つまさき軽い足取りでルンルン廊下を歩けば、すれ違う人たちからなにかあったの?と声をかけられ、つい頬が緩む。なにかあったのかと言われると…もちろんあった。
そのまま明るい足取りで部屋までたどり着き、ベッドに座って大事に手のひらで包み込んだそれを見る。
「……可愛い!」
ボフッ。勢いよくベッドに倒れ込んでそれを天井に掲げて、光に透かしてみると透き通った色にうっとり。彼の色に似て深い青色で、でもこうやって透かせばまた表情が変わって見える。
「……って眺めるためにもらったんじゃなかった!」
そう。これはメイヴちゃんからもらったマニキュア。彼女はいつも爪先まできれいに整えている。わたしはそんな余裕ないからあまりに気にしてなかったけど、たまにはいいんじゃない?なんて貰ったのだ。
(しかも小次郎の色に近いとか粋な計らい…!)
メイヴちゃんは本当に良くできた女の子。憧れちゃう。
「……あ、そういえばわたし、マニキュアとかしたことないや…」
……塗ったことがなくてもきれいに塗れるものなんだろうか。わたしは首をかしげて考えて、頭のなかのイメージ通りに出来るだろうか?と不安になる。こんな可愛いものを貰ったのに塗り方が下手くそだと、台無しになっちゃう気が…。
「……まあ、塗るだけだし…」
大丈夫でしょう!
気合いをいれて座り直し、とりあえず一本だけ塗ってみようと、マニキュアのふたをそっと開けた。
◆
「……………現実は、甘くない」
ポツリ呟いて、何回塗り直したかわからない爪を見る。除光液できれいに剥がして〇回目。何回塗ってもはみ出してきれいに塗れない。まさかここまできれいに塗るのが難しいだなんて、わたしはマニキュアを甘く見ていた。
「…そもそも向いてないのかな…」
カルデアに来る前もこんなおしゃれをしていたなら、きっと楽勝だったはずだ。でもわたしはこんなことほとんどしたことがなかった。もちろん軽くお化粧はしたことはあるけど、マニキュアは塗ったことはなかったのだ。
(……あんまり使うのももったいないかな…)
こんなに塗るのが下手なら、眺めているだけにすればよかった…。
「……はぁ~~……」
「ため息をつくと幸福が逃げるぞ」
「…小次郎、また物音もなしに部屋に来たの…?」
「はて。きちんと声はかけたのだが」
「うっそだぁ~…」
枕にうずくまっていると声が聞こえて、頭を上げればさらさらと彼の艶やかな髪が視界に入る。屈んでわたしの様子を見た小次郎は、ベッドの脇に置いたマニキュアを手にとって物珍しそうに見た。
「…あ、ごめん。片付けるね」
「…使っていたんだろう?別に私が来たからと言って片付けなくてもよい」
「……いや、なんか…うまく塗れなくて…」
「…」
「向いてないんだね。こういうの」
小次郎が手に持つマニキュアを返して貰おうと手を差し出せば、彼はまだそれをじっと見たまま どこに塗るんだ?と聞いてきて隣に腰かける。話したところで…と思いつつ気づくと勝手に口が動いて答えてしまって、彼は上目使いでわたしを見た。
「…指の、爪」
「爪?」
「うん」
「貸してごらん」
「え、でも…あ、」
「いいから」
とは言っても、小次郎はこんなの使ったことないだろう。本当に大丈夫なんだろうか、と思っていると否応なしに手を捕まれて固定されて、動かすなよ。なんて釘をさされる。拒否も出来たのにそのまま結局手を預けてしまい、とろりとした青紫色の液体が 爪につるんと塗られていった。
「……」
「…」
お互い言葉を発せずにただ爪を見て、マニキュア独特の薬品っぽい香りが鼻につく。彼は思ったよりも丁寧にそれをわたしの爪に塗っていって、ひとつ塗り終わる度に手をつかむ指先が、するりと手のひらを撫でる。それを何回も繰り返していくとようやく五本全部塗り終わって、固定する手が離れた瞬間、なんだかドッと肩の力が抜けた。
「………わ、」
「まあ勝手はよくわからないが、"塗る"だけならそれでいいのだろう?」
「す、ごい!すごいね小次郎!塗るのすごい上手!」
「塗るだけだしな」
「うっ」
グサリ。無意識に発した小次郎の言葉が胸にささる。その"塗るだけ"の行動にわたしが一体何回やり直したのか…考えたくもない…。
「どうした?」
「…わたしうまく塗れなかったから」
「…。私は器用だからなぁ。立香は何回も使っているうちに慣れるだろ」
「…器用なの羨ましい…」
「そこは突っ込んで欲しかったんだが…」
きれいに青紫色に染まった爪を見つめてため息をつくと、視界にフッと影がかかる。小次郎の長い前髪が爪につきそうになって慌てて距離をとれば、ちょっと傷ついた顔をした彼が目に写った。
「あ、ごめん。小次郎、爪…これ乾かさないとだめだから」
「そうなのか?」
「うん」
すぐに表情が戻った彼はまた近づいて隣に腰掛けて、わたしが爪に息を吹きかけるのを見てふぅ と真似をする。…なんか妙に距離が近いしこの状況は一体なんなんだと思うと、恥ずかしくて仕方がない。
「もう片方も塗ってやろうか?」
「いいの?」
「構わんよ。…それに、好ましいおなごが爪先まで己の色に染まると言うのも、悪くない」
「べ、べつに小次郎の色とか意識してないもん」
「そうか。それなら別に、それでも構わんが」
わたしのしどろもどろしながら答えた声に、小次郎はくすくす笑うとまだ何色にも染まってない手をつかんで固定させて、再びとろりとした液体を塗っていく。丁寧に慎重に。大事そうに塗るその手付きに、ドキドキして仕方がなかった。
「……小次郎の色、」
「ん?」
「小次郎の色、きれいで好きだから…」
「…やっぱり意識して選んだんじゃないか」
「だって、好きな人の色とかは…身に付けたくなるものでしょう?」
「………さあ。私には分からんよ。…分からないが、」
「あ」
「……己の色に染めるのは…好きかもしれんな」
もう片方の手の 全ての爪を塗り終えて、彼は先に塗った乾いた爪先に小さく口付けると、よく似合う。と微笑む。こういうことをされると、もっと好きになっちゃう。
一瞬で心臓が高く跳ねて体温が上昇し、顔もひどく燃えるように熱い。いちいちやることが格好よく見えてしまうのだ。小次郎は。
「…小次郎ってたまにそういうことするよね」
「嫌いならやめようか?」
「ううん。…好き」
「好き?」
「うん」
「…なら、これからはもっとやっていくか」
「それはほどほどにお願いします…!」
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