視界の端。ベッドの端に転がっていたスマートフォンの液晶がパッと明かりを灯し、ゼロス・ワイルダーは膝の上に置いていた台本から、自然、そちらの方へと視線を動かした。
どうやら帰宅してからマナーモードを解除するのを忘れていたらしい。
台本を傍らへと置いて、待受画面の中心にSNSアプリの新着メッセージを告げる小さなポップアップが浮かべたスマートフォンを手に取る。
平日の二十二時───最もゼロスには平日と休日の概念は無いのだが───この時間帯に、ゼロスのプライベート用のスマートフォンへと連絡を送ってくる相手は限られている。
ポップアップをスワイプし、アプリを開く。
表示されている名前は、やはりゼロスの想像した通りの人物であった。
「ゼロス!」とこちらの名前を呼ぶだけのの短いメッセージ。あまりにも要領を得ない。送り主次第では無視してしまう所だが、この相手に限っては無視する、という選択肢はゼロスの中に存在しない。
吹き出しの形をしたアイコンの下に、小さく既読の文字が浮かぶ。それを確認したかのように、ポッと小さくスマートフォンが鳴いて、新たなメッセージが表示された。
「……へぇ」
次に送られてきたメッセージに目を通し、思わず口角が上がる。
───俺、ドラマの仕事決まった!
小さな画面の中で、花束を抱えた犬のスタンプが嬉しそうに花を撒き散らしていた。
*
数年前に結成、満を持して発表されたデビューシングルが初登場にしてオリコンランキング一位を獲得。
その週でミリオン達成を遂げた新進気鋭のアイドルグループ「Dreamers」は、デビューの勢いから失速することなく多くのファンを魅了し続け───数年経った現在、その名を見かけぬ日がないくらいの超人気アイドルグループとして、日々、飛ぶ鳥を落とし続けている。
その活動は歌唱だけに留まらず、アイドルの枠を超え、ドラマやバラエティ、コマーシャルの出演、はたまた舞台演劇主演の抜擢、ブランドの専属モデル……と各人がマルチに活動し始めた、そんな頃。
ゼロスと対に扱われる事の多いメンバーの一人、ロイドは、正直な所を言ってしまうと、デビュー当時はメンバーの中で最もファンの数が少なかった。
2.5次元舞台出演経験があるルーク、そしてモデル上がりのゼロスと違い、ロイド、スレイ、ミクリオは素人同然のような状態からのデビューだった。同い年という事もあって、当然、素人の三人は比較される事が多い。
デビューシングルのヒットを受け少しずつメディア露出が増えていく中、受け答えがぎこちない素人三人に焦点をあてた時、メディアが注目したのはスレイとミクリオが同郷出身の幼馴染である、という点だった。
ロイドの発言の機会が奪われたのは決して本人のせいではない。全てはメディアの、そして無能なインタビュアーのせいなのだ───というのは、今にして湧き出ているゼロスの不満なのだが(当時のゼロスはロイドはおろか、他のメンバーにもさして興味が無かったのだ)、それはともかくとして。
発言の機会を奪われれば、当然、視聴者の目にも留まらなくなる。ロイド自身、特に秀でた何かがあるわけでもない。
比較をせずとも、自分が他のメンバーと比べて人気が少ない事くらいすぐに分かるであろう、そんな状況で。
落ち込む訳でも、怒る訳でもなく。
ロイドはただただ、自然だった。
今や「お茶の間の孫」だの「攻略王」だの、そんな二つ名さえ浸透し、嫌味のない爽やかさから出演したコマーシャルの数はゼロスをゆうに超えたロイドが、不遇と思われた状況からどうしてここまで上り詰める事が出来たのか。
たまたま出演作が「ハネた」訳ではない。何かスキャンダルがあった訳ではない。
物凄く歌が上手い訳でも、メンバーの中で特出してダンスが出来るわけでも、トークが上手いわけでも、ない。
けれどどうしてか、視線が惹きつけられる。
ステージ全体に向けられた笑顔が、まるで自分だけに向けられたものだと錯覚さえする。一挙手一投足に期待して、もっともっと「次」が見たくなる。
人を惹き付ける魔力というものが存在するのであれば、ステージの上に立つロイドはそれそのものだった。
彼の事を知れば知るほど、深みに嵌る。
ロイド・アーヴィングは人を笑顔にするために生まれてきたのだと、熱心なファンは語る。
そうしてじわじわとファンを増やしていったロイドが、対極的といっても良いほどタイプの違うゼロスとセットで扱われるようになったのは、プロデューサーの方針などでは一切無く、ゼロスの粘り勝ちとも言えた。
ゼロスはそもそも男という生き物が嫌いだ。暑苦しく粘着質で、自身の利益を考えられないような率直な馬鹿は特に。そんな訳で、嫌いなタイプど真ん中を行くロイドのことは、メンバーの中でも特にどうでもいい存在として扱おうとしたのだ───少なくとも、最初の数ヶ月は。
彼の存在を無視出来なくなったのは、観客ばかりではなく。
……ゼロスもまた、彼という存在に絆されたファンの一人であった。
ゼロスがロイド・アーヴィング強火担として名を馳せるまでに、乙女ゲームも真っ青なイベントの数々があった事はさておくとして───今回の本題である。
ロイドをはじめとした、グループのメンバーがドラマに出演する事はさして珍しい事ではない。
ドラマの仕事が決まった、と報告をしてきたロイドにしたって、今回がはじめての仕事という訳でもないのだ。勉強嫌いのロイドは最初こそ台本を覚えなければならない、という暗記染みた作業に強い苦手意識があったようだが、持ち前の器用さでアドリブを混ぜつつも上手くやれていたようだ。
にも関わらず、ドラマの仕事について相談したい事がある、と改まって連絡をしてきたロイドを不思議に思いつつも、ゼロスはそれを二つ返事で了承した。
ロイドとの約束当日、仕事終わりのロイドがゼロスの自宅を訪ねて来たのは21時を過ぎた頃だった。
互いの家に行き来するのは最早日常茶飯事だったが、こちらは地方に遠征していたし、ロイドはロイドで高校の中間試験があったようで、こうして家で会うのは随分と久しぶりだった。
細く開かれた玄関に滑り込むようにして入ってきたロイドにやんわりとハグをし、キャップを外し、押しつぶされた髪を犬さながらに掻き混ぜてやる。
「久々〜。ロイドくん、メシは?」
「コンビニで買ってきたからこれから食う、いーか?」
「別に食ってきても良かったのに。どうせ泊まるんだろ?」
「ん。そのつもり……いつもありがとな」
ゼロスからのスキンシップに、ぽんぽんと軽くゼロスの背を叩いて答えたロイドが、勝手知ったるといった風情でブーツを脱ぎ、リビングへと向かっていく。
「味噌汁とか作ったら食うー?」
ダイニングキッチンから覗き込める位置にあるテーブルへとロイドを座らせ、冷蔵庫を開きながらロイドへと問いかける。お茶だけでいいよ、と答えたロイドに頷いて、ペットボトルのお茶と、自分用のビール缶を両手にテーブルへと戻ると、ロイドは既に弁当を食べ始めているようだった。
横目に見ても、あまり美味しそうではない。
「駅前に色々店あるじゃん。なんで食ってこなかったんだよ」
未成年のロイドが入れる店といえばファーストフード、チェーンの牛丼屋、或いはファミレスくらいだろうが、コンビニ弁当よりは遥かに気持ちが満たされるだろうに。
そんな気持ちを込めての発言だったのだが、ロイドには上手く伝わらなかったらしい。
「……なんだよ、そんなに俺を外食させたいのかよ」
米の塊を口に放り込みながら、ロイドが上目遣いにゼロスを見る。
「……育ち盛りの十七歳にこんな時間にコンビニ弁当食わせるのはなあ〜って、オトナとしてちょっと苦言を呈したくなっただけよ」
顔が疲れている、とすぐに気付けたのは、職業柄か、それとも会うのが久々だったからか。
どうせ慣れない徹夜でもしたのだろう。
バスタブに湯でも張ってやろうかな、などと考えつつ、ビール缶のプルタブを外し、口の中へ流し込む。
「……なんか色々考える事多くてさ。どんだけ腹減ってても、周りの目気にしながらメシ食うのもイヤな時って……ゼロスにもあるだろ?」
「あー……、ま、そうね」
木っ端になった玉葱が纏わりついた豚の生姜焼きを掴みながら、神妙そうな顔付きをしていたロイドが不意に顔を上げた。
「……あと、ゼロスにも早く会いたかったし。最近、テレビでしか見てなかったから、元気で安心した」
そう言って、薄く微笑む。
「ッ……きゅ、急に飛ばしてくるなぁ〜〜」
「何がだよ?」
「なんでもねえです〜〜〜」
至近距離で食らう最推しのアイドルスマイルに軽く目眩を覚えつつ、ゼロスは照れを誤魔化すようにぐいぐいと缶の半分程を一気に開けてしまう。
「……で、改まって相談って何なのよ?」
ロイドが弁当を食べ終わるタイミングを狙いゼロスがそう切り出すと、ロイドは疲れた顔に悲壮感染みた色さえ滲ませて、そうなんだよ、と深い溜息をつく。
どうやら余程深刻な内容らしい。
それを他でもない自分に相談してくれる事に嬉しさを感じつつ、ゼロスは椅子に深く座り直す。
口の中に残る脂を勢い良く洗い流すように、ペットボトルを煽ったロイドは、重たそうな唇をゆっくりと開いた。
「……えーと……、ドラマの仕事が決まった、んだけど」
「ああ……言ってたな。もう情報出しはしていいのか?」
「それは大丈夫、もうすぐ告知も出るし。関係者の人はみんな知ってるし……。それで、今回は準主役くらいの役どころで……かなり出番も多くて」
「へぇ! 良かったじゃねえか。こないだの仕事ン時台本はなんとなくコツを掴んだって言ってなかったっけ?」
「ああ、台本はもう大丈夫だぜ」
てっきり暗記量が増える事が問題なのかと思えば、そうではないらしい。歯切れの悪いロイドを励ますようにして、話の続きを促す。
「で、ドラマなんだけど、漫画の実写化したやつで」
「うんうん」
「俺は知らなかったんだけど、すっげえ売れてる少女漫画らしくて」
「うん」
「えーと…………、ん〜……、その、……キスシーンが、あって。俺と、主人公の」
「………………………キス……シーン?」
少女漫画原作なら、グループやロイドのファン層的にもかなりの視聴率が見込めるだろう。中々美味しい仕事じゃないか───、そう告げようと思ったのに、ロイドから告げられたその一言で一瞬にして思考が固まった。
べき、と悲鳴を上げてアルミ缶がめり込む。
「俺の役、なんだっけ、えーと、当てウシ? っていうのか? 最初はヒロインといい感じなんだけど、ヒロインは結局違う奴の事が好きになっちゃって、でも諦められね〜! ってなるやつ」
それは当て馬というのだ、といつもならば突っ込んだ筈だが、思考が真っ白になったゼロスは何一つとして言葉を絞り出せない。
ロイドが告げた原作漫画のタイトルは、確かにロイドが言う通り、あまり漫画等を嗜まないゼロスでさえ知っている有名タイトルだ。確か一度、モデルの仕事をした雑誌で小さく特集を組まれていたような気がする。
ごくごく普通のヒロインが、素行が悪いが根は優しい不良男子と幼馴染の男の間で揺れて吸った揉んだする超古典的な内容だった筈だ。
女の子はいつまでたってもこういうのが好きだねぇ、とその時はさして意識にも留めなかったが───ロイドが言った情報から察するに、ロイドは恐らく「不良に負ける優男の幼馴染」役なのだ。
所謂「当て馬」なのだが、この手のポジションはヒロインとくっつく方よりも人気が高かったりするのだ。正直ハマりすぎて最高だ。キャスティングした人間を全力で褒めてやりたい───が。
「キッ、ス、シーン……」
壊れたロボットのようにイントネーションが安定しないゼロスに頷いて、ロイドがそうなんだよ〜、と深く項垂れる。
「……自慢じゃねえけど、俺、そーゆー経験って全然ねぇからさー、だからゼロスに相談したら何か分かるんじゃねーかと思って」
「…………、」
確かにこの手の相談をするなら、メンバーの中ではゼロスが最適といえるであろう。ゼロスの女好きはメンバーはおろか、ファンの誰もが知っている。今は立場上「そういう」キャラで売っているだけで、プライベートでのそういった付き合いは皆無ではあるが。
「電子で一応原作漫画も買ってみたんだよ。風呂借りるから、その間にちょっと読んでみてくれないか? 台本も殆ど変わりないし」
第一巻の表紙が表示されたスマートフォンを手渡されるまま受け取ると、ロイドはじゃあよろしく、と、さっさと浴室の方へと行ってしまった。当然、湯は張れていないままだ。
ゼロスの気遣いなど知りもしないロイドは、当然のようにシャワーで済ませるつもりなのだろう。
遠くからくぐもった水音が聞こえるまでスマートフォンを片手に意識を飛ばしていたゼロスは、ようやく我に帰ると、ロイドのぬくもりが残ったスマホを握りしめ───叫んだ。
「……ロイドのキスシーン!?!?!?!!???」
*
さて。
烏の行水───というか、烏だってもう少し丁寧に水浴びをするだろう、そんな早さで入浴を済ませたロイドがゼロスの元へと帰ってくるまで、ダイニングテーブルからソファへと移動し、大人しく漫画に目を通していたゼロスである。
事前に内容は知ってはいたが、こうして実際に目を通してみると、やはりゼロスの見立て通りにロイドの役どころはかなり美味しいポジションであった。
最終的にヒロインとくっ付くのはロイドの方ではないが、ヒロインの幼馴染という立ち位置もあって、序盤からかなりの出番が用意されている。
成績はそれほど良くはないが、スポーツ神経抜群の好青年。ヒロインの両親とも面識があり、幼少期に結婚の約束までしているというお約束ぶりだ。
このポジションに充てがう今話題の俳優を選ぶなら、大半の人間がロイドを推薦しそうなほどのはまり役。
が。
肝心のキスシーンである。
ロイドが戻ってくるまでの短時間で全部に目を通す事が出来る訳もないので、ネットで適当にサーチをかけて該当シーンの巻数を探す。ファンの間ではそこそこ話題になったようで、探していたものはすぐに見つかった。
ヒロインへの感情が恋愛感情であると自覚はしたものの、それを上手く表現出来ずにいた幼馴染は、ヒロインに対してあたりの強い男に苛立ちを感じていた。自分ならヒロインにそんな顔は絶対にさせないのに、と思いつつも遠巻きにヒロインを見守っていた幼馴染は、ある日、泣いているヒロインに遭遇する。ついに感情を抑えきれなくなり、半ば無理やりヒロインの唇を奪ってしまう───、そうして二人の男によるヒロイン争奪戦が始まるのだ。
該当シーンを繰り返し読んだところでスマートフォンを放り、革張りのソファへと転がったゼロスは、天井を見上げながら深い深い溜息をついた。
そうして、先程のロイドの言葉を思い出す。
自慢じゃないけどそういう経験は無い、という言葉の通り、ロイドは恐らく異性と恋愛関係になった事はないのだろう。デビュー前までは休む事無く高校に通っていたそうだが、中高共に部活ばかりに熱中していたせいで成績が悪いのだと言っていた記憶は比較的新しい。
より良い人間関係の構築が新たな仕事に繋がるこの芸能界隈において、攻略王の異名を恣にする天然たらしぶりはどこに置いても変わらないだろう。
深く関わった人間程、深みにハマる。それはゼロスが良く知っている。
狭いコミュニティの中で一年間を過ごす学校生活において、あの男がモテない筈がないのだ。浮いた話一つ聞かないのは、あの男の異常なまでの鈍感さが原因なのだろうという事は容易に想像がついた。
彼に、周囲から向けられる視線の意図を汲む能力が少しでもあったのなら、彼女の一人や二人、居たのかも知れないが。
とはいえ、あの清々しいまでの鈍感さに助けられている自覚も大いにあるため、わざわざそれを指摘することはしない。
ロイドは同じグループの仲間であり、親友だ。きっとロイドも、同じ様にゼロスの事を想ってくれている筈だ。
けれどゼロスにとっては、そればかりではない。
別にBL営業をしろとかニコイチで売っていこうとか、そういった事を上から命令された訳でもなく、ゼロスがロイドの側にいたいのは───
「……しょーもな……」
ただただ、ロイドのことが好きだからだ。
「どうだった?」
ガシガシと無造作に髪を拭いながら浴室から帰ってきたロイドは、開口一番、ゼロスへとそう問いかけた。ろくに水滴を拭わないまま着替えたのか、シャツの肩口が濡れている。
どすん、と無遠慮にゼロスの脇へと腰を下ろしたロイドは、ゼロスが手にしていたスマートフォンを覗き込み、件のシーンが表示されている事を確認すると、困り顔で溜息をついた。
「つーかさ、こいつの考えてる事が良く分かんねえんだよな……」
自身が演じる事になる男を指差して、ロイドは続ける。
「こいつは主人公の事が好きなんだろ? 幼馴染で仲も良いんだし、気付いた時にそう言えばいいんじゃないか? 実際、無理やりキスして主人公はびっくりしてるし、可哀想じゃん」
「……はぁ、」
心底不思議そうに問いかけられて、思わず、先程のロイド以上に深い溜息が出た。購入したからには読破はしたのだろうが、全くもって登場人物の感情の機微を理解出来ていない。本当にこの男を恋愛ドラマに出演させて大丈夫なのだろうか、と一抹の不安が過る。
「……あのねロイドくん、幼馴染だからこそ言えない事もあるでしょうよ……」
「何がだよ?」
「だ〜から……、ヒロインちゃんとコイツはこれまで幼馴染で、良きお友達だったワケだろ? 仮にロイドくんに女の子の仲の良いお友達が居たとして、急に恋愛対象として好きですって言われたら困るでしょ」
「……?? 困る……のか?」
「普通は困るの! だってその子は、ロイドくんの事を恋愛の対象として好きって言ってるんだぜ? ロイドくんにその気が無くて断ったとして、前みたいに仲良く出来るか?」
「う〜ん……俺は別に気にしないけどな……」
「……。ロイドくんならそうかもね……、でも相手はそうじゃないんだよ、気まずいし、もしかしたら……友達でさえいられなくなるかもしれない」
───だったら最初から、全てを諦めればいい。
何より一番恐ろしいのは、関係が崩れること。愛おしくさえ思える他愛ないやり取りを、奪われてしまうことだ。
そんな事は、耐えられる訳がない。
「……まー、だから。こいつは関係が壊れるのが怖かったんじゃねえの、だから好きって言えなかった」
「ふーん……。で、泣いてるところを見て我慢出来なくなった……みたいな感じか? なんとなく分かった気がするかも」
「なんとなくじゃ困るんだけどなあ……」
フィクションの恋愛に感情移入するつもりなど毛頭無いが、「彼」が気持ちを伝える事を渋った理由が、ゼロスには痛い程分かる。知らず知らずのうちに解説に熱が入ってしまったのが功を奏したのか、ロイドもなんとなく理解が及んだようだ。
しかし、本題はそこではなかったはずだ。
「まぁ……実際撮影する時になにかしら演技指導は入るでしょ……そんなに心配しなくても大丈夫なんじゃねぇ?」
ロイドくんアドリブ得意だし、と、それとなく本題を避けるように誘導したつもりだったが、そんな事で身を引くロイドではなかった。
「気持ちは分かった。でも……さっきも言ったけど、俺、したことねーんだよな」
「……恋愛を?」
「そうじゃなくて。……キスを」
ロイドの口から発せられるその単語に、ぶわっと嫌な汗が額に吹き出す心地がした。早くなった心臓の音さえロイドに聞こえてしまいそうで、尻を浮かせて、僅かにロイドから距離を取る。
「だから……ゼロスに教えてもらおうと思って」
「ハァッ……?」
殆ど悲鳴に近い声が出た。
「恋愛系のドラマとか見て、俺なりにちょっと練習してみたんだけど……いまいちイメージが湧かないっていうか。相手役の人、スケジュールぎっしりで忙しいらしいし、何回もリテイク出したら申し訳ないなって思って」
ああ俺の相棒はなんて仕事熱心なんだろう。気が遠くなる。
そもそも原作にキスシーンが存在するからといって同じ構図で再現されるとは限らないし、相手が売れっ子なら尚更───などと言ったところで、熱血スイッチが入ったロイドが聞き入れるとも思えない。
この場合どう振る舞うのが正解なのだろう。強く拒否することは簡単だが、逆に「マジ」っぽさが出てしまうような気もするし、かといって安請合いするのも普段の女好きキャラが崩れてしまうような気もする。しかしながら、普段からロイドくん大好き! 営業をしているのだから、今更女好きキャラをアピールするのも今更感があるような気もする。
……そもそも自分はロイドと「そう」したいのだろうか。ギリギリおふざけで許されるであろうハグや頬へのキスは、ライブ中のパフォーマンスにかこつけて頻繁に行ってはいるものの、唇同士では話が変わってくるだろう。流石のロイドも嫌がるに決まっている。だが今回の場合に限っては、ロイドの方から頼まれている訳だからお咎めがない。つまりこの長年に渡る惨めな片思いにケリをつける為の、一つの思い出になるかもしれない訳で。
「………………、」
なんとか笑みを貼り付けた状態のまま、ぐるぐると思考をフル回転させているゼロスへ、ロイドが訝しげな表情で問う。
「なんだよ、嫌なのか?」
真剣な眼差しで正面から見つめられ、耐えられず、思わず視線を反らした。ひどく喉が乾いている。