あきめぐ/ひとりじめ 美人は三日で飽きるというが、あれは全くの出鱈目だ。二階堂慶晃は、自身の腕の中にいる男を見てそれを知った。
白磁の肌は滑らかなカーブを描いており、形の良い顎に繋がっている。小さな口からは規則的な寝息が溢れており、それがひどく慶晃を安心させた。
桜色の髪はいつも絹糸のようにしなやかで、指を通せばするりと逃げていってしまう。頭を撫でれば、凹凸など一つもなくつやつやとした感覚を指に伝えてくる。
しかしこうして眠っている時には枕と擦れてしまうのか、少しぼさついて髪先があちらこちらの方向を向いていた。だがそれも、まるで絵画の構図かのように計算されたバランスの末かと思わせるのだから恐ろしい。
髪と同じ色のまつ毛は驚くほどに長く、こうして伏せていると影を作っているのがよく分かる。そして今は隠されている、その奥の瞳は朝の海面に少しだけ似ていた。もしかしたら宝石の中には、彼の瞳を表すのに相応しいものがあるのかもしれない。けれど慶晃は、それを知らなかった。
自身の知るものの中で、彼の瞳が想起させるいっとう綺麗なもの。それが、朝の穏やかな海面だった。
金山恤壬は美しい。
同じ夜を過ごした次の朝、こうして腕の中で眠る彼を見る度に思う。恋人という欲目を抜きにしても、美しい人間だ。まぁ、この顔で仕事をし、生活を成り立たせているのだから美しいのは自明の理なのかもしれないが。
こいつが美しいというのは、多くの人間が知っている事実だ。寝顔が作り物のように整っているのも、大概の人間には予想の着くことだ。
けれども、それを好きに眺める権利を持っているのは自分だけ。それがほんの少し、慶晃を愉快な気分にさせる。言う必要がないだろうから、腕の中で寝こけるこいつには言ってやらないが。
恤壬は深い眠りに落ちている時、本当に動かずじっとしている。だから、慶晃に多少の心配を抱かせる。なまじ計算され尽くしたような美しさを持つ男なものだから、月並みな表現だが本当に生きているのかと思うことがある。
しかし、こうして寝顔を眺めていれば恤壬の覚醒もいつかはやってくるというもの。慶晃の視線に無意識ながら勘付いているのだろうか。
いつものように意味を成さない呻き声を漏らしながら、腕の中の桜色がもぞもぞと動き始める。間隔を空けてそれを繰り返していく内に、声も段々大きくなっていく。といっても、慶晃の腕の中に閉じ込められる程度の音量だが。
その様子も、普段の恤壬からは想像出来ないようなもので面白い。だから慶晃は何も言わずに眺め続ける。もしかしたら小さな笑い声が漏れていたかもしれないが、未だ夢と現実の間にいる彼には聞こえていない筈だ。
そうしていつものように寝坊助を観察していれば、ふるりと睫毛を震わせて瞼がゆっくり持ち上がる。ぱち、ぱちと数度瞬きをした後に何かを探すように瞳が動き、一点で静止する。そこに映っているのは自分だ。静かな朝の海に似たそれが、慶晃を映して綻ぶように色を変える。
「ん、あれ、あきくん。おきてたの……?」
まだ完全に覚醒しきってはいないのだろう。少し舌足らずに慶晃の名前を呼び、気の抜けた嬉しそうな顔をする。
恤壬は笑うと一気にあどけなくなる。いっそ作り物のような顔が、恤壬の感情に連動して綻ぶのだ。慶晃はこの瞬間が好きだった。
恤壬の美しさは多くの人間が知っていたとしても、この瞬間を知っているのは慶晃だけだ。恤壬はかつての恋人達の隣では、あまり眠れなかったと言っていた。寝顔を見せた覚えは、ほとんどないと。
ならば、この恤壬を知っているのは自分だけ。他の誰も知らない海が、慶晃だけを捉えて、この世の最上の幸福を見つけたと言わんばかりに溢れ出す。
きっとその最上の幸福に、いつかは恤壬も慣れるのだろう。
だってこれはずっと続くものだ。恤壬の人生を彩る、当たり前のものの内の一つになる。
腕の中の寝坊助にそれは教えてやらない。だってそっちの方が面白い。
どこか愉快な気持ちになりながら、慶晃はおはようとだけ告げる。言葉にしない想いを飲み込む代わりに、形のいい額へキスを落とした。
早く、当たり前に気が付けばいいのに。