「…君と、日中街並みを共に歩いてみたい」
さて帰るか、と。すぅすぅと寝息を立てているのを確認し、できるだけ音を立てないようにベッドから立ち上がったつもりだったが。
「おっ…と、悪ぃ起こしちまったか」
「いや、構わない」
「…なんだい?寂しがってくれてるのかい?」
横たわったまま、腕だけ延ばし今しがたボタンを掛け始めていたシャツの裾を掴んでいるヌヴィレットさんが、どうにも愛おしくて。
ギシリ、と。再度ベッドに腰掛ける。
「…このように忍ぶように会うことしかできないのは些か心が重い」
「んー…でもなぁ。ヌヴィレットさんは上でも下でも誰が見ても知れ渡っちまってるし…わかるだろ?」
悔しいが、そう笑顔で返すしかない。現状、『月イチ定例報告会後の執務室』『夜中にヌヴィレットさんの私室に潜り込む』『ヌヴィレットさんが俺の執務室の裏口から来る』の三択でまともに日光に当たった試しがない。
そもそもこの関係になる事さえ認めるのに時間がかかった。知っているのは察することの出来た看護師長、勘の鋭い空くん、意図せずヌヴィレットさんの執務室に来たクロリンデさん…とその口から知らされたナヴィアさん。…と、ヌヴィレットさんの気配から感じ取って詰め寄り簡単に口を割ったヌヴィレットさんから直接聞いたフリーナさん。リネくんは…歌劇場裏で鉢合わせたことはあるが俺が先に気付いたから勘付かれたかどうかはわからない。
…と、上げていくと徐々に人数が増えていくのは自分でも恐ろしいが誰も口外はしない口の固いメンツなのは確かで。
「しかし、街を歩いていると皆手をつなぎ笑顔で歩いている。私達もそれは出来ないだろうか」
「う…いや…ちょっとそれは…いやしたくない訳じゃないが流石に絵面が…」
いつの間にか腰に回された腕に力が入る。腹にあるこの人の拳をそっと握る。
公平さを自ら謳っている最高審判官が、素性が知れない、まして男で、調べれば罪人であるとわかる俺と仲睦まじく歩いている所を見られるのはヌヴィレットさんの今後に影響してしまいやしないか。
…それが理由。俺が罪人である事は死んでも変わらない。
「ヌヴィレットさん。俺は…アンタの邪魔にはなりたくないんだ」
「それは金輪際一切ないと断言できる」
「ははっ。アンタはそうでも世の中ってのはわからないもんさ…ヌヴィレットさんが誰かと恋仲だなんてバレて、悪い方に動く事しか俺は考えられないんだ。…だから、」
一度、そのヒヤリとした手をぎゅっと握り、そしてその両の掌を離させる。
「それは叶えてやる事ができないのさ。…ごめんな、ヌヴィレットさん」
他人には変化のわからない表情の額にキスを落とし、悲しげな顔をできるだけ見ないよう、最低限の服を着て外に出た。
「…肌寒いな。そんな季節か」
はぁ、と溜め息をついてコートを羽織る。俺だって、本当は。
「…アンタの隣なら、暖かいんだろうな」
出来るだけ早く、下に戻りたかった。下がるエレベーターが、こんなにも有り難かったことは初めてだ。
◆
ノック。提出書類を片付けながら、明日に向けて書類をまとめていた。
「公爵ー?入るわよー?」
「ん、あぁ。…どうしたんだい?」
顔を上げて、普段より数段低く視線を合わせる。
「あらあら、こんなに机の上を散らかしちゃって。よっぽど明日が楽しみなのね?」
「茶化さないでくれ…これは真面目にやってるさ」
その愛らしい顔から悪戯心が垣間見える。
「あのね、ビックリしないでね?…ヌヴィレットさんが上に来てるのよ」
ガタン、バサバサ。言葉が出ない代わりに騒々しい音がなった。
まさかあの人は。…いや、公務だと取り繕えば別にあそこで会うのは可笑しい事じゃないさ。落ち着け。
「上は寒いから風邪引かないように気を付けて、楽しんでくるのよー!!」
「そんなんじゃないだろ」
足早に執務室を立ち去る主を視線で追いながらあらぬ言葉をかけてくる看護師長。
ゴウンゴウンと鳴るのに合わせるように、落ち着かず壁に背をつけながらも足を鳴らす。腕を組んで目を瞑って、この前の会話を思い出す。
万が一それだとしても断らないといけない。少し、話をして、すぐに戻るんだ。
明りが差し込み、一つ息を吐いて外に踏み出した。
「…フリーナ、さん?」
「やぁ!久しぶりだね公爵。」
その出で立ちは、演劇の練習帰りなのかという軽装で、神であった事など思わせぬような服装。
…と、その隣には。
「…リオセスリ殿」
「っ!?」
あの長い髪をすっぽりとハットに隠し、特徴的な瞳を隠すように色付きのメガネをかけた…ヌヴィレットさん。
そのメガネを少し指でずらして、戸惑っているようだ。
「えっへん!!これならどうだい?今ここまで二人で歩いてきたけど誰も僕たちを気に留めやしなかったよ。僕も市民生活に慣れてきた証拠だよね」
そう白い息を吐きながらニコニコと話す姿は全てを知っているようだ。
「待て、待て待て。まさか看護師長も知ってるな?」
「そうだね、あとナヴィアとクロリンデにも手伝ってもらったんだ。ヌヴィレットの悩みとなれば僕が手伝わない訳にはいかないよ」
まるで良いことでもしたよ!とでも子供が言うかのような素振り。
「…ね?これなら大丈夫だろう?」
からいきなり大人のような口振り。
「君の不安も大いにわかるよ。僕がそうだったからね。いつバレるかわからない不安は僕が一番知っているはずさ。…でもね、」
コツ、と一歩前へ出て。
「君たちの関係は隠さないといけないものじゃない。とっても幸せなことなんだ。本当は国民あげてお祝いをしたいくらいにね。…でもそれは君は望まない。だろう?」
その目はとても真面目で、ふと隣を見るとヌヴィレットさんも驚いたようにフリーナさんを見ていた。
「…こんなことも出来ないような関係じゃないんだよ。君たちは。こんなことで文句を言うような国民はいないはずさ。」
その表情は、数百年間この国を統べて来た者にしかできないもので。
「そうは言っても疑り深い君のことだからね、変装させてみたんだ。…是非、楽しんできて欲しい。」
仰々しく、まるで劇のようにお辞儀をしてヌヴィレットさんへ誘う。
「…リオセスリ殿。その、勝手にすまない。しかし…」
見慣れないその姿。今しがたのフリーナさんの演説。気を抜くには充分だった。
「ふ…あっはっは!!あー、悪ぃヌヴィレットさん。アンタそのカッコ似合わ無さすぎだ」
「そ、そうだろうか…」
「あぁ、まさか最高審判官がそんなカッコしてるなんて誰も思わないだろうよ。…だから、」
陽の光を浴びるこの人はこんなにも綺麗なんだなぁ。
「俺とデート、してくれるかい?」
差し出した手に、恐る恐る、そっと手のひらを乗せてくるその姿さえも愛おしい。
「…喜んで。」
罪人である事は変えられない。
最高審判官である事も変えられない。
「お土産楽しみにしてるよー!!」
「承知した。」
「…な、なぁちょっと流石に、恥ずかしいんだが…」
ついさっきまでまるで怯えるかのような佇まいだったくせに、拒否権もなく指を絡められて、
「明日の定例報告まで時間はたっぷりある。何をしようか、リオセスリ殿」
「はは…マジか」
心を許して笑ってしまうような、そんな人達に囲まれるようになったんだ。
…少しは、気を抜いてもいいのかもしれない。
「キスをしても?」
「それは変装とか関係なく今はダメだ!!」
あぁ、…暖かい。と。頬と鼻を赤らめながら、そう思った。