戦友でもある彼。なのに、どうしてよく思い出せないのだろう。
――ああ、そうだ。彼も唄乃も、僕を置いて黙ってどこかに行ってしまったんだ。
だから、思い出せないんだ。そう、いつも同じ結論に辿り着く。
頭が、痛い。
「会いたいね」
僕は吐き出すように言う。それはささやかな願い。胸がきゅっと締めつけられ、少しだけ声が震えてしまった。気を緩めると涙が零れそうだった。
そんな僕に思うところがあったのか、唄乃はゆっくりと背を向ける。
「……そうだな」
素っ気ない言い方だった。きっと何度も同じ話をする僕に苛立っているのだろう。何も言えなくなってしまった僕に、唄乃はいつもと変わらない様子で続ける。
「心配しなくても、またいつか会えるだろう」
そうだといいなと思いながら、僕は小さく相槌を打って、その場を後にした。
もうずっと唄乃と同じような会話を繰り返している。元の世界のことや彼のこと、少しでもいいから何か話したかった。過去ではなく、今の話として。そうして繋ぎ止めておきたかった。別の世界での日常の中で、いつの間にか忘れてしまうのが、何よりも怖かった。
――――――――――
「ねえ、唄乃(ばいの)」
それは庭で日課の鍛錬を一人でしている時だった。俺は鍛錬を中断し、その聞き慣れた声の主の顔を見た。
「なんだ、沫夜(まつや)か」
我ながら白々しい返答だ。声をかけてきたのが沫夜なのは分かりきっていたし、これから彼女が何を話すのかも大体予想できる。
「僕達はもう元の世界には帰れないのかな」
ああ、やっぱりそうだ。
数年前、俺達は生まれた世界から追い出された。世界は強大過ぎる力を得た存在により壊れてしまった。突然起き始めた世界の異変を調査する部隊が編成されたが、手遅れになってしまった。時空は歪み、やがて動きが止まる。全てが静止してしまう前に、俺とあいつは最後に一か八かで足掻いた。その結果のお蔭か、俺と沫夜は別の世界に辿り着き、紆余曲折を経て今に至る。
元の世界に帰れる可能性はほとんどないと思っている。静止していく世界が脳裏に焼きついて、僅かな希望をかき消していく。
「さあな。元の世界がどうなってんのかも分かんねえし」
「うん……。みんなどうしているかな」
半分嘘で半分本当のことだ。だが、沫夜は知らない。まだ僅かな希望を抱いている彼女に俺は本当のことを言えないままでいた。
「あいつも、元気にしているかな」
沫夜が寂しそうに言う。名前を聞かなくても分かる。俺と彼女のもう一人の幼馴染のことだ。
「……あいつのことだ、元気にしてるだろう」
俺にはこれくらいのことしか言えなかった。せめてあいつがここにいればよかったのにと、どうにもならないことを考えていた。
最後にあいつを見たのは二人で故郷に帰っている途中だった。一心不乱に走っていた俺は気付かなかった。
「彼女を頼んだよ」
そう言われた瞬間、前に吹き飛ばされた。慌てて振り返ったが、あいつの姿はもう完全に見えなかった。どこに行ったのか、生死さえも分からない。ただ進むしかなかった。
その後のことは正直あまり憶えていない。気付いたら見知らぬ場所にいたが、隣に沫夜が居るのを見て安堵した。
が、すぐに気持ち悪くなるほどの動悸がしたをよく憶えている。
「会いたいね」
彼女の切実な想いが伝わってくるような弱々しい声だった。胸がざわつく。彼女の顔を見ることができず、俺は視線を逸らすように背を向けた。
「……そうだな」
なるべく普段通りに振る舞おうとして、素っ気なく言ってしまった。それでも本音は押し殺さなくてはならない。取り繕おうと言葉を続ける。
「心配しなくても、またいつか会えるだろう」
小さな相槌が返ってきた後、沫夜は館の方へ戻って行った。
元の世界のこともあいつのことも話せないまま数年が経ってしまった。彼女を絶望させてしまうのが怖かった。いや、俺が本当に恐れているのは別のことだった。でも、いつかは話さなければならないだろう。
……。
どうして、今彼女のそばにいるのがあいつじゃなくて俺なんだろう。
どうして、俺じゃなくてあいつなんだろう。