白いドレスを着て「…うん。やっぱり俺の見立ては正しかった」
青天の霹靂。
突然背後から届いた声に驚いて振り返る。遅れを取るなど、調理中でなければと後に猛省した。
「‥‥‥‥何しに来た変質者」
「やあ久し振り。息災かい?」
僕が驚いたことに満足したのだろう。窓枠から覗かせていた顔を破顔させ、猿の様な身軽さを見せた君はひょいと室内へ降り立った。若草のマントがふわとはためく。
「‥玄関入るところからやり直しなよ。ここ何階だと思ってるの?」
「つれないなぁ。そういうところ相変わらずだね」
マントを脱ぎ脇に抱え、スタスタ歩を進めてきたかと思うと勢いそのまま抱きすくめられた。
「ちょっと!危ないっ」
包丁を持った手をなるべく遠ざける。
「あ~落ち着く‥‥‥このままでいてくれるとありがたいのだけど」
「見たらわかるだろ。食事の支度をしていたんだよ。レックナート様も僕も君と違って忙しいんだ」
「なら手伝わせてよ」
「‥それはいいから、離れろ暑苦しい」
「‥いけず」
「いけずってなんだよ。話なら後で聞くから退いて」
「わかった。待ってるよ」
素直に離れた後、椅子にかけてこちらを見てくるから腹の底から溜め息が出た。
「…レックナート様に挨拶は済ませたの?」
「…………まだだね。」
「塔の主差し置いて、しかも不法侵入なんていい度胸だよ」
「真っ先に君に会いたくてさ。レックナート様は塔の最上階かい?」
「自室にいるはずだ。さっさと行きなよ」
「わかった。後でな」
後ろ姿を見送り、中断していた調理を再開する。先ほど庭で取れたトマトを切るために包丁を走らせる。
トン、トン、、トン、、、
ゆっくりと息を吐く。
匂いが、温もりが、残っている。
久しぶりなのもあって動揺してしまった。
何一つ変わってなどいないはずなのに、離れていた間に芽生えていた感情をもて余してしまい、どうにも整理が追い付かない。
先ほど触れた部分が熱を持っている。
素直になりきれない心の一部分と、溢れだす感情に振り回され胸が苦しい。
元気そうだった。
少し痩せていたか。
埃っぽかったのは塔をよじ登ったからだろうか。
お腹は空いているだろうか。
用事とはなんだろう。
僕に、会いに……
……らしくないなと、自分に失笑する。
食事を終え片付けを済ませ、星見に向かった師を見送り自室に引っ込む。
特にすることもない。途中だった読みかけの本を手に椅子に腰かけたところで、ノックの音と同時に戸が開いた。
「客人を無視とはひどいじゃないか」
「見ての通り読書中だよ。部屋をあてがわれているんだから、そっちでくつろいだら?」
「話を聞いてくれるんだろう」
「ああ、そう言えばそんな事も言ったね」
「…焦らすじゃないか」
戸を閉め、椅子に腰かける僕の傍らまで一直線に向かってくる。延びてきた手は頬の横を垂れる髪を幾本か掬い、適当に散らせた。
「ただいま」
「……ここは君の家じゃない」
「うん。わかっている」
「…………」
本を机に置き、 傍らの君に手を伸ばす。抵抗なく引き寄せられてくれた君の腰に手を回した。
「‥ルック?」
「何」
「………甘えてくれてる?」
「…そうだけど?」
「これは……ハハ、驚いた。反則だよ」
「君は知らないだろうけど…」
「?」
たっぷりと間を置き、少しだけ君の匂いを鼻腔に取り入れてから軽く突き飛ばし気味に離れる。
「君が姿を消した後、僕は寂しかったんだよ」
再び本に手をかけようとして、皮手袋をはめた手が行く手を阻んできた。
「少し会わない間に可愛いことを言うようになったね」
「‥‥‥やっぱり今の無し」
「無しって言うの無し」
子供っぽい顔でニヤリと笑う。
「あ、こら、ちょっと!」
「ルック可愛い」
「離れろ!」
「はぁ~、落ち着く」
「嗅ぐなっ」
お返しとばかりに、さして体格差の無い筈の君が僕を羽交い締めにしてきた。鼻先を押し当てられ匂いを嗅いできているのに辟易する。
触れるのを許すようになってから、彼の手癖の悪さが露骨になってきている気がする。服の隙間から薄い布越しに肌をなぞられ背筋が粟立った。
「…、っ」
「ルックにお願いがあるんだ」
「…お願い、?」
ん、と小さく頷いた後、すぅと息を吸う音が耳に届いた。
「‥この間小料理屋でたまたま相席になったご老人の話に少し付き合ったんだけど、何でか気に入られたみたいですっかりご馳走になってね。金策に失敗してちょっとひもじかったのもあって有り難かったんだけど。お酒がとても美味しかったから何杯か飲んでホヤホヤしてたら宿屋に案内してくれてさ。疲れもたまってたから一泊休ませてもらうことにしたんだ。明け方に出立しようと思って」
「……?」
急にまくし立てるように始まった語りは的を得ず、どこかで合いの手を入れようにも、話の腰を折るには幾分か彼の口調は神妙だった。
「そうしたら突然白い服のご婦人が部屋を訪ねてきたんだよ」
「………」
「白いシルクの、シンプルなデザインで裾がひらっとしてて、一目見た瞬間見惚れてしまったよ」
「‥‥…」
「そのご婦人がまたよくしゃべる人でね、後からご老人の孫だってのがわかったんだけどさ。服を買った場所だとか教えてもらって」
「今日はやけに饒舌だね。水でもぶっかけてあげようか?」
思わず話を遮ってしまった。フフと笑った彼は首を横にふって否定を示す。
「水は遠慮しておくよ」
何が可笑しいのか。
話が見えてこない。
今日この日まで録に会いに来もせず放置しておいて、こうして会えただけで内心喜んでいる僕をからかってるのか。それとも、どこぞの女との不貞の贖罪でもしたいのか。
急に惨めで情けない気持ちになり、彼を引き剥がそうと腕に力を込めた途端、彼の方からスッと僕から離れていった。
「と言うわけだから、早速着てみないかい?」
「……は?」
「ほらこれ!探したんだよ。ルック絶対に似合うから!」
目の前に拡げられたのは、まさに先ほど話していたものと思われる白いドレス。
「??……今どこから出した?」
呆気にとられ過ぎてツッコミ以外の言葉が見つからない。何を言っているのか理解できず言葉を反芻した。
似合う?着る?これを?誰が?
「ね?着てみせてよ」
「……僕!?は??何バカなことを…」
「君以外に誰がいるんだよ。ほら手伝うから」
「ちょっ…嫌に決まってるだろ!似合ってたまるかっ」
無理やり脱がしにかかってきた腕を掴んで必死に抵抗する。幸い追随はなく、声のトーンを落とした君はドレスに目をやりため息を吐いた。
「‥‥じゃあ俺が着る」
「……いや、…ちょっとそれは、…無い……無いと思う…」
「じゃあ着て下さい!一生のお願い!お願いします!」
「着るか!」
「だったら俺が着るっ」
「勝手にしろっ」
「よし!」
「わっ!違っ‥勝手ってそういうことじゃない!服を引っ張るなっ!」
諦めの悪い様をこんなところで見せられてもと、今日はあらゆる方向で動揺が収まらない。もはやお互い攻防に必死だった。いや、何故こんなことで必死にならなければならないのか……
そうして格闘すること半刻…
「ルック……やっぱり似合う可愛い‥ほんと可愛い…ありがとう…ありがとう…」
「………自己嫌悪で死にたい‥何でこんな」
根負けしてしまった。明らかに女性物の服なのに、男の僕が似合うと思ったのはどういう了見か。そもそも、どうしてこうもサイズはピッタリなのか……
さらりとしたシルクの生地が着ている感覚を感じさせない。それが心許なくて、恥ずかしさが勝ち顔を上げられない。
「こっち向いてルック」
「……変態」
「変態だよ。ルックが可愛いのがいけない」
「っ‥可愛いって言うな」
触れようとしてきた手を大袈裟に振り払う。そのまま睨み付けると、流石に驚いた顔をして固まった。
「……怒った?」
「━━━誰とでも寝るくせに」
「……誰とでも?」
キョトンと小首を傾げている。
「‥‥白い服の婦人とか」
「婦人?……ああ!ごめん勘違いさせてしまったね。その人とは別に…」
「どっちでもいい、もう気がすんだだろ」
「どっちでもいい?」
「っ…」
先程よりも低い声音に思わず身がすくんだ。その一瞬をつかれて腕をとられる。
「いいわけないだろ。俺は君一筋だ。誤解したままだなんて許さない」
「…っ」
「この服のことを聞き終えたら部屋を出ていってもらった。ご老人の孫だったから追い出したのは流石に気が引けて、泊まるのもやめてその日の内に宿を経ったよ」
「‥‥…」
「何もなかった。信じてくれ」
「‥‥‥‥信じるもなにも‥誰と何をしようが僕には関係ない」
「本当に?今嫉妬したのに」
「してないっ」
「‥‥‥ルック」
「嫉妬って何?嫉妬なんてするわけない…僕には関係ない」
「関係ある。恋人だろ?」
「口だけだろ‥‥‥‥‥僕は………‥言っただろ‥‥寂しかったって。僕だけがいつも……」
「ルッ」
「待つ側の身にもなってみろよっ」
「………‥ルック」
「どうせまたすぐにここを発つんだろ?どこにも留まる気なんて無いくせに、…また置いて行くくせに」
「……」
「…恋人ごっこなんて、僕はゴメンだ」
言い終えて動揺が走る。これが自分の本音か。こんな、女々しい気持ちを自分が抱えていただなんて… ああ、だけど。
鼻の奥がツンとしたのを軽い咳払いで誤魔化す。
清々した。きっと君にとって僕は都合のいい存在。これで自分の気持ちにも諦めがつく。こうやって振り回されることももう…
腕を払い立ち上がろうとしたところを強い力で引き止められた。受け身を取れないままよろけた身体は彼の方へ傾き、そのまま抱きすくめられる。
「…離…っ」
痛いくらいに力を込められ身動きがとれない。今まで辛うじてすり抜けてこられたのはなんだったのか。何度か身をよじり、服を引っ張り、叩いても、離れられない、離してくれない。 ぴくりとも動かないその腕に途方にくれる。紋章を発動しようとしたところで、手を握られ指が絡められた。
「ルック…」
耳元で囁かれる声に震える。悟られまいと乱れた息を整え、こめかみに力を入れて込み上げる涙を必死にこらえた。こんな時でも、匂いが、待ち焦がれていたぬくもりが、乱れた感情をぐちゃぐちゃにかき乱してくる。
ふ、と…
彼の胸に押しあてていた耳がその鼓動を拾った。ドッドッドッ…と、その、あまりの速さに言葉を失う。
「……ごめん」
「………」
か細く謝罪を口にする彼に言葉を返せない。
心からの謝罪なのは分かっていた。ごっこ等とふざける理由も彼にはない。分かっている…本当は……
早鐘を打つ鼓動を聞いていると、不思議と冷静になっている自分がいた。今ならどんな言葉も受け止められる。目を瞑って彼の次の言葉を待った。
「……もうひとつ、お願いがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「……………何?」
……………。
その後が続かない。
心臓の鼓動は幾分か落ち着いていた。
どれくらいそうしていたのか、頭上で細く長く息が吐かれるのを聞く。抱き締めてきていた腕の力が弱められ、導かれるように手を引かれ二人で向かい合うように側のベッドに座った。
「………ルック、真剣に聞いて欲しい」
「……改まって何?」
「迷っててごめん。言葉にしたらいけない気がしてずっと言い出せなかった…」
「………もういいよ」
別れるなら自分からと決めていたが、いざ言われる側に立つと気分は重たい。
困らせているのはわかっている。僕は塔の主人を置いて彼に付いていくことなど出来ない。勝手に待っているのは自分なのだ。それを彼のせいにして自分の荷を軽くしているにすぎない。
だから、もうこんな関係は解消した方がいい。お互いのために。
冷静さを取り戻すと、彼の顔もしっかり見据えることができた。若草色のバンダナをスルリと外し、癖のついた毛先を軽く整える君。俯いていて表情は見えてこないが、もうそこには戸惑いはなさそうだった。
別れるときは、後腐れがない方がいいな。出来れば数少ない友人として、時々は塔を訪ねてくれると嬉しい。季節の野菜や果実を振る舞うくらいならしてあげてもいい。
未練たらしくもそんな事を考えていて…
「結婚しよう、ルック」
「……………………、
……………………え…?」
声が、震えた。
「強くなるから。ソウルイーターに負けないように」
「待って、待って…?……どうして…」
「……君を誰にも渡したくない。一緒になって欲しい」
「………」
「紋章のことがずっと気がかりだった。それで言い出せなかった。今まで不安にさせててごめん…レックナート様は大丈夫。お許しを頂いたから、ルックさえよければ一緒に旅を……」
「行かない」
「……ルック」
「……僕は…レックナート様を置いていけない」
「…………また、きっと寂しい思いをさせる」
「……それでも……行けない」
顔をあげることができない。言われた言葉を反芻して胸が震える。頭の中かぐるぐると色んな感情に掻き乱されている。
行けない、行けるわけがない、盲目の師を…………一度裏切った師をまた置いてなど…………
…………でも…………行きたい、行かないで、置いていかないで、ずっと側に……
ふぅと息を吐く音が聞こえた。ため息……強情さに呆れたのか。その場を去りたくなって半歩下がろうとした時、突然両の手で頬を掴まれ、強制的に顔が上げられ、必然、目が合う。
「……待っていてくれる?会いに来るから」
「あ…………」
「どこにいても君を想う。何があっても君のもとに帰ると約束する。俺の心は君のものだから…………待っていてほしい」
「…………待っ…てる……っ」
堪えきれず涙がこぼれる。彼は目を見開いて破顔して、そうして一緒に泣いてくれた。
「……ね、返事をくれないか?結構勇気を振り絞ったんだよ」
「…………うん、こんな僕で良ければ、…………よろしく」
彼の腕の中でその体温を感じながら、そうして寄せられた唇を受け止めながら、今この瞬間の感情を表す言葉を探す。
幸せ…………ってこのことかなと、甘くとろける心地に身を委ねて思う。
「受け取ってほしい」
そう言って彼は小さな箱から揃いの指輪を取り出した。
「知っているかい?永遠を誓いあった二人はお揃いの指輪をはめて神様から祝福を受けるんだ。その時花嫁は純白のドレスを着ていてね、二人は神様の前で口付けるんだ」
いつか本で読んだ物語のように、二人きりの儀式は誰に見守られるでもなく厳かに質素に執り行われた。二人だけの、刹那的で愚かな優しく甘い儀式。白いドレスは花嫁の純潔を示すという、破壊を企てた自分には到底似合うわけもない、それでもどこか身を清められる思いがして、そうして彼にだけは許されたいと願う愚かな自分への戒めとならんことを。似合うと言ってくれた彼にだけは清い自分であろうと、僕は密かに誓った。
「さて、と」
「わっ‥‥ちょ、何?!」
突然、ドレスの紐が解かれ肩や背が露わになる。
「何って、着せた後に脱がせるのは紳士の嗜みだよ」
「そんなわけ‥‥‥っ」
背筋を這う指先に合わせてゾクゾクと電気が走る感覚に襲われる。声を殺して必死に抵抗するのに、意に介さずの彼は僕の下半身に手を伸ばしてきた。
「あ、いいね。履いてないんだ」
「!!!っ、……バカッ!」
ドレスのラインを崩すから履くなと言ったのは自分のくせに、耳元で煽る口調の彼に拳を握る。
「待って、ごめん、ごめんて」
「……━━ッ」
あっさり手首を掴まれ唇を重ねられる。歯列を舌が這うが、意地になって舌の侵入を拒む。
「口、開けて?」
「っ、っ‥ん、、、っぅ」
耳元で囁かれたことで小さな抵抗はあえなく陥落。口内に響く水音に脳が溶けるようだった。
「ルック…ずっと君を思っている………愛しているよ」
「…………僕も、………っあ、ぁ、っ………」
重なり合う身体。
お互いのものが混ざり合い一つになる感覚。
あの日あの瞬間、崩れる神殿から救い出された既に無いはずの命。身も心もとっくに彼に捧げている。
この身は君の望むまま、真っ白のドレスのように無垢に君を想い焦がれ続ける。それが君への報いとならんことを…………。