引っ越しというのは大変だ。あれやこれやと手続きをして、荷造りをして。元々わたしは不器用で面倒くさがりなのだ。だから数年前にトレセン学園に配属が決まって、トレーナー寮に入ることになった時は、私物をほとんど持たずに引っ越してきたのだ。
でも今回はそうもいかなかった。思い出がたくさんあって、捨てたくないものばかりだったから。段ボール箱がぎゅうぎゅうになるまで詰めて、新居に搬入が終わった今現在、その量に自分で驚いている。
「る、ルドルフ……」
我ながら情けない声で呼び掛けると、奥の部屋で荷ほどきをしていたシンボリルドルフがひょこっと顔をのぞかせた。
「中々大荷物だね。テイオーとのものが多いのかな」
「う、うん。捨てられなくて……」
「手伝おう」
荷物の量に目を丸くしていたルドルフは、穏やかに笑うとこっちの部屋に入ってくる。
今日のルドルフは力仕事が多いからか、いつもは下ろしている髪を高く結わえている。わたしの担当ウマ娘であるトウカイテイオーがよくしている髪型だ。珍しく見えるうなじにどきどきしながら、箱の一つを開けた。
箱の側面には"テイオーからもらったもの"と書いてある。中身は漫画やはちみーデザインのキーホルダーや、ウマ娘のぬいぐるみだ。ぬいぐるみはテイオー、そのライバルであるメジロマックイーンやゴールドシップなど様々だが、半分以上はテイオーだ。そして何故だかルドルフのぬいぐるみはくれなかった。テイオーは元気いっぱいで愛嬌抜群の可愛らしい子なのだが、意外と独占欲が強いのか、こうしたところがある。
ぬいぐるみをラックに飾り、勝負服のテイオーをどこに配置するか考えていると、後ろから抱き締められた。
「トレーナー君」
「る、ルドルフ?」
耳元で聞こえる声は普段のルドルフではしないような、威圧感を与えられる。
もしかしたら呆れてしまっただろうか。想いを通わせて同棲をするというのに、その相手が自分ではない子との思い出を大事にしているのだ。普段穏やかで誰からも憧れるような彼女も、意外と独占欲が強いのだと思い知らされたのは初めてじゃない。
「ごめんね、調子乗っていっぱい持ってきちゃって……」
ぎゅっと抱き締めてくるルドルフの手を握る。
急に怖くなった。ルドルフは意外と独占欲が強い。でもテイオーとの信頼関係もあつくて、深い仲だと打ち明けた時には"カイチョーになら任せられるね!"と笑いあっていたから、ルドルフにとってもテイオーは特別なのだと思っていたけど……
もしかしたらわたしは彼女にひどいことをしたのかもしれない。彼女が専属のトレーナーを特別視しているのは知ってるし、それが純粋な信頼関係であることもわかってる。だから、ルドルフもきっと、テイオーとわたしの関係をそんな風に捉えていると、勝手に思い込んでいた……
じわじわと視界がにじんでいくのを感じる。
「ごめん、ごめんね、ルドルフ……」
「えっ?」
すんっと鼻をすすると後ろの気配が急に慌てたものに変わった。
握っていた手がわたしの肩を掴み、振り向かされる。涙がにじむ顔を見られたくなくて俯くと、そっと頬を撫でられた。わたしが彼女を傷付けたのに、と罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
「トレーナー君、違うんだ」
違わないよ。返事をしなきゃいけないのに、わたしの喉はひくついて震えたうめき声しか出せない。
頬を撫でていた手が焦れたように顎を掴んだ。咄嗟に顔をそらそうとしても、痛くこそないがウマ娘の力に抗えるわけもなく、顎を上げさせられる。
にじんだ視界に映るピンクダイヤモンドのような瞳が一気に消えて、唇を塞がれる。
「むっ、ん……ぅ」
なんで、キスされてるんだろう?
今まで頭を占めていた彼女に対する罪悪感や自己嫌悪が一気に散漫し、代わりにやってきた混乱に身体が固まる。
「ん、んぐ、う」
ルドルフの胸を押し返そうとし、その柔らかな感触に咄嗟に身を引こうとしたらいつの間にか腰を抱かれているし、顎を掴んでいた手は後頭部に添えられている。ぬる、と唇を割り入ろうとする感触に身体が跳ねてしまう。
涙の名残が顎を伝う。息が、持たない。
「はっ……は、ぁ」
限界だと思った時、ようやく唇が離れた。腰を抱く手はそのままに、ルドルフは随分にこやかな顔だ。
呆れていたのではなかったのか。ぜえぜえと息をしながら言葉を探す。
「る、るど……」
「少しも怒っていないよ。ただ、懐かしいものを見つけてね」
覚えてるかい、と彼女が見せてきたのは薄く黄ばんだ紙だ。さっきのキスで酸素切れを起こした脳は上手く働かず、つい首を傾げてしまう。
「私をボコボコにする、という抱負だよ」
意地悪く笑うルドルフはひらひらと紙を揺らす。
ルドルフをボコボコにする。覚えている。テイオーと新年の抱負を書こうと言って、わたしは"テイオーを帝王にする"という駄洒落めいているが本心のものを書き、テイオーは"カイチョーをボコボコにする"と勇ましい抱負を掲げたあの紙だ。あの時は色々あってわたしがルドルフをボコボコにするという勘違いをされ、意地悪く笑われたが……と過去を思い返したところで、気付いた。
今のルドルフもあの時と同じ顔をしている。
「あ」
「期待しているよ、トレーナー君」
腰を抱く手が強まった。