ビシャリ、と木を裂くような轟音に、テッドは思わず体を跳ねさせ耳を塞いだ。
酷い雷だ。きっと外はどしゃ降りなのだろう…
リムサ・ロミンサで依頼の報告を終えたテッドは、廃船の隠れ家でウェドの帰りを待っていた。ラノシアに二人の一軒家を持ったものの、ギルドからはこちらの方が近い。夕方に天気が悪くなることを知ったテッドはウェドにすぐ連絡をし、今日はこちらで過ごそうと提案をしていた。降り出す前に腰を落ち着けられたテッドだったが、どうしたことか、ウェドはまだ帰らない。
「なんかあったのかなぁ…」
ふいに不安になり、リンクパールへ手を伸ばす。と、外から船板を踏む足音が聞こえてきた。玄関扉の方から「ただいま」と聞きなれた穏やかな低い声がして、テッドは寝室からぱたぱたと駆け出す。
「テッド、帰ってるか?」
「ウェド!おかえり!遅いから心配して…ひぇ」
そして、背の高い影の前で唖然と立ち尽くした。
目の前のウェドは海にでも落ちたのかと言うほど全身ずぶ濡れで、困り笑いの顔に長い髪を貼り付けたおかしな亡霊のようになっている。
「いや、こんなに酷い嵐になるとはね…まいったまいった」
「た、大変…!そんなんじゃ風邪ひいちゃうよ!早くそれ脱いで、今タオル持ってくるから…!」
テッドがクローゼットの方へあわてて引き返していくのを目で追いながら、ウェドはブーツを脱いで中に溜まった水を流した。ここへ帰ってくる時はなんでかこうしてずぶ濡れになっていることが多いな、と内心苦笑しながら、その昔カナに不用心を怒られていた頃を思い出す。
すぐに戻ってきたテッドの足音に顔を上げると、金色の髪から覗く緑色の瞳が心配そうに自分を見ていた。
「タオル、一番大きいの持ってきたからこれで髪拭いて!身体が冷えちゃう前に、とりあえず服も着替えないと…」
「どうせ脱ぐならちょうどいい、湯を張って温まろうかな。君もどうだい?」
「へへ、誘われたら一緒に入るに決まってるじゃん!」
先ほどの眉の下がった顔はどこへやら、テッドはすぐに機嫌良く口角を上げてウェドの手を取ると、浴室へ先導していく。
足元にマットを敷いてバスタブの蛇口を捻り、ウェドのびしょ濡れのベストに手をかけ…
「……」
「…ん、どうかしたかい?」
「ううん、ちょっと思い出したんだ。前にもこうやって雨に降られて、濡れたウェドのこと脱がせたことあるなって…」
「ああ、そういえばそんなこともあったか。懐かしいね」
ウェドはわしわしと自身の髪をタオルで拭きながら、目を細めた。あれは、テッドにここの鍵を渡した頃だったろうか。
「俺、あの時…まさかウェドが俺に素肌を見せてくれるとは思ってなかったよ。またいつもみたいに止められるかなって…本気なのは俺だけだから、絶対気付かれないようにしないとって…そんなことばっかり考えてたから」
テッドの手がゆるゆるとウェドのシャツのボタンを外し、露わになった腹筋の陰影をなぞる。
「あの時さ、どうして俺の手を拒まなかったの?」
「…どうしてだろうな。俺にもわからないんだ。ただあの時は…」
あの頃のウェドは、まだテッドに抱いている感情を受け止めきれずにいた。
他人と深く関わりを持つつもりは毛頭無かったし、ましてや人を愛する資格など微塵もないと信じて疑いもしなかったあの頃。
身体を重ねていると時折やってくる故知れぬ衝動や、妙に神経を揺さぶってくる言葉にし難い焦燥…これが愛しいということなのだと、自分自身で認めるまでに随分と時間を要してしまった。
今ですら、ウェドにとって贖罪の証とも言える醜い身体を他人に晒すことは、自分そのものを包み隠さず全てさらけ出すことに等しい。
あの日ウェドは、出会って初めて、テッドに本当の自分を見せたのだ。
「…そうだな…君が怯えるか呆れるかして、俺から離れてくれればいいと…ほんの少し、そう思っていた。俺は君が思うような人間じゃない、許されるべき人間ではないと思い込んでいたからね。君がそうして離れていってくれれば、これ以上わけのわからない感情に心を揺さぶられることもない、なんて、捻くれたことを考えてたよ」
目を伏せ静かに呟けば、テッドがわざとらしく拗ねたような声を出す。
「あーあ、ウェドってば酷いんだ!ま、でもそれじゃ逆効果だったね。俺、あの時ウェドのこと本当に綺麗だと思ったもん」
「ははっ、そう、結果的に君は俺を丸ごと受け入れた。かなり驚いたよ。驚いたし…ほっとした。安心した。その感情にも、随分と動揺したもんさ。可笑しいだろ」
自嘲気味に笑うウェドの唇に、テッドのふっくらとしたそれが触れる。ウェドはその柔らかくあたたかな感触を確かめるように何度か啄むようなキスをしたあと、角度を変えて深く口づけた。
「……は……っ、はは…臆病だったな、俺たち」
「ふふ、そうだね。それでその…ウェド…俺……」
「おっと、その先は言わなくて良い。俺も同じ気持ちになってるからね」
顔を見合わせてくすくすと笑い合う、この瞬間の愛しさを噛み締める。
テッドの伸ばされた腕がウェドのシャツを取り払い、ウェドの大きな手がテッドの髪を梳いてぐいと腰を引き寄せた。
脇腹の大きな傷跡をなぞられ、ウェドの肩が僅かに跳ねる。
「…っ……」
「今はもう知ってる。ここ、痛いんじゃなくて気持ち良いとこなんだもんね」
「なに、ちょっとくすぐったいだけだよ」
「もー、強がるんだから!でも俺、ウェドがここで感じてくれるの、ちょっと嬉しい」
「どうして?」
「ウェドが自分自身を許してあげてる証拠な気がして。やっぱさ、好きな人には幸せでいてほしいじゃん」
テッドがぱっと笑顔を見せると、まるで一帯に明るい日が差したように思えた。
ウェドはテッドのほのかに上気して赤みを帯びた頬を撫で、輝く緑色の瞳を優しく見つめる。
「君がそうさせたんだよ、俺の太陽、愛しい小さな翼。さぁ、今日はどんなふうに俺を愛してくれるんだい?」
「そうだな〜、まずお湯より先に冷えた身体をあっためてあげる!それからそのあと…ん、あ、ちょっと、待って…!っあぅ…!」
熱のこもりはじめた浴室に、テッドの甘い声が響く。
どしゃ降りの雨に降られたことなどすっかり忘れて、二人はその熱を逃さぬよう、お互いの身体を強く抱きしめた。