暖かな穏やかな夢の中で2(仮題)――アキだったモノと結局一日過ごした
不思議とこのアキは殺意がなく顔にある銃も右手の銃も撃たない。試しに拘束具を外して自由にさせるが攻撃の意思が何もなかった。デンジ、と名前を呼ぶだけでそのまま座り続けるアキにナユタは訝しげだ。
「デンジ、どうすんのこれ?」
「せんせーは預かれって言ったんだ、預かるしかねぇよ……」
一応はアキだからアキと呼ぶことにして、だ。アキを家に置くには今後のことは同居人のナユタにも許可を貰わなければならない。仮にも支配の悪魔と言われるだけあってナユタの方が軍配はあるのだ。家を領域と定義づけて支配する悪魔に内側に入るのは至難の業であることは確かだった。
「でもデンジってアキのモノだったんでしょ?それじゃ私のモンにならないじゃん!」
確かな独占欲は支配の悪魔らしく高慢だ。無自覚にデンジをモノとするその言動は紛れもなくナユタの悪魔としての本質そのものだった。
「オレはオレんモンだ!」
犬たちは隙あらばナユタの食べ物を狙おうとするから牽制しつつもそんな会話を繰り広げる。かつてマキマであった少女は似た容姿とは似使わない程にデンジに似ていた。知能指数はナユタの方が高いが、それでも対話は互いに同レベル。おおよその平行線へと続くアキの処遇を巡り、ただすれ違った。
「……じゃあ、置いて良いよ」
一応これもデンジの大切なモノだったし。結局はナユタが折れる形となった。これと表現するのはアキなのだが。デンジのモノと表現されてデンジの僅かに頬が赤らむ。茫然としたデンジが僅かに見せたその感情の色彩は無自覚で一瞬のことだった。その感情の機敏を同心円状の瞳が捉える。
「ただし条件は二つ。これを守れない場合家から追い出すから」
ただ静かに、それを見据えた上でナユタは条件を二つ取り付けた。見返りを求めるそれは契約のようだった。一つ、人差し指を立てて条件を述べる。
「まず一つ、毎日おやつを用意すること」
「……おやつは駄菓子で良いな?」
「たまには別のにしてね!」
俺にもたまにくれよ、これに関してはデンジも問題はないようで交渉は成立した。どうにも条件に個人的な感情があるようだが、これに関しては矯正出来ないものか?教育に悩むデンジに対してナユタは二つ、と言葉を発して条件を提示した。人差し指の次に親指を立ててナユタはピストルの形に指を作った。
「この魔人を好きにならないこと」
「……は?」
二つ目の条件を提示された瞬間、デンジは固まった。好き、とは?単純な好きではなく愛しているとかそういうの。英語の授業で見たlikeではなくloveの方だ。「……は、」とまた声が出るもナユタは更に続けた。
「だってアキって人死んでるんでしょ?これは違うし、別に良いじゃん」
「や、でもこれはアキだったし……」
「デンジは私が一番大事って言ってたもん!」
だからこれ大事にしなくても良いじゃん、胸を張ってそれを言う少女は自信に満ちている。ポチタの言葉通りデンジが沢山抱き締めて愛情いっぱいに育ったナユタ。彼女は紛れもなくデンジの家族だった。それはかつてマキマが出来なかった、なれ果ての願い。
――その願いとは他者との対等な関係を築くことだ
支配することしか出来なかったマキマにとっての悲願だった。ナユタも無自覚に抱いたその願いはデンジによって解消されてはいたのだが、ナユタは既にデンジだけで良いと完結してしまっていた。
――デンジには自分だけ居れば良い
そう思う程に彼女の束縛は強くなる。女とイチャつくのも駄目でましてや他人など。ナユタは家に上がる客人にはルールを押し付ける。故にそれに反した者を許さない。幼くとも主張するナユタは支配の悪魔らしく、人ではない感覚でデンジを愛した。デンジもそれを知った上でナユタと共に生きている。
――もうデンジにはナユタしか居なかった
パワーは血の魔人だからいずれ会えるかもしれないが、デンジは孤独だった。記憶のない父親を殺し、母親も既に居ない。初恋のレゼだって居なくなって、友達になれたかもしれなかった姫野も死んだ。マキマも殺して食べて。……心から愛したアキだって、自分の手で殺したのだ。
――更にナユタまで居なくなるのはきっと嫌だった
どうせ心の中は糞の詰まったトイレの底に沈んでいる。優先すべきことはもう分かっていた。自分で考えて決めると生きると決めたのだ。
「……分かった、この魔人は大事にしない」
からからと枯れた喉から漏れた声はきっと諦めだった。大事にしない、それはきっとモノみたいに扱えということで。家族に数えないことだ。僅かに軋む心は確かに錆びつく音がする。
「……ホント?」
「置いておくだけだ」
先生が引き取るまでだ、そう言ってデンジは二つ目の条件を呑む。あんたは今日から私のモノ。そう言いつけて銃の魔人に指差したが反応はなかった。デンジ、壊れた機械のように繰り返すそれはあの襲撃の激しさとは程遠い程に大人しい。だからこそ分からなかったがナユタは容赦なくアキの頭部目掛けてチョップを繰り出した。このポンコツ、忌々しいように睨むその仕草は威嚇する猫のようだ。テーブルに頬杖をつくデンジはそれを見て静かに笑む。
「一番大事なのはナユタだよ……」
いつものように呟けばナユタは嬉しそうに笑った。デンジから教わったピースサインを見せつけて屈託なく笑うナユタを守りたい。きっと同じことを言ったかつての恋人も同じ想いだったことを思い出して、デンジはナユタの頭を撫でた。
――――――――――――――
――早川アキは普通の子供だ
生まれは日本、雪深い北海道。両親と弟を含めた四人家族。アキは賢くそれでいて快活な少年だった。年相応にキャッチボールをすることが好きな男の子。だけど独りじゃキャッチボールは出来ない。父親にせがんでも病弱な弟のタイヨウに構いっぱなし。母親も皆タイヨウの味方で、アキは構って貰えなかった。
――独りで何をしようか
グローブもボールも家の中。周囲にある冷たく降り積もった雪がアキの知る世界だ。寒いけれど、どうして此処に居るのか分からなかった。その身を震わせて両腕を擦り合わせて温めるが効果はない。
「うっ、寒っ……なんでオレ外に来たんだっけ?」
何をしたかったんだっけ?ふと視線を感じて顔を向ければ自分よりも身長の高い青年が居た。くすんだ金髪、同じ色の眉毛がひしゃげて茜色の瞳が困惑したように左右に動く。何かを言っているけれど分からなかった。
「デンジ……」
何を言っているのか分からないけれど無自覚にその名を呼ぶ。見覚えのない青年、それでもその名を呼ぶたびに胸の中で何かがせり上がってくる。何度も呼ぶたびに、熱が灯る。寒かった雪の中、暖かくなったその熱量はアキの胸の中で何かが根付いた。コイツと何かがしたいと胸の中で何かが叫ぶけど、幼いアキには到底思いつかない。
――何して遊べば良いんだろう?
アキは必死に思い起こす。雪合戦は好きじゃない。手が冷たくなるだけだし、寒くてかじかむだけ。何の生産性もない遊びでしかないのにアキの周りには雪しかないのだ。グローブもボールも家の中だし戻りたくなかった。だって父さんと母さんはタイヨウだけだ。きっと俺は要らないって思い知らされる。
――だけど、デンジなら
きっとオレをかまってくれる。そんな打算にも近い期待はアキの胸を弾ませた。まず名前を呼ぼう、そう判断してアキはその名を呼び続けることでその身にデンジの名を刻んだ。返事か返ってくるまでアキはめげることなくデンジを呼び続けた。