お届け物 預かっていた品をお持ちしました、と屋敷を訪ねてきた男がいた。主は留守なのだが、聞くとかなり遠方からの届け物。屋敷に上がっていただき、話を伺うことにする。
不死川様には本当に危ないところを助けていただいたのです、とその男は言う。夜な夜な山あいから飛び出てくる鬼に集落として手を焼いていた時、仕留めてくれたのがこの屋敷の主。任務を終えた夜は名主を務めていた男の家に泊まった。とはいえ、彼は一睡もせずに過ごし、朝霧もまだ晴れぬ間に出立したという。
聞けばそれはもう2年も前のこと、その間に鬼はその始祖を含めてすべて滅されたからもう心配はご無用なのですよと私は伝える。悪鬼滅殺の宿願成就は、この屋敷の主の功績でもある。
「預かっていたのはこちらです。手前は学もなく、あまりよく判じないのですが、おそらく途中で終わっているものと存じます。ぜひ不死川様にお渡し願えませんか」
私は思わず眉間に皺を寄せてその「主からの預かり品」なるものを凝視する。
これは、この屋敷の主のものではない。
でも、この屋敷の主に渡すべきものだ。
私は直感的にそう思った。
丁重に御礼を述べてその男を見送り、客間に残った届け物を再びはらはらと開く。
それは見事な筆致で認められた経の一部だった。
この屋敷の主は字を読むことはできるが筆を執ることはない。幼い頃から働き、書くことを学ぶ機会がなかったからだ。さらには、主は家族を殺められたことをきっかけにして鬼狩りに身を投じたという。まさに他人を幸せにするために自身の生を使ってきた人だった。
けれど、そんな主の幸せを願い、そして命をかけた一隊士がいた。
それは、主の弟御である不死川玄弥隊士。
弟が隊士として戦うことをこの屋敷の主は嫌った。兄に疎んじられた代わりに、隊士は僧籍をも持つ岩柱のもとで暮らし、文字の手習いも受けた。
この「預かり品」は弟御の手によるものだろう。鬼狩りの『不死川』姓が二人いるなどとは鬼殺隊に身を置いた者でなければ分かるはずもない。ましてや、鬼殺隊にいたその兄弟が死の間際まで相まみえることもなかったことなど、知る由もない…。
客人に出した茶を引くのも忘れて私はその「預かり品」を眺めた。私も学はないが、ある程度の経は読める。
阿弥陀経は極楽往生について説く経だ。冒頭から暫くは、極楽がいかに素晴らしいところであるかが記されていく。池は功徳のある水で満たされ、底には金で敷詰められている。様々な色合いの蓮の花が咲き、香りが漂う。常に天の音が奏でられ、珍しい鳥の鳴き声が響く…
そこで唐突に経の写しは終わっていた。ここで朝が来たのであろう。隊士は墨が乾かぬと見るや、「いずれまた受け取りに来るので預かっておいてほしい。出来上がったら渡したい人が居る」とあの男に伝えたという。不義理をした相手への詫びとか世話になったお返しだとか、そんなことを言っていたのでと男はわざわざ此処を探し出して届けに来てくれたのだ。
経は未完でも、渡したい御仁の手元にちゃんと参りましたよ。と私はそっとその預かり品に告げる。客間を抜ける秋風がゆらりとその品の隅を撫で上げた。
夜分になり、少し酒を召した様子で屋敷に戻ってきた主に、私は届け物のことを告げる。主は突然のことに酔いが一気に冷めたように驚き、そして途中までの経が置かれた客間に籠もった。
その晩、主が客間から出てくることはなかった。ただ「よく返ってきたなァ、玄弥…」と繰り返す声だけが襖越しに何度も聞こえていた…