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    yamari56

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    yamari56

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    イデアズのご飯にまつわる短編集のうちの一つになります。モストロでキッズ向けのメニューを試作するにあたって、💀に監修を依頼するォクタ三人組の話です。イデアズは匂わせ程度です。

    今絶賛から面白いのかなぁ期に突入しているのですが、よろしければ皆様に読んでいただきたく…!

    異端の天才、借ります神イベだった。
    推しはまさかの超好待遇で、新規カードの配布もあり。何よりシナリオが爽快で楽しく、イデアはソシャゲのイベントを走り切ったあと、満ち足りた気持ちで眠りについた。
    そのあくる朝心地よい睡眠を打ち破ったのは、荒っぽいノックの音だった。ドンドンとすわ借金取りか地上げ屋かと疑いたくなるような粗暴な音。
    ……何かとんでもないシステムトラブルでも起こったのか?
    イデアはタンクトップにパーカーを羽織り、下は寝巻きのスウェットのままドアを開けた。いつもの冷静沈着なイデアなら犯しようもないミスだった。そもそもイグニハイドの寮生なら、何よりも先に寮長室直通の電子無線に連絡を寄越すはずなのだ。部屋まで出向いてノックする、などという前時代的な接触はまずもってしない。
    つまり、これは明らかな部外者の襲来を意味していた。そんなことにも気がつかないほど、イデアは寝ぼけていたのだ。
    ガチャリと開けたドアの向こうには、長身の顔の良い男が二人つっ立っていた。そのうちの一人、黒のメッシュが入った髪を右に垂らした男が開口一番にこう言った。

    「起きてんじゃ〜ん。おせ〜よせんぱぁい」

    舌ったらずな甘えた声が、ギザギザの歯の奥の赤い喉から吐き出される。その一声でイデアは完全に覚醒した。覚醒ついでに防衛本能が作動し、脳直で叫び声を上げていた。
    「イヤァアア誰かァア!! 男の人呼んでェエエ!」
    「うわっ……うるせー、耳元で怒鳴んなよ」
    不愉快そうに男は……フロイドは耳を塞ぎつつ、ブンブンと闇雲に振り回されるイデアの手を片手で押さえ込んだ。
    「イデアさん、酷いです。仮にも他寮の副寮長を悪漢扱いだなんて。僕たちが一体何をしたと言うんですか? しくしく」
    もう一人の男…ジェイドは、シナを作り、興醒めするほど大袈裟に泣きまねをした。泣きまねをしながら少しの動揺もなく、ワタワタともがくイデアの足をむんずと掴みかかった。
    ものの数秒で制圧されたイデアは、そのままベットに転がされ、いとも簡単にシーツでぐるぐる巻きにされた。(なお、簀巻きというよりは赤子のおくるみのような姿だった。)
    そのまま二人がかりで丸太を運ぶがごとく連行されていったのだった。途中で何人かのイグニハイド寮生とすれ違った。皆連行される寮長を見て目を剥いたが、誰一人声をかけるものはなく蜘蛛の子を散らすようにそそくさ去っていった。
    イデアは我が寮生の淡白さをこの日初めて恨んだ。



    ソファに放り投げられたイデアは、まず天井を見やった。明かりは極力絞られ、仄暗い室内にはシックな雰囲気を盛り立てるかのように、小さくジャズミュージックが流れている。小洒落た飲食店、そこはモストロラウンジのフロアの一角だった。場違い甚だしいところに打ち捨てられたシーツのミノムシは、くねくねと哀れっぽくのたうちながらさめざめと言い募った。
    「なぜ拙者がこんな目に…。昨日はオタ充満喫して、気持ちの良い目覚めを迎えたはずなのに」
    その様子をしげしげ眺めていた誘拐犯の二人のうちの一人、フロイドはすらりとした上体をかがめてイデアを覗き込んだ。顔を近づけられたイデアがひっと息を呑むので、フロイドは余計楽しそうに笑う。今にもイデアをの丸呑みしそうな程、大きく口を開けて。
    「それはぁ、アズールのためだよ」
    「アズール氏?」
    なぜアズールの名前が出てくるのかとイデアが首を傾げた時、その張本人がフロアに現れた。

    「なんですか騒々しい……」

    棒立ちのジェイドに、しゃがみ込むフロイドに、簀巻きにされソファに転がされているイデア。アズールは彼ら三人を見るなり絶句した。
    「お前たち、これはどう言うことだ?」
    そして双子たちに詰め寄った。しかし二人は全く悪びれずにしれっと言ってのける。
    「どう言うって……アズールに言われた通りにホタルイカ先輩を呼びに行っただけ。それなのに先輩ってば、オレたちが悪者みたいに騒いでさぁ」
    「黙らせ…失礼しました、ちょっと落ち着いてもらおうと思って揉みくちゃになっているうちに、こんな有様に」
    白々しい言い訳にアズールは聞く耳を持たず、ジェイドの左耳とフロイドの右耳をそれぞれ摘んでぐいっと引っ張り、そこにお説教を注ぎ込む。人魚の鱗の耳飾りがシャランと鳴った。
    「人間は脆いから丁重に扱えと言っているだろう」
    アズールの怪力に二人が悲鳴をあげる。
    「痛いです!!!」
    「いってー! ダブスタやめろよ! オレらはダメでアズールだけ暴力ふるうのはズルじゃん」
    「お前たちは人間じゃないだろうが。御託はいいから、イデアさんの拘束を解きなさい」
    ちぇっと口を尖らせながらもフロイドは大人しくそれに応じる。ジェイドは笑顔を貼り付けたまま耳たぶの無事を確認しつつ、もう片方の手でイデアの体を包んでいたシーツを解いていった。
    「イデアさん、ウチのウツボたちがお世話をおかけしました」
    「……本当にね」
    ようやく自由を得たイデアはぐったりと上体をソファに投げ出した。
    「実は、あなたをお呼び立てしたのには訳があるんです。
    来週、学園の一般公開があるでしょう?その時にモストロラウンジで提供する特別メニューを現在試作していて……」

    曰く。
    来週末、NRCでは学園公開日が設けられている。それも、将来本校に入学を考えている現在エレメンタリースクールに通う児童たち向けの見学会だ。
    当然モストロラウンジも一般公開となる。そうなれば食べ盛りの男子高校生向けのメニューではなく、お子様向けのメニューが必要になるのだ。

    「…というわけで、外部から人を招いて考案したメニューを試食していただき、お子様向けに仕上がっているかどうかご高説賜ろうという話に昨日なりましt」
    「イグニに帰らせていただきます」
    イデアは即答し、すっくとソファから立ち上がろうとした。最初こそアズールの話を真剣に聞いていたイデアだったが、その目からは徐々に生気が失われていった。今は死んだ魚のような目をしている。
    アズールは慌てて引き止めた。
    「なぜ!?」
    「その発想からノータイムで拙者が召喚されるのは草枯れるんで」
    さもイデアが子供舌代表であるかのような抜擢のされ方である。アズールはそれに対する訂正も謝罪も特にないまま、顔を顰め唸った。
    「ぐぬぬ…かくなる上は」
    そして一旦厨房へと引っ込むと、「最終兵器」を連れて戻ってきたのだった。
    「あれ、兄さんも助っ人を頼まれたの?」
    そこには白いエプロンが眩しいオルト・シュラウドが立っていた。彼の肩を抱きながら勝ち誇ったようにアズールが高笑いする。その絵面はいたいけな少年を手篭めにした筋者以外の何者でもなかった。
    「アーッハッハッハァ! しくじりましたねぇイデアさん! オルトさんにはイデアさんより先にお話をつけていたんですよ! あなたが断ったらどうなるか、わかりますね?」
    「オルト!? おのれ、弟を人質に取るとは卑怯な……ッ」
    オルトはいがみ合う二人を取り成すように間に割って入ると、眉根を下げて苦笑した。
    「アズール・アーシェングロットさんったら人が悪いんだから。兄さん、僕は助っ人としてモストロラウンジでアルバイトをしてるだけだよ。来週は一般公開があるからね。
    兄さんも手が空いているならお手伝いしてあげて」
    オルトがきゅるんッとまあるい目を輝かせてイデアを見上げる。この無邪気な目にイデアは滅法弱いのだった。
    「……オルトが言うなら」
    「「「チョロ……」」」
    小さくハモる声に、ギロリと金色の目が光った。
    「聞こえてるからな、ブッソウ三人組」


    とまあこうして、モストロラウンジ春の一般公開メニュー試食会が開幕したのだった。

    イデアは静まり返ったモストロラウンジのソファ席にちんまりと鎮座していた。キョロキョロと物珍しさに周りを見渡す。今日は定休日だったので、いつも満席同然の店内には客の一人もいない。しんと静まり返っている。ただでさえキャパシティのあるフロアは余計にだだっ広く感じた。

    「なに、難しいことではありません。イデアさんにしていただきたいことはたったの二つ」

    アズールは少し芝居がかった様子で、これからはじまる試食会について口上をぶちながら、トントンとかたわらのホワイトボードに人差し指をかざす。そこにはこう書かれていた。

    ・春の一般公開メニュー試食会 

    一、ピーマンの肉詰め
    二、ふわふわ卵のチーズオムレツ
    三、ニンジンとオレンジのジュース

    「ここにある三つの料理を召し上がっていただくこと、それについていくつかのコメントをいただくこと。それだけです。特にコメントについては忌憚のないご意見を頂戴したく思います。子供が嫌いそうな点があれば具体的に挙げてください」
    アズールがそう説明するのを見計らったように、奥の厨房から人影が現れた。七分袖のコックコートとギャルソンエプロンを身につけたフロイドが料理片手にやってきて、小皿をイデアの目の前に置く。
    「一品目、ピーマンの肉詰めになります」
    白い小皿にピーマンの鮮やかな緑色がよく映える。そのなかには香ばしそうな焼け目のついた合い挽き肉がぎっしり詰まっていた。

    イデアがナイフを入れた瞬間、肉汁がじゅわっとしたたる。一口大に切り取った肉に特性のソースを絡め、そのままパクリと頬張った。もぐもぐと口を動かし、喉仏がごくりと動く。それからまた左手が動き出し、もう一切れを口に入れる。
    アズールの視線に自信が滲んだ。ひき肉なんて子供はみんな好きだろう。(かくいうアズールもピーマンの肉詰めは大好きだった)肉と一緒に野菜も食べさせられて親御さんの心象も良い…などと考え最初はニマニマしていたのだが、その表情がみるみるうちに曇っていく。
    そしてイデアが食器を置きナプキンで口を拭いた頃に、ついに耐えられなくなったのかアズールは皿を指差してこう言った。
    「……なんですかこれは?」
    「ピーマンっすわ」
    「そんなのは見ればわかるんですよ。どうしてピーマンだけ引っぺがして残してあるのかって聞いてるんです」
    白い皿には、一切手をつけられていないピーマンが寂しく置き去りにされていた。
    「それは僕が嫌いだからだね。この苦いのがダメ」
    そう言って、フォークで哀れな緑の野菜をちょいっとつついた。食べ物で遊ぶな! とママールのお叱りが飛ぶ。
    「食べもしないのに苦いのがわかるもんですか!」
    「嫌いな子なら手をつけないで残すだろ、常識的に考えて。残すのも肉から剥がすだけで楽チンだしね」
    忌憚のない意見とは言ったものの、忠実すぎるクソガキムーブにアズールは思わず閉口してしまった。しかしわざわざ拉致ってまで試食会に協力させている手前、イデアに文句を言うわけにもいかない。
    何か物申したいのをぐっと堪えて、アズールはパンパンと手を鳴らす。今度はジェイドが出てきて、同じように小皿を置いていった。

    「えー……仕切り直しまして。二品目はふわふわ卵のチーズオムレツです」
    なるべく平静を装い、アズールは答えた。今度こそ自信作だ。小皿には半分に切り分けられたオムレツと付け合わせのポテトフライ、ブロッコリーがよそわれていた。
    フォークが卵にふわりと吸い込まれていく。オムレツを少し大きめに切り取って、イデアは一思いにかぶりついた。流石に一口では食べきれずに、フォークの上に残ったオムレツを口から引き離したとき、とろりとチーズの糸が伸びた。それを麺でも食べるように、イデアはするすると啜った。
    決して褒められた食べ方ではなかったが、腹ペコの子供がするような妙に食欲をそそる食べ方で、アズールは叱るのも忘れてじっとその様子に見入ってしまっていた。
    そうして、あっという間に皿の上の黄色い塊が姿を消した。
    「うん、想像通りの味だね。チーズとバターが効いてるこのオムレツ、きっとキッズも好きだと思うよ」
    「……というのなら、これはなんなんですか?」
    アズールが皿を指を刺す。オムレツとポテトはきれいに平らげられていたが、未だ小さな森が手付かず残されていた。
    「見てわからいでか。ブロッコリーっすわ。匂いが無理」
    プツン。
    アズールの頭の中で何かがちぎれる音がした。瞬間イデアの顎にむんずと掴みかかると、空いた右手でフォークを奪い取り、ブロッコリーを突き刺すとイデアの口に押し付けた。

    「しのごの言わず残さず食べろ!!!」

    「あーあ、最初の目的忘れてガチギレしてんじゃん」
    「イデアさんのクソガキムーブがあまりに真に迫りすぎていたせいですね。人選が妥当だった結果ですから仕方がありません」
    ソファの上で組んず解れつの大乱闘を繰り広げるイデアとアズール。その背後で双子たちはのんびりおしゃべりを続けている。
    「もう、兄さんたち! 喧嘩はめっだよ!」
    見かねてオルトがやってきた。持っていた盆ををテーブルに置いて、ソファでもみくちゃになっていたイデアとアズールの間にストンと腰を下ろす。それからアズールの方にくるりと向き直って、ニンジンジュースを差し出してきた。
    「はい、これでも飲んで落ち着いて、アズール・アーシェングロットさん」
    柔らかでありつつも有無を言わさない口調に、アズールは反論もできずにグラスを受け取ると、言われるがままにそれをあおる。オレンジの爽やかな香りの奥にニンジンのほのかなえぐみが顔を出し、すぐ去っていった。
    「これもお子さんは好まないのでしょうか?」
    「……兄さんはどう思う?」
    オルトは今度はイデアの方に向き直ると、グラスを差し出した。イデアはぐいっと飲み干して答える。
    「僕は嫌いじゃないな」
    「オルトさんの提供したものなら文句も言わず平らげるんですね……」
    じと…と疑いの目を向けるアズールにイデアは顔を顰めた。
    「……僕が君への当てつけでこんなことをしてると思ってる?心外だなぁ。
    僕は単純に子供の立場に立って行動しただけだよ。君たちもよく考えてみて、ピーマンが嫌いな子がピーマンの肉詰めが出てきた時に、素直に食べてくれると思う?」
    アズールは答えに詰まるようにグッ…と喉の奥を鳴らした後、落胆したようにこう言った。
    「……残すでしょうね」
    「そうだね。じゃあ、ジュースがそこまで気にならなかった理由は?」
    「具材はミキサーで粉砕してありますから、仮にニンジンが嫌いなお子さんであっても、見た目だけではニンジンが入っているとは気がつきにくいと思います」
    「それにジュースは果物と混ぜてたじゃん。ニンジンの味がそこまで目立ってないから飲みやすかったんじゃね?」

    アズールとフロイドの意見に、イデアは満足そうに頷いた。
    「二人ともいい線いってると思うよ。
    子供は純粋だからさ、嫌いなもんは嫌いなんだよね。それを大人の都合で好きになってもらうのは無理ゲーなわけ。
    じゃあどうすれば食べてもらえるのか?
    『嫌いだと認識される前』に飲み込ませればいい」
    「……嫌いだと認識される前?」
    ジェイドが不思議そうな声をあげる。イデアがこくりと頷く。
    「まず苦手な野菜がある子は、見つけたらその時点で食べずにのけてしまう可能性が高い。ピーマンの肉詰めなんかはわかりやすいよね。肉をピーマンから剥がして、肉だけ食べるなんてことは容易に想像がつく。それを防ぎたいなら、ピーマンが入っていると見た目からはわからないようなメニューがいいと思う」
    ちら、とイデアがアズールに流し目をくれる。アズールは顎に手を当てて少し思案してから、
    「じゃあ、肉詰めではなくて、ハンバーグの中にピーマンを細かく刻んで混ぜ込む、とか?」
    と尋ねた。イデアは「いいね」と指を鳴らした。
    「見た目でピーマンが入っていると気が付きにくいし、もし食べてる途中で気がついても、肉詰めみたいに簡単に選り分けることもできないから、残さず食べてくれる可能性は高くなると思う。
    なによりも細かく刻めばその分咀嚼する回数が少なくて済むだろ? 口の中に入れている時間が長ければ長いほど、苦味や臭いをしっかり感じてその分苦手意識も出てきてしまう。
    『嫌いだと思わせないうちに飲み込ませる』っていうのは、そういうことなわけ」
    「なるほど…」
    「では早速メニューを変更しましょう。ピーマンの肉詰めからハンバーグに変更で。ひき肉には玉ねぎとピーマンのみじん切りを混ぜ込んで焼く。ソースはケチャップベースの甘辛いものを用意して…」
    「じゃあさ、オムレツの付け合わせにしてたやつも同じように細かく刻んでオムレツに入れればいいんじゃね?」
    「なるほど、ブロッコリーも刻んで入れれば味もまぎれますね」
    用意したホワイトボードにオムレツのレシピを書き付けていくジェイドをアズールが制した。
    「おい、ジェイド」
    「何か?」
    「何か?…じゃない、なんの合意形成も得ていないのに食材にキノコを付け加えるな」
    「いいじゃないですか、減るもんじゃなし」
    「むしろ増えてるんだよ」
    やいのやいのやり出すオクタヴィネル三人を満足げに見上げ、イデアは笑った。
    「さて、どうなることやら……」
    「気になるなら兄さんもお手伝いしたら? 僕、来週はホールのスタッフをするんだ」
    「僕が接客? ……冗談!」
    イデアはげっ! と顔を顰めてソファを飛び退いた。


    ◇◇◇


    一般公開日の翌日、ボードゲームの部室に意気揚々とアズールは現れた。その晴れやかな顔を見れば、盛況のうちに終わったのだと、何も聞かずともすぐにわかった。
    「……で、結局オムレツにキノコは入れてあげたわけ?」
    イデアはポーンの駒を進めながら訪ねた。アズールはどう攻めたものかと顎に手を当てながら思案した。
    「ええ。マッシュルームとブロッコリーのみじん切りをソテーしたものを。これがまた、悔しいぐらいチーズと合うんですよ。お子様にも好でした」
    「へぇ、ハンバーグは?」
    「ハンバーグが一番人気でしたね。いいマーケティングリサーチができました。ファミリー層向けの飲食店を展開する際には非常に有益ですね」
    「それはようござんした」
    気のないそぶりを装いつつ、イデアが次の手を指す。そのあとちらと伺ったアズールの顔があまりに満足げで、まるで自分のことのように誇らしくなってしまう。
    「……ね、僕を選んで良かったろ?」
    イデアは照れ隠しにおどけてみせた。調子に乗るなとたしなめられるとばかり思っていたのに、アズールの声は意外にも甘やかだった。
    「ええ」
    イデアの目が見開かれ、鼓動の音が少し速くなる。
    「もちろん、メニューも素晴らしかった。でもね、一番嬉しかったのは他にあるんです。
    あなた、酵素のお話をしてくれたでしょう?」

    「ああ、システインリアーゼの話?」


    話は試食会の日まで遡る。
    イデアの意見を取り入れ早速キッチンで試作をしながら案を練っていると、イデアが出し抜けに話し始めたのだった。

    「ブロッコリーってさ、何科かしってる?」

    アズールが首を傾ぐ。
    「さあ?」
    「アブラナ科だよ。菜の花、大根、白菜とかもそうだね」
    「で、それがどうしたんです?」
    「こんな研究を思い出したんだ。人間の唾液の中にはシステインリアーゼっていう酵素が含まれているんだけど、これがアブラナ科の植物を分解するときに刺激的な匂いを発生させる、っていう研究」
    「刺激的?」
    「うん。分解時に発生する物質はS-メチル-L-システイン スルホキシド(SMCSO)って言って、これには硫黄も含まれているんだけど……そうだな、端的に言えば腐敗臭だね」
    「ふっ、腐敗臭……!?」
    アズールは思わず声を荒げてしまった。ブロッコリーを刻んでいたジェイドが何事か?と顔を上げる。
    なんでもないとアズールがジェスチャーすると、ジェイドは解せないという面持ちながらも、再びまな板に視線を戻した。
    イデアは淡々と話を続ける。
    「もちろん、このシステインリアーゼの唾液中の濃度や活性率には個人差がある。匂いがする人もいるし、あまりしない人もいる」
    「…つまり、例えばブロッコリーを食べた時に、腐ったような匂いを感じる人が何割かいるってことですか?」
    イデアがこくりと頷く。アズールは先ほど野菜を退けていたイデアの様子を反芻した。ただの聞き分けのない子供だとイラついていたが、どうだろう。自分はなんとも感じなかった野菜が、彼にとってはとんでもない不快な匂いに感じていたら…。
    「システインリアーゼが活性化していても、食べられるって大人もいたんだ。大人になれば体に悪いものじゃないって知識があるし、何度も食べて匂いや味に慣れてくるっていうのもあるしね。
    でも、子供はそんなのわからないだろ?毒を体に入れないという本能に従って、苦いもの、変わった匂いのするものを食べたくないと考えるのは、寧ろ生物として正しいとすら言える。野菜が食べられない子が悪い訳じゃないし、躾けられない親御さんが悪い訳でもない。ちゃんと理屈があってのことなんだ」
    「なら余計に、子供たちに野菜を食べろなんて言えませんよ」
    「言ったろ、大人になったら食べられるようになる人もいるって。野菜は栄養価が高くて体にいい食べ物なんだって勉強していったり、少しずつ野菜の味に慣らしていけば、苦手なものも将来食べられるようになるかもしれない」
    イデアは具体的に対処法を提案した。
    「SMCSOの発生を抑えるには、僕がさっき提案したように最初から細かく刻んで咀嚼回数を減らすことも有効だと思うんだよ。
    何より本人を責めないで、これは食べられるものだし、むしろ健康にいいということを根気よくアピールしていくっていうのが大事なんじゃないかな」


    「……そういえばそんな話もしてたね」
    「その研究結果を取り扱った記事を、店内に掲示していたんです。それを読んだ親御さんが、気が楽になったって話してくださって。
    凄く楽しそうにね、親子揃って同じメニューを食べてくださったんです。お子さんが苦手だというブロッコリーの入ったオムレツを。
    これ以上料理人冥利に尽きることがありますか?…いえ、ありませんよ。
    ねえ、イデアさん…」
    「ハヒッ!?」
    「あなたが来てくださって、本当によかった」
    「アズ…

    プルルルル…

    その時、とんでもなく絶妙なタイミングでアズールの携帯が鳴り、イデアはきゅうりを踏みつけた猫の如く垂直に飛んだ。
    アズールが電話に出ると、頬にさしていた赤みは徐々に引いていき、柔和にほころんでいた眦はキリリと釣り上がっていった。
    「ええ、…わかりました」
    アズールは携帯を顔から離すと今度はイデアに向かって話しかけてくる。
    「すみません、イデアさん。…少々モストロでトラブルが。少し早いですが今日はこれで失礼します」
    アズールが電話口で何事か呟きながら遠ざかっていくのを、イデアは引き止めることもできずただじっと見つめていた。そのまま部室を去っていく……かに見えた背中が、突然くるりと振り返った。そしてそのままイデアの方へツカツカ近づいてくる。
    「え、イデアさんに?……別にいいが、変なことを言って困らせるなよ」
    「僕が何だって?」
    イデアが怪訝顔で尋ねると、アズールはスマホを差し出してきた。
    「フロイドからです。イデアさんに代わってほしいと言われまして」
    「は??」
    一体なんの話があるというのか? 尋ねる間も無くスマホを押し付けられてしまった。
    「……もしもし」
    【ホタルイカ先輩、この前はありがとね〜っ】
    呑気な声がスピーカー越しに響く。先程まで身構えていたイデアだったが、その声に釣られて幾分か力が抜けていった。
    「僕は何もしてないよ。フロイド氏達が頑張ったからでしょ」
    【そうだけどぉ、そうじゃねぇよ】
    フロイドがどんな顔をしているのか、声だけでありありと思い浮かべることができた。きっとあのギザギザの歯をのぞかせて、にやりと不敵に笑っているのだろう。
    【アズールってば、先輩と一緒にいるとめっちゃ機嫌が良くなんだよ。俺仕入れたばっかの皿を割っちゃったのに、ニコニコ笑って許してくれたもん。
    だから俺らは先輩を連れてきたんだよ。これ、アズールには内緒ね】

    それは……一番内緒にしなくてはいけない人を致命的に間違えているんじゃないか?

    とイデアは思ったが、伝える前に電話は一方的に切られていた。イデアはスマホをアズールに返そうと手を伸ばす。自然アズールと目が合いそうになり、じわ…と顔に熱が集まっていくのが分かった。それが気恥ずかしくて、ぐりんと首だけそっぽうを向けた。
    アズールはイデアの手からスマホを受け取った。わざとらしく顔を背けているイデアに首を傾げながらも、
    「では、チェスの続きはまた来週の部活で」
    いつも通り挨拶を交わして部室を後にした。

    どんな顔をして会えばいいんだ?

    イデアは顔面を両手で覆い、熱いため息を吐いた。
    この次の部活動で、意識しすぎたイデアが盛大に反則を犯し、初黒星を喫することになるのはまた別の話である。




    参考文献

    『In-Mouth Volatile Production from Brassica Vegetables (Cauliflower) and Associations with Liking in an Adult/Child Cohort』
    https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acs.jafc.1c03889
    オーストラリア連邦科学産業研究機構 2021年9月発表 
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